動きたくても動けなくて
声をかけたくてもかけられなくて
どうして、俺はこんなにも臆病なのだろう


世界の裏切り 第26話


「おはよう、キル」
「お、はよう、姉」
聞きなれている優しい声が後ろから掛けられて、俺はびくりと心臓が跳ねる。察知されただろうか、俺の挙動不審さを。
にっこりと何事もなかったかのように姉は微笑んでいたが、目の端が赤くなっていることに嫌でも気付いた。


ゴンと別れた後にぶつかってきた二人の男を手早く殺して、汗を流そうと浴室に向かう途中でそれは聞こえてしまった。
「君、だろ?◆」
愛しい姉の名前を気味の悪いピエロがねっとりと呼ぶ声。人の姉貴になに手出そうとしてんだ。そう思って角を曲がろうとしたけど、身体が動かない。
俺はヒソカと自分の絶対的な力量差を知っているため、臆病な身体は意志とは反して硬直してしまったのだ。更に、ピエロの次の言葉で姉の殺気がぶわりと膨らんだ故、呼吸をすることさえ困難になる。
柄にも無く、酷く殺気立っている姉はヒソカにイル兄との関係を示唆されてキレたらしかった。やっぱり過去にあの二人は何かがあったのだと確証するが、おぞましい程に膨れ上がった二人分の殺気に膝ががくがくして意識が飛びそうになる。
本当に一瞬意識が飛んでいたらしく、気付いた時にはヒソカの気配は無く、ただ姉の押し殺した嗚咽しか聞こえなかった。

昨夜の屈辱は姉だけでなく俺も感じていた。大好きな姉が危機に曝されているというのに、俺の身体は尽く動くことを拒否したのだ。
あの後、姉にバレないように気配を消して別の方向に向かった。心を酷く掻き交ぜられた後だからか、俺の殺した気配に気づくこともなかったようだ。
本当は直ぐにでも姉を抱きしめてあげたかったけど、彼女の悔し涙がそれを躊躇させて結局姉を独りにしてしまった。
「おはよう、
「よっす」
「おはよう、クラピカ、レオリオ」
いつの間にかクラピカが隣にやって来ていて、その後ろからレオリオもついて来る。彼らは彼女の赤い目元に気付かなかったようで、普段通りに会話をしている。
目的地に到着ですというアナウンスが告げられ、俺たちは飛行船の窓から眼下を眺めた。だがもう試験なんてどうでも良い。今すぐにでも姉の憂いを晴らしてあげたいのに、その方法が分からない。
くそッ。結局俺は姉に甘えているだけの子供なのだ。悔しさを押し殺して飛行船から鉄塔に降り立つ。
いつも俺に優しくしてくれる姉の肝心な時に、俺は何も出来ない。屑の方がまだマシだ。
「トリックタワーを72時間で生きて下までたどり着くこと」
試験の説明を聞きながらも俺の気分は晴れない。きっと横にいる姉もそうなんだろうな。


昨夜の事はなるべく記憶から消し去るように心がけていた。トリックタワーに降り立った今もその決意は変わらないが、記憶の蓋を抉じ開けようと何度も何度も昨夜のヒソカが言葉を投げつけてくる。
強くなるためにハンター試験を受けたとやっと確証したのに、私はまだまだ弱かった。こんな様ではキルアやゴン達に心配をかけてしまう。
兎に角、無心に下へ通じている扉を見つけようと注意深く床を見つめる。観察した結果、2つ扉を発見した。
「!」
とりあえず、先にキルア達に知らせようと彼らに向かって足を進めると、まだ見つけていなかった扉を踏んでしまい、私は闇の中へ吸い込まれた。
スタッと床に軽く着地して辺りを見渡す。頭上の扉は押しても動かないから、何も言わずにキルアたちと離れて行動することになってしまった。
「はあ……」
昨夜の出来事と現在の状況に相まって憂鬱な気分が更に降下していく。あんなことになるくらいだったら念でも何でも使って逃げれば良かった。
気を取り直して真正面の壁を見ると”我武者羅の道”と書いてある。我武者羅…か。何かむしゃくしゃとした物がとれそうな気がする。
『君にはこれから”我武者羅の道”を独りで通ってもらう。生きて通過出来たら晴れて合格だ』
天井から指示する声に、上等と呟く。生存確認をする為の腕輪を腕に着けて、私は鉄の扉を開いた。


2012/03/27

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