父様、母様
名前を呼びたいのに
震えて何も言うことができない


世界の裏切り 第36話


門を抜けて小走りで家へと向かう。途中、カナリアを通り過ぎる時、彼女は深々とお辞儀をしていた。
家まで続く道のりが嫌に長く感じられながら、家族のことを考える。会って何を話せば良いのだろうか、何をすれば良いのだろうか。
そう考えあぐねていると、本邸の前にゴトーが姿勢を正して待っていた。
「お帰りなさいませ、様。シルバ様がお待ちです」
「ただいま。教えてくれてありがとう」
彼がいたということは私が家に帰ってきたという情報が家族に届いていたのだろう。予想はしていたが彼の言葉に緊張が増す。
家に足を踏み入れると、数か月しか家を出ていなかったのに、なぜかそこは他人の家のような香りがした。
階段を上る際も、私の家はこんな風貌だっただろうかと懐古するが、何ら変わった所が見受けられないので、久しく見ていなかった分新鮮に見えるだけだろう。
「………!」
三階に着いてふと横に視線を逸らすと、数か月ぶりに見た母の姿があった。後ろにはカルトもいるが、驚きすぎて声が出ない。
目を見開くことしか出来ない私はその場から動けず、勢いよく抱きしめてきた母の香水の香りに包まれた。
!!何か月もどこへ行ってたの!…っどれだけ心配したと…!」
「―かあさま……」
震える声で私の名前を呼ぶ母の声に、じわりと涙が滲む。こんなにも私はこの人たちを傷付けてしまったのだ。今漸く気が付いた。
ごめんなさい、ごめんなさいと何度も涙声で謝罪の意を伝えて、震えている母の背に腕を伸ばす。
ぎゅっと母を抱きしめると、応えるように母も私を抱きしめる力を強くした。今にも涙が零れそうだけど、その程度で私の罪が軽くなる訳ではないし軽くしてもいけないから如何にか涙を堪える。
「カルト…」
「っ姉さま」
母の抱擁から一度離れて末っ子のカルトの目線に合わせるようにしゃがみこむ。彼は泣くまいとしているのか唇をきゅっと結び、瞳一杯に涙を溜めている。
触れて良いだろうかと迷いながらゆっくりとカルトに手を伸ばす。そっとカルトを抱きしめると、とうとう堪えきれなかった彼の涙が私の肩に落ちて、カルトは私にぎゅっとしがみついた。
「ねえさまあぁ」
「ごめんね、カルトっ、ごめんね…っ」
家族の中で一番傷付けてしまっただろうカルトを思い切り抱きしめる。私がキルアと出て行ってしまった後、彼はどれくらい孤独を味わったのだろう。
あれほど頼りにしていた、また慕っていた姉と兄が二人でいなくなって、どれほど彼の心を裏切り傷付けたことか。
ごめんね、カルト。自分勝手なお姉ちゃんで。必死に涙を堪えてその言葉を発すると、カルトはぶんぶんと首を横に振った。
その殊勝な態度に殊更涙が溢れそうになる。泣いては駄目、泣いては駄目。自分に言い聞かせても瞬きをすれば今にも涙が零れてしまいそうだった。
「…父様の所に行ってきます」
名残惜しく思いながらもカルトを離して、一度だけ彼の髪を梳いた。母に父から呼ばれている旨を話すと、了承してくれた。
最後に優しく頬を撫でられて、私は二人と別れて父の部屋へと向かった。最上階にある父の部屋の扉は、他の部屋に比べてとても重苦しい様子で心臓が早鐘のように打つ。
二度ノックをすると、入れという久々に聞いた父の声が響く。
「…父様、今戻りました」
「ああ」
部屋に足を踏み入れた途端、父の威厳のある圧力に襲われた。表情からは何も読み取ることは出来ないが、鋭い眼光が私に突き刺さる。
父に促されて隣に座ると視線が交わる。何も言えずに父を見つめていることしかできずにいると、父が口を開いた。
「キルだけなら兎も角、まさかお前が家出をするとは思わなかった」
「―ごめんなさい…」
だがそれは俺たちがお前を追い詰めてしまったからだろうと父は続ける。その言葉に俯いていた視線を上げると、微笑している父の表情が目に入った。
「お前が目覚めてから、あれのお前への執着は酷かったからな」
イルミとの関係もそうだろうと言う父の言葉に静かに頷く。父はまるで私の心を全て見透かしているようだ。
だが、父親なのだから私のことを見ていればやはり気付いてしまうのだろう。
「……一度、イルミと離れてみたらどうだ?」
黙って父の話に耳を傾けていると、父は思い切ったように提案をした。その提案は私の目を見開かせるには十分すぎる。
吃驚で返事が出来なくている私に、あれと一緒にいるからお前は辛くなるんだろうと父は言葉を続ける。
「一度離れて頭をすっきりさせれば良い。何年かかっても…。好きな時に家へ帰ってこい」
「つまり…それは」
父が言わんとしていることがようやく理解できて、ぐるぐると頭の中で駆け巡る。つまり、家を出て一人で暮らすことを許すと父は言っているのだ。
そんなこと、普通なら到底許される筈のないことなのに。父のありったけの優しさに涙で視界が歪む。鼻の奥がつんとして息が苦しくなった。
「お前は大事な一人娘だ。俺はお前が幸せであることを望んでるんだ」
「とう、さま……っ」
ゆっくりと抱きしめられて、小さかった頃のように頭を撫でられる。その手つきはあの時とは違って優しいもので、堪えきれずに涙が溢れ出した。
父の厚い胸に顔を押し付けて涙を流すと、より一層父の抱きしめる力が強まった。
泣きじゃくりながら思いが伝わるようにごめんなさいを何度も繰り返す。
「父様、ありがとう」


2012/03/31

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