第二十四夜

「起きろ、弦天様の御前であるぞ」
「うっ………」
強かに身体を打ち付ける衝撃では重たい瞼を持ち上げた。ぼんやりとした視界に広がるのは大広間の床に敷かれた赤色の絨毯。その先を辿れば、王座に座る若い男が肘掛に肘をつきこちらを冷酷な目で見下ろす姿が目に入る。その瞬間、彼女はこの状況を理解した。
――捕虜の身になるなど…!!
ぐっと奥歯を噛み締めて思い出すのは、魔力が切れただ青凛丸と自分の力のみで戦うことしかできなくなった結果、援軍を待てずに力つき意識を手放したこと。後ろ手に腕を拘束され、さらには青凛丸も王子の従者であり、彼女の隣に立つ男の手の中にある状況下では、ギロリと王子を睨み付けることしかできない。それに、弦天はぴくりと眉を動かし立ち上がった。
「俺は姫を連れて来いと言ったのにな」
「ぁあ!!」
「申し訳ございません。この女に奪われてしまいました」
の前までやって来た彼は、ふんと鼻で笑い彼女の顔面を蹴る。ドカッと鈍い音がして頬に激痛が走ると同時に口の中に鉄の味が広がった。どうやら、口の中を切ったらしい。従者の男によって身体を押さえつけられている今、彼女はぐいと前髪を掴まれ頭を持ち上げられてもされるがまま。しゃがみ込んだ彼と目線を合わせるような形にされて、彼女はその男の不遜な様子を睨み上げた。
「練紅炎の弱点を教えれば助けてやらんこともない」
「紅炎様に弱点などありはしない」
遥かに譲歩したような仮面の下に蔑みを隠しきれていない弦天に、はぺっと血が混ざった唾を吐きかけた。途端に目の色を変えた弦天。前髪を掴んだまま、は顔を床に叩きつけられた。痛みに耐えながら、ぐっと拘束されている腕に力を入れる。今この腕が自由だったらこの男を殴り飛ばせたのに。
「女のくせに…この俺に楯突くとは」
「……!!」
彼はの顔を叩きつけるたけでは満足しなかったのか、頭をぐりぐりと踏みつけ重みを加える。割れそうに痛む頭に呻き声が出そうになったが、奥歯を噛み締めてそれを堪える。鼻から血が流れ、絨毯を赤黒い血で染め上げた。
「情報を出せるだけ出してこい」
「はっ!」
はぁ、と溜息を吐いた男は最後にもう一度彼女の頭を踏む足に力を加えてから退いた。それに頷く従者によって、彼女は痛む身体を持ち上げられ立たされる。髪は乱れ顔面は殴打によって血が流れている彼女の様を見て、王座に座った男はハハハと笑った。殺してやる。そう思うと同時にこの場に紅玉が連れてこられなかったことを心底安堵した。こんな下衆に彼女が汚されるなど考えただけで虫唾が走る。
その上、この男はから情報を引き出すために拷問を行うのだろう。紅玉の身体が傷付かなくて良かったと思う。だが情けないことに、拷問への恐怖も感じていた。戦闘の中お互いに武器を持ち相手を傷付けるなら両者は対等な力関係だからまだ良い。だが、拷問は圧倒的強者による弱者への暴力でしかない。今から行われる拷問を思って、にとっては何よりも神に近い紅炎に祈りを捧げた。
――紅炎様、どうか苦痛に耐え抜く心を…。


 の指示を聞き、暴れ馬に乗った紅玉を何とか紅炎がいる本陣まで守り通した男たちの話を聞き、紅炎は頷いた。その表情の険しさ、鋭く光る眼光に紅玉は恐る恐る頭を下げる。
「も、申し訳ございません、お兄様…私のためにが…」
せっかくの晴れの初陣であるというのにまんまと敵の策略にかかり、敵に囲まれて活躍できず、さらには兄の従者ひいては兄の足を引っ張ることになるなんて。責任感が強い彼女は、今頃はどうなっているのかと考えるだけでその丸い瞳から涙がこぼれ落ちそうだった。彼女の脳裏に過るのは、一瞬振り返ってすぐに襲い掛かる敵に視線を戻した彼女の背中。
は周の城内に捕えられたようだ」
魔法道具の絨毯に乗り戦況を伝える者たちからの伝文を読んだ紅炎が初めて声を発した。しかし、彼女は俯いたままで自分の握りしめた手を見つめることしかできない。もしも、が死んだらどうしよう。出陣前に、強張る紅玉の緊張をほぐしてくれたのは彼女だというのに。
ぐっと唇を噛み締めれば、紅炎は紅玉に平生のような眼差しを送った。
「ここにいれば安全だが…紅玉、お前はどうしたい?」
「!…――周の王子の首を取り、を助けたいですわ…!!」
その声に彼女ははっとして顔を上げる。彼の表情から怒りは読み取れなかった。考えるまでもない、彼は紅玉にもう一度チャンスを与えてくれたのだ。先程とは違い、決意を秘めて拳を握って彼を見つめれば、彼は満足そうに口元に微笑を浮かべる。武の才を見出してくれた兄と、その兄を支える従者のために彼女は自分の力をもう一度発揮したいと思った。
「では俺についてこい」
「はい!」
腰掛けから立ち上がった彼の瞳は先程とは違い、ギラギラと輝きを増している。若の腰を上げさせるとは、の奴…。そう楽禁が苦笑し口ひげを撫でつけながら呟いたのを見て、紅玉はごくりと生唾を飲み込んだ。上に立つものとして下の者を守らんと動く紅炎の姿はただ、紅玉にとって眩しい。そしてまた、という従者は彼に大切にされていることも分かった。
「俺が突破口を開いてやる。紅玉は引き離されぬように来い」
「はい!!」
「楽禁は紅玉を守れ」
「おおせのままに」
魔道士ではなくても目に見える程の白いルフが紅炎の身体からドンと勢いよく溢れる。その瞬間、彼は全身魔装した状態になり、白き炎の竜が彼の羽衣として身体を覆い、赤かった髪は橙色の蛇のような長髪へと変わった。直に紅炎の魔装を見るのは初めてだった紅玉はそれに目を見開く。神々しさを滲ませる彼に、彼女は鳥肌が立った。
――私もこんな力を手に入れることができたら…!
紅炎がフェニクスで怪我の処置を行った夏琴に跨り、宙に浮かぶ紅炎を見上げる。これから行う極大魔法で自国の兵士たちが巻き添えを食らわぬよう指示を出している彼。ぎゅっと彼の手綱を握りしめて、紅玉は前を見据えた。必ずあなたのご主人様を助けるわ。
剣を構え敵兵に突撃する紅炎に遅れじと彼女は夏琴を走らせた。その後ろからは楽禁がついてくる。
「恐怖と瞑想の精霊よ。汝が王に力を集わせ、地上を裁く大いなる業火をもたらせ!!極大魔法、アシュトル・インケラード!」
「ギャアア!!!」
白き炎の竜が強大な槍のように空を走り、周の首都に続く平原を一直線の炎で焼き尽くす。しかし、轟々と燃え盛る炎の犠牲になっている者は直線状にいる者たちだけ。その上、その炎の壁を保持させながらも中央部分は紅玉が走り抜けられるように道が開かれていた。被害を最小限に抑えつつ首都に攻め込む様子の紅炎に、紅玉は圧倒された。それを見ていた煌帝国の兵士たちはワァアと歓声を上げる。
――ああ、私もお兄様のように皆に希望を与えられる人物になりたい。
首都へと飛んでく紅炎を見上げ高揚した兵士たちの表情に、彼女はぐっと唇を噛み締める。偉大な兄のように、いつか私もこのように国の為に戦うのよ。


 何人もの兵士に押さえられていたは壁が黒く鉄臭い部屋に乱暴に投げ入れられた。地面にうつ伏せに転がった衝撃で膝と顎に鈍い痛みを感じて、目線を上げる。黒い、と思っていたのは間違いだった。これは、大量に鮮血が飛び散り乾くことを何度も繰り返した末に出来た色。鉄臭い匂いは、彼女以前の者たちの血だったのだ。
手足の自由を枷で奪われ壁に繋がれる。この壁にを繋いだ張本人の男は、の青凛丸をぶらぶらと振ってニタリと笑みを浮かべていた。その様子に青筋が額に立つ。禁城に来てからずっと愛用していた青凛丸。戦の間にそれは主の金属器から与えられた力で眷属器となった。の思い出や努力、そして主への忠誠心の表れであるそれをこの男の汚らわしい手で触られているのかと思うと気が狂いそうだった。
「お前に選択権をやろう。簡単なものだ。俺の問いに対して“はい”か“いいえ”で答えれば良い。いいえと答えたら爪を剥ぐ。はいと答えたら解放してやろう。自分で選べ」
「……!」
そう言った男はの左手の小指に指を走らせた。それにぐっと腕に力を入れて逃れようとするけれど、直接壁に埋め込まれた枷を外せるわけもなく。与えられる痛みへの恐怖から心臓を五月蠅くさせている彼女を男は見下ろした。
「“練紅炎の能力を教えるか?”」
今まで以上に愉悦を含んだその笑みには悟る。この男は最初から彼女が口にする答えなど分かっているのだ。彼はただを甚振りたいだけ。その過程で情報を引きだせたなら儲けものだと考えているのだろう。
勿論の答えは決まっていた。自身の小指に伝わる男の生暖かい指の感触に鳥肌が立つ。爪と指の先に杭が差し込まれる。
――紅炎様、紅炎様…!!!
ぐっと眉を寄せ脳裏に描くのは愛しい主。主のためなら、国のためなら我が身を差し出すと覚悟は決めていた。それでも震える声では叫ぶ。
「いいえ!!」
「残念」
瞬間、拷問部屋には彼女の絶叫する声が轟いた。左手の小指の爪を容赦なくベリッと一気に剥され、指に燃えるような激痛が走る。ポタポタと血が指の先から流れることも、今の彼女にとっては苦痛を増すものでしかない。苦痛と恐怖から身体はガタガタと震え、勝手に涙が両目から溢れて頬を伝う。
「あぁあ…っ!う、ぐ……!!」
「痛いよなぁ。練紅炎の能力と弱点を教えるなら助けてやれるぞ」
呼吸が荒くなり、頭を力なく垂らす彼女の頬を掴み目線を合わせる男。痛みのあまりに彼女の視界にいる男の顔は擦れていた。だが、命に代えても紅炎の情報は渡さない。
「さあ、二枚目にいこうか。次はもっと痛いぞ」
男の指が左手の薬指にかかる。びくりと震えた彼女にハハハと残虐に笑う彼。震えが止まらぬに対してまた男は質問した。

「“練紅炎の弱点を教えるか?”」
「いいえ」


2016/01/27


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