第二十七夜

 主のことをもっと知りたい。そういう思いからは休日を使って書庫へ向かい、この国の歴史書を読んでいた。とくに白徳大帝が統治していた時代を中心に。巻物に書かれた文字をすらすらと目で追いながら読み進めていくと、とうとうあの忌まわしい大火の部分にまでやって来たが、どうしてもその部分を何度も読んでも白雄、白蓮両殿下が大火で亡くなった理由に納得出来なかった。
――この時期は多雨だから建物には湿気が多く含まれている筈。
乾燥が酷くなる冬季なら自然に発火して火事になるのは分かる。だが、彼らが亡くなったのは雨が多く降る時期だ。自然に発火することなどあり得ない。ぐっと眉に皺を寄せて考え込むにとって、皇子たちは謀殺されたようにしか思えなかった。
「お前もいたのか」
「紅炎様」
背後から聞こえた声にはっと顔を上げて椅子から立ち上がれば、やはりそこには彼女の主である紅炎が立っていた。その手には数個の巻物があることから、ここでと同じように書物を読む気だったのだろう。彼に席を譲ろうと紅炎に言おうとした彼女だったが、それに対して彼は手で制して巻物を机に置き、が読んでいた巻物に目を落した。
彼の行動の意味はには分からなかった。暫しの沈黙の後に、のことを見た彼。
「お前はやはり俺の従者でない方がいいかもしれんな」
「な、なぜそんなことを…!?」
ぽつりと呟かれたそれは書庫にとけて消える。だが、はそれを確かに聞き取り驚愕に目を見開いた。だって、どうして。私は紅炎様に従者として認められたのではないの。困惑のあまりに慌ただしく手が動いた彼女は紅炎の言葉が信じられなかった。先の戦争で彼女は眷属器を手に入れたが、彼にとってはの活躍など小さなものだったのか。おろおろと落ち着きを失くした彼女に、落ち着けと紅炎が彼女の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
皇族の従者など危険でしかないからだ。はぁという溜息と共に吐き出された言葉に、は目を白黒させた。そんなこと、今更だろう。
「嫌です、私は紅炎様の従者でありたいです」
彼によって乱された髪の毛を押さえながら、彼女はキッと目に力を入れて彼を見上げた。寧ろ、そういった危険が主の身に降りかかるのを阻止することこそ、従者としての生き甲斐なのに。主が傷付くくらいなら、彼女は自分が傷付く方がましだった。
――誰にも、この人の光り輝く魂を汚れさせたりしない。
は彼から離れたら、生きる指針を失ってしまうだろう。私に生きる意味を教えてくれたのは紅炎様なのに。もう二度と、従者としての身を取り上げられたくなかった。
ぐっと眉を寄せ涙を流すのを堪えている彼女を見下ろした彼。
「いずれ、お前は眷属と同化し自我を失くすだろう。それでもか」
静かに訊ねる紅炎にはいと力強く彼女は頷いた。眷属器を手にする前から、青秀たちが紅炎の為に振るえる力があることを羨んでいた彼女はようやく与えられた力を使うことに躊躇いはない。今はまだ精霊と同化することはできないだろうが、いずれ同化できるようになって彼の役に立ちたかった。それで自我を失い死ぬことになるのなら本望だ。
「この命尽きようとも、紅炎様のために戦い続けたいです」
「――来い、。お前にも教えねばならん時が来た」
拳を合わせ片膝をつき、彼をまっすぐな瞳で見上げる。そうすれば、彼は瞬きをした後にその鋭く光る黄金の瞳を彼女に向けた。


 紅炎の後に続き宮中の中を歩き到着したのは、霊廟であった。ここは、白雄皇子と白蓮皇子の魂を祀る神聖な場。古くより祖先を篤く敬う煌帝国の地域では家中で最も重要な場所とされている。そのような場所に、軽々しくが足を踏み入れて良いものか。豪奢な造りをした建造物に、彼女はごくりと生唾を飲み込んだ。
躊躇することなく足を踏み入れた紅炎に続き、彼女もその中に足を踏み入れる。彼の正確な歩みは、この場に何度も来ていることが窺えた。少し歩いて立ち止まった彼。その視線の先には、白雄と白蓮の容姿とそっくり精巧に彫られた大理石の像が立っている。初めて見るその姿には目を惹きつけられた。今の紅炎よりも若々しい様子の彼らだったが、亡くなるまでは確かに紅炎や弟妹たちを導く存在だったのだろう。口元に乗せられた微笑と、柔らかでありながらも強い光を放っていただろう瞳。紅炎にも視線を移してみれば、彼はただじっと彼らのことを眺めていた。
「――白徳大帝と白雄、白蓮両殿下は、この国のある者に謀殺された」
静謐の中にも荘厳さがあるこの空間に、紅炎の重々しい声が響いた。誰に。そう思ったに答えるように彼が発した名前は「練玉艶」。それに息を飲み、目を見開く。その名は、この煌帝国の中でも一番富と権力を持つ女性の名前。そして、まぎれもなく白徳の正室であり白雄と白蓮の実母である女性の名だ。なぜ、彼女が。
動揺を露わにするに紅炎は目を細めた。練玉艶はアル・サーメンの首領として世界に暗黒をもたらそうとしていること、そしてそのためには志を邪魔する白雄たちを排除する必要があったのだろうということを、紅炎は語る。アル・サーメンという集団が煌帝国のジュダルの周りにいる神官たちだと気付いたはぞっとした。いつの間に煌帝国はそんな化け物を身の内に飼っていたのだろう。
「俺は白雄殿下たちから託された思いを叶えるために、不浄の集団の力を我が力にしてでも進んで行かねばならない」
――託された思い、それは世界から戦争を失くすために世界を一つにすること。そのためには世界にただ一人の王が必要だった。
白雄と白蓮の彫像に背を向け、後ろに控えていたを見下ろす紅炎。ぐっと拳を握りしめ前を向くその瞳は、その身体からは、まるでルフが大量に放出されているかのように白く輝いて見える。紅炎の背後にある白雄と白蓮はそんな彼を見守っているようだった。
「俺たちは修羅の道を進むんだ。それでも、お前は俺の傍にいるか」
今一度、確認するかのように投げかけられた言葉。それに、は紅炎の瞳をしっかりと見つめ返す。
――は煌という小国家が呉や凱と戦をくり広げていたことをよく覚えていない。あの頃のはまだ幼子であったからだ。だが、白徳大帝の下、煌の皇子たちがこの地を治め平和をもたらしたことならよく覚えている。あの時、敵国に襲われるかもしれないという恐怖からの家族を救い出してくれたのは彼らなのだ。
その彼らの意志を引き継いだ紅炎。使う力が神にもたらされた力だろうが悪魔にもたらされた力だろうが、彼はその力を使って世界を平和にしようと考えている。自国のことだけではなく、それよりももっと広い目で世界を見つめて、敬愛する従兄たちを殺されてもなお、恨みに支配されるのではなく、ただただ前だけを向いている紅炎に、彼女は平伏した。そんな彼に、ついて行きたくないと思うはずがない。一瞬たりとも思うわけがなかった。
――主が修羅の道を歩むなら、私はその戦で敵を薙ぎ払う矛となり、殺意から守る盾になろう。
「紅炎様…」
膝をつき拳をぐっと合わせ彼女は彼のことを見上げた。その直後、薄暗い霊廟に窓から太陽の光が降り注ぐ。それを一身に受けた紅炎は涙が出る程に神々しかった。ルフなど見えないのに、彼の身体から眩い光が放たれているのが彼女には分かる。神というものがこの地上に降り立ったのなら、きっと彼のような姿をしているのだろう。いずれこの方が世界の王になるのなら、神のような存在であってもおかしくないと彼女は思った。
「命尽きるその時まで、紅炎様に仕えさせてください」
「ああ。俺の傍で俺が世界を統べるのを見ていろ」
決意を表明した彼女に、紅炎は小さな微笑を口元に浮かべた。はいと頷く彼女の唇は小刻みに震えて、とうとう涙が溢れだす。ああ、もうずっと昔から分かっていたことだけど。
――私は、貴方のためだけに生き、仕え、死んでいきたい。本当にはそう思うのだ。
「ずっと、ずっと紅炎様のお傍に置いていただけますか…?」
「当たり前だ。ずっと、俺の傍にいろ」
涙をぼろぼろ流す彼女に目を合わせるように片膝ついた彼。そっと彼女の頬を包み込んだ大きな手の平に、彼女は「誓って」と何度も頷いた。

煌帝国でも皇帝でもない、唯一絶対であるあなただけに忠誠を誓います。


2016/01/29
本編完結


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