今日の夕ご飯はどうやら一人ぼっちらしい。安室から送られてきたメールを見て、ははぁと溜息を吐いた。
『ごめん。急に毛利先生に誘われて、飲みに行くことになったんだ。』
悪いけど冷蔵庫の中にある残り物を食べてくれ、という言葉で終わっているそれを見て、はそれなら断れないよなぁと思った。何しろ安室は彼の弟子にしてもらっているし、最近では当初よりもかなり彼に信頼されている様子。小五郎が一番弟子と一緒に酒を飲みたくなっても不思議ではない。
だけど、こう、相手が小五郎でも少しムカッとしてしまうのはの心が狭いのだろうか。彼に恋をする前は全くそんな風に嫉妬をするなんてことはなかったのに。
「まあ仕方ないよね。DVDでも見よ」
諦めの溜息を吐きだして、はリモコンでテレビの電源を付けた。どれにしようかな、と選んだ映画は最近知った海賊物の映画だ。剽軽者の海賊の男が、女に顔を引っぱたかれたり冒険していく中で仲間を見つけるという第一部の作品を安室と見てから、はこのシリーズの虜になってしまった。何と言っても彼女は海賊だから。それに、この男優の演技も中々面白くて好きだった。
『おい、ちょっと待てよ。俺はその金貨が欲しいだけ――っておい!あぶねェな!!』
「ふふ」
テレビの中で主人公の男が丸腰の状態で敵と遭遇して言葉だけでどうにか乗り切ろうとしているが、敵はそんなのお構いなしで丸腰の彼にカトラスで切りかかろうとする。それを寸での所で避けた彼を見て笑ってしまった。
ああ、面白い。そう思いながら昼間の残り物を食べる。美味しいと思う。
――だけど。
ちらりと視線を前に向けても、そこにはいつも一緒に食べている安室がいない。たった、一食共に食べないだけなのに。昼間に食べたよりもご飯は美味しくないし、映画だって面白くない。
――安室さんが隣にいてくれたらもっと美味しいし、楽しいのになぁ。
そう、どうにもならないことに溜息を吐きたくなるのを我慢して、はぱくりと料理を口に運んだ。


 夕食を食べ終わってからは皿を洗っていた。いつもだったらこういう後片付けは安室がやってくれているが、今日は彼がいないから仕方ない。それに家に帰ってきた彼に快適に過ごしてもらいたいから。
「ふんふん…」
最近よくテレビで聞く若手の女性歌手の歌を口ずさみながら、きゅっきゅっと皿を洗っていく。ザー、と泡だらけになった食器を水で洗い流して水を切った状態で食器置き場の上に並べた。後は拭くだけだ。
しかし食器を拭くタオルを持ってくるのを忘れていたようだ。洗面所に取りに行かねば、とリビングを出た所でガチャンと玄関の扉が開く。
「あ、安室さんおかえりなさい」
……ただいま」
しかし、扉から現れた彼は普段からは考えられない程顔を赤くして、壁に凭れかかっている。ちょっと大丈夫ですか、と彼に近付けば一気に酒の匂いが強くなった。これは相当小五郎に飲まされたのだろう。酒に強い彼がここまでふらふらになるとは、いったいどれだけ飲んだのだろうか。
彼が口にした酒の量に恐ろしくなりながらも、は彼の体調を確認することにした。
「気持ち悪いとか頭痛いとかありますか?」
「大丈夫。そんなに酔ってないから」
壁に凭れて一歩も動かない彼が心配になって、俯いている彼を下から覗き込めば彼はふふと笑った。その笑顔に素直な心臓は一つ跳ねる。いつもの大人びた、を翻弄するような笑みではなくふにゃりとした少年のようなそれ。酔っ払いに限って酔っていないとかそういうことを言うのに、はそれに反応できなかった。
――か、可愛い。
それなりに年が離れているのに、そう思ってしまう。
、ただいま」
「あ、安室さん!?」
その上、酔っているからだろうがにこにこと笑いながら、挨拶を繰り返してのことを抱きしめてきた彼に、大いに驚いた。彼の腕や胸板がぴったりとの身体にくっついて、その固さや温もりに心拍数が一気に跳ね上がる。顔まで熱くなってきて、「酔ってるんでしょう!」と彼の身体を押しのけようとするけれど、それを察した彼が益々腕の力を強めて彼女の肩に顔を埋めた。
はぁ、と首にかかる彼の熱っぽい吐息にぞくりと背中に何かが走ったのを気付かない振りをして、はひとまず彼をリビングに誘導して水を飲ませることにした。
「安室さん、靴脱いでください」
、良い匂いがする」
「お、お風呂入りましたから」
すんすん、との耳元に鼻を寄せた彼の言葉に、心臓が五月蠅く喚いた。何てことを言うんだこの人は。彼がまとう酒の匂いにとうとうまで酔い始めているのか、始終顔から熱が引かない。は、早く離れないと。だけど、彼は一向にを離さないし靴も脱がない。これではリビングに誘導出来ないではないか。ああ、もう。
「安室さん壁に捕まっててください。靴脱がしますから」
いつまでもこのままなんて耐えられない、と彼に指示を出すけれどはそれを次の瞬間後悔する。
「脱がすんだ…のえっち」
「ひっ」
耳元で囁かれた、彼の常より低い声に、思わず喉が鳴った。今までにない程心臓がばくばくと鳴り響いていて、限界だった。他意なんて全く無かったのに、勝手にそうやって解釈した彼に顔から火が出るかと思った。ふうん、と何やら意味深に頷く安室に「え、えっちって何ですか!!」とは叫んでその腕から抜け出し床に膝を付き、やや乱暴に彼の靴を脱がせた。彼が転ばなかったのが幸いである。
「酔っ払った安室さん怖い……」
「怒るなよ」
もう勝手にリビングに来てください、と思ってそのままがリビングに行こうとした所彼がぱしりとその腕を掴んだ。もうやめてほしい。この酔っ払った彼の行動のせいでは先程から心臓を酷使しているのに。だが彼は放す気など無いと、彼の目を見て分かった。むすっとした顔でこちらを見ているから。うう、もう仕方ないなぁ、
ほら、歩けますか?なんてが酔っ払いに対する態度を取っても、彼はああと素直に頷いての腕を握ったまま彼女の後をついて行く。何とかリビングのソファに彼を座らせて、は水を持って来ようと彼から離れた。
「はぁ……」
ばくばく五月蠅い心臓を落ち着ける為に台所の淵に両手を付き、息を整える。酒に酔っ払った安室があんなに性質の悪い男――の心臓を脅かすという点で――になるとは思ってもみなかった。
グラスにたっぷり水を入れてキッチンから出ようとした所、視界に入ったその光景には目を見開いた。
アルコールで身体が熱いのか、彼がベストもシャツも脱ぎ捨てていたのだ。彼の褐色の肌がリビングの少し暗めの間接照明に照らされて、何とも怪しい雰囲気の光景になっている。
「あ、安室さん服着てください!!」
「熱いから着ないよ」
ちらちら目に入りそうになる彼の裸体を何とか見ないようにする。船の上で男達の上半身裸など見慣れていた筈だったのに、どうにも好きな人の身体ではそうもいかないようだった。恥ずかしさのあまりに目を背けてソファに座っている彼にグラスを差し出そうとしたのが悪かったのかもしれない。
ぐいっと引かれた腕に驚く間も無く、は彼の膝の間に座らされていた。密着する腰に、頭が沸騰しそうになる。
「なななななにするんですか!!」
「早く帰ってに会いたかったんだ…。別に良いだろ」
の手からグラスを奪ってごくごくと水を飲みほした彼はそれをサイドテーブルに置いて、の身体をぎゅっとその腕に閉じ込めた。胸のすぐ下での腕ごと抱きしめてくる彼の男らしい腕。服がないことで背中ごしに伝わる彼の身体の熱が、意外に逞しい彼の筋肉が直に伝わってきて頭がパンクしそうだった。その上彼が会いたかったなんて嬉しいことを耳元で囁くから。はパニックでじわりと瞳に涙が張るのが分かった。
――死ぬ。死んでしまう。
羞恥と勘違いしそうになる程の嬉しさとで頭が弾けそうになる。だが、酔っ払った安室はの想像の遥か上を行った。
……」
「ひ…あ、あむろさん?」
抱きしめていたをぽすんとソファに押し倒したのだ。今まで彼に流されまくっていたも流石にそれは拙いと思って彼を押しのけようとしたけれど、彼の力には敵わない。
え、待ってやだやだ私たち付き合ってないのに。嘘、と混乱のあまりに涙が出てきたは彼が彼女の身体に覆いかぶさるようにして倒れたことで情けない悲鳴を上げた。
、おやすみ……」
「え……」
しかしの身体を下敷きにして抱きしめたまま、彼が発した言葉には固まった。首を曲げて彼のことを見上げてみたら、目を閉じてすやすやと眠っている。
ばくばくと耳元で心臓が早鐘を打っている音だけが、唯一聞こえる音で。は急に訪れた静寂に困惑した。だけど、これで良かったとも思った。
暫くして、漸く彼の腕の中から抜け出すことを諦めたはどうにか心臓を落ち着けて寝る体制に入ったのだった。


 ガンガン、と痛む頭に安室は意識を取り戻した。あまりの痛さに呻きながら、どうしてこんなに頭が痛いのかと思い出そうとすれば、昨夜小五郎からの飲みの誘いを断りきれなかった所、たらふく彼に飲まされたことを思い出した。
――ああ、だからか。ったく、僕がこんなになるまで飲むなんて。
本来であればこんなに酔っ払うことさえ、自分の正体が回りにバレることに繋がるかもしれないのだから許されないことなのに。はぁ、と溜息を吐いて何やら肌寒さを感じてすぐ傍にある温もりをぎゅっと抱きしめた。ああ、温かい。
「ん……」
眠気と頭痛でそんなに頭が働いていなかった安室は、その声と抱きしめたものの柔らかさにやっと覚醒した。
――どういうことだ。
目を開けてみれば、何故か自分は上半身裸でを抱きしめていた。すぐ傍にあるの寝顔に可愛いと思うも、安室は今までにない程困惑していた。
――まさか、酔った勢いで……。
考えうるその可能性に一気に顔から熱が引いていく。最低にも程がある。大体こういうことは順を追って進めていくことなのに。安室はまだに自分の想いさえ伝えていない。その上、安室は昨夜彼女と一体何をしたかなんて一つも覚えていなかった。
――嘘だろ。
にいつまでも眠っていてほしいと思ったのは、これが初めてだった。


あなたの香りに酔う
2015/07/05
「おはようございます、安室さん」
、本当に悪かった…」
「本当ですよ、昨日は大変だったんですからね」
「謝っても済む問題じゃないのは分かってる。責任は取るよ」
「責任?」
「え」
「え?」
この後無事に誤解は解けた。

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