ずっと会いたかった
ずっと言いたかった
あなたのことを、誰よりも愛していると


世界の裏切り 第66話


とうとうイルミが帰ってくる日になった。現在の時刻は20時。もう夕食も食べ終わり、シャワーを浴びている所だ。ザアアアア…と身体に降り注ぐお湯を止めてバスタオルで身体を拭く。部屋着のシンプルなワンピースに腕を通して、濡れた髪の毛を拭いた。記憶を失くしている時に切ってしまった髪の毛は、能力で5歳成長させた今、以前と同じくらいになっている。短かった頃に比べたら乾かすのに時間がかかる。だけど、これを昔は当然のようにやっていたのだと思うと感慨深い。
ふと、円をしていたわけではないがイルミの気配を感じたような気がした。私たちの部屋は離れているけれど同じ階にあるから感じ取れたのかもしれない。この時を待っていたとはいえ、いざ彼が帰ってきたとなると臆病風に吹かれそうだ。
どくどくと五月蠅い心音に落ち着けと命令する。思い出せ、私がこの家に帰ってきた理由を。彼と向き合うって決めたではないか。
「よし……」
ぱしんと頬を叩いてベッドから腰を上げる。緊張から震える腕をぐっともう片方の腕で抑えて、私は自分の部屋を出た。


帰りの飛行船の中、俺は珍しく落ち着かなかった。家にはあと二時間程で着きそうだ。つい先日仕事が終わって暗殺完了の旨を家に伝えたところ、が家に戻ってきていることを知らされた。その時は驚いた。だって、まさかあの時俺を誰と言った彼女が家にいるなんて思わなかったから。
何か理由があってああなったのだろうということは理解できる。だけど、感情が頭に追いつかない。あの時、俺は今までにない程深く傷ついた。涙が出たことだって、初めてだった。それ程までにあの出来事は俺にとっては衝撃的だったのだ。あれが芝居だとは思わない。彼女は、感情を表にすることが苦手だったけれど演技が出来るような女ではなかったから。
――俺は、に会った時どんな顔をすれば良い?
彼女が俺を傷付けたように、俺は彼女を傷付け苦しめた。ずっと、ずっと愛しくてたまらない片割れを寄せ付けず、一人で生きてきた。本当は愛していると言いたい。お前以上に愛しい者はいないのだと、抱きしめて昔のように手を繋ぎたい。
だけど、己はそれを出来るような立場ではないのだ。
……」
俺が近付いてもまた君が傷付くなら、俺はこの気持ちを閉じ込めよう。


こんこんと彼の部屋の扉を叩く。返事は待たずに入った。こちらに背が向いているソファに彼は背を預けている。きっと、気配で私だということは気付いているだろう。私のことを見向きもしない彼に、早くも心臓が早鐘のように打っている。
「イルミ……」
「帰って」
名を呼べば、すぐさま拒否の言葉を投げられた。――どうして、お願い…話だけでも。ぐっと唇を噛んで彼の元まで近づく。お願いだから、私を見て。あなたの瞳に私が映っていないなら、私はいったいどうすれば良いの?
「イルミ!」
ソファの横まで行って、彼を見下ろす。彼はそっぽを向いて返事をしない。ずきっと胸が痛む。痛い、痛い、痛い。どうして、いつもイルミはそうなの。私のことを一度でも考えてくれたことがあった?今まで溜まっていた悲しみや苦しみが胸の中で渦巻いて大きくなる。何かが、頭の中で切れる音がした。
「イルミはいっつもそう。ずっとずっと、私のことを避けて…!!」
違う、本当はこんなことを言うつもりじゃなかったのに。本当はもっと、彼と向き合えるようにいくつも言葉を用意していたのに、それとはまったく別の言葉が口から溢れる。
彼がカッと目を見開いてソファから立ち上がった。目前は衝動的に溢れた涙で歪んで見える。歪んだ視界で彼の眉毛が釣りあがっているのが分かった。
「へぇ……は俺がどんだけ色んなことを我慢してたか知らないくせによくもそんなことが言えるよね…」
「そんなの!!一言でも言ってくれたことないでしょ!」
彼は今までに無いくらい怒っているようだった。怒気がオーラを通して伝わってくる。普段声を荒げることのない彼が通常よりも大きな声で私に向かって言葉を吐きだした。
――私が知っている彼の姿はいつも私を避けて、無視して、片時も私の傍に寄らない姿だけだ。それが、どうして彼の内情が分かるというのだ。分かる訳がないではないか。
「言う訳ないでしょ?俺の気持ちを考えてくれなかったのはだろ!?」
「考えてたよ!でも、分からなかった!!あの時からずっと、私たちの心は離れていっちゃったんだから!!!」
「じゃあどうすれば良かったって言うんだよ!」
ぱりん!とテーブルの上に置いてあったティーカップを床に叩き付ける。涙がぼろぼろ零れて、もう何が何だか分からない。ずっと、ずっと、私が彼と同じ年に成長したら受け入れてもらえると思っていたのに、それが全くの見当違いであると言うように彼が私を許してくれない。今までの私の努力は全部無駄だったって言いたいの?
――あなたに認められない私なんて、何の価値も無いのに。
どうしてここまで私を拒絶するの。私が何か悪いことをしたなら教えてよ。頑張って直すから。
「分かった…、イルミは、ずっと、私のことが大嫌いだったってことでしょう!?」
「違う!」
何でそうなるの、とイルミがテーブルを蹴り飛ばして壁にぶつかり大破させる。お互いに今にも掴みかかりそうな気迫で叫んだ。
「じゃあいったい何なのよ!!」
私のオーラがぶわりと膨らんでシャンデリアの硝子がパリンパリン!!と弾け飛ぶ。説明してよと泣きじゃくる私に彼はああもうと髪の毛を乱暴に掻き乱した。何で分かんないんだよ、と呟いた彼に、口にしてないのに分かるわけないじゃないと心の中で叫ぶ。
のことが何よりも大切だから…だから距離を取ってた」
俺が近付けばお前はきっと、双子なのに異なってしまった自分を比べて傷付くから。それならずっと会わないで、必要最低限にしか言葉を交わさなければが幸せでいられるかもしれない、って思ってた。
先程までの怒気が嘘のように消えた彼の口から聞かされた言葉に、私は言葉を失った。思いもよらぬ言葉に一瞬涙が止まる。
どういうこと?彼は、つまり、ずっと私のことを想って近寄らなかったと?何で、そんなことを。私はずっと、彼の傍にいたくて、必死に頑張ってきたのに。
「何で…何でずっと…」
「言ったら意味ないだろ…」
一度止まった涙がぼろぼろとまた零れる。彼がどれだけ私のことを大切に思ってくれていたのかが分かって。そんなことをずっと確認できずに今まで擦れ違っていた二人の不器用さを恨んで。私を一度でも考えてくれたことがあったのか、なんて。私は馬鹿だ。ずっと、イルミは私のことだけを考えて生きてきてくれたのに。お互いを想う余りにお互いをくるしめ合っていたなんて、なんて愚かなの。
――ずっと、ずっとお互いに盲目的に思い込んで、向き合うことが出来なかったのか。
「酷いよ、は俺のこと忘れてたくせにさ。自分だけが傷付いたって顔して」
「ごめん、ごめんなさい、イル」
「――ううん、ごめん。俺こそ、を傷付けた」
十数年も離れていたことが嘘のように、私たちはそっと抱きしめあった。ああ、こんなことならもっと早く彼と向き合って話していれば良かった。それが出来なかったのは私たちの弱さのせい。私たちがお互いに問題から目を逸らして逃げていたから、この日を迎えるまで二人の心が交わることは無かった。
ぴったりと寄り添った身体から、彼の鼓動が聞こえる。とくん、とくんと穏やかに刻むそれに心が満たされる。
――ずっと、こうしたかった。
「イル、大好き」
「うん、俺も」
ぎゅっと、今までの蟠りを解かすように抱きしめる力を強める。ぽつりぽつりと彼と過ごさなかった時間を埋めるように、今までに起きたことを話していく。彼も、それに応えるように彼の話をしてくれた。念で容姿を24歳にまで引き上げたのだと言ったら、確かに少し成長した気がすると彼が小さく笑って、私もそれを見て笑った。
「俺は、が傷付かないなら何だって良かったのに」
すり、と頬を撫でてくれた彼の手は温かい。うん、クロロの言う通りだ。私が勝手に彼と同じじゃないと受け入れてもらえないと思い込んでいただけだった。ああ、良かった。何て幸せで、心が満たされているんだろう。
――また、昔のように心を通じ合わせよう。


2014/03/27

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