あの時、君のことを離したくはなかった
けれど君は俺のことを恐れているから
俺はその手を離した


世界の裏切り 第47話


『○月×日に私の家でパーティーを開きます。どうぞお越しください』
「ふうん」
仕事用のメールボックスにお得意先の人物からそんなメールが届いていて、俺は興味も無くソファに寝転んだ。
もキルアもいなくなってしまったこの家は以前より静かだ。静か、というのは音だけではなく気配も意味する。
はいつも落ち着いた、しかし寂しそうなオーラをしていたのだが、キルアは正反対でエネルギーに溢れこの屋敷には納まりそうもない元気を持っていた。
そんな二人が家からいなくなってしまい、俺は最近よく眠れない。元々神経質な気は昔から少しあったが、今はそれが酷い。
おそらくの気配を感じないからだろう。彼女が家出した時は必ず連れ戻すと決意して、帰ってくると疑わなかったからそこまで苛立つことはなかったが、今は違う。
俺の仕事の間に部屋を掃除した使用人の気配が残っていたり、香りが少しでも違うと気分が落ち着かずに眠ることさえできない。
こんなことになるなら、あの時掴んだあの手を離さなければ良かった。そう後悔しても、あの時の俺に彼女の進む道を拒むことなんてできなかったに違いないけど。
だから今は、言い訳がましいが、彼女の部屋に度々訪れては彼女の残り香で胸を休めている。そうしなければ俺は精神的にどうにかなってしまいそうだから。
――記憶の中を彷徨い続けていたら、ふとハンター試験の時のことを思いだした。あの時、彼女は気付いていなかったが、俺はすぐ傍で彼女たちの事を見ていた。そして俺といる時とは明らかに違う雰囲気に苛立ちと共に焦燥感を感じていた。
――笑わないでよ。そんな簡単に感情を出さないでよ。俺たちにとっては感情を表に出さないのが常だった筈なのに、彼女だけ微かな微笑みを見せることが悲しかった。
だって、彼女が笑ってしまえば彼女が楽しんでいることを周りの奴らに知られてしまうのだ。今までは表情に出なくても俺だけが彼女の感情を理解していたのに。それが酷くもどかしい。
でも、あの時の顔を見たでしょ?俺が不用意に放った言葉でどれだけ彼女が傷ついたか理解している。
あんな筈ではなかったのに。本当は昔みたいに彼女の手を引いて一緒に家へ帰りたかっただけなのに。
どれだけそう願おうとそれが叶う訳はないけれど、そう考えてしまうのは止められない。
――ブウン、とパソコンの画面に光が戻った音で思考は中断された。どうやら新しいメールが来たらしい。
面倒だと感じながらも立ってその内容を確かめると、俺は軽く目を見開いた。
『○月×日のパーティーでは、妹君の様も仕事としてお招きしております。ぜひご兄弟でおこしください』
――も来る。その文面を理解した途端、俺は了承の返事を彼に送っていた。
自分でも驚いたが、が来るだけであの人混みに行く勇気が出たのだ。否、俺は彼女の為なら何でも耐えることが出来るだろう。
「早く帰って来てよ、
俺は写真立てに飾られた家族写真の彼女に向かってそう呟いた。


パーティー当日。俺は来て早々このパーティーに出たことを悔やみ始めた。まだ客は少ないが、どうやらここには俺の顧客が多いらしく、色々なおべっかを使って話しかけてくる奴が沢山いるのだ。
まだ彼女は舞台上で依頼人に任された演説を行っており、下りてくる気配は感じない。俺は来た時から微かに絶をしていたが、それを完璧にしてこの煩わしい場から離れる為に階段を下りた。
正直、元気にしているを目に映せたからそれで良かったが、まだ彼女の気配を感じていたいという気持ちが強い。
庭に出ると夜でも咲き誇っている薔薇の香りで胸一杯を満たされて、俺はそれに誘われるかのように薔薇園の中に足を入れた。
入って少し歩いた所に開けた場所があり、そこには人一人寝ることが出来そうなベンチがあり、俺は普段なら絶対にしないがそこに寝転がった。
彼女の気配を感じているということもあり、寝不足の身体は睡眠を求めてすぐに意識を飛ばしてしまった。
ふと、薔薇とは違う甘い香りが鼻腔を擽って、俺は目を覚ました。だが、目を開けるなんてことはせずただひたすら視覚以外の感覚を研ぎ澄ませる。
――が、すぐそこにいる。俺に気付かれないように絶をしているからか気配は感じないけれど、彼女の香りがそこにあるのだ。
彼女の香りはとても近くに居なければ感じられない程度のものだ。それは即ち、彼女が近づくことを許した者にしか感じることは出来ない特権だった。
その香りがすぐそばにあるのだ、気付かないわけがない。こんなに熟睡できたのは本当に久しぶりで、どれだけ彼女を求めているのか思い知った。
絶対起きたりしないから、お願いだからさわって。空気が揺れたことで彼女が俺に手を伸ばしたことが分かったけど、その手が俺の頬に触れることはなかった。
――どうして?何があっても目を開けたりしないのに。そう心の中で彼女に呼びかけるけれど、彼女の微かな甘い香りはするりと俺の元から離れて消えてしまった。
酷く鬱屈とした感情が胸の中で渦巻いている。だが、車が静かに動く音が聞こえて俺は身を起こした。
……?」
彼女を求める俺の声が、夜の薔薇園に寂しく響いた。


2012/04/26

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