第三夜

 夕食を食べ終わった後、彼女はある問題にぶつかった。昨日は疲れてそのまま寝てしまっていたから気付かなかったが、お風呂はどうするのか。この寄宿舎には大浴場が一つしかない。その上、使用可能な時間帯は19時から23時までと決められている。就寝は必ず24時までにしなくてはならないため、彼女は頭を抱えた。
――お風呂に入らないというわけにもいかないし、仕方ないから皆が入り終った後に入ろう。
聞く所によれば、大抵の者たちは湯が綺麗なうちに入りたいからと我先にと風呂場へ向かうらしい。今も夕食を食べ終わった直後から風呂場に直行している者が居る程である。それなら遅くでも22時には入れるだろうと高をくくり、彼女は青秀の話を聞くことにした。
「昼間紅炎様に話しかけられたのは俺が紅炎様に連れてこられたからだ」
部屋に戻り、昼間のことを話しだす彼。それをベッドに座って黙って聞く。
――彼は貴族の家の長男として生まれた。代々皇族の従者として主に仕えることを家の誇りとしてきた一族に決められたレールの上に立たされていることが、それ以外の夢を見ることが許されていないことが、幼い彼を荒れさせた。とても荒れた少年時代を過ごしたらしい。態々屋敷から出てスラム街や治安の悪い街で暮らして毎日、明けても暮れても喧嘩ばかりしていた。
喧嘩と暴力、盗みに溺れた彼はある時、彼の町に通りかかった紅炎と出逢う。皇族の従者なんぞ真っ平御免だとさえ思っていた青秀は、この国の第一皇子とは露知らず、何やら自身のことを気に食わない目付で見下ろしてくるその男に腹が立ち彼は殴り掛かった。しかし、今まで負けなしだった彼が年上とはいえ武器を使わない紅炎に完膚なきまでに負かされた。
悔しくて殺せ!!と喚けば、彼は何かを思案するかのように黙った後、「俺に仕えろ」と言うのだ。強くなりたいのなら、俺と共に来い。そう続けた彼に、青秀は頷いた。知らなかったとは言え、皇子に襲い掛かった者は普通なら例外なく処刑の筈だろう。どうやら、彼は青秀が李家の問題児である長男だと見抜いていたようだった。
そんなことも知らずに、今よりもっと強くなれるなら、この男に勝てるようになるなら。そう思って、彼はその町を離れて禁城へやって来た。彼がこの国の第一皇子だと知ったのはこの寄宿舎に入れられた後だったらしい。
「ここに来て今じゃ2年経つ。入りたての頃に同室の奴なんていたら半殺しするくらい気が立ってたけど今じゃこんなんだ」
「へぇ……」
どうやら私は良い時期に彼の同室になったらしい。もしここに来るのがあと一年でも早かったら、私は半殺しの目に会っていたのか。そう思うと彼女はこの時期に城から呼ばれたことに感謝した。
奇しくも彼の昔話を聞くことになって、彼女は嬉しかった。もしかしたら自分のことも話した方が良いのかもしれないけれど、自分のことを話すとなると嘘を吐かなくてはいけなくなる。まだ嘘を吐くことに慣れていない自分は嘘を吐いても気付かれてしまうかもしれない。そう思って彼女は自分のことは話さないでおくことにした。もう少し時間が経って、嘘を吐けるようになったら話そう。



それから2年。この月日はあっという間に流れていった。青秀が言うように体力作りに精を出した所、以前より格段に拳が重くなり、より俊敏に動けるようになった。剣術も何度も仲間同士で腕を磨いたおかげで遥かに強くなったと言える。一日の鍛錬だけでは飽き足らず、が夜中も一人鍛錬をしていることを知っている者は少なくない。誰よりも努力をして強くなることを望んでいる彼女を、同じ寄宿舎の者も認めていた。
 また、2年もたてば強さだけではなく身体だって成長する。身長は160pまで到達せずに、今でもチビだと青秀に馬鹿にされているが、白瑛姫に仕えている彼の弟、李青瞬も私と同じ程度だと言えば確かにそれもそうだと納得した彼。どちらにせよ彼は男のくせにチビなんて格好悪いけどなと言った。
それとは別に、既に女として脂肪が腰や胸に付き、徐々に隠すのが難しくなっていることも事実。顔も他の男たちとは明らかに違って、少年とは言えない年になったのにまだ女顔の彼女を、このことでもまた青秀はからかった。しかしこの2年で青秀の扱い方を覚えた彼女は紅覇様だって中性的なのにそんな風に言ってたら苛められるよと返した程である。
兎角、女の身体とは不便で月経が来る時にはどうやって隠そうかと悩んだり、常にサラシを巻かなくてはいけない窮屈さに苛まれていた。その窮屈さから唯一逃れられるのが湯浴みをしている時だ。彼女は平生のように最後になった所でお風呂場に向かった。
風呂場に誰もいないことを確認して服を脱いでいく。2年も経てば男物の服を脱ぎ着することにも慣れてしまい、今では逆に此方の方が落ち着くくらいだ。鏡に映った彼女は家を出た時より髪の毛が胸まで伸び、戦うには不向きな嫋やかな身体をしている。だからと言って筋肉がないわけではなく、力を入れれば身体は固くなる。裸になって今日の鍛錬で打った腰の打撲痕を確かめて彼女は風呂の扉を開けた。もわっと湯気が立ち込めるそこにひたひたと歩き、かけ湯を身体にかける。軽く体を洗いちゃぽんと湯船に浸かれば、一日の疲れが癒えていく。
「はぁ……今日も疲れた…」
素の状態に戻って目を閉じているとがちゃっと扉が開く音がする。その音に彼女は跳ね上がった。何故、何故、いったい誰が。皆が入ったのを確認してから入りに来たのに、いったい誰が。ずざざと湯船の一番奥に後退りして胸や局部が見えないように体育座りをする。
「よぉ」
「せ、せ…青秀……ッ」
もくもくとした湯気の中から現れたのは腰にタオルを巻いた青秀だった。今では同化とやらのおかげで既に190pを越えている彼の身体は逞しく、彼女と比べるまでもない。既にお湯で温まっているのとはまた違う理由で彼女の頬が赤く染まる。
ま、まずい。青秀が来るなんて。あんまり動転した様子を見せても怪しまれるだけだ。出来るだけ冷静にしなくては。ああ、でもさっき彼は私を置いてお風呂に向かった筈だ。30分ほどしてから返ってきたんだから間違いない。何で二度もお風呂に入りに…。そう考えているのが彼に通じたのか彼は湯船に浸かった後に口を開いた。
「俺たちそういやまだ背中流し合ったことねえなって思ってよー」
だから風呂に入ったフリして今入った。特に悪びれた様子もなくそう言い放った彼に表情が引き攣りそうになる。ここで彼女が男ならば、それはそうだと簡単に頷き共に背中を洗い流すことが出来ただろう。しかし彼女は女だ。決して彼らに裸を見せるつもりなどないし、そもそもこのことがバレたら父の代わりに娘が来たことが上に伝えられてしまう。そんなことにはさせるか、と何か良い言い訳を考えて彼を納得させ一人で身体を洗って出ていってもらおうと彼女は今までにない程頭を回した。
「…黙っててごめん。実は青秀たちには見られたくないものがあって…」
――過去のトラウマなんだ。
そう言って彼女は少し俯く。彼女が選んだのは泣き落とし作戦だった。こうやってトラウマをアピールして、だから人には裸を見られたくない。そう言えば彼もそんな傷を抉るようなことは出来ないと思ってくれるだろう、と推測したのだ。しかし彼女の予想は外れる。
「そうか、でも俺は気にしねぇ。おまえがそんなことを気にする必要はねぇよ」
受け止めてやるからさ!男らしく胸を張った彼を見て、彼女は米神に青筋が浮かぶのを感じた。生まれて初めてくそ!!と罵りたくなった程である。いつにも増して兄貴面をする彼に、何故今ここでそれを発揮すると怒鳴りたくなった。どうせなら右将軍の李青龍に叱られて半泣き状態だった時に発揮してほしかった。
「いや、僕は気にす――」
「いいから、早く洗わねェと寝る時間になるぞ!」
離れている所からざぶざぶとこちらにやってくる彼に彼女はうわああああと悲鳴を上げた。こっちへ来るな!と彼に嘆願するも、彼はそう言われると余計にこちらに来る速度が速くなる。
「何をそんなに嫌がってんだよ!」
「や、やめ!引っ張るな!!」
言葉使いが乱暴になることにも気付かず彼女は自分の膝に回した手を強くする。絶対離すものかと膝にしがみ付いている彼女の腕をどうにかして離そうとする青秀。しかしどちらも引かず熱いお湯の中での攻防が続いた。お互いに息苦しさを覚え、それに我慢を切らした彼がの背中と膝裏に手を回してざばっと立ち上がった。
「いやああ!!何すんのバカバカ!!下ろして!!」
「あ!?何言って―――は??」
突如として自身を横抱きした彼にぎょっとして彼女は悲鳴をあげる。その女のように甲高い声に眉を寄せて彼がを見下ろせば、そこには男には無い筈の胸の膨らみを隠す彼女が。ぽかんとアホ面を曝し自分を見下ろす彼に彼女はとうとう耐え切れずに泣き出した。
「え?え?……お、女?」
気が動転して一先ず湯船の中に彼女をおろした彼。はすぐさま壁際まで寄って身体を隠すように膝を抱えた。ぐすぐすめそめそと涙を流す彼女を見て、彼は言葉を失くす。
――もう終わりだ。きっと皇帝陛下に告げられて私は何の役にも立てないままに処分されてしまうんだ。父上と母上に顔向けが出来ない。このまま死んだら私はとんだ家の恥さらしだ。
彼女はただただ裸を見られたことに対する羞恥と悔しさと、こんなことになってしまったことを後悔することしか出来ない。
「悪かったな。俺は先に出てるからちゃんと身体洗って出てこいよ」
彼が俯いて何も話さない彼女に向けて言えた言葉はそれだけだった。彼自身もまだ気が動転していて何を話せば良いかさえ分からなかったのだ。とにかく彼女を刺激しないようにそう言って彼は身体を洗わずに湯船から出ていく。
「後で理由聞かせろよ」
「……ん…」
彼女から何とか返事を貰った彼は今度こそ出て行った。


2014/04/18


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