第二十五夜

 紅炎と紅玉、そして楽禁は一気に首都まで到達した。国の戦力のほとんどを華安平原に向かわせていたおかげで、周の城内にはそれほど多くの兵は残されていない。それでもやはり王子を守るために紅炎と紅玉たちに向かって刃を向け迫ってくる兵士達。
――哀れな。
紅玉は、鬼気迫る彼らの顔を見て眉を寄せた。紅炎がここまで来てしまったら、周の負けはもう決まっている。否、初めから周は負けると決まっていたのだ。3つの金属器使いの紅炎がこの戦の総大将として来ていたことなど関係無しに、兵力の差で端から負けていた。紅炎は兵士たちの士気を上げるためと、万が一の時のためにすぎない。
「紅玉、の場所を聞いておけ。俺は上に行く」
「分かりましたわぁ!お兄様!!」
「こちらはお任せください、紅炎様」
傍で戦っていた紅炎だったが、城の一角へと飛び上がる。それに矢や槍を投げる者たちもいたが、届いても彼の炎で焼き尽くされるか、届かずに落ちてくるかのどちらか。彼は王子の首を取りに行き、無益な戦いを終らせようとしているのだろう。紅玉と楽禁のみになった所を兵士たちは攻めたててきた。
一人、二人と敵を切りつけ倒していく紅玉だが、楽禁が眷属と同化し巨大化する。そのまま城の庭園に生えていた樹木を引っこ抜き、紅玉の周りに集まる兵士たちを一掃した。
「ウワアア!??」
「何だコイツは…!!?」
「やれやれ、殺さぬようにするのも一苦労ですなぁ」
楽禁によって吹き飛ばされた者も、その被害を免れた者たちも巨大な楽禁に顔を青褪めさせ後退する。敵が寄りつかないのは安心できるけど、これではの居場所を聞きだせないわ。そう紅玉が思った時だった。ギャアアと断末魔が城内から響き渡った。それにどよめく兵士たち。
「お前らの主、弦天は死んだ。無益な争いは今すぐに止め降伏せよ」
魔装を解き、威厳ある外套を風に翻しバルコニーに立ったのは紅炎だ。城内にあった魔法道具で華安平原にまで聞こえるようにしている。流石お兄様、もう終わったのだわ。彼を見上げれば、その手には周の王子と見える男の首が。それに、兵士たちは力無く腕を下ろし、剣を地面に落とした。もう、彼らが戦う理由はなくなったのだ。
ほっと一息吐いて、彼女は先程楽禁によって吹き飛ばされた兵士の一人に声をかける。
「煌帝国の女性を一人捕虜として捕まえている筈よ。どこにいるの」
「――………地下の拷問部屋にいるはずだ」
無感情に、生きる気力を失くした様子の彼から聞いた言葉に紅玉は目を見開いた。拷問部屋。早く行かないと。焦って楽禁を見やれば、行きましょうと頷く。彼を後ろに従えて彼女は戦場と化した庭園から地下へと向かった。紅炎にも聞こえるように叫べば、彼は小さく頷く。
――お兄様より先に、私がを見つけるのよぉ…!!
ぐっと拳を握りしめて城内を駆ける。紅玉はが捕まったのは自分のせいだと考えていたから。も同じように先走って敵地で孤立していたことなど知らない紅玉は自分の未熟さが招いた結果だと自分を責めていた。
足音を響かせながら、地下へと続く階段を探す。城の奥地の少しばかり日光が差し込まない廊下の側にその階段はあった。下へ続く階段は下へ行くほど暗くなっていく。
ごくりと生唾を飲んで覚悟を決めた紅玉はその階段を下りて行った。
薄暗い廊下を進みながら一つずつ扉を開いて確認する。彼女の名前を呼んでどこに彼女がいるのか確かめたかったけれど、思わぬところから敵が出てきて襲ってくるかもしれない。そう思った彼女は最後の一部屋までそっと扉を開いて中を確認するだけ。それに楽禁は何も言わなかった。おそらく、彼女の判断が正しいと思っているのだろう。
最後の一部屋を開けた時だった。むわ、とした熱気と共に鉄の臭いが肌寒い廊下に溢れる。その中で、背を向けた男がこちらを振り返る際に、それは見えた。枷で手足を壁に繋がれ、手足の爪を剥され、何か所も何かに刺された痕があるの姿。側には血に染まった青凛丸が転がっている。
「とうとうここまで来たか」
「――よくも!!!」
ふっと笑った男の顔を見た瞬間、彼女の頭は真っ白になった。だっと駆けて男の首に狙いを定めて剣を振り上げる。しかし、苦しい体制でありながらもそれを躱した男は、紅玉に向かって剣を叩きつける。
――よくも、よくも…!!
は気絶して頭を垂れている状態でその顔を確認することはできない。だが、何よりも彼女の逆鱗に触れたのはボロボロなの身体を更に傷付けたのが彼女の眷属器だったこと。主への忠誠心の権化でもある眷属器で痛めつけられた彼女の気持ちはいかほどか。
ぐっと奥歯を噛み締めて、男の太刀筋を見切り腕を切り落とした。ギャアアと響く声にはもっと痛かったのよと止めをさすために倒れた男の首目掛けて剣を振り下ろす。
「待て、紅玉」
「!?」
だが自身の腕を掴んでそれを止めたのはの主である紅炎。驚愕のあまりに目を見開き彼を見上げた。
「な、なぜですの!?お兄様…!!」
彼女が見上げた先にある彼の瞳に、ぞくりと鳥肌が立ちひゅっと息を飲み込んだ。彼女ではなく、男に向けられている彼の瞳は底冷えする程殺気に満ちた眼差しであった。自分に向けられたわけでもないのに、まるで一瞬にして死を思い浮かべてしまうような彼の気迫に、心底恐ろしくなる。
「お前が手を汚す必要はない。楽禁、その男を連れて行け」
「はい」
紅炎の低く響くその声には、呻く男がこれ以上抵抗できぬように肩を脱臼させる楽禁。それにまた耳障りな絶叫を上げ、のた打ち回り口汚く煌帝国や紅炎を罵る男が失血死しないように彼が手早く腕に縄で縛りあげる。ついでにその罵声を抑えるために、彼は気絶させられた。
……」
「……」
身近な者たちに対して親愛の情を抱きやすい紅玉は彼女の血を流す姿に涙を溢れさせた。真っ赤な爪先には一枚も爪が残っていない。ぐすっと鼻をすすった彼女をちらと見て、紅炎はに近寄り剣で枷のみを破壊した。
手首が自由になり床に倒れ込む前に紅炎が彼女の身体を支える。そのまま足枷も破壊して、とうとう彼女は自由の身となった。


「癒せ、フェニクス」
愛しい主の声が聞こえた気がした。血を流しすぎたおかげで凍える程寒かったのに、今は安心できる暖かさ。さらにの身体の節々は痛みを訴えていたというのに、それすらもない。おかしい。夢のようにふわふわした意識の中でそう思った彼女はゆっくりと目蓋を開いた。
ぼんやりと霞んだ世界に赤く輝く頭が二つ見える。一つは、紅炎。もう一つは紅玉だった。ぼんやりとした彼女を見て「…!」と名を呼んだ紅玉に、漸く彼女ははっとして意識を取り戻す。紅炎の腕の中に彼女は抱えられていた。
「こ、紅炎様…!紅玉様、なぜ…ここに」
「紅玉を逃がす為にお前が捕虜になったと聞いたからな。王子を処刑するついでだ」
驚きのあまりに彼の身体から飛び退こうとした彼女だったが、がしりと腕を掴まれ逃げることは出来ない。落ち着いて聞けと言う彼の静かな声に、昂ぶったの神経も落ち着いてくる。だが、彼の言葉にぐっと胸を締め付けられた。
王子を処刑するついでなんて彼は言ったけれど、それはきっと真でもあり嘘でもあるだろう。「えっ」と素直に驚いた顔をする紅玉に察する。が捕まらなければ彼はここまで来る必要はなかったのだ。炎彰たちに全てを任せておけば良い手筈だったのだから。
――従者として全く責務を果たせなかったのに紅炎様の手を煩わせるなんて。
「捨て置いてくだされば…!!」
「馬鹿なやつだ」
たかが一人など、放っておいても煌帝国の未来には関係ない。だが紅炎は皇帝の血をひき、後に煌帝国を導き世界を一つにする方。どうしてそんなに世界にとって重く、尊い命を無駄な危険に晒すことができよう。そう思っていたのに、彼はの言葉にふっと笑った。そんな彼の心情はには分からない。
「血筋に重いも軽いもあるか。受け継ぐのは血ではなく志」
お前もいずれ分かる時が来よう。そう言った彼のことを理解したいと思ったけれど、身体に蓄積した疲労感には勝てない。必死に開こうとする瞼がぐぐと下がってきて、今にも彼の腕の中で眠ってしまいそうだった。そんな失礼なことなど出来るか。ああ、だけど。
「よくやった。暫く寝ておけ」
紅炎がそう言うから。きっと、眠すぎるから彼の声がこんなに優しく聞こえるのだ。それだけでもう、気が狂いそうになる程の拷問を受けたことも報われる。
そう思っては意識を手放した。


2016/01/27


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