紺地に白く大きな百合がいくつも咲いている浴衣に、濃淡色の横縞が入っているラベンダー色の帯。そして、下駄に蜻蛉玉に、鮮やかな新緑色の巾着を見たは目を輝かせた。
――うわぁ、可愛い!
「これを着て夏祭りに行かないか?」
「行きます!すごい可愛いですね」
リビングに広げられたそれらは、丁度依頼人が呉服屋の人間であり、安室が問題を解決したことに感謝した彼が通常よりも安く購入させてくれるということで安室が買ってきたようだ。そして今日は米花町から少し離れた所の河川敷で花火大会がある。屋台も沢山出てくるらしい。
そんな楽しい祭りにこんなに可愛い浴衣を着ていかない理由はないので、は満面の笑みで頷いた。それに、安室も満足そうに微笑む。
「じゃあ着替えて行こうか。着付けするから脱いで」
「え!?」
タオルや細い紐を用意し始めた彼の言葉に、はぎょっと目を見開いた。脱ぐ!?何を言っているんだ、安室さんは。自分でやりますから、と彼女は言うが浴衣の着付けはが想像してるよりも難しいんだよと彼に言われてうっと言葉に詰まる。だけど無理だ。いくら浴衣を着る為とはいえ、片思い中の相手に下着姿を見られるなんて。
困惑と羞恥心から顔に熱が籠る。だけど、それを見て安室は何を勘違いしているのか知らないけど、と口を開いた。
「下にキャミソールとショートパンツを履くんだよ」
「そ、それを先に言ってください!」
「ははっ」
を見る彼の笑みは意地悪な顔そのもの。知らないけど、なんて言っているが絶対にこの顔はが勘違いしていた内容に気付いている。からかわれたのだ、と気付いたは彼に噛みつくけれどそれは笑われて軽く流されてしまった。だけど、惚れた弱みとでもいうか、彼のそういった表情にさえときめいてしまうのだから恋とは厄介である。

 彼に指示された通りに着替えて着付けをしていってもらうことにした。良く効いている冷房の中で、最初は寒いとさえ思っただったが、着付けが進むにつれて段々と暑くなってくる。凹凸を補正する為にタオルをウエストに巻いた時点で、浴衣とはこんなに大変なものなのかとは初めて知った。異文化だからとただ憧れを募らせていただけでは気付けないことだ。
だが一番大変なのは安室だろう。帯を巻く段階になって、安室の指示通りに手を挙げたりしているの周りで帯を綺麗な形に仕上げていく彼。相変わらず彼は何でも手際よく出来るらしい。
「はい、出来た。は黒髪だから良く似合うね」
「ありがとうございます」
えへへ、黒髪で良かった。ふぅ、と一息吐いて彼が発した言葉には礼を言って、鏡の前でくるりと一回転して自分の様子を確かめた。何か普段と違ってすごい大人っぽく見える。大きな百合の柄がそうしているのかもしれない。帯の真ん中で留められた蜻蛉玉も可愛いし、安室はとてもセンスが良いのだとは改めて思った。
「僕が着付けてる間に髪をセットしておいで」
「分かりました」
次は安室が着替える番だということで黒灰色の浴衣を取り出している彼に頷いては洗面所へと向かった。予めこういうのが良いんじゃないか、と安室に教えてもらった編み込みがあるので、それを鏡の前で作っていく。
ふわふわした三つ編みを作っていき髪の毛が項にかからないようにして完成だ。後頭部が三つ編みのおかげで華やかだし、項はすっきりしていて涼しげな様子。がちゃ、とリビングの扉が開いた音がしたことから安室も着付けを終えたのだろう。
「行こうか」
「――は、はい」
現れた安室の浴衣姿はとても様になっていた。黒灰色の浴衣に白い市松模様の帯がきゅっと腰を締め付けている。普段とまた違った大人の色気が彼から放たれていて、それだけでの心臓はばくばくと五月蠅くなった。彼と視線を合わすことが出来なくてそわそわと違う所を見てしまう。
同じように、のことも色っぽいと思ってくれてはいないだろうか、と下駄を履く際にちらりと彼を盗み見してみるけれど、彼の表情はいつもと変わらない。
安室はいつもそうだ。がどんなに蘭たちからお洒落を教えてもらって実践しても、「似合っているよ」とは言ってくれても「可愛い」とは言ってくれない。一回くらい彼の口からそんな言葉を聞きたいと思うけれど、今回も聞けないのだろうか。少しばかり不服になっただったが、浴衣を着て2人で出かけられるだけでもデートのようで十分魅力的なのだから我が侭は言うまいと自己完結させた。
「あ、ちょっと待って」
「?」
からん、ころんと下駄を鳴らしながらマンションの廊下を歩き始めた所だったが、ストップと安室に動きを止められる。の後ろに回った彼が何かを編み込まれた髪の毛に挿しているのが分かった。続いてカシャッと写真を撮る音が聞こえては首を傾げる。ほら、これ。そう言ってスマートフォンの写真を見せてきた彼に、綺麗、と声を上げる。編み込まれた髪の毛に挿さっているのは小さな花が連なった髪飾りだった。白いガラス製のそれはの黒髪には良く映える。
「可愛いよ」
「――っ!!」
耳元で小さく囁かれたその言葉に心臓が大きく跳ねた。不敵に笑って今日は特別、なんて言っての手を取って歩き出す彼に、は何も言えなかった。ただ、嬉しくて恥ずかしくて顔が熱い。まさか、ずっと求めていた言葉を貰えるとは思っていなかったから、心の準備なんて出来ていたわけでもなく、その言葉は深くの奥底に突き刺さって甘く疼く。不意打ちでの心を簡単に掻っ攫って行く彼に、ずるいと小さく呟いた。


 最初は下駄に慣れなくて上手く歩けない様子のだったが、安室が隣で手を繋いで美しい歩き方を教えてやったおかげで今はそこら辺の女性たちよりも綺麗に歩くことが出来ている。
やはり浴衣にして正解だった。そう思って、隣を歩く彼女をそっと見下ろす。三つ編みに編み込まれた黒髪に髪飾りが良く映え、そこから視線を下にずらせばぴん、と皺ひとつない襟から覗く彼女の白い項。百合が咲く浴衣を綺麗に着こなしている彼女は、いつもより大人っぽい。
浴衣のセンスは完全に安室の趣味だったが、彼女が気に入ってくれたようで良かった。少しばかり、レースやラメが入っている浴衣が良いと言うのではないかと危惧していたのだ。勿論、そんなものはあの呉服屋に売っていなかったし、元々そんなものを彼女に着せるつもりは無かったが。
――可愛いな。
先程、出かける際に彼女の耳元で囁いた言葉に顔を赤く染めていた彼女。今もその熱は引いていないらしく、電車で目的の駅に行き会場に着いてもまだ頬には朱が残っている。その上、ちらちらと安室のことを見上げるくせに安室が彼女を見やればすぐさま視線を逸らして耳を赤くして。始終手を繋いでいることが恥ずかしいのか、いつもより口数が少ない彼女に、ほらと前方を指差した。
「何がやりたい?」
射的や金魚すくい、輪投げ、エトセトラ。視界に広がる人の波とそこかしこにある店をに見せる。そうすれば、彼女は大人しかった様子から一気にぱあっと顔を綻ばせ、鉄砲のやつがやりたいですと言いだした。きっと、こういう祭りは初めてだったのだろう、物珍しそうにきょろきょろと周囲を見渡す彼女を射的屋に連れて行く。射的屋の主人にお金を払って、鉄砲を貰う彼女を後ろから眺める。目的の物を、取ってくださいと安室に頼むのではなく自分で取りに行くのが彼女らしくてつい笑ってしまった。
「あれ…?」
しかし銃は扱ったことがないのか苦戦しているようだ。彼女が狙っているのは棚の一番上にある小さな兎のアンティーク。たぶんこの店の中では一番高いだろうそれに目を付けたのは、海賊の性だろうか。何度も弾を撃ってもそのアンティークに当てることが出来なくて、彼女は唇を尖らせている。
、教えてあげるよ」
「え、安室さ――」
ふと、良いことを思いついて彼女の後ろから鉄砲を持つ手に自分の手を添える。銃の扱いには長けている安室が構え方を教えればすぐに取れるだろうと思って。勿論、彼女の身体に密着することで彼女が慌てる姿を見たかったというのもあるけれど。思った通り、安室がの手に自分の手を重ねて耳元で指示を出せば、面白いくらいに彼女の顔は赤くなっていく。
「腕を動かさないで狙いを定めて」
最早射的どころではなくなっている様子の彼女を至近距離から眺めて、安室はこっそりと笑った。今にもの心臓の音が聞こえてきそうだ。だが、これで取れなかったら可哀想だと思って、固まっているの代わりに安室が引き金を引いて、兎のアンティークを見事撃ち落とした。
「あ、ありがとうございます」
「どういたしまして」
店の主人から色んな意味で睨まれた安室はそんな視線をするりと躱して、真っ赤な顔をしているにその小さな兎を渡した。陶器で出来ているそれは店の照明が反射してきらきら光っている。大事そうに巾着にそれを入れた彼女に、次は何をしようかと当たり前のようにその手を引いて歩き出した。


 その後も金魚釣りをしたり、焼きそばやフランクフルト、かき氷などを食べたりして花火が打ち上げられるまでの時間を満喫していた。しかし、途中で携帯を落した男性に安室が拾って渡している間に、は人混みに流されていってしまったようで、2人は逸れてしまった。
こんな風に逸れるくらいなら携帯など拾わなければ良かった。隣にいない彼女に僅かに焦る気持ちが生まれる。また海に行った時のように男達に食べ物で釣られて連れて行かれそうになっていたら。あの時は安室が近くにいたから男たちを追い払うことが出来たけれど、今の彼女は一人だ。は力が強いわけでもないし、無理やり引きずられていくというのもあり得る。
彼女のスマートフォンに何度か電話をかけているが、それでも出ない。GPS機能でそう遠くない所にいるのは分かるが、これだけ人通りが多いと平均的な身長しかない彼女を見つけるのは至難の業だ。
「あの、一緒に来てる人がいるんで…」
「飯奢るって言ったら頷いてくれたじゃーん」
「ただの反射です」
だが、前方から聞きなれた声が聞こえた。だがその声は酷く不機嫌だ。その理由は彼女を囲む三人のチャラチャラした男たちのせいだろう。どうやら最初は食べ物に釣られかけたらしいが、安室を理由に断ろうとしているらしい。彼女の食に対する気持ちを知っている安室は少し嬉しくなった。
しかし、彼らに近付くにつれて彼女の手首を茶髪の男が掴んでいるのが見えて苛立ちへと変わる。彼女はそれを何とか振り解こうとしているらしいが、力が強くて逃れられないようだ。
「僕のに何か用ですか」
「あ?んだよ、お前」
咄嗟に出た言葉にしまったとは思うが、に誤魔化すのは後だ。彼女の手首を握っていた男の手から乱暴に彼女を奪い返して手を繋ぐ。この状況を見て何だと言える目の前の男の脳味噌の軽さに腹が立つことがあっても憐みはしない。
大学生かそれくらいの彼らは既に酒を飲んで酔っている様子。それで気が大きくなってこんなに突っかかってくるのだろう。酔っ払い相手に素直に対応する程親切ではない安室はの手を引いて去ろうとしたが、待てよと三人のうちの一人が安室の肩に手をかけ殴りかかってきたことによって溜息を吐いた。
――目立つのは避けようと思ってたけど、仕方ないか。
の手を放して、安室は振り向きざまにその男の腕を引っ張ってそのまま地面に背負い投げした。アルコールのおかげでそれだけで意識を飛ばした男に、他の2人は「何すんだよテメェ!」と襲いかかってきた。だがそれに慌てることなく一方の鳩尾に手加減した拳を入れ、もう一方の男の腕を背後で捩じり上げて安室は大人しくさせた。きっとこのまま放っておけば、そのうち周囲の者たちにも何かしら迷惑をかけていただろう。
「先に迷惑をかけてきたのは君たちだけど、一応治療費置いときますね」
腕や腹を抱えて呻いている彼らの前に財布からお札を取り出して置いておく。突然の乱闘に周囲の混乱を呼んでしまった安室は「すみません」と苦笑しての手を引いてその場から離れた。

 彼らからある程度離れてから大丈夫だった?とに訊けば、彼女はそれに顔を赤くしながら頷いた。安室が来るまでの彼女はとても不機嫌だったのに、今はしおらしい。きっと、先程つい洩らしてしまった「僕の」という発言に頭を悩ましているのだろう。最初は誤魔化そうかと思っていたが、これはこれで面白いからそのままにしておくことに決めた。頭の中が安室のことで一杯になっているを見ているのは、酷く気分が良いから。
――だが。ちらり、と先程男に捕まれていた彼女の手首を見下ろす。今安室が繋いでいる右手が、痕は無くともあの男に触られていたのかと思うと腹が立つ。
その手を掴んだまま持ち上げる。浴衣から白い腕が伸びる様が何とも魅惑的で。きょとん、としているは安室が何をしようとしているのかよく分かっていないようだ。腕を安室の顔の近くまで引き寄せて、彼女に見せつけるようにその手首にゆっくりと口付けをする。ぽかん、と固まって目を見開いている彼女の飴色の瞳を見つめながらちゅ、ちゅ、と何度も滑らかな手首に吸い付いたり唇で食めば、漸く意識を取り戻した彼女は茹蛸のように顔を赤くして「あああ安室さんっ」と震える声で叫んだ。
「消毒だよ。他にも触られた?」
「ど、どこも触られてないです!」
我ながらクサイな、とは思ったが羞恥のあまりに涙を浮かべる彼女にくつりと笑う。パニックになっている彼女に笑って、日本ではこうやって消毒するんだよ。なんて白々しく嘘を吐いて、混乱している彼女の右手と自分の左手の指を絡ませた。所謂、恋人繋ぎだ。それにまた顔を赤くして抗議の声を上げようとしただったが、とうとう花火大会が始まり、夜空に大きな音を立てて大輪が咲き乱れる。繋がれた手から、花火に意識を持って行かれたは「わぁ…」と感嘆の声を上げた。
綺麗。そう言って瞳の中に花火を映す。お前の方が余程綺麗だ。するりと出そうになった言葉を飲み込んで、安室は同じように花火を見上げた。きゅ、と小さく握り返された手からは、の「好き」という気持ちが溢れて伝わってきて、その期待に応えるように彼女の手を握る力を強くした。
――だけど。
「好き」なんて言葉はまだ言ってあげない。もっと、もっとが安室だけしか考えられないようになるまで、その言葉はお預け。
隣で花火と安室を交互に見ているの耳元で「僕よりも花火に集中しなよ」と囁いて、それに真っ赤になった彼女を見て小さく笑った。


君がいるから僕は世界にイエスと言ったんだ
2015/08/03
タイトル:ポール・エリュアール//リクエスト内容:初心な夢主の反応を見て楽しむ安室さん

◇あとがき◇
カヤさん、今回はリクエストありがとうございました!付き合ってるかいないかはお任せとのことでしたので、付き合ってはいないけど両想い(安室さんは気付いている)という設定です。あと、季節ネタを入れたいと思っていたので勝手に夏祭りを入れてしまいました(笑)この話を書いていてとても楽しかったです。なるべく狡い安室さんを目指してみたのですがどうでしょうか?ご期待に添えたか分かりませんが、楽しんでいただけたなら幸いです。では、またお越しくださいませ。

inserted by FC2 system