第十六夜

 四日後。どきどきと緊張から逸る心臓を押さえながら、は試験会場へ赴いた。自分の受験番号と壁に貼られた合格者の番号。それを何度も見比べながら、彼女は祈る。
「――あ、あった…!」
ふと、自分の番号と同じ番号を見つけて、見間違いではなかったかと、何度もそれらを見比べる。けれど、どれだけ見比べてもその文字は変わらない。緊張から強張っていた表情がゆるゆると弛緩していき、彼女はほうと息を吐きだした。
これでどうにか第一関門はクリアだ。頑張って女官として禁城でやり直そう。

 それから三日後、女官の雇用試験に受かった者たちは禁城に収集させられていた。今日から女官として研修をしながらも働いていくのだ。
今回女官になれた者たちは総勢で135名。は隣に背筋を正して立っている少女や女性たちを見ながら、多いなぁと感じていた。
「身を粉にして働くように」
新人の教育を任されている年配の女官が厳しい声でそう言うと、この場に集まった者たちは皆、大きな声ではいと頷いた。
 武官として男装していた時の恰好とは違い、女官はスカート状でひらひらと脚に纏わり付く。禁城で女の恰好をするのは、なんだか慣れないと思いながら、彼女は皇帝の側室の部屋を回り、使用済みのシーツを寝台から剥がし、新しいシーツに変えていく。皇帝は正室の玉艶を始め、様々な側室の妃たちがいるため、彼女たちの部屋を回るだけでも一苦労だ。
「失礼いたします。お部屋を片付けに参りました」
「入りなさい」
そしてシーツの回収と交換が終れば、次は妃たちの部屋の掃除である。他の者たちも同じように仕事に従事しているだろうが、従者以上に動き回る仕事に、は初日から目が回りそうだった。
高価な調度品を壊さないように、細心の注意を払いながら、布で机や花瓶についた埃を拭っていく。数年前の彼女であったら、面倒くささに集中力を切らして、何かを壊していたかもしれない。だが、一度将軍たちにお茶を溢してしまってから、彼女の意識は変わった。それゆえ、どんなに面倒なことでも順を追って片付けていくことが出来る。

 生け花を楽しんでいる妃の邪魔にならないように、気配を薄くしながら彼女は部屋を綺麗にし続けた。全てが終わった頃には、埃一つ見当たらない部屋に変わって、彼女は心中で達成感からガッツポーズをする。
「失礼いたしました」
なるべく音を立てないように部屋を退出すれば、彼女はが出ていったことにも気付かず、琴を奏でていた。
とりあえず、昼の仕事はこれで終了だ。30分の休憩を挟んでまた仕事が始まるけれど、休憩の間はゆっくり出来る。
女官たち専用の食堂へ向かい、昼食を受け取る。初日ということもあり特に仲の良い者などいるわけがなく、彼女は賑わう食堂の中で一人席に着いた。
ゆっくりと咀嚼しながらご飯を飲み込む。よく働いた後の食事はとても美味しい。そう思っていた所に、二人の女性が彼女の前に腰を下ろした。席は限られているし、今は丁度お昼時だから相席は仕方のないことだろう。そう思って彼女は、一応どうもと頭を下げておいた。
「あなた、新人かしら?見ない顔ね」
自身とそう変わらない年齢に見える、茶髪をお団子にまとめた女性がにっこりと笑いながら話しかけてきた。彼女ははいと頷き、自分の名前を告げた。そうすると、彼女は同じように名前を教えてくれた。
「私は秋紫で、こっちは辛苑よ」
「よろしくね」
彼女に紹介されて、彼女と同じようににっこりと微笑んだ辛苑は、より少し薄い黒髪でたれ目が特徴的だ。そして、二人とも綺麗な顔をしている。
どうやら、彼女たちはよりも二年早く女官として勤め始めたらしい。食事を進めながらも、そう自己紹介してくれた彼女たちに、は時々相槌を打った。
――どうにも、女の人と話す機会があまりなかったからか、上手く会話が続けられない。
武人として従事していた頃は、周りには男たちしかいなかったこともあり、彼女は自分と同じ女という生き物と話すことにハードルの高さを感じていた。その上、彼女たちはの家の侍女たちのように大人びた様子ではなく、小鳥のようにぺちゃくちゃ話す。
女性と話すのは嬉しかったが、彼女は相槌を打つだけで精一杯だった。
「新人なのにこの時間帯に終わらせられるって、手際良いわね」
「はぁ…ありがとうございます」
辛苑にどんな手を使ったの?と笑顔で詰め寄られ、彼女は若干動揺した。
顔が近いし、何か怖い。
別に何もしていないけれど、やはり以前従者として働いていたことが糧となり、それが結果として手際の良さを作り出しているのだろうか。
ねぇねぇ、と詰め寄ってくる二人に、特に特別なことはしていませんと苦笑して返すけれど、彼女たちはそれでは納得してくれないようだった。二人の経験上、新人が初めての仕事を昼時までに終了させることは、今までに1割程度しかいなかったようだった。
「たぶん、こういう仕事が慣れてるからじゃないですかね」
彼女はそんな二人に言葉を選びながら返した。彼女は二人に自分が以前紅炎の従者として働いていたことを言うつもりはなかった。無暗にそんなことを伝えれば紅炎に彼女が女官として働いていることが伝わるかもしれないし、何より従者を辞めさせられた彼女が過去の栄光に縋りつくことを許さなかったからだ。
「ふうん、家でやってたの?」
「ええ、まあ、そうですね」
「それなら納得だわ」
やけにこの話題に食いついていた彼女たちも、がそう言えば身を離し、そうなんだと納得した。
――女の子同士で話すのは嬉しいけれど、何だかとても疲れた。
は女同士の会話に微かに辟易した。はぁ…と心中で溜息を吐いて、これが青秀との会話だったらこんなにしつこくなくあっさりしたものだったろうに、と考える。
もしかして、自分は男装して男たちと混じって鍛錬しているうちに、男のような性格になってしまったのだろうか。少しばかり自身の女としての態度が心配になったであった。

 その日の仕事は全て終わり、は自室に戻った。部屋は三人部屋であり、彼女と同じように今日から女官になった者たちと共同生活をする場だ。ここでも女の子と付き合わなくちゃいけないのかと、彼女は少しばかりげっそりした気分で床に就く。一日中働いていたせいで、誰かと話すような気分ではなかった。
とりあえず三人とも自己紹介をしているし、無理に話す必要もないだろう。それに彼女たちも初めての勤務に相当体力を削られたようで、と同じように早々に寝台に寝そべっていた。
どうにも、従者の仕事と違い、女官の仕事はまだ慣れそうになかった。従者は主人が命じない限り動かずに傍に控えている時もあるが、女官は一日中働き続ける。それが体力の減耗を左右するのだろう。そう思いながら、彼女の意識は夢さえも見ない、深い部分にまで落ちていった。

2014/07/13


inserted by FC2 system