第七夜

 は今日、朝からやる気に満ち溢れていた。今日は紅炎自らが彼女の剣技の稽古に付き合ってくれるのだ。徐々に紅炎に対する思いが、憧れという気持ちから尊敬と敬愛に変わりつつある彼女は、とても喜んだ。紅炎の剣技の腕前は、煌帝国の武官たちの中でも、特に素晴らしいものとして語られているのだ。精一杯紅炎の厚意に応えなくてはと、彼女は誰よりも早く鍛錬場へと赴いた。
「おはようございます、紅炎様」
鍛錬場へとやって来た紅炎を、礼をして出迎える。本日は剣技の手ほどき、よろしくお願いします。そう続ける彼女に、紅炎は頷いた。
「ああ、早いな」
ちらり、とまだ青秀たちがいない様子を確かめる彼。どうやら、彼らが来るまでは紅炎の手ほどきは自分だけが独り占め出来るのだ、と彼女は嬉しく思った。
では、始めるか。そう言って、ぎらりと光る刃を抜いた彼に頷き、彼女も腰から刀――青凛丸を抜き、構えた。
――かかってこい。そう不敵に笑う彼に、たんっと一気に彼との距離を縮める。普通の者なら慌てて剣を構える隙さえ与えない、彼女の小柄故の敏捷性だが、彼は目を見開くことすらせず、淡々とその動きを見定める。
頭上から振り降ろされる彼女の刃を軽く受け止め、横にいなした。しかし、彼女もその程度で攻撃の手を弱める程、初心者ではない。すぐさま紅炎へと向き直り、スピードを生かした方法で何度も別の角度から、紅炎を攻め立てる。くるりと刀を回し、持ち手を変えた彼女は更に紅炎が予期しづらい方向から刀を突きだすが、それは少しばかり目を見開いた彼に、弾き返された。
「っ…!」
――キンッと鋭い音がして、自身の手から後方に飛んで行ってしまった青凛丸。
「中々見所がある」
すっと鞘に剣を収めた紅炎が、彼女にそう言った。しかし、彼の額には汗一つ滲んでいないというのに、彼女の額からは数滴汗が流れていた。明らかな実力差に、彼女は拳を握りしめる。これではいざという時に、主の役に立つことが出来ないではないか。
たった数分の攻防だったというのに、通常の稽古よりも疲れを感じた彼女は、後方に飛んだ青凛丸を拾いに行き鞘に納めた。
「力不足を改めて認識しました。精進します」
拳をもう片方の手で包み込み、彼に稽古を見てもらったことに頭を下げる。やはり、主に剣技の稽古をつけてもらうというのは緊張する一方で、新しいことを学べる良い機会だった。楽禁たちに稽古をつけてもらう時には感じなかった焦燥感なども初めて覚えることが出来て、彼女にとっては貴重な経験になったことだろう。
「ああ。今からお前の短所や癖を教えてやろう」
紅炎は彼女の言葉に頷いて、彼女にもう一度刀を握らせた。そして、先程の動きを反復しながら、戦場での隙になるかもしれない彼女の癖や短所を指摘していく。それに、真剣な表情で一言も聞き漏らすまいと、彼女は彼の言葉に耳を傾け続けた。


 そして、紅炎に直々に剣技の稽古をつけてもらってから、一週間が経った。あれから、彼女はより剣術の稽古にかける時間を伸ばし、彼の指摘した癖や短所を直そうと努力している。
しかし今は、執務室で書類整理をこなしている紅炎の傍で、彼が書き上げていく書類をまとめる役割をこなしていた。
、紅覇から今日中に提出される筈の書類がまだ来ていない。急かしてこい」
「分かりました」
とんとん、とまとめた書類を別の机に置いた彼女に、紅炎はそう言った。どうやら、第三皇子である紅覇は身体を動かすことは得意なようだが、書類整理は貯め込む傾向にあるようだ。彼の前から退出する際に、きちんと礼をして、彼女は第三皇子が住んでいる棟へと向かった。
  禁城を十数分歩いて漸く着いた第三皇子の棟。紅炎の従者である彼女がいきなり初対面の皇子のもとへ赴くのは失礼にあたるので、まずは彼の従者である者たちを探すことにした。確か、紅炎から聞いた話によると、彼の眷属たちは女性が三人と男性が一人の筈だ。特徴的な人物であるというので、探すのにそう時間はかからないだろう、と彼女は宮の中を歩く。
丁度、少し離れた所を歩いている男性を見つけ、彼女はその男性に近付いた。
「紅炎様の従者をしております、と申します。紅覇様にお目通りを窺いたいのですが、ご案内していただいてもよろしいですか?」
顔の半分を前髪で隠している様子の彼は、彼女の言葉を聞いてそうですか、と微笑んだ。
「私は紅覇様の従者の関鳴鳳と申します。こちらへどうぞ」
予想外に早く第三皇子の従者に声をかけることが出来て、彼女は安心した。広い宮の中を歩く間に、鳴鳳と少しばかり自己紹介や会話を楽しむ。彼はとても穏やかで話しやすい人物だった。主である紅覇を敬愛し仕えている様子の彼の印象は、彼女にとってとても良いものだった。また、一番新しい紅炎の従者であるが、眷属器を持っていないとは言え、他の武官たちに比べると遥かに強く、また努力家であるという噂を鳴鳳は従者間で聞いていたため、彼もまた彼女に対する印象は好意的なものであった。
「紅覇様はこちらにいらっしゃいます」
「ありがとうございます」
ある大きな扉の前で立ち止まった彼に、彼女はお礼を言った。ここまで案内してくれた上に、扉をノックして紅炎の従者である彼女が来たことを紅覇に伝える彼に、益々彼女の彼に対する印象は良いものへと変わる。
「入って良いよ〜」
「失礼します」
間延びした少年の声が聞こえ、扉を開き中へ入る。礼をした後に顔を上げれば、少しばかり疲れた様子の少年が、何十枚と重ねられている書類が乗った机に向かっていた。綺麗な桃色の髪の毛を苛立ちから掻き毟る様子に、彼女は思わず驚いた。
「で、お前は誰〜?炎兄の従者にお前みたいな奴いたっけ?」
「お初にお目にかかります、最近紅炎様の従者に抜擢された、と申します」
羽ペンをぽいと放り投げた彼に、後ろで控えている、包帯や札を付けた女性たちが慌ててその羽ペンを拾い上げる。その様子を視界に入れながらも、は初対面の紅覇に自己紹介をして頭を下げた。
そうすれば彼は納得いったのか、ふう〜んと相槌をうち、机に突っ伏す。
「今日は、紅炎様からの言伝を預かって参りました。迅速に書類整理を終わらせよ、とのことです」
「書類整理ぃ〜!?今やってるよぉ!僕、書類整理が一番嫌いなんだぁ〜」
突っ伏してこちらを見ようともしない彼に、紅炎からの言伝を伝えるが、彼は頬を膨らまして駄々を捏ねた。15歳という年齢であればそのように書類を嫌っても致し方ないだろう、と彼女は実家で好き勝手していた自分を思い出し、彼の行動ににっこりと微笑む。
「ですが、紅覇様が素早く書類を完成させれば、紅炎様は大助かりになると私は思います」
書類から目を背けた様子だった紅覇に、従者の女性たちがあわあわと焦っているが、彼女は微笑みを絶やさず彼に自分の意見を伝えた。紅炎も紅覇と同じ程度の書類を朝から永遠にさばき続けているのだ、そこに紅覇からの完成した書類を持って来てもらえば、彼も余計な仕事が増えずにすむ。
彼女の言葉に、紅覇はぴくりと反応を示した。
「炎兄が〜?」
机にべたっと臥せったままで、彼がの方をじっと見上げる。はい、と彼女が頷けば彼は、なら僕頑張るしぃ〜と身を起こした。従者が、落ちた羽ペンをそっと紅覇に渡し、彼は難しそうな顔をしながらも、真剣な様子で書面に向かっている。
「微力ながら、私も皇子の補助をいたします」
「うん、ありがと〜」
が書類整理の協力を申し出れば、彼は今までの不貞腐れたような顔から一変して、はにかんだ。
こうしての午後は過ぎていった。


2014/06/18



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