第二十三夜

 本陣にて紅炎は腰を据えて戦況を眺めていた。伝文によれば炎彰と黒惇、青秀が着実に敵を倒していく中で、と紅玉は突っ走り孤立気味だという。やはり、経験値不足から周りが見えていないのは明らか。初陣なのだから仕方がないだろうが、果たして彼女たちは自分たちで現状を気付くことができるだろうか。ひよっこめ、と傍に控える楽禁がに対して呆れたように溜息を吐く。だが、キラリと瞳を光らせた彼。
「紅炎様」
「ああ、俺にやらせろ、楽禁。約束したからな」
楽禁の言葉に頷く。目前には魔道士たちの助力によって、ここまで進軍してきた一部の兵士たちがやって来ていた。ギラギラと目を光らせ、殺気立っているその者たちに、煌帝国の兵士たちが槍や剣を構える。だが、それを手で制して前に出る。それを敵兵は好機と見て取ったのか、勢いよく紅炎に突っ込んでいく。
「死ねェエ練紅炎――!!」
「お前らなど若が魔装をするまでもない」
敵がぶんと振り上げた剣を、紅炎は軽くいなしてそのまま最速で剣の柄を握るその両手首を切り飛ばした。ギャアアアと耳障りな悲鳴と血飛沫が上がる。地面に蹲り悶える男に容赦なく彼は剣を振り下ろした。少しでも苦しむ時間を減らしてやったつもりだったが、それは次いでやって来た敵兵たちには残忍な行動にしか思えなかったらしい。
「貴様!!よくも!!」
「討ち取れ――!!」
複数人で紅炎に襲い掛かって来た兵士たちだったが、彼らが相手にするのは煌帝国随一の剣技の腕を持つ紅炎。若き日々から将軍たちを相手に引けを取らなかった彼が成熟した今、敵う者は一人としていないだろう。彼らの太刀筋を瞬時に見ぬき、隙を作り出している首や腹部、足を切りつけていく。ドサドサ、と地面に倒れ伏した男たちに紅炎はふんと鼻で笑った。これでもまだ本気を出していない彼であったが、それを知らない兵士たちはまだ諦める気がないのかふらつきながらも立ち上がる。
――その気概だけは認めてやらんこともない。
そう思った紅炎はせめてもの情けに相手が出るのを待った。だが、4人は先程の紅炎の攻撃で思うように身体を動かせず、悔しそうに奥歯を噛み締めている。彼は先程よりも力を失った剣捌きをぼんやりと眺めた。いい加減紅炎もこの死にかけの兵士たちに引導を渡して楽にしてやりたいところだったが、まだ金属器は反応しない。
――まだか。溜息を吐きそうになったその時、パアアと右肩の甲冑に宿る八芒星が光を放った。それに彼は口角を持ち上げる。ようやく、従者として一歩成長したか。
光る八芒星を確認し、彼は即座に兵士たちを切り伏せた。地面を濡らす血は全て敵兵たちのもの。剣に付着した血を振り払って楽禁の名を呼ぶ。それに、楽禁ははいと頷く。これ以降紅炎が無駄に動くことは無いことをそれだけで察し、煌帝国の兵士たちに気合を入れるように声掛けをした。


 眩く光る青凛丸に、は眷属器を手に入れたことを理解した。その途端身体に漲る力に、重力に逆らってぶわりと衣装や髪が宙に舞う。これが紅炎から与えられた力なら、その力は主のために使う。
「はああ!!」
青凛丸を一振りすれば、狼のような形をした斬撃によって血を吹きだしフェルゴールの者たちが倒れる。と同じようにアガレスの眷属である黒惇が斬撃を飛ばすことができるのだから、彼女も同じように飛ばすことができたのだろう。鎧をも切り裂いた斬撃にドクドクと血が身体中に巡る。アドレナリンが大量に出ているのか身体が軽い。
「夏琴!!」
倒れ伏したフェルゴールの者たちを見て、周の兵士たちは顔を青褪めさせた。今圧せばこのまま軍団を突破し周の首都へ攻め込むことができるだろう。だが、今やらねばならないことはそれではない。後方にいる紅玉のもとに駆けつけるために、手に入れようとする兵士たちから逃れていた愛馬を指笛で呼び戻す。主人の指笛に反応し、敵兵たちを蹴散らしてこちらへ駆けつけた彼に、彼女は飛び乗った。雄々しく嘶き前足を振り上げる夏琴の足元には、手に入らぬなら夏琴を殺そうと目付きを鋭くした周の男。
「死ねェエ!!」
「させるか!!」
その者の首を斬撃で飛ばし、彼を守る。安堵したかのようにブルルと鼻を鳴らした夏琴の手綱を引き、後方で必死に戦っているだろう紅玉のもとへ参じるために夏琴を今までにない程速く走らせた。

ドドドと蹄の音を轟かせて、は後方の自軍まで戻ってきた。
様!!」
「敵の狙いは紅玉姫だ!!動ける者は私と共に第三軍へ向え!!」
「はっ!!」
敵兵たちを殺しながら戻ってきた彼女に、兵士たちは表情を明るくした。だが、彼女が発した言葉にその表情が愕然としたものに変わる。早く援軍を連れて行かねば。焦る彼女はぐっと眉を寄せる。今この時は、一分一秒でも惜しい。自軍を駆け抜けながら、彼女は紅玉のもとへ向かうように兵士たちに呼びかけた。
――第五軍が第三軍と合わさっても、青秀たちがどうにか穴を埋めてくれる筈。
そう願うしかなかった。今は一刻も早く紅玉のもとへ。敵と戦いつつも第三軍へと動き出した自軍の兵士達を確認しながら、彼女は紅玉のもとへ急ぐ。
 刃が交わる音、怒号、呻き声。鼓膜を揺する音の中に、国の為に武を磨いてきた姫の声が聞こえぬかと耳を研ぎ澄ませる。忙しなく目も動かし、視界に柘榴色の髪が踊らないかと彼女の特徴を探した。焦るあまりに手綱を握る左手の平にじわりと嫌な汗が浮かぶ。たった今敵兵を倒したばかりの煌の少年兵がこちらを見上げ、様!!と声を上げた。
「紅玉様が!!あちらで!!」
「分かった!」
少年が切迫した様子で指を指したのはが向かっていた方向よりやや東であった。それに頷きそこへ夏琴を走らせる。
――お願い、間に合って……!!
周の者たちが何を目的に紅玉のもとに向ったのかは分からない。皇族を殺して兵士たちの士気を上げるためか、それとも紅炎の妹である彼女を捕えることで人質にし何かを要求するつもりだったのか。
いずれにせよ、彼女が最初から目的であったことは明らか。
――あれか!
は前方で円状になっている周の男や魔道士たちの背中を発見してそこへ駆けた。
「あぁっ!?」
次の瞬間、少女の悲鳴と共にワアアと周の兵士たちから歓声が上がる。馬上にいる彼女には、下卑た笑みを浮かべる男が倒れた紅玉の美しい長髪を乱暴に掴み彼女の頭を持ち上げるのが見えた。すぐ側には彼女の軍馬が血を流し倒れている。彼女が浮かべる苦悶の表情、敵兵に捕まりながらも地面に転がる剣に伸ばす、震える小さな手にこびり付いた血。それを視界に入れたの目の前は真っ白に染まり、怒りのあまりに咆哮した。
「その汚らわしい手を姫から離せ!!」
「ギャアア!!!」
カッと目を見開き、眷属器で敵の背中を切りつける。その斬撃を数人の敵兵たちを巻き込みながら紅玉の髪を掴む男の手首まで切り落とす。耳障りな男の悲鳴にわなわなと唇が震えた。円陣の中に猛攻し、手を失った男の胴体を蹴りあげ、そのままその首に青凛丸を突き刺す。ドパッと口からも首からも血を流し、痙攣した後に白目を剥く男。
「紅玉様…!!」
「…!」
夏琴から手を伸ばし息の上がった紅玉を馬上へと引き上げ、自分の前に乗せる。が来たことで顔を明るくした彼女。ご無事でしたかと彼女の安否を確認しながらも目前の敵を睨み付けた。よくも紅玉様を…!!
先程が切り開いた突破口は既にギロリと忌々し気に睨む男たちに塞がれている。約30名。少しずつ冷静になり始めた頭で人数を確認した。中には魔道士たちもおり、防壁魔法で身を守る者もいる。この中で紅玉を守りつつ戦うというのは些か分が悪い。
「姫、しっかり手綱を。前は任せます」
「ええ!任せて」
一か八か。は紅玉が夏琴の手綱をぐっと握りしめるのを確認して、襲い掛かってくる兵士たちの一点――第三軍が多くいた方向――に青凛丸を振った。鎧で防ぎきれなかった斬撃によって彼らは苦悶の表情を浮かべながら倒れ伏す。だが、それと同時に背後からも魔の手が伸びる。
我が身と夏琴を貫こうとする剣は身体を捩じり腕を振るうことで何とか薙ぎ払った。だが、魔道士の杖から放たれた数多の氷の矢までは薙ぎ払えなかった。紅玉の身にも降り注ぐそれに腕を広げれば、ドスッと手綱を握る左手と右肩にそれが刺さる。
――やはりそう上手くはいかないか…!
!!」
ぐらりと傾いた身体は簡単に夏琴の上から転がり落ちるが、何とか受け身を取る。それに夏琴の足を止めさせた紅玉だったが、はそれを許さなかった。私がここで落ちようが、真っ先に優先すべきは姫のお命。それ故彼女は夏琴の尻に刃を走らせた。ごめんね夏琴。でもこうするしかないの。
それに驚く夏琴は嘶き、紅玉を乗せたまま必死に駈け出した。
「待って!止まりなさい!!――!!」
「夏琴!!姫を守り抜いて!」
紅玉の制止も聞かずに走り続ける夏琴。その上で、どうしてと彼女が眉を寄せるのが視界の端で見えた。だが、既に彼女の目前には剣を振り上げた敵兵たち。左手は氷の矢で刺し貫かれたおかげで力が入らず使い物にはならない。だが、彼女には青凛丸がある。彼女の主から与えられた眷属器がある。そう思えば心は奮い立った。
「練紅玉を追え――!!」
「捕えろ!!」
「行かせるか…」
目を血走らせた男の刃に向かって斬撃を放てば、ガキィン!!と音を立て剣は折れた。それに、ぐっと奥歯を噛み締める男たち。彼らを睨み付けながら、は彼女を駆け抜けて紅玉を追おうとする男の馬の足を切りつけた。どうっと倒れた男の首を飛ばし、その勢いのまま振り下ろした青凛丸で彼らの足元に線を引く。
「この線を越えた者から死ぬと思え」
は青凛丸を構えて敵を睨み付け、悲鳴を上げるようにチカチカ点滅する眷属器の光は見て見ぬふりをした。
――援軍が来るまでの辛抱だ。


2016/01/26


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