今回、の世界から自分の世界へと帰ったら、彼女から離れよう。
は条件を忘れて自分がいなくても安室が一人で元の世界に戻れると思っているようだが、それは違う。きっと、彼女がいないと安室は元の世界には戻れない。だから、彼女をまた自分の世界に連れて行くことになる。
でも、それでもすぐに彼女の世界に帰させるつもりだった。出来ないことはないだろう、一日に一回しか世界を飛べないなんて決まりは多分無い。だから、早くから離れないと。
「でないと…」
――情が移る。手放せなくなる。
ベッドに横たわって、隣の部屋で眠っている彼女を瞼に描く。の幸せは、この世界でしか得られない。安室の世界で、自分が世界に馴染めないことに途方に暮れ、泣いていた彼女。また、そんな思いをさせたくない。
それに、安室には変えられない優先順位がある。あの町に来たのは、組織の人間としてやらねばならないことと、個人的な恨みからある男の生存を確認するためだった。
彼女がいたら、邪魔になる。彼女が僕の足を引っ張る。彼女に僕の正体が露呈する。彼女が組織に目を付けられて、僕の情報が漏れる。きっと、危険な目にも遭わせる。そう、いくらでもお互いの不利益は挙げられるのだ。
――たった、少しの間だけだと思っていた。彼女が元の世界に戻る間だけ、彼女を匿い利用してやろうと。それなら後腐れもないし、お互いに良い影響だけで終わる。そのつもりだった。

『だって、何も出来ないし、寧ろ汚して…』
『安室さんの料理すごい美味しいです!』
『安室さん、今日は海に連れてきてくれてありがとうございます』

だけど、いつの間にか絆されていた。徐々に懐くようになった彼女に、少しばかり疑念はあったが悪い気はしなかった。何しろ、が頼れる人間は安室しかいないから。だけど1カ月共に過ごすことが、こんなにも自分に影響を与えるとは思ってもみなかった。これ以上、自分に影響を与える彼女と一緒にいることは出来ない。は、このまま傍にいたら必ず安室の弱点になる。それは避けなければならなかった。彼女の存在が、安室の足枷となる。それは、一番在ってはならないこと。
――だから、次の新月の日に君とはさようならだよ、
決意して、ぐっと眉間に皺を寄せた。たった1カ月。君と一緒にいた日なんて、すぐに色褪せて消える。君を恋しく思う日だって、あっという間に無くなる。


そう、決めたのに。その決意は数日後、彼女によって覆された。
それは、この間の事件。安室に向けられた銃口に彼女が身を挺して彼を庇った。倒れた彼女を、右肩に銃創を残した彼女が起きた時の泣き顔を見た瞬間、もう駄目だった。あの時点で安室は完全に絆された。
――彼女を愛しく思ってしまった。
馬鹿だ。こんなことになるなら、最初から彼女と出会わなければ良かった。そう思っても遅い。もう、彼女との出会いは消せないし、何より安室自身がそれを消したくなかったから。
不安はある。組織にの存在を知られてはいけない。彼女に自分が行なうことを知られてもいけない。彼女を危険な目に曝せても駄目だ。
だけど、離れがたかった。単純に、彼女と離れるのが嫌だった。海賊の娘なのに、見た目はまるでそこら辺にいる町娘となんら変わりが無い。心根も、素直で単純で、ちょっとアホな所が憎めない。だからだろうか、彼女の在り方が安室を離れがたくさせる。
海賊だから、とかは関係ない。ただ、目の届く範囲に彼女がいてほしかった。
、持つから貸して」
「別にもう痛くないですよ」
ディライラに頼まれた買い物をする最中、この世界の食べ物はまだよく分からないからとに着いてきてもらったのだが、八百屋から野菜が入った袋を受け取る彼女からそれを奪う。
にこにこ、と本当に銃で撃たれたことなんてなかったかのように笑っている彼女を見ると、安室は安堵すると同時に罪悪感に苛まれる。
ただ、彼女を利用しようとしたこと。彼女の身体に傷を残してしまったこと。彼女をもう、手放せないと思ってしまったこと。その全部に対する思いは、彼の正直な気持ちだった。
きっと、は次の新月で安室とはお別れだと思っている。安室もついこの前まではそう思っていた。だけど、気持ちが変わった。だって、がいない生活を想像する方が、難しかった。安室の世界に来たら、もう帰らせられないだろう。いつも隣で美味しそうに料理を食べる彼女の顔がもう見られなくなるなんて、許せない。
もう、後戻りは出来ない所まで来てしまったのだ。もう手放せない、否、手放さない。
隣で次は魚屋さんですね、と微笑む彼女に目尻を柔らかくして見下ろす。
――、次の新月に僕は君を奪うよ。君の家族から、まるで海賊のように。
家族から離されて、また泣くだろうか。もう彼女の世界に帰す気がないことを知ったら、安室を恨むだろうか。だけど、その代りに守るから。僕の傍にいてほしい。


 言い訳だってちゃんと考えていた。の気持ちを考えて、神経を逆撫でしないようなとびっきりの殺し文句を。だけどそれは使わなくても良かったようだ。
満面の笑みで浴槽に立つ安室へと飛び付いてきた。彼女が飛び付いた衝撃で安室は後ろへと倒れ込んで湯の中に沈んでいく。その中で、重なった彼女の心臓が早鐘を打っているのが分かった。
しかしすぐに意識を手放したを、安室はぎゅっと抱きしめた。違う場所に飛ばされないように。彼女がこの腕の中からいなくならないように。
温かい水から徐々に冷たい水になって、安室は苦しさから息を吐きだした。広く暗い水中にいることが分かったが、どうやらちゃんと床があるらしい。それに安堵して水中から頭を出す。あんなに力一杯彼女を抱きしめていたというのに、何時の間にかいなくなっていた彼女。辺りを見渡してもいない。
まだ、水中か。水を吸って重たくなった服で、水をかき分ける。彼女の姿は見えない、だが彼女がどこにいるのかは何となく分かった。
ザブッと水中に潜って、彼女を発見した。ふわふわと水中で目を閉じている彼女。だけど、安室が近付くと意識を取り戻して水中にいることに驚いて身体が沈んでいく。
ここが海でなく小学校のプールで良かった。溺れている人間はパニックになって助ける人間も沈めてしまう。だが、ここは足が着く場所だ。彼女の身体を掴んで水上へと上げれば彼女は噎せながらも安室の身体にしがみ付いた。それに思わず笑ってしまう。
パニックになっているを宥めてから、彼女を運ぶ。背中越しに伝わってくる彼女の熱が愛おしい。
「安室さん、ただいま」
「おかえり、
へへ、と笑う彼女に微笑みを返す。彼女との距離はゼロ。非日常から離れて、ありふれた日常へと帰ってきた。その日常の中に彼女が含まれていることが、こんなにも安室の心を満たしてくれるなんて、多分君は知らない。

――知ってるかい、。僕がおかえりなんて言う相手は、君しかいないんだよ。


君の手を放せない僕を許して
2015/04/05
短めでかなり甘い(当社比)。恋ではないけど親愛の情。

inserted by FC2 system