海水浴へ出かけた翌日、何やら安室は朝から用事があると言って出かけて行ってしまった。しかも、今日は何があっても家から出ないように、と言い残して。彼は昼までに帰って来れそうにないから、どうやらは一人で昼食を食べなければいけないらしい。
――レンジでチンして食べてね。卵はチンしちゃ駄目だよ。
なんて出かける前に笑っていた彼が懐かしい。もうすぐ昼だから、昼になったら彼が作っておいてくれたドリアを後で食べよう。いったい彼は何をしているのだろうか。米花百貨店へ行くと彼は言っていたが、そこで何か事件でも起きるのだろうか。
コナンたちの話によると、がこの町に来る前からコナンたち少年探偵団は色々な事件に巻き込まれてきたらしくて、少し心配だ。この世界では一般人による人殺しが毎日当たり前のように起きている。元の世界では悪事を働くのは大抵悪い海賊や犯罪者たちだったが、どうやらこの世界では違うようだった。
ピッとテレビを付けて、少しばかり溜まった洗濯物を干していく。漸く洗濯機の扱い方にも慣れてきて、安室がいなくても自分一人だけで洗濯機を回すことが出来るようになったのだ。因みに、家事は分担制にして料理や片付け、部屋の掃除は安室で、洗濯物やお風呂場などの水回りの掃除はが担当している。
ふんふん、と鼻歌をしながら洗濯バサミでタオルを挟んだ。船の上で家族たちの大量の下着を洗って干していた為、安室の下着も何の感慨も抱かずにてきぱきと干していく。さて、外に干そうかと重いバスタオルを数枚持ってベランダに出ようとした所、焦ったようなリポーターの声がテレビから聞こえた。
『――今入った情報です。どうやら米花百貨店の中に爆弾を体に巻き付けた男がいるようです』
空中から見慣れた米花百貨店を映しているテレビに目が釘付けになる。安室は、その建物の中にいる筈だ。
リポーターがその他の情報も色々言っているが、それどころではない。スマートフォンの画面を触って安室に電話をかける。しかし大事な用の最中だからだろうか、電話に出ない。
「ええ…安室さん大丈夫なの…?」
と違って安室は普通の人間だ。運動神経はとても良いようだが、爆弾が近くで爆発したら簡単に死んでしまうだろう。が傍にいれば外的な攻撃からは身を守ることは出来ただろうが、今は彼の傍にいない。
やきもきした状態でニュースを見続ける。そこに、電話の時とは違う音がスマートフォンから鳴った。電源を付ければ手紙の絵が浮かび上がっている。
「あ、めーるだ」
メールが手紙のやりとりのような物だと教えてもらっていたはそれを開く。メールにはが読みやすいように、平仮名で「だいじょうぶだよ」と一言だけ書かれていた。何が大丈夫なのかは分からないが、が電話をかけた意味を瞬時に把握してメールを送ってきてくれた彼は凄い。
安室のことだから頭の良さを活かして爆弾の男と交渉でもしているのかもしれない。こういう時、海軍に所属している能力者がさっさと犯人を捕らえてくれれば市民は安心なんだろうなぁと思った。と海軍は敵対関係にあるので、あくまで市民の目線からだが。
とにかく安室が大丈夫だと言っているから洗濯物を干して昼食を食べよう。そう決めて、はベランダへ出た。


 がちゃり、と玄関の扉が開く音と共に「ただいま」と安室の声が聞こえる。時刻はもうすぐ夕方だ。
「ちょっと、安室さん。大丈夫だったんですか?」
「ああ、爆弾は偽物だったしね」
手を洗ってリビングに来た安室は洗濯物を畳んでいるに笑いかける。偽物の爆弾だったという事実に何だと溜息を吐く。周囲を騒がせた犯人もとんだ良い迷惑だ。
夏にも関わらず黒っぽくて暑そうな服装をしていた彼はそれを脱いでハンガーにかける。
「はいこれ、安室さんの分です」
「ああ、ありがとう。今ご飯作るから待ってて」
自室に戻ってラフな服に着替えようとする彼に、畳んだ洗濯物を渡す。それを受け取った彼は暑かった、と呟きながら洗濯物を持ってリビングを出る。暑い、ってあんな恰好していたら暑いに決まっている。それなら半袖で出かければ良かったのに、あの服装じゃなきゃいけない理由があったのだろうか。
「そう言えばドリアどうだった?初めて作ったんだけど」
「美味しかったですよ」
ラフな服に着替えてエプロンをその上に身に着けた彼が、台所に立つ。黒のエプロンをして冷蔵庫から野菜を取り出している彼の姿は様になっていた。
あれで初めてだったのか。凄い美味しかったのに驚きだ。彼の言葉に、彼の料理の才覚を改めて感じる。その後、ちゃっかり安室の分のミートソースを食べてしまったのを彼に発見されて「だろうね、僕の分が無くなってる」と笑われた。彼が今晩の献立を考えている間に、テーブルの上を綺麗にしていくことにしたは布巾を水で濡らした。
「ホッケがあるから今日は和食にするよ」
「はーい」
手際良く野菜を切って炒めている間に魚をグリルで焼く安室。香ばしい匂いにもうすぐ出来上るだろうから、とご飯を二人分の茶碗に盛り付けてテーブルに並べる。その頃には彼も料理を作り終えて味噌汁やきんぴらごぼうに、ホッケをテーブルに置いた。
いただきますと手を合わせて食事をする。ん、きんぴらごぼう美味しい。その最中に、安室が口を開いた。
「僕なりに推理してみたんだけど、たぶんがこの世界に来たのには月が関与しているんじゃないかな」
「月?」
彼が言うには、が安室の部屋に現れたのは丁度新月の時だったらしい。思い出してみれば、マルコに風呂まで追い詰められたのは昼頃だったから元々月は見えなかったが、その前夜の月は爪の先のようにほっそりしたもので、もしかしたらこの世界に飛ばされた当日は新月だったかもしれない。
ということは、悪魔の実の能力者であると能力者を拒絶する水、そして両方の世界で新月が重なり合った日を繋ぎ合わせれば元の世界へ帰れるかもしれない、ということだと安室が説明する。それに、は成る程と頷く。
「そして次の新月は丁度5日後…」
「もしかしたら…」
「ああ、100%ってわけじゃないと思うけれど、チャンスはあるんじゃないかな」
ぱくぱく、と夕食を食べながら進められる会話には目を輝かせた。安室は凄い。には考え付かないようなことを簡単に考え付く。まあ、彼の推理も偉大なる航路では何が起きても不思議ではない、という前提条件を出してしまえば意味も無くなってしまうが、彼の言うことが正しいのではないかと彼女は思った。


 そして5日後の夕方。小学校でコナンたちにもしかしたら明日からイギリスに帰るかもしれない、ということを伝えてから帰ってきた分身を消す。平日にもかかわらず今日は依頼を受けていなかった安室は、元の世界に帰れるかどうかは分からないが帰れたとしても家族の下とは限らないから、とおにぎり弁当を作ってくれていた。
小さなリュックにそれを入れて風呂場へと向かう。既に湯は張られていて準備万端だ。
今日は特別だということでサンダルを風呂場で履くことを許可されたはそのまま湯船に足を入れる。
浴槽の淵に座り込んだ安室を見下ろした。たった数週間の付き合いだったが、彼にはとても世話になった。突然現れたに衣食住を提供してくれたり、ホームシックにかかったを慰めてくれたり、海に連れて行ってくれたり。一緒にいた期間は家族と比べたら本当に短いけれど、はその間に安室のことを一人の人間として好きになっていた。は彼のことを兄や友人のような存在だと思っているが、安室はどうなのだろうか。だが、彼に訊いてみて友人なんかじゃないと言われた暁には暫く凹む自信があったので、訊かないことにした。
「安室さん、今までお世話になりました」
「まだ帰れるかどうか分からないけどね。気を付けて」
ぺこり、とお辞儀をしていつもと違って顔が下にある彼を見つめると、彼は少し寂しくなるねと呟いた。「寂しい」ということは彼は私を認めてくれていたということだろうか。嬉しくなって、へへと笑えば「これで大分食費も減るけど」と冗談交じりで安室も微笑んだ。
「じゃあ、安室さんお元気で」
「ああ、もね」
最後に握手をして、湯船の湯を抜くために栓を引き抜こうと腰を屈めた。ポン、と抜けば湯が排水管に流れていく感覚がする。それと同時にの身体も吸い込まれていき、身体がぐらついた。
「うわ!」
「ちょ!?」
何かに縋りつきたくて咄嗟に腕を伸ばせば安室の服を掴んでいた。そのせいで安室までお風呂に落ちていく。彼の服を握ったまま排水管に流れていく感覚がして、は意識をブラックアウトさせた。

――ぴちゃん、と雫が落ちる音がする。ゲホゲホと身体に入っていた水を吐き出す自分の声に意識を取り戻した。
温かい湯の中で力抜けている自分の足が目に入る。ううんと濡れて重くなった頭を正面に向ければ、大浴場の中で同じく浸かっていて、丁度目を覚ました安室と目があった。
しいん、と2人の間が静まり返る。きょろきょろと周囲を見渡した彼は頭痛がするのか頭を抱えた。
「すみません、安室さんも連れて来ちゃいました」
「勘弁してくれ…」
気まずい空気を壊すようにへらりと笑えば、彼ははぁ…と大きな溜息を吐いた。
――新月の夜、モビー・ディック号ではないどこかの大浴場にて、また1カ月は安室と共に過ごすことが決定した。


08:「さよなら」の寂しさを返してよ
2015/06/18
※9-12話は少しクロスオーバー的要素有(キャラとは直接的に関わらない)

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