第二十一夜

 とうとう周との戦争に向かう当日。周は華安平原を南に進んだ地域にある小国家である。もともと1年前に煌帝国の占領下となった国であったが、今回の戦は文化も根こそぎ奪う徹底的な政策を行う煌帝国に反感を持ち続けた王子の反乱だった。それを事前に諜報部隊から情報を得ていたのに阻止するのではなく、あえて煌帝国が戦を起こさせたのは、占領下にある国々へ知らしめるためである。煌帝国に逆らえば徹底的に潰されるということを。
はガチャガチャと夏琴に馬甲を取り付け、鞍を乗せてきっちり締め付けた。馬甲を夏琴に着けるのは初めてだったが、彼はの目を見つめ大人しく立っていた。良い子。彼の頭を撫でて微笑みかければ、彼は満足気に鼻を鳴らした。手で鐙に不具合がないことを確認しては夏琴に乗り上げる。彼女の腰には父によって鞘に家紋が刻み込まれた青凛丸。それをそっと撫でる。父上が、母上が見守って下さるから大丈夫だ。
「夏琴、一緒に紅炎様の役に立とうね」
とん、と彼の腹を蹴って禁城の城門へと向かう。前日は多くの兵士たちがこの付近の宿舎に泊まり込んだ。紅炎と紅玉も朝一番で城門を出る為に皇族の棟で夜を明かしている。たち従者はその棟の従者専用の部屋で眠りについた。既に城門前には兵士たちが集まりつつある。歩兵隊たちが数多くいる中で、彼女は夏琴の上から彼らのことを見下ろした。
 今回の周との戦いには総勢7万人の兵士たちがつぎ込まれている。総大将である紅炎の下に、第一軍の軍隊長炎彰には兵2万、同じく第二軍の軍団長黒惇にも兵2万、そして第三軍に紅玉、第四軍に青秀、第五軍にを軍隊長として配置し、それぞれに兵1万を与えられた。楽禁は今回は紅炎の護衛として傍に控えるらしい。紅玉が皇族であるにもかかわらず第三軍の軍隊長として配置されたのは、彼女がこの度の戦が初陣だったからである。彼女の軍隊に何かがあっても青秀かが駆けつけられるような陣形にするために配慮している紅炎に、は気持ちを新たにした。
――この戦は、私を試すものでもあるのだろう。
初陣にもかかわらず兵1万の命を預けさせた紅炎。従者に戻ってまだ日が浅い彼女を紅炎の従者として相応しいと将軍たちに示すためのものであり、紅炎への忠誠心があるかどうか見極めるものであると、彼女は理解していた。それゆえ、何が何でも紅玉を守り、かつ周の王子をねじ伏せる為に彼女は全知力と体力を注ぎ込まねばならない。
ぎゅっと夏琴の手綱を握りしめ、隊列を組む兵士たちを見つめた。そして、の隣に立つ炎彰、黒惇、楽禁、青秀を見上げる。険しい顔で見下ろしてくる彼らに、もしっかりとした眼差しを返した。
紅炎が最後に黄金の甲冑を身に着けさせた黒馬に跨り現れた。太陽の光に反射した馬甲、そして王としての存在感、威厳を身の内から溢れさせる姿に、ザッと音を立てて整然と膝を付き拳を合わせた兵士たち。たちも同じように彼に膝を付き、真っ直ぐに見上げた。
ゴゴゴゴ、と思い音を上げ城門が開く。開いた城門から射した朝日が紅炎の背に降り注ぎ、彼が眩い太陽そのものになったようだった。
「白徳大帝が築き上げたこの和平を次世代に引き継ぐために、煌帝国に勝利をもたらせ!!」
『煌帝国に勝利を!!!』
全兵士達の間に響き渡った紅炎の声に、彼らは拳を強く握りしめ声を大にして叫んだ。わぁん、と反響したその声はビリビリと大地を揺らす。
――紅炎様、あなたのために私は剣を振るいこの国に勝利をもたらしましょう。
紅炎を先頭に城門を出る。門を開けた衛兵たちが膝をつき、彼に熱い視線を送るのを見やった。遠征開始である。

 一週間をかけて華安平原の中央に辿り着いた。ここからさらに南に進んだところに周の首都はある。しかし、諜報部隊からの伝文によると周は華安平原にて煌帝国軍を迎え撃つ気でいるらしい。周には金属器使いもおらず、把握している全軍事力は約3万兵のみ。今回の戦争につぎ込んだ煌帝国の軍事力の約半分しかない兵数に首都を陥落させることはそう難しくないだろうと思われた。
だが敵将もただの木偶の坊ではないらしい。紅炎に伝えられた伝文の中には傭兵が投入されているようだ。さらにその傭兵たちはフェルゴールという傭兵団の者たちであるらしい。戦士として名を轟かせている傭兵団は金をつぎ込めばどんな戦にでも参加することで有名だ。
「ビビることはねぇよ。フェルゴールなんて多くて数千人だ」
「そうだね。煌帝国の兵士たちだって常に訓練で鍛えてるんだから」
本拠地内で地形図を眺めながら、青秀と話す。紅炎が明日の開戦に備えて紅玉や黒惇たちに陣形を伝える。たちもそれを真剣に見ていたが、やはりどうして周が華安平原を制した煌帝国を相手に華安平原で打って出るのか理解できなかった。
「黒惇は右翼、炎彰は左翼だ。紅玉を背後の中央にして青秀とは進軍しろ」
そう言う彼に、皆が頷いた。楽禁は紅炎の傍に控えることに対して少しだけ物足りなさを感じているのか、に「派手に暴れて来い」と笑った。それにはいと頷く。
「紅炎様がいる本陣まで決して敵を寄せ付けません」
「いや、ある程度は寄こせ」
紅炎の手を煩わせることなくこの戦争を終わらせる。そう思っていたのに、その紅炎に否定されて目を見開く。主の考えていることはいつもの2,3歩どころではなく遥か先を行く。それゆえ、素直に何故ですかと訊ねれば彼はギラリと好戦的に瞳を光らせふっと笑った。
「お前にも眷属器を与えてやれねばならんからな。主と共に戦わなければ得られんぞ」
「!」
腰掛けに背を預けている彼に、そういうことかと納得する。確かにまだ迷宮に挑んでいない紅玉を除けば、ここにいるのは紅炎の眷属のみ。は今まで主と共に戦うという経験が無かったために眷属器を得ることができなかったのだ。今回を逃せば、またいつ眷属器を手に入れる機会にありつけるか分からない。
目の色を変えたに、紅炎は満足そうに口元を歪ませた。
「だが、俺の身を案じるなら全てねじ伏せれば良い。お前の好きにしろ」
「はい!」
そう頷いた彼女であったが、既に彼女の心は決まっていた。眷属器はほしいがやはり主の手を煩わせるわけにはいかない。もし、取り逃がした兵士たちが紅炎の命を脅かすような者だったら。そうならないためにも彼女が敵を殲滅する必要がある。だが、それでも自分の軍隊で手に負えない状態になり、紅炎の元まで敵を進軍させてしまったその時は、遺憾であるが楽禁と紅炎に対処していただこう。
「では、明日に備え身体を休ませておけ」
礼をして彼のテントから出る際に、と紅炎の瞳はかち合った。彼の鋭い瞳はきっと彼女の考えをお見通しなのだろう。戦争に対してか、紅炎の眼差しにか分からないが、背筋にそくりと何かが走った。
彼女の口元がぎゅっと引き結ばれているのを見たのは、紅炎のテントの警護の者たちだけであった。


2016/01/23


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