この胸のうちに眠る言葉を
どうか、どうか、彼に伝えさせて


世界の裏切り 第65話


――あれから一週間、私は漸く決意を固めてゾルディック家へ帰ることにした。その間はずっとヨークシンでクロロの言っていた言葉について考え続けていた。彼はたまに哲学的なことを言いだすから私には到底理解できないことを口にするが、この間言われたことも、たったあれだけの言葉なのに色んな風に考えられて大変頭が混乱した。あれ以来クロロには連絡が通じないし、つまりは自分で考えろということになるのだろう。結局私は精神年齢を高めることなく、イルミに会いに行くことにした。
今は空港でパドキア共和国行きの便を待っている。暇つぶしとして持ってきた本をぱらぱらと捲っていくけれど、イルミと再会したらどうやって話そうかとか、そもそも私に合ってくれるのだろうかと全然本に集中できなくて内容が頭に入ってこなかった。
「はぁ……」
溜息を吐いてガラス窓の外をぼんやりと眺める。何機もの飛行船が外にはあって、そのうちの一つが空へと飛び立つ。徐々に小さくなっていくそれをただじっと見つめていた。
どう考えたって会ってからではないと彼がどう反応するか分からないのだから、今こんなに悩んでいることは酷く馬鹿らしいことだ。ヨークシンシティからパドキア共和国まで軽く一週間はかかる。気候が良ければ予定より早く着くかもしれないけれど、それだけの間このことに囚われ続けているのは精神的に良くない。
電子掲示板に映されているパドキア共和国行の便が一つ上に繰り上がったのを見て、私は腰を上げた。


飛行船の旅を続けてから8日目。当初予想していたよりも天候の状況がよろしくなく、予定より時間がかかっていた。しかし今日の
午後には着くらしい。そのことをゴトーに連絡すれば、彼はその時間には車で迎えに来てくれると承知してくれた。パドキアに着くのはあと3、4時間といった所だろう。どうやら今日は天候に恵まれているらしく、追い風で順調に進んでいた。
『まもなく、着陸いたします』
機内のアナウンスを聞き、本から顔を上げる。荷物は少ないが、今のうちにまとめておこうと本やハンカチをバッグの中に入れていく。徐々に地面に近づいている様子を眺めながら、五月蠅く騒ぎ出した心臓を落ち着かせる為に何度か息を吐きだした。
ゴトーは空港の1階ロビーの時計柱の下で待っていると言っていたから早く行こう。私は自分の足を叱咤して飛行船から下りた。
がやがやと人々で賑わっているスペースを抜けて一階ロビーに辿り着く。肩からずり落ちそうだったバッグをかけ直して、私は時計柱に向かった。すぐ側に見慣れたスーツ姿の男と気配を見つけ、私は無意識のうちに口元を綻ばせた。
「ゴトー、お待たせ」
「お帰りなさいませ、様」
ぺこりと頭を下げた彼にただいまと返す。お荷物をお持ちしましょうとにこやかに言う彼にこれだけだから大丈夫と笑った。長旅でお疲れでしょう、紅茶を用意いたしますと私のことを気遣ってくれた彼にありがとうと言いながら、私たちは車まで歩いた。


車に乗ってから約3時間、漸くククルーマウンテンの麓に着いた。あとは試しの門を通り屋敷に向かうだけ。緩やかに止まった車から出て、門の前に立つ。ゴトーは車を止めに行くためいなくなった。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ただいま、ゼブロさん」
守衛室から出てきた初老の男性――ゼブロは私を見てにっこりと微笑む。私はそれに微笑み返しながら門を押した。一の門まで開いてその中に入る。私が帰ってきたことはきっとゴトーから連絡されているだろう。もしかしたら母様から呼ばれるかもしれないが、今日は一人で食事をしようか。
すたすたと歩いていれば、木の影からミケが顔を覗かせた。じっと見つめた後、すり寄ってくる彼によしよしと頭を撫でた。相変わらずとても大きい。昔はボール遊びが出来るくらい小さな犬だったのに。暫く彼と走っていたが、彼は暫くするとまた門の方に帰って行った。
屋敷に到着すると玄関で執事たちが並び一同が頭を下げていた。
「お帰りなさいませ。キキョウ様がお部屋でお待ちです」
「分かったわ。少ししたら行くと伝えて」
予想していた母の呼び出しに頷いて一先ず部屋に戻ることにした。ああ、今日イルミは家にいるのか聞いておけば良かった。そう思いながらも三階の自室に足を向けるのは止めない。また後で母に会った時にでも訊けば良いだろう。とにかく今は荷物を部屋に置いて一息吐きたい。
がちゃりと数か月ぶりに帰ってきた自室には今朝摘んだのだろうコスモスが花瓶に差されていた。荷物を椅子の上に置いて、ソファに腰掛ける。ふうと一息吐くと、こんこんと控えめにノックしてゴトーが入ってきた。
「アッサムティーをお持ちいたしました」
「ありがとう。丁度飲みたかったところだったの」
丁寧にティーカップに紅茶を注いでいく彼の姿を何とはなしに見つめる。彼はどうぞ、と私に紅茶を差し出して微笑した。
「イルミは、今日仕事?」
「はい。三日後に帰ってこられる予定でございます」
三日後と言った彼にそう、と返す。三日か、私にとっては長くて短い期間になりそうだ。失礼いたしますと下がった彼に頷いて、私も母の所に向かおうと腰を上げた。彼がいないというのなら食卓で食事をするのも良いかもしれない。久しぶりにカルトたちと会話もしたいし。


こんこんとノックして返事を待つ。一秒もせずに、どうぞと高い声が聞こえて私は部屋に入った。
「母様、ただいま帰りました」
、お帰りなさい」
窓際のテーブルでティータイムを楽しんでいる彼女に手招きされて、彼女の前の椅子に座る。私が来ることを予期して置いてあったティーカップにダージリンティーがトポポと注がれる。それは毒が入っているなど思わせないような綺麗な色をしていた。
にこにこと随分と機嫌が良さそうな母に、私が久しぶりに顔を見せたからだろうかと推察する。何だかんだ、家を出て行ってから彼女には連絡をしていなかったから寂しかったのかもしれない。
が帰ってきてくれて嬉しいわ。今日は一緒に夕食を食べましょうね」
「はい。今日は父様たちはいるのですか?」
そういえばイルミ以外のことを訊いていなかったと、家族のことを訊いてみれば、今日は珍しく彼以外は皆揃っているらしい。ただ、明日から父とカルトは仕事で四日程出かけるらしい。
「良かったわ。ずっと連絡がないから心配していたのよ。カルトちゃんにはたまにメールが届いていたみたいだけど…。元気そうで安心したわ」
はたった一人の娘だから余計心配なのよ。そう続けた彼女にごめんなさいと返す。屋敷を出てからそんなに経たないうちに私は記憶を奪われてしまっていたからその間彼女たちに連絡する術は何もなかった。イルミからそのことを聞いているかは分からないけれど、彼女は母親だから何となく何かを感じ取っていたのかもしれない。
「母様、私また暫く家にいるから…」
だから、暫く会えなかった分の話をしたい。そう言えば彼女はどこか安心したような笑顔を見せてくれた。


姉帰ってたんだ」
「うん、さっきね」
向かいの席に座ってサラダを食べているミルキに頷く。すぐ右隣にはカルトが座っていて会えなかった分の出来事を私に話してくれていた。ミルキはふうんと言って鴨のソテーを口に入れてじっと私を見つめる。
「何かあったのか?」
「うん、ちょっとね」
私にしか聞こえないような小さな声で老けた…?と訊いてきた彼に頷く。両親はきっと私を見てきっと気付いているだろうに態々それを確かめるようなことは言ってこなかった。きっと、私が何かを決心してこの家に戻ってきたことを敏感に察知しているのだ。そしてそれにイルミが関わっていることもお見通しだろう。それを分かっていないのはたぶん、ミルキとカルトくらい。ミルキはなんとなく感付いているかもしれないけれど、それを確かめるような神経は持っていないだろう。
言外に私を心配しているような感じがして、私は彼に微笑した。本当に、可愛い弟たちだ。


2014/03/26

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