きゃあきゃあと騒ぐ高い声と、と何度も自分を呼ぶ女たちの声には重たい瞼を持ち上げた。そこに映るのは一糸纏わぬ金髪・黒髪の美女が数人。あれ…。ぼんやりと何も考えることができないは、以前であれば毎日顔を合わせていた彼女たちを見て、「ここどこ?」と呟いた。
、あなた急に現れるから吃驚したのよ!」
「ナタリー!もう出るならマルコ隊長とオヤジ様に伝えて!が帰って来たわよって!」
「分かったわ!キャシー、の服をお願いね」
「ええ、今持ってくる!」
その途端ナースたちの姦しい声に包まれて、は漸くここがモビー・ディック号の女風呂であることを理解した。自分が裸で湯船に浸かっていることから、は嘘!!と遅れて慌てた。今帰ってくるつもりなど全く無かったのに、どうして帰ってきてしまったのか。もしかして、今日は新月だったのか。そこではっと思い出す。は風呂に入った時、少しばかり居眠りをしてしまったのだ。もし、居眠りしている時に足が間違って湯船の栓を抜いていたら、こうして自分の世界に戻ってきてしまったことも分かる。
「ど、どうしよう!!」
「どうもしないわよ。今日は朝まで宴になるわ!!」
慌てるに対してにこやかに話すのはナースの中でも特に仲良しのロザラインだ。力が抜けた状態のの手を引っ張って立ち上がらせた彼女は、そのままを脱衣所に連れて行っての部屋まで洋服を取りに行ってくれたキャシーから受け取った服とバスタオルを渡す。
「ねえ、もしかして皆に会えるのに嬉しくないの?」
「そ、そんなことないよ!!すごく嬉しい!」
だが、今すぐにでも安室の世界に帰りたくてそわそわと落ち着きが無いにロザラインの表情が陰る。それを見て、は咄嗟に笑った。彼女を悲しませたくないから。それに彼女がほっとしてそれなら良かったと微笑む。その笑みを見ての胸はずきりと痛んだ。でも、どうすれば良いんだろう。
間違って帰ってきてしまったとは言っても、既にこの情報は白ひげやマルコから周囲に流れているだろう。特に1番隊の者たちはのことを殊更可愛がってきてくれたから、何も言わないで帰るなんて出来そうにない。
「伝えてきたわ!が出て来次第宴よ。サッチ隊長が今日は腕によりをかけてパフェを作るって!」
「ありがとう、キャシー。良かったじゃない!あなた、サッチ隊長のパフェ好きだったわよね」
がらり、と扉を開いてやって来たキャシーとそれに応えたロザラインの笑みを見て、は覚悟した。1カ月だけ、船にいよう。
――安室さん、私のこと待っててくれるかな。
うん、好き!と彼女に微笑めば彼女はじゃあさっさと髪の毛を乾かして行きましょう、とを急かす。それに分かったってばと笑っては急いでタオルを手に取った。

 久々に歩くモビーの廊下に変な感じと思いながら、白ひげたちが集まっている甲板に向かう。身体に当たる潮風も、揺れる船体も久しく感じていなかったものだ。以前までなら、それが当たり前だったというのに。安室と過ごすうちに陸にいることが当たり前になってしまっていた自分に気が付いた。
道行く男たちと擦れ違う度に、「おかえり」だとか「お前いつの間に帰って来たんだよ」と声をかけられる。それに一つ一つ返事をしながら甲板へと歩く。着いた先には白ひげが船首に座りこんで既に酒を煽っていた。
!!」
「マ、マルコ隊長!」
ふっと笑った白ひげに意識を向けていた彼女は自身を呼ぶ声に顔を右に向けた。そこにはどことなく怒っているような、安堵しているようなマルコがいて。はそれを見た瞬間鼻の奥がつんとした。
心配かけさせやがって。そう言う彼に乱暴に頭を撫でられる。それが、彼なりの「おかえり」だということは分かっていた。だから余計に目頭が熱くなって。俯きながらすみません、と謝ればあの時どれだけ吃驚したか分かってんのかよいと彼が溜息を吐く。
「まァ、無事で良かった」
「マルコ隊長、お酒勝手に飲んですみませんでしたぁ……!!」
ぐしゃぐしゃに掻き混ぜられた髪の毛を彼に梳かれて、ほっとしたような笑みで見下ろされてしまえばとうとう涙が溢れだした。安室の世界に行ってしまった当初に抱えていた罪悪感を彼に懺悔すれば彼はもう良いよいと水に流してくれたようで。ぐすぐすと泣くに今までこの様子を見守っていた白ひげが「宴だ、野郎ども!!」と大きな声を張り上げる。
その瞬間、わあっと歓声が上がって用意されていた酒瓶をぶつけ合って飲み始める男達。次々に慌てた様子のコックや手伝いの者たちの手によって運ばれてくる沢山の料理にげらげらと笑いながら談笑をしている。
はそれを見て漸く帰って来たのだと実感した。安室の家もにとっては帰る場所だけれど、この船もやはり彼女にとってはかけがえの無いものだ。
!見ろ、サッチ隊長特製の巨大パフェだ!」
「わあ〜!サッチ隊長、ありがとうございます!」
1番隊の男たちがわらわらとのもとにやって来て囲まれる中、金髪リーゼントの男、サッチが大きなパフェを持って来てくれての目の前にどんと置いた。美味しそう!喜んで彼を見上げれば、どかりと隣に座った彼に久しぶりに会ったお前へのプレゼントだと筋肉質な腕で首を絞められた。サッチ隊長、苦しい。そう思ったが彼との付き合いはがこの船に乗った時からなので10年以上も経つ。そのことからこういう時は何を言っても聞こえないと分かっている彼女はべしべしと彼の腕を叩く程度にしておいた。だって、彼がとても嬉しそうだから。
「いただきまーす!」
「おう、どんどん食えよ!お前良く食うからなァ」
「食いすぎて太るんじゃねぇよい」
スプーンでパフェの頂点にあるチョコレートの王冠をアイスと一緒にすくって食べる。口の中に広がるカカオの味にバニラが混ざって絶妙な味加減だ。流石サッチ隊長。そう思って彼に美味しいですと言えばそうだろうと彼は嬉しそうに笑う。彼の横では部下から渡されたビールに口を付けたマルコがじろりと呆れたような瞳を向けてきたけれど大丈夫。運動すれば太らない筈。
、お前もうこの船にずっといるんだよな?」
「え?1ヶ月であっちの世界に戻ります」
パフェに夢中になりながらも、1番隊の男たちに訊ねられた彼女は当初の予定を彼らに伝える。その瞬間、この場の、というよりは1番隊の男たちが集まっているここだけの空気がぴしりと冷え固まった気がした。あれ、何だろう。
パフェからを囲む中年の男たちにちらりと視線を向けてみれば、彼らは真顔と無言という圧力をにかけてきていて。それに思わず視線を逸らした。もしかしたら言葉を間違えたのかもしれない。
「何でだよ?お前、モビーで暮らす為に戻ってきたんじゃねぇのかよ」
「えっと、その…」
「何かお前、前よりもきらきらしてねぇか?」
「いや、そうですか…?」
じろりと幼い頃から世話になってきた彼らに睨み付けられているはたじたじになりながらも言葉を探そうとする。何でと言われたら、勿論好きな人があちらの世界にいるからなのだが、それを兄や父同然の彼らに言うのは憚られた。どうしてこんな場所で大々的に片思いをしていることを言いふらさなくてはいけないのだ。
しかし、安室の世界に行く前のと今の彼女の違いを敏感に感じ取った男たち。きらきら、それはにとっては全く分からなかったけれど、もしかしてこれが恋をすると女の子は綺麗になるという魔法なのだろうか。
それを感じ取った彼らに拙いと思って咄嗟に誤魔化そうとするけれどそのうちの一人が恐る恐るといった様子で口を開いた。
「もしかして、お前……あっちの世界で男が出来たんじゃ…」
「ち、違いますよ…!!」
信じられないといった表情でを見た彼に心臓がどくりと跳ねる。当たらずとも遠からず、といった鋭い言葉にそれを否定するも、じゃあそのペンダントは何なんだよともう一人の男から突っ込まれる。それに驚いて首元に手を伸ばした。ああ、そうだお風呂に入る時に外し忘れてこのままこちらの世界に戻ってきてしまったんだった。
「お前、いつもならアクセサリーも宝石も見てるだけで満足してたよな」
「それにそんなお洒落な爪なんてしてなかっただろ…」
徐々に疑惑を確信に変えつつある彼らに、は降参した。蚊の鳴くような声で「はいそうです」と頷けばこの場だけしいんと静まり返る。白ひげや他の隊の者たちは盛り上がっているのに、どうしてここだけこんなに冷え冷えとしているのだろうか。隣にいるサッチやマルコも彼らを制止してくれる様子はないし、どうにかは一人で乗り切らないといけないのだろう。
「恋人じゃないんですけど…まぁ、その……」
「好きなのか」
「――は、はい……」
どうしても好きという言葉を彼らに告げるのが恥ずかしくて言葉に詰まっていれば、今まで静かだったサッチが助け舟を出してくれた。それに頷けばマルコが「ああ、もしかしてあの男かよい」と何かに気付いた様子で呟くので多分彼が想像している人物で合っていると思って頷く。でもあれ?何時の間にマルコ隊長は安室さんのことを知ったのだろう。
この雰囲気に耐え切れずにパフェへと視線を戻してばくばくと口の中に入れていけば、少しばかりこの嫌な雰囲気が薄れたような気がした。実際は気がしただけなのだが。
「まぁ…振られちゃったんですけどね…」
「……」
この場の空気を変えたくてあははと笑って冗談めかしてみるも、彼らから反応はない。もうこの話にはこれ以上突っ込まれないということなのだろうか。それなら良いのだが、とちらりと彼らに目を寄こしてみれば、彼らは額に青筋を浮かべて殺気立っていた。やはり何か言葉を間違えたらしい。


 よぉ、とエースに声をかけてきたのは白ひげ海賊団の中でも比較的若い年齢で16番隊隊長を務めるイゾウ。既にシャワーを浴びていたのかいつものように髪を結い上げているわけではなく、ゴムで一つにまとめているだけで着物を着崩している。その手には彼愛用の煙管とワインの瓶が一本あり、ぐび…とそこから直接ワインを飲んだ彼は機嫌良さそうにふっと笑った。
「で、1番隊の姫さんはどうだ?」
「おー、見ろよアイツらの顔。が男に振られたって分かった途端ああだ」
姫、というのはの今の状態を揶揄しているのだろう。純粋なお姫様という意味であれば、彼女も嬉しかっただろうに。甲板の中心よりやや離れた場所で1番隊の中年の男達に囲まれている様子のを眺めていたエースは彼の彼女がいる方向を顎でしゃくる。彼女の話を聞いて殺気を漲らせている様子の彼らには苦笑いしか出てこない。顎をしゃくった先を辿って彼が視線を寄こしてみれば、「あいつら…いい加減子離れしろよ」と呆れたように煙管から吸い込んだ煙をふうっと吐き出す。エースは煙くせぇなと思いながらも本当だよなと頷いた。
彼らの心境は共感できないけれど、きっと自分たちがこれだけ可愛がってきた娘――あるいは妹のような存在の彼女がどこの誰とも知らない男に振られたという話を聞いて腹が立っているのだろう。必ずしも全員がそうとは限らないけれど。彼女の問題なんだから放っといてやれよ、と思わなくもないがそんなことが出来るなら今頃彼女はあんなにしどろもどろな様子で彼らに話していないに違いない。これはもし相手の男がこの世界に来たら相当大変だな、とエースは他人事のように分厚いハムステーキにフォークをぶすりと刺した。
「あいつらホント過保護だよな…」
「ああ。あいつら、のことをいつまでも子どもだって思いたいのか知らねぇけど、あれじゃだって可哀想だ」
イゾウとは違いむしゃむしゃと料理にばかり手を付けるエースの隣に腰を下ろした彼は、少し離れた所にある輪の中心に視線を向ける。どうやら彼女は彼らに根掘り葉掘り失恋話を聞かれているらしい。それに不憫だと思う。エースはここ数年の間の彼女たちしか知らないけれど、彼らはいつも彼女の周りに鉄壁を巡らせて他の男たちとの不純な接触を出来る限り無くそうと奔走していた。そのおかげでナンパやストーカーという被害に一度も遭っていないことは良いことなのだろうが、告白どころか恋愛の「れ」の字も彼女が経験せずに育ってきたのは間違いなく、彼らの責任だ。今回相手の男に振られたのだって、きっとあまりにも経験が少なくてどうすれば良いのか分からなかったからだろう。
彼らにとっては陸に残してきた妹や娘代わりの存在だからだろうか、どうしても彼女にはいつまで経っても純粋な子どもでいてほしいという願望が強いらしい。それは、彼らの身勝手なお願いにすぎないのに。彼女はもう立派な大人だ。
「ま、アイツら俺たちが何言ってもやめねぇだろうがな」
「だろうなァ」
全てを悟った様子のイゾウにエースは頷いた。可哀想だが、本当にその通りなのだ。それを分かっているからマルコやサッチも彼らを止めることが出来ない。否、彼らの場合は1番隊の男たちと同じように多少なり同じような感情を抱いているからかもしれないが。彼女は一人で彼らをどうにかしなければならないのだ。
自分よりも1つ年上である筈なのにいつまで経っても子ども扱いされているに、可哀想な奴だなァとエースは一人呟いた。


71:泣くんじゃないよおばかさん
2015/09/12
タイトル:モス

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