第二十二夜

 周との決戦当日。甲冑を身に着けたは夏琴に跨り、第五軍を率いて華安平原を進んでいた。だが、視界の遥か彼方で黒惇と炎彰が足を止めるのを見て、夏琴を止める。ブルルル、と鼻を鳴らした彼は、と同じようにこの戦いに心が逸っているようであった。
前方でずらりと並んでいる兵士たちは、周のものだ。米粒のように小さく見える彼らに、後ろに控える兵士達の誰かがごくりと固唾を飲みこんだ音が聞こえた。
ひゅう、と春風が平原に吹き抜ける。平原を照らしていた太陽が雲によって隠れ、煌帝国と周の両兵軍に陰りが差した。ピリピリとした空気が両軍に流れる中、じり、と誰かが足に力を入れ砂利を踏みしめる音が響く。
――この雲から太陽の光が差したその時、開戦する。
痛い程の静寂が続く。だが、次の瞬間、風がぶわりと強く吹いて、その雲から太陽の一筋の光が平原に降り注いだ。きた。その瞬間、左翼と右翼の黒惇と炎彰が眷属と同化して巨大な姿になる。それを視界に入れて、は鞘から青凛丸を抜き、銀色に輝くその刃を敵に突きつけた。
「紅炎様の名の下に!!煌帝国に勝利を!!私に続け――!!」
戦いの火蓋が切って落とされ、兵士達の雄叫びは空気をビリビリと揺らした。周の兵士たちも雄叫びを上げこちらに猛然と駆けてくる。夏琴の手綱を片手で握りしめ、は目付きを鋭くし駆けた。必ず、紅炎様に勝利を。長年連れ添った夏琴は彼女の意思そのもののように、敵兵に勇猛果敢に突っ込んでいく。敵の一部隊の将軍らしき男の馬と目が合い雄々しく嘶く愛馬に、彼女は兜を身に着けたその中年の男を見据え、次の瞬間その刃を交わらせた。
ワァアアア!!!と後ろからも攻めてきた兵士たちが至る所で敵として、剣や槍で相手を殺そうと刃を煌めかせる。
ギロリ、とに威圧的な視線を送る将軍との間には、顔に表れる年月の違いから歴然とした差があるかのように思われた。しかし、お互いに剣を弾き返された直後に彼女は夏琴を方向転換させ、こちらに向き直った彼の甲冑の隙間に青凛丸を刺し込んだ。ぶしゅう、と血を迸らせた将軍。
「…!!小娘がぁああ!!」
鬼のような形相をするその男は目を血走らせながらに剣を叩きこむ。
「――っらぁああ!!」
その一撃一撃が重く、腕がビリビリと痺れる彼女であったが歯を食いしばり耐え、単調な剣捌きの隙を狙って、その男の首を刎ね飛ばす。ビシャッと彼女の顔に降り注いだ返り血の温かさに、濃い鉄の臭いに吐き気が込み上げた。だが、この機会を逃すわけにはいかない。
「し、将軍が……!!」
「押せ――!!」
軍隊をまとめ指令を出す存在である将軍が倒れたことで、敵兵たちに動揺が走る。それに、ここぞとばかりに彼女は声を上げ煌帝国軍に知らせる。微かに恐れを瞳に宿らせた彼らの表情に、は夏琴と共に兵士たちに猛攻撃をしかける。それに続くように煌帝国の兵士たちも雄叫びを上げながら突き進む。刀で的確に急所を刺し、突き進む。人を一人、二人、と倒す度に彼女の鎧や頬には彼らの返り血が飛んだ。

「はぁっ、はぁ…!」
「怯むなァア!!フェルゴール隊突撃せよ――!」
少し息が上がり始めたの眼前に、先程の兵士たちよりも屈強な形をした男たちがずらりと現れた。猛然と突き進んでいた彼女ははっとして後方を振り返る。そこには、自分の軍団の兵士たちとの距離が大きく開いていた。
――しまった、急ぎ過ぎた…!!
彼女の一瞬の焦りに、フェルゴール隊の男たちはニヤリと笑った。それに悟る。これは作戦の内だったのか。前方を実力のない者たちで形成し、その中核まで猛然と突き進んできた者たちを仲間たちから孤立させ、そこを確実に仕留める。
なるほど、経験の浅いはまんまとその作戦にかかったのである。ぐるりと夏琴に跨るを取り囲んだ男たちに、彼女は死を思い浮かべた。自分の仲間たちは遥か後方。そして便りになる青秀たちも離れた所で戦っている。援軍など求められる筈も無い。
「魔道士隊、行け!!」
傭兵たちに囲まれ、自身はこれまでかと彼女が思った時だった。頭上を飛んでいく小隊を目で追う。あの方角は、紅玉が指揮する第三軍の方向だ。
――まさか。
「さぁ!この女の首を取れ――!!」
「取れば賞金が上がるぞ!!」
目をギラギラさせに襲い掛かって来た男たち。その男たちが剣を振り上げる様子がまるでスローモーションのように見えた。

そんな彼女の脳裏に過るのは、政務時は紅炎の部屋の壁にかけられている金属器でもある剣を眺める紅炎の背中。そんな彼の様子に、普段とどこか違う様子に戸惑った彼女はどうされたのですか?と彼に訊ねる。振り返った彼はそれに対して端的に答えてくれた。
「白雄殿下からこれを賜った時のことを思い出していた」
すぐにから視線を逸らされ、また剣を見つめる彼。その皇子の名は彼の従兄であり、大火で死んでしまっている。多くを語らない彼だったが、それでも彼女は彼の背中から悲哀だとかそういったものを感じ取った。
――紅炎様は白雄様たちが死んで悲しいのだ。
話では、紅炎は第2のジンを手に入れるための迷宮攻略のため、大火が起きたその時宮中にいなかったようだ。それに、誰よりも負い目を感じていたとも。彼女はその時の彼を知らない。彼の皇子たちのことも、よく分からぬような幼子であった彼女だったが、それでも煌帝国を震撼させ家の者たちが暫く悲しんでいるのを見ていた。

 ぱっと脳裏に過った記憶に、彼女は青凛丸を握る力を強くした。
――二度と紅炎様にあのような思いはさせない!!
「あああ!!」
「ぐあああ!!」
夏琴が主の危機を察したかのように跳ね上がり、その前足で敵の一人の頭を叩き潰した。一歩後退した男たちに、は先程までの気持ちを捨て、睨み付ける。
「私はこんなところで死なない!!」
スパンと敵の首を切り飛ばした後、夏琴から飛び降りそのまま胸当ての隙間から刃を突き刺す。同じくの甲冑の隙間から剣で刺し貫こうとする男の鳩尾を蹴って彼女を切り捨てようとした男に向かって投げ飛ばし、そのままタックルする。ぶすり、とその男の胸に突き刺さった刃に、仲間を刺してしまった男はぐっと眉間にしわを寄せた。それに、ぶわりと毛が逆立つ。
の罪を許し傍に置いてくれた紅炎。その彼のために彼女は命をかけて戦うつもりだった。
――あなたの邪魔をする者がいたら、私が切り捨て道を開こう。あなたに仇なす者がいたら、私が身を挺して守ろう。今この瞬間、に与えられた使命は彼の大事な家族である紅玉を守りに行くこと。
だから、この男たちは
「邪魔だ――!!」
の血走った眼に男たちが一瞬気圧された時だった、パアアアと光り輝く青凛丸の刀身。
『力を求めよ。我は眷属…、大地の“ジン”アガレスより生まれし眷属』
の頭に、厳格な響きを持った声が響いた。


2016/01/24


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