手をのばせば君に届く
声をかければ振り返ってくれる
でも、それだけじゃ足りないんだ


世界の裏切り 第50話



ふと、彼女と目が合うと酷く幸福感が増す。そのまま彼女が俺にはにかめば更にその思いは跳ね上がり、誰かに心臓を掴まれた心地に陥るのだ。
それは“恋”だと誰に言われなくとも理解していた。それゆえにその先へ先へと募る恋慕を抑える術を、俺は知らない。
このままでも十分、彼女の傍にいることが出来るのなら幸せな筈なのに、一度幸福を知った心はそれ以上を求めてしまうのだ。
今もほら、彼女が俺以外の奴らと話しているのを見て、彼女の恋人でも(ましてや特別な位置にいるわけでも)ないのに醜く彼らに嫉妬をして、俺だけを見ていてほしいだなんて馬鹿なことを考えている。
彼女に会うこともできなかった時と比べれば今では毎日顔を合わしているのに、俺はそれでも満足出来ないなんて、どれ程貪欲で我が儘な性格なのだろうか――盗賊なのだから当たり前といえばそうなのかもしれないけれど――。
だけど、ほら。

「なぁに?シャル」
俺が呼べば、他の奴らと楽しそうに話していても直ぐに俺へと振り向いてくれる君が愛しくて。絶対に手に入れて、誰にも渡したくないと思うのだ。
それがたとえ彼女の愛する兄だとしても、俺は負けるつもりはない。
「こっちにきて」
「?」
現に彼女は記憶を失って俺たちの元にいるのだし、どう考えても彼に勝ち目はないのだ。
「目、閉じて」
手招きして傍に来たの手首に以前何回も考えて購入した、俺の瞳と同じ色の宝石がついている華奢なブレスレットを優しく嵌める。
その翡翠色の宝石がついたブレスレットは彼女の腕に収まったことにより、ガラスケースの中にいた時よりも輝いているように見えた。
「わ、きれい…。でも、どうして?」
目を開けた時のは、クロロからあのイヤリングを貰った時と同じように目元を緩め、俺の見間違えでなければ少し頬を紅潮させており、それを見た俺はどきりと心臓が跳ねた。
突然プレゼントを貰って不思議に思っている彼女に、「って団長から貰ったイヤリングしか身につけてないだろ?少し種類があった方が良いと思ってさ」だなんて簡単に嘘をつく。
だって、本当はクロロが与えたイヤリングが彼女に対する執着の証のようで、また彼女もそれを喜んで毎日付けているから気分が悪かったからだなんて言えるわけもないから。
だけど、そんな子供じみた嫉妬の炎は彼女の嬉しそうな微笑みで一瞬にして消え去ってしまった。
「ありがとう、シャル」
「――どういたしまして」
今まで見てきた中で一番の微笑みを見せた彼女に、一瞬言葉が詰まる。
本当に末期だ。今までの自分なら絶対ここまで腑抜けた性格ではなかったのに。
他の女なら愛しさが溢れ出そうで胸が痛くなるような、こんな気持ちにすらならなかったのに。
何度女を抱いても満たされることがなかった心を、彼女はいとも容易く満たしてしまって。
俺は彼女に溺れているんだ。流星街で初めて出会った時から、今までずっと。
血に染まった劣悪な環境で、唯一白く輝いて俺を導いてくれる希望の光だと思った。
それゆえ、俺達が彼女に行った諸行を知られてしまったらと思うと、酷く恐ろしかった。もし、彼女の記憶を奪ったのが俺達だと知られたら、彼女は此処から逃げ出してしまうのだろうか。
そんな不安に駆られる程に俺は彼女のことを大切に思っているのだ。


今の幸せを破壊する何かが起きた時は、その時、俺はいったいどうすれば――。


「シャル」
「えっ」
思考の海に沈んでいた俺は、急にに声をかけられて間の抜けた声を出してしまった。
座り込んでいる俺は必然的に彼女を見上げる形になる。彼女は一度外へ出て戻ってきた様子で、何かを手に持っているのか、背中の後ろに手を隠している。
「はい。これお返し。シャルに似てるなって思って」
全然釣り合わないけど、と徐々に小さくなっていくの言葉にふるふると頭を振る。重要なことは物ではなく、彼女の思いだから。
ああ、なんて愛しいのだろう。彼女から受け取ったそれを優しく手に持ち、光に翳すように視線より高く上げた。
「たんぽぽ……」
きらきらと輝き咲き誇っている元気な姿が、この俺と同じだと言うのだろうか。こんなにも健気に太陽のように輝いているたんぽぽが、暗闇にいる俺と…。
柄にも無く、鼻の奥が少しつんとした。
「ありがとう、
今までで一番嬉しいプレゼントをありがとう。俺は彼女に満面の笑みを向けた。


2012/05/25

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