蘭が園子と遊びに行っていてコナンと小五郎しかいない事務所で、小五郎はいつものようにテレビの競馬に集中していた。
そこに響くコンコン、とした控えめなノック。はぁい、と子供らしさを強調した声でコナンが出迎えれば、そこに立っていたのは安室透の同居人のの姉の方であった。
突然押しかけて――彼女は安室の助手だからここに来ることはおかしくはないだろうが――何やら安室の女性関係について探ってほしい、と言う彼女にコナンはいったいどういうことかと勘繰った。安室はバーボンであり組織の人間だ。そんな人間と一緒に暮らしている彼女が白ではないことは確かだ。それなのに、何故彼女は態々彼のことについて探りを入れてくれ、なんて頼むのか。
思わず目付を鋭くしてしまいそうになるのを何とか押さえて、コナンは彼女へと向いた。彼女に怪しまれてはいけない。何せ、彼女は敵側の人間なのだから。
そこで、相談に乗る振りをしてこちらから彼の情報を少し貰うことにした。
「安室の兄ちゃんと一緒に暮らしてるのに分からないの?」
「安室さんの友人関係とかあんまり聞いたことなくて…それに大抵は私と一緒にいるから」
怪しまれないように、あくまで子どもの疑問として。それを意識しながら彼女に問いただせば、予想外にも素直に答えてくれる。何だ、この情報は嘘なのか、それとも本当のことなのか。彼女が計算し尽くしてこの行動を起こしているようにも見えるし、今までの事件現場などでの彼女の推理力の無さを見るに彼女は助手にしてはアホのようだからこの行動も本当なのかもしれない。
まるでこちらの心を揺さぶる為に来たかのような彼女の言葉に、コナンはまんまと翻弄される。
「安室の兄ちゃんが女の人と歩いているのを見たことは?」
「ないかな」
「じゃあ誰かと連絡を取り合っていたりとかは?あと携帯の履歴」
「あ、同僚の女の人と話しているのを一度だけ。安室さんの携帯は触らないから知らないよ」
「話題に出る女の人は?」
「梓さんとか蘭ちゃんとかそれくらいかなぁ」
以前、彼女の妹からバーボンについて聞いた際に、金髪美女がそんな風に彼のことを呼んでいたという言葉に引っかかりを覚えていたコナンは誘導尋問のように彼女に問いかける。妹の言葉も嘘かもしれないが、安室がバーボンだと分かるようなことをわざわざ周囲の人物に話す程あの子どもも馬鹿ではないだろう。そう思っていたのだが、彼女が素直に“同僚の女”と言うことで、コナンは再び頭を働かせた。
十中八九、同僚の女は以前彼女の妹が言っていた金髪美女のベルモットで間違いないだろう。流石にそれ以上問い詰めると不振がられそうだから訊くことはしないが。ただ、あの時妹はシャロンと彼女を呼んでいた。もしかしたら、黒の組織の人物と知らないまま会っていたのだろうか。
その他にも聞いてみたが、それから得られる安室の情報は少なかった。どれもコナンが知っていることだったし、強いて言うならという人間が益々謎めいた存在になったというところか。黒の組織のメンバーならこうやってバーボンの情報を渡してしまうわけがないから。もしかしたら、彼女のアホな所は全て演技でコナンに情報を与えることでフェイクを仕掛けてこちらの様子を窺っているのかもしれないが。
――くっそー。
取りあえず、これだけの情報だと推理するにも出来ない。そもそもバーボンの女関係なんてコナンにはどうでも良いことだが。だが“友達のお姉さん”に頼まれた依頼を断れる筈もない。仕方なしにポアロに行って安室から直接訊いてくることにした。とんでもなく気分は乗らないけれど。
「こんにちは」
「ああ、いらっしゃい。コナンくん」
にこっと笑顔を貼りつけてポアロに入ると、丁度安室が出迎えてくれた。窓際の席に案内してくれた彼に従ってそこに腰を下ろす。何かジュースでも持ってこようか、と言う彼に「じゃあオレンジジュースが良いな〜」と返す。すぐ質問だけして帰るつもりだったが、それだと何でそんな質問をしたのかと不振がられるだろうから。
「はい、オレンジジュース」
「ありがとう!」
コナンのオレンジジュースを持ってくる前に、店の中にいる多くの女性客が彼を呼んで注文や小話をしていた。それにラッキーとコナンは目を光らせる。どうやら見た感じどの女性も安室に多少の好意を抱いていそうだ。
ねえねえと好奇心旺盛な子どもを意識して、去って行きそうになる安室を見上げる。
「安室の兄ちゃんはすっごいモテるんだね。彼女とか好きな人っているの?」
「何だい?コナンくん、急に」
はは、と笑った安室だったが、コナンがその質問をした途端周囲の物音が一切しなくなった。皆が一斉に耳をすませているのだ。おいおい、こいつは組織の人間だぞ。なんて思うも、彼女たちはこの優男がまさかそんな危険人物だとは夢にも思わないだろう。
「恋人も好きな人もいないけど、大切な人ならいるよ」
「へぇ〜、それって誰?」
「子どもの君にはまだ早いかな」
「ちえ〜っ」
にこにこ笑って安室の言葉に頷くけれど、一番肝心な所は教えてもらえなかった。この男の演技力なら今の言葉ももしかしたら嘘かもしれないが、コナンは直感的にそれはないだろうなと考える。“大切な人”と言った時の彼の瞳が予想外に優しいものになっていたから。コナンから目を逸らして窓の外を穏やかに見やる彼の横顔。それは、その大切な人物を脳裏に追い浮かべているからか。 組織の人間が大切に思う程の人間、ね。
じゃあ、仕事に戻るよと言ってウェイターとして周りの女性の対応をしていく彼をちらりと横目で見る。女性たちは先程の彼の言葉でガンガン攻めていくことに決めたらしい。メラメラ闘志を燃やしている彼女たちの目にコナンは呆れる。この店に来る女性は肉食系ばっかりか。コナンはずずっとオレンジジュースをストローで飲みながら、さてどうしたものかと考えた。
 適当に時間を潰してジュースを飲み終わり、コナンは事務所へと帰ってきた。ジュース代は事前にが渡してくれたので大丈夫だ。
「…単刀直入に言うけど、恋人も好きな人もいないけど大切な人はいるって」
だらだらと核心を後伸ばしにするのは面倒な為、思い切ってコナンはにそう伝えた。その瞬間、すっと瞳を虚ろにさせてぽかんと何もない宙を見つめる彼女。どことなく、魂さえ抜け出しているようにも見える。
それに少しばかり心配になって彼女に声をかけてみるけれど応答がない。本当に魂が抜けたようだった。
お姉さん!お姉さん!!」
「え、あ、コナンくん………」
大きな声で彼女を呼んだ所、漸く意識が戻ってきたらしい。あ、ああ、とぼんやりしている彼女が依頼の件で礼を言うと同時に彼女の目元がキラリと光る。どうやら相当ショックを受けたらしい。どうにも、今の彼女の様子から察するに、彼女は本当に彼のことが好きなようだった。
「もう、帰るね…お菓子は早めに食べてね……」
「え、ああ、うん…」
ふらふらとソファから立ち上がる際にガンッと机に脚を打ち付けたにも関わらず彼女はそのままふらふらと事務所を出ていく。その際にもあちこちにガツンゴツンと何かをぶつけている音がしたが、彼女の声は聞こえない。傷みさえ感じられない程動揺しているのだろう。
――何だか俺が悪いことしちまったみてーじゃねーか。
そう思うのは、彼女の様子があまりにも茫然自失としていたせいだ。そう、俺は悪くない。彼女が知りたくて知っただけなのだから。それに、その大切な人に彼女が含まれている可能性だって、ゼロじゃない。


 ポアロのバイトが終わって家に帰った所、はいなかった。どうやら出かけていたらしい。組織の連中が彼女と接触しないか気になる所だが、彼女の動向を毎日調べているのでは監視しているのと変わらない。少し心配だが彼女を縛りつけたくもない安室は、スマートフォンで彼女が今米花町内にいることをGPSで確認して、一先ず夕食を作ることにした。しかし、その際に彼女からメールが来ていることに気付いて開ける。
――今日は夕食いりません、か。
どうやらたまたま高木刑事たちと会ったらしい。たち、という所が気になるが食事に誘われたという彼女に帰っておいで、なんてことは言えない。
今日の夕食は一人か。なんて、そういえばがこの世界に来てから初めてのことに、安室は内心もやもやしたものを感じた。もしかして、これは寂しいという気持ちなのだろうか。子供の頃、大好きだったある女性の微笑みを思い返した。あの時、遠くへ行くと彼女が言った時も、胸に同じようなものが込み上げた気がする。
「はぁ…ったく」
そんなことを考えていたからだろうか、がいないというのにいつも通り彼女の分まで料理を作ってしまった。多く作り過ぎた料理を自分一人で食べられる筈も無く、タッパーに詰めて冷ましておいて後で冷蔵庫に入れようと思った。
「………」
広がる静寂。もぐもぐと自分が咀嚼する音だけが、広いリビングで聞こえる唯一の音で。安室の前にはいつもいる筈のがいない。彼女がいたら、きっとこの料理の感想を言いながら食べてくれるのに。美味しい、美味しいと微笑みながら。
 いつもより静かで、味気ない夕食を終えた安室は皿を洗い終って時計を眺めた。この一時間で一体何度時計を見上げただろう。既に時計は21時半を指している。彼女が高木たちと食事に行くとメールで送ってきたのは18時。良い加減帰ってきても良い時間帯なのだが。
しかし、彼女はあれでも成人しているのだ。いつもは、常識知らずで安室の手を焼かせることが多い為、年齢より幼く見てしまうことはあっても、彼女はれっきとした大人の女だ。そんな彼女に帰ってこいと言うのはどことなく憚られる。だって、彼女を縛り付けられるような関係でもなんでもない。だが、心配なものは心配で。安室はスマートフォンを乱暴に取っての名前を押した。
プルルルル…。何度か無機質な音が続く。いつもなら、彼女は3コール目までには出る筈なのにいつになっても出ない。ついには留守番サービスになってしまい、安室は終話ボタンを押して苛立ちのままソファへとスマートフォンを投げつけた。
「落ち着け」
いつになく苛立っている自分に、ソファへと寝そべって目を閉じる。きっと、話が弾んで気が付いていないだけだ。ソファに跳ね返って床に落ちたそれを拾って腹の上に置いた。
目を瞑ってから暫く経っていたらしい、はっとして目を開いてGPSで彼女の現在地を確認すれば、ファミリーレストランからどこかへと移動している。暫くして漸く止まったのはビルではなく一軒家で出来た小洒落たバーだ。酒まで飲むのか。彼女の酒癖の悪さを思い出して彼女が外で醜態を晒す前に助けてやろうと思ってまた電話をかけるが、彼女は出ない。
二度も、僕の電話に出ないなんて。今まで従順だった彼女の思わぬ反抗に苛立ちが募る。何でこんなに僕が心をかき乱されなくちゃいけないんだ。メールでそれとなく早く帰っておいで、と送ってみるけれどそれにも勿論返事がある筈はなく。安室は何度目か分からない溜息を吐いた。
 経済事情の解説番組を見ていても、安室の頭の中にはちっとも入ってこなかった。それもこれも全部が安室の電話にもメールにも返事をしないからだ。23時を過ぎた頃になって、安室はとうとうソファから立ち上がった。
――もう、我慢できない。
ジャケットを羽織ってスマートフォンと財布、必要最低限の物だけを持って家を出る。こんな時間になるまでには彼女が戻ってくるだろうと思っていたが、予想に反して彼女は帰ってこなかった。
車に乗り込んでエンジンをかけて彼女の現在地を確認した。バーからはまだ動いていない。安室のマンションからそこまでは飛ばして15分といった所だ。警察に捕まらないように見極めれば大丈夫だろう。
常よりやや荒い運転で目的地まで走る。高木には確か恋人の女性がいたから大丈夫だろうが、一緒にくる者が女か男か分かっていないのだ、もし男でが酔いつぶれてお持ち帰りなんてされて一線を越えたら、と思うと虫唾が走る。きっと、自分に妹がいたら同じように思っただろう。何しろ兄は妹のことを大事にするとどこかの本で読んだことがあるから。
目的地のバーには駐車場がないから、仕方なく一番近いコインパーキングに止めて、安室は足早にバーへと向かった。隠れ家的な雰囲気のその店の扉を開けて中を見渡す。すると、カウンター席で2人の男女に挟まれてカウンターに伏せっているを発見した。
――良かった。脱いでない。
あの2人は高木と佐藤だ。高木の連れが佐藤だったことに安堵しながらも、安室はそっと彼らに近付いた。
「あら、この子寝ちゃったわ」
「どうしましょうか、ちゃんの家分かりませんしねぇ」
「ご心配なく。僕が連れて帰りますから」
寝てしまったを見て、どうしようかと話している2人に安室は背後からにっこりと微笑んだ。それに2人とも驚いたらしい。佐藤は連絡もしていないのに安室がここに来たことに疑問を発するし、高木は慌てたような顔をしている。安室は何ということでもないようにGPSですよと彼らに返す。
23時も過ぎて帰ってこない同居人を心配した故の行動。そう思わせれば、特に問題はないだろう。それに高木は納得したようだったが、佐藤はじとりとそんな安室を睨み上げる。
「この子のこと振ったなら、そんな思わせぶりなことしない方が良いんじゃないの?」
「え?」
監視しているみたい、と言われるのかと踏んでいた安室は予想外の言葉に目を丸くした。それに何故か訊いた方の彼らも「え」と目を点にする。
――僕がを振った?
身に覚えのない言葉に眉を寄せる。
「あっ、あー!今のは冗談よ!アメリカンジョーク!」
「そ、そうですよ!あはははは。やだなぁ、安室さん冗談が通じないなんて〜」
咄嗟に誤魔化そうとして笑い出した2人を見た安室は「そうでしたか」と笑い返しながらも、昼間の出来事を思い出していた。急にコナンが店に来て、安室を呼ぶ沢山の女性たちを見たからだろうが「好きな人はいないの?」なんて訊いてその後ふらりと帰ってしまった。そして、ここで浴びるように酒を飲んで泥酔している。カチリ、と今まではめることが出来なかったパズルのピースがあるべき場所に収まった気がした。
「…では、がお世話になりました」
「え、ええ」
の様子から相当カクテルを飲んだことは分かったので、それに見合う分の紙幣を置いて彼女を背負って店を出る。背負う際に見た彼女の目元は赤く腫れていた。痛々しい、と思うが先程の佐藤の発言と昼間のコナンの質問。それらから導き出されるのは、彼女を泣かせたのは自分だということ。あの時コナンには、なぜか嘘を吐こうという気持ちはなかった。全部真実だったが、流石にその人物まで言う気は無かったが。きっと、それで彼女は勘違いを起こしてあんなに自棄になって酒を飲んでいたのだ。
肩の上にこてんと乗っている彼女の頭からはふわふわと甘い酒の匂いが漂っている。安室も匂いだけで酔ってしまいそうだった。
――は、僕のことが好きなのか。
駐車場に着いてやや倒した助手席に彼女をそっと乗せる。思えば、彼女の反応は安室に気があるようなものばかりだった。安室はそれを初心だから、だとか兄や友人に対するような愛情なのだろう、と思っていたがどうやら違ったらしい。否、そうであってほしいと思っていたから、気付かなかったのか。他の女からの視線の意味なら、すぐに分かるのに。扉を閉めて、運転席へと回り座る。
夜の米花町をぼんやりと眺めながら、安室はキーを差し込む気にはなれずにを見た。暗闇の中で街の光にぼんやりと照らされる彼女の顔。
――こんなに泣いて、飲んで。馬鹿だな。それでも、愛しいと思うのだ。
、起きて」
とんとん、と彼女の肩を数回叩いて彼女の意識を覚醒させる。まだ半分夢の中にいるようだが、「あむろしゃん?」と彼の名を呼んだに、安室はゆっくりと顔を近づけた。
、一度しか言わないからよく聞くんだよ」
「ひゃい…?」
ぼんやりしているのとけそうなくらいに潤んでいる飴色の瞳を見つめて安室は口を開いた。
――僕の大切な人は、だよ。
そっと、静寂に溶け込ませるように囁いた安室に、は徐々にその言葉を理解したのか目に涙を溜めた。
考えなくても分かるだろう。だって、あんなにも安室の為に動いて、傍で色んな顔を見せてくれる。あの時、安室は確かに「が望むなら、絶対に助けに行くよ」と彼女と約束したのに。以上に大切な女なんて、いやしない。だけど、だけど。
「あむろさん、わたし、あむろさんのことが、す―」
「――それ以上は言ったら駄目だよ。僕と一緒にいたいなら」
――好き。そう言いかけた彼女の口を手の平で覆って、安室はに微笑んだ。だが、今の自分は本当に上手く笑えているだろうか。彼女の潤んだ瞳に映る自分の眉間には皺が寄っている気がする。目を見開いて固まっている彼女からそっと手を放した。
なんで、と囁き涙を流す彼女に何でもだよと言う。安室の言葉が理解できないのか、いやいやと首を振る彼女。
――言ってはいけない。聞いてはいけない。
ああ、分かってほしい。その言葉を安室が聞いたらもう、2人の関係は今までとは変わってしまう。安室は2人の間に変化が訪れるのが恐ろしかった。のことは勿論大切だ。慈しみたいし、愛したい、守りたいと思う。だが、一度彼女をそういう目で見てしまえば、いつか終わりがやって来る。安室が求めているのは永遠だ。刹那ではない。
安室は彼女とそんな簡単に壊れる関係になりたくはなかった。いつまでも傍に、家族のように友人のようにいてくれればそれで良かった。だから、彼女の言葉は聞けない。聞いてはいけない。今の、この関係を壊したくないなら。
「あむろさん、なんで、なんで…」
「――大切だからだよ。、分かって」
暗い車内で、ぼろぼろと涙を溢すを抱きしめて、安室は彼女の耳元でお願いだから分かってくれと囁いた。今までにない程、狂おしい心を抑えつけながら。自分が残酷なことを彼女にお願いしているのは分かっている。だけど、の「好き」だけは聞いてはいけない。聞いてしまえば、いずれを失うから。

――明日には、彼女はきっと全て忘れている。


恋より確かなものがほしい
2015/07/03
変化を望む女と不変を願う男の話。

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