第五夜

「今日から紅炎様の従者になりました、です」
よろしくお願いします。そう言って礼をした小さな少年を見た眷属の反応は、表面上にはあまり表れないものの好意的であった。何しろ、青秀の時の生意気な態度とは違い、彼女は礼儀作法がしっかりしている上に初々しい様子。そんな彼女のことを愛らしいと思わず思ってしまった者は少なくない。紅炎もそのうちの一人であり、自分の目はおかしくなってしまったのかと自分を疑う程であった。
「ほぉ〜、これが噂の蛇餓鬼の友人ですかな。踏みつぶしてしまいそうな程に小さいですな」
「あの時以来だったな、。何かあったら私に聞くと良い」
「紅炎様のために身を尽くすように」
三者三様の言葉だったが、それを聞いていた青秀はえ!?と目を見開いた。俺の時は皆さんもっと厳しい感じだったのにどうしてですか。そう声を上げている。生意気だったからだこの餓鬼!と楽禁はそんな彼に言葉を返した。そんなやり取りもじっと見て、彼らの関係性を見極めようとしているは仕事熱心なのか真面目なのか。
、こいつらを見て色々学ぶように。お前たちで面倒を見てやれ」
「はい、紅炎様」
皆一様に礼をして、ひとまず彼の前から退出することになった。


 紅炎の従者になり早3日。既に何度か仕事を任されたりしたが、どれも彼女にとっては簡単な物であった。出来上がった書類を紅炎に運んだり、そのついでに彼にお茶を頼まれたり。その他は眷属の方や青秀と共に手合せをしてもらっている。今まで組手をしてきた者たちよりもはるかに強い彼らと手合せするというのは、とても骨が折れる一方で遣り甲斐を感じている。尚且つ彼らは的確なアドバイスをしてくれたり、ちゃんとが成長するように計らってくれている。
終業の鐘が鳴り、紅炎の従者になってから青秀と共に紅炎の部屋の付近に貰った自分の部屋に戻る。彼女は汗をかいて汚れた着物を脱いで、濡らした手拭いで身体を軽く拭いてから新しい着物に腕を通した。そして隣部屋の青秀と共に夕食に向かう。
ただの武官と皇族の直属の部下たちが食べる場所は違うらしく、初日はご飯の豪華さに目を丸くしたが今ではそれに馴染むことが出来た。
「遅いぞ、二人とも」
「すんません〜楽禁殿〜」
「遅れてすみません」
先程より身軽な様子で食堂に来た彼らに、真ん中のテーブルを陣取っていた楽禁たちが声をかける。炎彰、青秀と並んだ横にが座り、食事が再開された。直後、どん、とこの中で一番小柄なの前に大皿を置いた青秀。その上に連携プレーともいえる速さで楽禁が料理を次々に乗せていく。
「お前は一番小さいからよく食って大きくなれ」
「はい!」
「元気が良いな」
周黒惇が彼女のきりっとした顔を見て小さく笑う。最初は姿が動物である彼らに委縮していた彼女だったが、3日も経てばその容姿にも慣れ、普通に接することが出来るようになっていた。山盛りに盛られた自身の皿を見ながら出来るだけ頑張って食べてみようとぱくぱく口に運んでいく彼女。それを眺めながら彼らも自分たちの料理を食べていく。しかし、やはりと言うべきか普通の女の胃袋しか持ち合わせていない彼女は半分も食べきらないうちにお腹が膨れてしまった。これ以上食べたら吐く。そんな醜態は曝せないと、彼女は些か苦し気な顔をしながらご馳走様でしたと手を合わせた。
「まだ半分以上残ってるぞ」
「すみません、もう満腹です」
目ざとくそれを見つけた黒惇が彼女を見つめる。その目に彼女はたじたじとするが、隣にいた青秀が助け舟を出した。こいつ、胃袋が小せぇんすよ。にこにこと笑いながら肩を叩いてくる彼に、彼女は頷く。そんな2人に、彼らは仕方のない少年だと認めてくれた。こうしてまた、彼女には新たな課題が出来たのである。


 普段はちょろちょろとまるで鼠のように忙しなく動き回っているであったが、彼女はこうして紅炎の傍でじっと立ち続けていることも珍しくないことだった。
「茶を」
「はい」
巻物を丁度読み終わった彼が、長時間目を酷使して疲れたのか眉間を押さえながら、数時間ぶりに声を発した。よりも早く青秀が返事をしたのだが、お前の淹れる茶は不味い。そう言外にに淹れさせるように、と言われてしまえば、彼女は小さなことだが嬉しさから顔が綻んだ。はい、と返事をして急いで給仕室へと向かう。
陶磁器の湯呑みに熱い茶を淹れ、こぼさないようにして廊下を歩いた。そっと扉を開いて、休憩している様子の彼の前に小さな音をたてて湯呑みを置く。
「お待たせいたしました」
「ああ」
熱いのでお気を付けください。そう付け加えれば、彼はまた頷いてそれに口を付けた。ずず、と小さな音を立ててお茶を口に含んだ彼が、ほう、と息を吐く。
「お前は茶を淹れるのが上手いな」
「ありがとうございます」
ぼんやりした様子で、彼女に視線を向けた彼は満足げに笑んだ。その微笑に彼女は自身の頬にゆるゆると熱が集まるのが分かる。他のことではまだまだ青秀たちに敵わない彼女だったが、このように些細なことで褒めてもらえるというのは、本当に嬉しいことだ。
――お前もを見習え。
そう言われてしまった青秀はうっと呻きながらも、はいと頷く。紅炎の御前ではあるが、青秀のそんな様子に思わず意地の悪い笑みが浮かんでしまって、彼女はこつりと彼から拳骨をくらった。


  紅炎に頼まれた資料を返しに向かった蔵書庫から帰る時、向かいから普段は後宮に住んでいる白瑛の従者である青瞬がやって来て、は礼をした。そのまま過ぎていくかと思いきや、彼は彼女の姿を視界に入れた途端、何故か目をきらきらとさせて彼女のもとまで勢いよく近づく。
「あ、あなたは…!」
「!?」
がしっと手を掴み、目前にまで顔を迫らせる青瞬に、彼女はぎょっと目を見開いた。そんな様子に、彼はすみませんと慌てて離れて、自己紹介をした。彼女も同じように自分の名前を言えば、存じておりますと彼は頷く。
「失礼な話ですが、年若く背の低い少年が新たに第一皇子の従者になったことは、もっぱら噂ですよ」
「そうなんですか」
彼から聞かされる自分の話に、彼女は全く知らなかったため大きく頷いた。この噂がどのように周りに影響を及ぼすのかは分からないが、見た所彼は良い意味で彼女を評価しているようだ。
「実は、お恥ずかしい話なのですが…」
私と同じように背の低い従者が現れてとても嬉しいのです。頬をほんのりと羞恥から染めている彼に、彼女は僅かに目を見開いた。なるほど、そういうことかと彼女は理解した。青瞬はより僅かに背が高いが、一般的な男性からすればかなり小さな部類に入る。きっと、彼は第一皇女の白瑛の従者であるというのに、身長が低いことを何度も揶揄されたことがあるのだろう。しかし、彼には残念なことだがは男ではなく女なので、彼の仲間意識は一方通行になってしまったが、彼女は彼に微笑んだ。
「皇族に仕える者同士、お互いに頑張りましょう」
「ええ、そうですね」
ぎゅっと、自然に握手をすれば二人の間には思いは違えど仲間意識が芽生えた。そんな背の低い二人の様子に回りの屈強な男たちが小動物に向けるような眼差しで見守っていることなど、彼らは全く気付いていなかった。


2014/06/11


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