貴方の傍で愛される心地よさを知ってしまったのに
今更どこへ行けと言うのでしょう


世界の裏切り 第61話


――シャルがあの日忘れて良いと言ったあの人。私はその言葉を何も知らない子供のように受け入れて、彼を考えないように、思い出さないようにとしていた。けれども、度々夢に現れるあの人。ただただ、私の名前を優しく呼んでくるだけの夢なのに、私は涙を抑えられなくて。
シャルと付き合いだしてからもう一か月経つけれど未だに彼のことを忘れられなかった。否、目が覚めている時は仕事に熱中していたりその他に思考が持って行かれるからそこまで彼に囚われているわけでも無い。しかし、夢の中では彼が現れて思い出してというように私の名を呼び続けるのだ。
――寂しそうな顔で、何度も。


?」
「えっ、あ…ごめん。ぼーっとしてた」
広間にて、隣で喋っていた筈の私が突然黙り込んだからだろうか、パクノダが私の肩を軽く叩く。大丈夫?と少し心配そうに訊かれるけれど、何でもないようにうんと答えた。本当は夢に囚われていたのだけれど、そんなことを言ってしまえば余計心配されるのがオチだから昨日夜更かししちゃって、と付け加えれば、彼女はそうだったのねと安心したようだ。
会話が途切れてしまったこともあり、私は自分の部屋に戻ることにした。どうしても、一人で考えたくて。何となく、このことを誰かに相談しようという考えは無かった。
じゃあまたねと手を振って彼女と別れる。自分の部屋に続く階段を下れば昼間でも暗い廊下が出迎える。そこを歩いて自室の扉を開く。ぱたんと静かに閉じて背を扉に預けた。
「………」
数秒経ってから私はベッドに横になった。私はどうするべきなのか。こんな風に知ることを怖がって、まるで子供のようだ。ぐちゃぐちゃとした頭の中に絶え間なくあるのは、蜘蛛の存在とシャル、そして私の名を優しく呼ぶあの人。
ぎゅっと目を瞑って思考する。私はいったいどうしたい?あの人を思い出したいのか、このまま何もなかったかのように、シャルの言葉に甘えて忘れてしまいたいのか。どっちも当てはまるようだった。だけど、このままじゃいけないと言う私もいる。
――ああ、何が正しくて何が間違っているのか分からない……っ。
ぐっと奥歯を噛んで、ぐちゃぐちゃと混ざり合った感情の波に耐える。
――私は、子どもじゃない。立派な大人だ。知ることを恐れて、怖いものから逃げ出してずっとずっと箱の中に閉じ込めておこうとするような年ではないのだ。私にはそれに耐えられるだけの力があるし、周りには仲間だっている。
それに、何よりも、あの人が泣いていた。その事実が私の心を捕えてやまない。あの人を知りたい。怖いけれど、あの人を知りたい、否、思い出したいのだ。あの人は私を知っていた。私も初めて会ったのに何故かおかしいくらいに懐かしさを覚えていた。原因は不明だけど私は記憶を失くしている。その失くした記憶の中に、もしかしたら彼はいるかもしれない。
だから思い出さなくては。自分の為にも、彼の為にも。だから、思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ………!!!!!
「思い出せ!!!!!」
自身の念を使って、直接自分の身体に働きかける。何度も何度も叫んだ。記憶が何か、鎖で雁字搦めに閉じ込められているのを無理やり開こうとしているようで頭が割れるように傷んだ。痛い、痛い、痛い、だけど思い出さなくては。
ザザザ、と砂嵐が私の脳内で溢れ出てくる。光を、色を、映像を、取り戻すのだ。自分が持っていた筈の、記憶を呼び戻せ。


――


「あああああああああああ!!!!!!!」
あの優しい声が聞こえた気がした。ドンッと膨大な量の記憶が押し寄せてくる。先程とは比べ物にならない程の頭痛に吐き気を催した。頭を抑えて蹲る。光る、色。眩しい、眩しい。動き出す過去。
「あ、あ………」
全てが開いた。今まで見ていた世界ががらりと色を変えた。今まで夢を見ていたかのように、世界がくすんで見えた。
――私は全てを思い出した。
あの黒髪の男の名はイルミ。そして、私の記憶を奪ったのは――
!!どうしたの!?」
「あなた、鼻血が…!」
自室に駆け込んできたパクノダとシャルナーク。驚いたようにいつの間にか流れていた鼻血を拭こうと近づいてきた彼女と、私は無意識に距離を取った。そんな私に気付いて、そこで動きを止める彼女。
ぐし、と乱暴に鼻血を拳で拭う。ああ、見慣れた赤だ。赤が付いた拳はわなわなと震えていた。
「……?」
「――あのね、シャル。全部思い出したよ、全部」
彼は戸惑いながら何を?と訊ねた。縋りたかった、目の前の彼らに。だって、ねえ、私たち仲間でしょう?だから、こんなこと考えたくも無かった。だけど、辻褄が合うのだ。あの日、あの時、私は何者かに背後から手刀を受けて意識が混沌とした。意識を飛ばしはしたけれど、確かに話し声は聞こえたいたのだ。クロロとシャルとパクの、三人の声が。
嘘だと言ってほしい。だって、どうして私が?なぜ私を攫ったの?能力?それともゾルディック家の血?ああ、ああ、お願いだから――
「本当のことを言って、シャル……私の記憶を奪ったのは、パクなの…?」
私の声は震えていた。信じたかったのだ。自分の記憶を疑ってまで、彼らを信じたかった。無くしたくなかったから、彼らとの絆も今までの思い出も、全て、全て全て。全て、偽りだったなんてことにされたくなくて。どうしようもなく愚かだということは自覚している。だけど、ここでそんなのある筈ないじゃないかと言ってもらえれば、私はまた今までみたいに幸せに暮らせているから。だから、否定して…。
「あーあ、気付いちゃったんだ。馬鹿だね、ずっと忘れていれば幸せだったのに」
「―――ッ」
しかし無情に響く彼の声。私を蔑むかのように嘲笑を浮かべているその様子に、私は頭が真っ白になった。
「シャル、あなた何を」
「パクは黙ってろよ!!」
何かを言いかけた彼女の声に酷く苛ついた声で彼は怒鳴った。普段の彼からは想像もつかない態度に、私は絶望した。私に優しくしてくれたことも、蜘蛛に導いてくれたことも、私を利用したくてやったことなの?私のことを好きだと言ってくれたのに、それすら嘘だったと言うの?ぐるぐると頭の中でそんな言葉が回っているのに、震える唇から出たのはたった一言。
「……私を、利用する為に、記憶を奪ったの……?」
「そうだよ!それ以外に君に価値なんてないからね。あーあ、団長も馬鹿だよね。だから初めっから能力だけ奪っておけば良かったのにさ」
ぺらぺらと饒舌に語る彼。私はそれに対して口を開くことも出来ない。みるみるうちに視界が涙でぼやけて、彼らの姿が歪む。ああ、私は何て馬鹿なんだろう。あんなに優しくしてくれた事全てが、善意からだったなんて。この世界がこんなに綺麗でないことは、自分が一番知っていた筈なのに。どうして、どうして私はそれを信じて疑わなかったのだろう。
「もう、用無しなんだからとっとと出てけよ!!」
「――ッ!!?」
カッと私に向かって投げられたアンテナが私が居た筈だった床に深々と刺さった。今まで、一度も私に手を上げたことのなかった彼が。
もう、これは動かぬ事実なのだ。私は脱兎のごとく自室を飛び出していった。
!!」
「俺の目の前から消えろ!」
悲痛そうなパクノダの声と、乱暴なシャルの声が廊下に響き渡る。必死で駆けた。誰もいない広間を抜けて建物の外を駆けて行く。泣いて泣いて走った。裏切られたのが悲しくて。最初から仕組まれていた恋だったことに絶望して。それでも、彼らに対する好きという感情が消える訳でも無くて、それが殊更苦しくてただただ泣いた。
「ああああああああああああああ!!!!」
廃墟地帯を抜け出した時に、私は膝から崩れ落ちた。涙がぼろぼろと薄汚れた地面に吸い込まれていく。ぽつぽつと落ちたそれは徐々に降り出した雨に溶け込んでいく。


家族も、仲間も無くした私は、いったい誰に温めてもらえば良いの?


2014/03/13

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