第四夜

 今でも信じられない。2年間一緒に過ごしていたが女だっただと?確かに思い出してみれば彼女は男にしては妙に話し方が女っぽかったり、着替えている所を見せないし、風呂だっていつも最後に一人で入っていた。いつまで経っても変声期は来ないし、背は低いし、最近少し脂肪が付いたか?と思っていたが、それが全て女だったからとは。
はぁ…と溜息を吐きながら青秀は自室に戻る。危ない、あのまま一緒にいたら大変な所だった。女だと気付いた途端にを意識してしまい、触ってしまった身体の感触を思い出す。
――柔らかかった。って、違う違う!!!
ぶんぶんと頭を振り、俺はあいつのことをそんな目で見てねェと心の中で叫ぶ。とにかく、自分の息子が何とか反応しなかったことに感謝しつつ、扉を開けた。
――これからどうすれば良いんだよ。同じ部屋で寝るなんて、拷問だ。
うがああと長髪を掻き毟り寝台にダイブする。みしっと嫌な音がしたことは気付かない振りをして彼はのことを考えた。何か理由があったから男しかいない寄宿舎に男装してまでやって来たんだよな。こんな危険なこと普通の女だったらやらないだろう。俺にはそれを受け止めてやる必要がある。
何て言ったって彼女は俺以外にも話せる友人はいるようだが、本当にそれだけなのだ。たぶん心を開いてくれていたのは俺だけだろう。彼女がそれを聞いていたら自意識過剰にも程がある――しかし合っているのでそれ以上は言えない――と言ったに違いない。
 30分後、彼女が部屋に戻ってきた。髪を濡らしたまま何も言わずに自分の寝台に座る。黙って髪の毛を拭いている彼女に何を言おうかと頭を巡らせる彼だったが、彼女から漂うシャンプーの香りや赤みが残っている頬に気を取られて何も考えが浮かばない。
ええい、どうにでもなれ!そう彼女に聞く決意が出来た所で彼女は口を開いた。
「今まで嘘吐いていてごめんなさい」
「いや、まあ吃驚したけど…良いよ」
唇をきゅっと結んで、また今にも泣きだしてしまいそうな彼女を見て柄にも無く焦る。今まで何度も女を泣かせてきたことがあるのに。たぶん彼女が心配しているだろう、上に報告することもしないと言えば彼女は目を見開いた。
「良いの…?」
「当たり前だろ」
俺たち友達だろ?そう言うのは照れくさかったが、言葉にしてみれば彼女は酷く嬉しそうに笑って不安が取れたようだった。ありがとうと深々と頭を下げる彼女においやめろと声をかける。どうやらかなりの理由がありそうだ。
 彼女は少ししてから男装して禁城に来た理由を話し始めた。
――彼女の家には子供が彼女しかいなかった。2年前、そんな彼女の家に一通の手紙が届けられた。それは皇帝からの男児を徴収する旨のものだった。しかし彼女の家には家当主の父親しか男はいない。仕方がないが彼が行くことで決定していたのだが、彼は以前不慮の事故で右足が動かなくなっていた。そんな彼がもし戦争にでも連れて行かれたら死んでしまうだろう。そう思った彼女は自分が男となり、禁城へ赴き仕えれば良いのだと決意した。それからは髪を切り男物の服に着替え、夜中に一人で家を飛び出したという。
その話を聞いているうちに彼は彼女のことを不憫に思った。この年頃の娘ならばこんな風に常に鍛錬をすることなく女同士でお茶を飲んだり、とっくに結婚に出ていてもおかしくない。
「父上は皆が必要としているから、私だったら戦争で死んでも大丈夫でしょ?」
「馬鹿野郎」
自虐的なことを言う彼女の頭を思わずぽかりと殴った。いった!と頭を抑える彼女に痛くしたから当たり前だろと返す。どうやら彼女は何も分かってないようだ。彼女が死んだら悲しむ人間が沢山いるということを。故郷に残してきた両親や家の者たちも、ここで共に暮らしている者たちも、俺だってが死んだら悲しい。
「それなのに大丈夫とか言うんじゃねぇ」
「ごめん……」
彼の言葉を素直に聞き入れた彼女に、彼は分かったなら良い。と呟いた。とにかく今日はこの話はおしまいだ。明日もまた鍛錬があるんだから。そう言って彼は寝台に入って目を瞑る。
「青秀は良い奴だね」
「馬鹿野郎、寝ろ」
ふいっと彼女に背を向けたまま今度こそ彼は眠りについた。


 の性別が女だと青秀に知られてしまってからというもの、彼は彼女に対して過保護になった。他の仲間がいる所では「女なんだから」とは言わないが、何かに付けて2人きりの時はその言葉を使う。「女なんだから一人で歩くな」「女なんだから風呂に入っている時は俺が見張っててやる」「女なんだから………」エトセトラ。彼女としては2年も男として生活してきたのだから別に今更自分が女という意識が無く、相変わらず彼の手を煩わせていることが多い。
しかしそんな青秀も近頃では以前よりも紅炎のもとで紅炎の部下として活動することが多くなってきていた。そのおかげで彼が一緒にいない時間が増え、彼女は少しばかり寂しい思いをしているが、彼が出世の道を順調に進み始めたのだからあれこれ言う資格はないと口を噤んでいる。
――良いなぁ、私も紅炎様のもとで働きたい。
いったいどんな仕事をしているのだろうか、とかどんな人たちと一緒にいるのだろうかと一度気になりだすととことん考えてしまう。しかし自主練の手は休めずに。
「おーい!」
「青秀」
ふと、今の今まで考えていた彼の声が聞こえる。きょろきょろと辺りを見渡せば少し離れた所から彼とドラゴンのような風貌をした男と共に歩いているのを発見した。
、こちらは炎彰殿だ」
「お初にお目にかかります、と申します」
背の高い青秀より更に背の高い彼に礼をする。そうすれば彼は噂に聞いている、と目を細めた。噂とは…と少し彼を窺えばどうやら青秀がぺちゃくちゃと話しているらしい。まるで弟自慢のように話してくるのだと威圧感を放っている彼から聞かされた言葉に気が抜ける。
「そうなのですか…?」
「ちょっ炎彰殿!!なんで言ってしまうんですか」
終いには慌てる青秀を笑い、の頭を撫でだす彼。ぽかん、とアホ面を曝してしまった彼女に彼はついうっかりと呟く。ついうっかりで上層部の者に頭を撫でられてしまった彼女は大変困惑した。
「紅覇様以上に女子のような顔をしているのでな」
「は、はぁ……」
しかも女子のよう、とまで言われてしまって返答に困る。女なんです、なんて口が裂けても言えない。しかし彼はそのことについてはどうとも思っていないのか、では仕事に戻ろうかと帰って行く。その後ろを青秀がついていく様を暫く眺めていたが、自分も早く彼に追いつかなければと鍛錬を再開した。


 それから数日後、は夕食後に剣術の鍛錬を一人黙々と寄宿舎から少し離れた所で行っていた。ここはあまり人が通らない場所なので少しうるさくしても誰かに文句を言われたりすることが少ないのだ。刀を型に嵌めて動かすが、たまに出てくる癖を意識して直そうとする。昼間に言われた自分の癖と弱点を思い出しながら一心不乱に刀を振っていた。
「右わき腹が空いているぞ」
「えっ…?」
ふと、集中していた所に聞こえる声。視線を横にずらせばそこには就寝着に着替えた紅炎が。慌てて礼をして彼を窺う。まさか五月蠅くしてしまっていたのだろうか。
「夜分に五月蠅くしてしまい、申し訳ありません」
「心配するな。五月蠅くなどない」
今すぐにでも別の場所へと移ろうとしていた彼女に、彼が常人ではあまり察することが出来ない程度に笑う。熱心に刀を振っているから気になって見ていただけだ。そう語りかけてくる紅炎に彼女は恥ずかしくなる。ずっと見られていたことに気付かなかったなんて。
自分の未熟な刀捌きを見られていたのかと思うと、何を話して良いのか分からなくなり自然と口が閉じてしまう。そんな彼女を知ってか知らずか、彼が彼女よりも先に口を開いた。
、お前は俺の従者になる気はあるか?」
「紅炎様の従者、ですか?」
彼の問に途端に頭の回転が速くなる。この禁城に来てからずっと憧れていた彼に仕えることが出来る。そう思うととても名誉なことだと思うが、まだまだ自分にそのような力量があるとは思えない。この前会った炎彰も私より何倍も強くて彼を支えるだけの能力がある筈だ。青秀もそういう所があったからこそ彼の部下として働いているのだろう。
欲を言えば彼のもとで働きたい。青秀の話から聞く紅炎という男は心から仕えたいと思える方であり、そしてゆくゆくは皇帝となる男であり、そんな彼を陰ながら支えたいと思うような人物だった。皆、紅炎のことを慕っている。
「ぜひ、紅炎様に仕えられるなんて光栄です。ですが、私はまだまだ未熟者です」
「そんなことは分かっている。明日から俺の眷属と共に鍛錬すれば良いだろう」
不安を彼に明かしてみれば、彼はそんなことと一笑した。その様子に彼女は自分が考えていたことは取るに足らないことだったのだと気付き、はい、と頷いた。足りないならこれから足して行けばいいのだ。
彼女の誰よりも努力している姿を目撃することが多かった彼は彼女のことを気に入っていた。もともと、禁城に連れて来た青秀の初めての友人ということもあり、それなりに彼女の知らぬ所で評価されていただったが、その努力が認められたのだった。磨けば輝くだろう原石を他の誰かに取られる気は毛頭無い彼は、頬を紅潮させた彼女に小さく笑う。
「精一杯紅炎様にお仕えします」
「ああ」
少しずつ、階段を上り出した少女を黄色い月が優しく見下ろしていた。


2014/04/18


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