第二夜

 当初予定していたよりも一日遅れては禁城がある煌帝国の帝都に着いた。人で賑わっている市では馬に乗れなく、彼女は降りて城に向かうことにする。
「へぇ〜初めてこんなに人で賑わってる町を見た」
きょろきょろと田舎者を丸出しの様子で市の中を進んで行く。早く禁城へ向かわなくてはならないというのに、目新しいものが次々と彼女の目の前に現れて、彼女の足の進みが遅くなる。そうこうしているうちに時間はあっという間に経ち、禁城に着いた時にはもう昼過ぎであった。
「小僧、宮に何用だ」
「これを」
門番は馬を引いて現れた彼女を見下ろした。しかし彼女は怯みもせず背の高い彼に送られてきた手紙を渡す。数秒その文章を読んでいた彼だったが、その後に先程とは違い「ご苦労だった」と声をかけ、彼女は宮中の中に入ることを許された。
馬は他の者が馬小屋に連れて行くから大丈夫だと言われ、彼女は暫しの別れだと夏禁の首筋を撫でて、やって来た小間使いの男に彼を渡した。次いで、武人を育成する寄宿舎の方に案内する者がやって来て、彼女は彼に付いて行く。

「お前は何を教わっていた?」
「武術と剣術を少々」
寄宿舎に着いて先ず、教官の前に立つ。目の前の大きな椅子に座っている50代の男は名を元峻丙(がんしゅんへい)という。黒い髪を後ろでまとめ上げ、立派な口ひげが口を覆っている。
そうか、低い声で呟いた彼に、父親とはまた違った威圧感を覚えていた彼女は背を正す。まだ始まってもいないんだから、怖がってちゃ駄目!なるべく強そうに見せようと目に力を入れて彼を見つめる。彼は数秒何かを考えていたようだが、口を開いた。
「お前はこれから煌帝国に仕え、煌帝国の為に戦うのだ。心して鍛錬に励むように」
「はい!煌帝国と皇帝に忠誠を誓います!」
先程より更に背筋をぴんと伸ばし彼女は宣言した。この命、生きている限りこの国に尽くそう。父上の代わりに、私が主たる皇帝たちのお役に立つのだ。

  お前の部屋はここだ、と割り振られたのは皇族の方々が住む場所から少し離れた所にある屋敷だった。一棟につき三十人程暮らせる屋敷の一室に彼女は連れて行かれた。部屋は二人一部屋らしく、丁度今空いている部屋がここだったらしい。彼女はこんこんと一応ノックしてからその部屋に入った。
「どうも、新しく入ったです」
「ん?俺は李青秀だ。よろしく」
床で腕立て伏せをしていた男が立ち上がり左手を出した。この青年、背が高い。まだまだ成長期であるが140p代しかない彼女と、既に170pは越えているであろう彼。見上げる側と見下ろす側に別れてしまうのは仕方のないことだった。
「お前小っちゃいなー。いくつ?」
「15です」
人懐こく話しかけてくる青秀に律儀に返す彼女。ふーん、俺は17だ。そう返してくる彼に、何だ二歳しか違わないのかと安心した。きっと彼も私の家と同じように徴集されたのだろう。とにかく、今日からここで暮らすのだ、仲間とは仲良くしておいた方が良いだろう。彼女はそう思いながら自分の寝台に座り込む。そうすれば、長旅の疲れが押し寄せてきて今にも瞼が落ちてきそうになる。
まだ昼なのに。そう思う頭とは別に身体は言うことを訊かない。ごろりと横になればますます瞼は降りてきて、ついにその誘惑に耐えられなかった彼女は暫く寝るだけだと自分を納得させて目を瞑った。
「おい、まだ昼だぞ?」
「夕食の時間になったら起こして…」
そう言い残して彼女は夢の世界に飛び立っていった。


  ぐうううう〜と鳴る腹の虫では目を覚ました。寝たおかげで体力が回復した、とむくりと起き上がって見た窓の外に彼女は絶句した。朝日が昇っている。
「ちょっと!青秀、わ…僕、夕食になったら起こしてって言ったよね?」
「…うるせぇ朝から大声出すなよ…お前、何回起こしても起きなかったんだよ」
反対側にある寝台で寝ている彼の背中をゆさゆさと揺すってみるけれど、彼はもぞもぞと動いて布団の中から出てくる様子はない。まだ早朝なのだろう、確かに誰かが起きているような物音はしなかった。
夕食を逃したからこんなにお腹が空いているんだ…。そう気付いた途端更にお腹が空いたような気がして彼女は寝台に横たわった。
「ていうかお前、昨日の敬語はどうした…年上だぞ?」
「良いでしょ別に。2個しか違わないんだし」
もぞもぞと寝台から起き上がった彼の髪の毛は大変なことになっている。長い髪がまるで鳥の巣のようにもしゃもしゃになっている様子を見て、彼女は笑えてきた。生意気な奴め、そう言っているが別にそこまで気にした様子の無い彼を見て、彼女はこの調子でいって良いんだと彼への対応を決める。
「さて、もうすぐ朝食の時間だな。お前チビでもやしなんだから一杯食ってデカくなれよ」
「うん。鍛錬中に倒れないようにしなきゃね」


  同じ寄宿舎に住んでいる者たちと共に鍛錬に励む。住んでいる寄宿舎によって鍛錬をする場所は違うらしく、彼女たちの寄宿舎は禁城の北側を与えられている。そこは広場があり、鍛錬をするには適している。青秀の話では此処が一番恵まれているらしい。
は素早いけど力が無いな」
「くっ、本気出してよ!」
次々と繰り出す拳も蹴りも青秀の前では全てが避けられるか受け止められてしまう。今まで武術を習って村一番に強いと自負していた彼女は初めて自分より強い者に出会い困惑していた。どうして、こんなに攻撃してるのに当たらないの…!!困惑は焦りを呼び、焦りは隙を生み出す。腕を突き出した瞬間に背中ががら空きになり、そこを青秀は蹴り彼女は地面に倒れた。
「お前はまず体力作りだな。速さがあるのにそれを活かせない単調な攻撃はやめろ」
「…はい……」
的確に自分の弱点を突いてきた青秀に素直に頷く。悔しいけれど、彼の言う通りだ。今の私はまだまだ力が足りないし戦い方を知らない。ちゃんと教わらなきゃ。ぐっと拳を握り、自分の力無さを痛感していると、それに気付いた彼が良い線行ってんだから頑張れよと肩を叩いてくれた。
「――紅炎様!」
ふと、聞こえた声に皆が一斉に頭を下げる。訳が分からないうちに隣に立っていた青秀が私の頭をぐいっと下げ、私はそれに従った。どうやらこの慌てよう、皇族の誰かが来たらしい。
「鍛錬に励んでいるようだな。青秀はいるか」
「はい、ここにおります!」
ふと、隣にいる彼の名が呼ばれ、彼が声を発する。うわ!吃驚した。隣で彼の大きな声を聞いた彼女は思わず肩を揺らしてしまった。恐る恐る廊下側を見ると、そこには赤髪を半分結い上げた青年が立っている。髪と同じ色の顎髭を生やし、巻物を一つ手に持った彼はとても絵になっていた。その彼は青秀に話しかけている。
どうして彼が皇族の一人に名前を呼ばれて一緒に話しているのだろうか。そう不思議に思いながら紅炎を見上げる。きっと、故郷にいたままだったらこんな風に皇子を見る事なんてずっと出来なかっただろう。いつかこの人たちに仕えてみたい。そんな風に憧れを募らせていた彼女に、ちらりと紅炎の視線が行く。
「お前の隣にいる小童は何だ?」
「昨日新しく入ってきた俺の同室です」
彼女が送る視線に気付いたのだろうか、紅炎が青秀の横に立つに視線を寄こした。
突然として振られた会話に驚き言葉も出ない。そんな様子の彼女に、青秀が挨拶しろと小声で言ってくる。
こ、紅炎様に挨拶を。まさか自分が指名されるなどとは思ってもみなかった彼女は非情に緊張しながらも口を開いた。
「錦東村からやって参りました、です」
何を言えば良いのか分からず、とにかく失礼にならないようにと自己紹介してから拳を合わせて頭を下げた。しかし彼は何か彼女に対して何かを言う訳でもなく、そうかと呟いて去って行った。
極度の緊張状態から解放された彼女ははぁ……と溜息を吐いて青秀を見る。彼は皇子である紅炎に話しかけられても堂々とした様子で私とは全然違っていた。私なんて何を言えば良いのか分からなくて慌てていたし。自分の未熟度を思い出して頭を抱えた。あの人たちに仕えたいなんて夢のまた夢だ。
「ところで、どうして紅炎様は青秀に声をおかけになったの?」
「ん?その話なら夕食食べ終わった後に話してやるよ」
今は鍛錬に集中しろ。私の疑問にそう答えた彼に確かにと頷く。もっともっと強くならなくちゃ。


2014/04/18


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