守の証言によって事情聴取を始められた3人の男たち。アパートの中に一人ずつ目暮に呼ばれて入っていく為、たちは事情聴取を聞くことができないのだろうか、と慌てていたが流石はコナンである。彼は高木のスーツのポケットに探偵バッジを忍び込ませていたらしい。これで事情聴取が聞けるというわけである。
「あ、コナンくん?」
「ん?」
先程本体が沖矢にこの事件のことを相談していたことを伝えておこうと彼に近付く。彼は探偵バッジから聞こえる事情聴取に耳を傾けながらも、の話はちゃんと聞いてくれるようだった。
「あー、お姉ちゃんが心配して沖矢さんに話しちゃたんだけど、大丈夫だよね?」
「ああ、別にかまわねーよ。昴さんは何て?」
「コナンくんならもう謎解きは終わってるかもしれませんね、って」
元太たちにも聞こえても良いように本体のことをお姉ちゃんと呼んで、なるべく小さな声で話す。いつの間に連絡したんだと騒がれると面倒だから。メールで聞いたと言えば良いのだろうが、万が一履歴を見せろなんて言われたら困るし。コナンは沖矢からの言葉を聞いて、ふっと笑った。その笑みはもう推理を終えているということだろうか、それともまだ推理中なのだろうか。
「まあ、大体はな。あと少しでこの事件の全体が分かる…」
「そっか、それならちゃんと聞かないとね」
まだ刑事たちがやって来て3人の男たちと話し始めてからそう時間は立っていない筈なのに、もう彼はこの謎解きを粗方終えているようで驚いた。きっと今までの彼らの会話で彼のヒントになることがあったのだろう。は全く気付かない所に目ざとく気付いて推理をしていくのだから彼は凄い。
安室もきっと彼のこういう所を見て興味を抱いたのだろう。
「あ、そういやさっきあの子と話してたよな」
「え、ああ、うん守くんね」
「守くん、な。分かった」
一度探偵バッジ越しの事情聴取に意識を戻した彼から質問されて一瞬首を傾げただが、彼が視線で守を指していることが分かったので彼のことかと頷けば彼はそれで納得したらしい。スマートフォンを取り出して何かを調べ始めている。いんたーねっとか。最近も少しパソコンに手を出してみたけれど、日本語で調べたい時はローマ字で打ち込まなくてはいけないのが意外に難しくてまだまだ発展途上の分野だ。
インターネットとやらで頭を悩ませていたを放って、目暮たちの会話に加わり始めた彼が高木に「2万円貸してくれる?」という訳の分からないお願いをしている彼。思わずは吃驚して高木と同じように目を点にしてしまった。


 サングラスと帽子を身に着け、車で伊達の墓場に向かう。安室は駐車場に車を止めて、誰にも付けられて来ていないことと、周囲に知り合いがいないことを確認して歩いた。墓参りのつもりはないが、一応彼の墓場にやって来たので、彼の命日の時と同じように新しい爪楊枝を持って。きっと今頃安室が添えた爪楊枝は雨風に吹かれてどこかに消えているか、彼が使えるような状態ではないだろうから。
砂利を踏む音が響くのを聞きながら歩む中、安室は彼の墓の前に花が添えられているのを発見した。数日前に添えられただろうその花は少し萎びていたけれど、誰かがこの花を添えたのなら次回その人物が来る時まで置いておいた方が良いのだろう。安室が来たことが分かるような可能性は出来るだけ潰しておくべきだ。
――もういっそ爪楊枝一本ではなく爪楊枝の箱ごと置いてやろうか。
そうすれば伊達も好きな時に爪楊枝を取り換えられるから。脳裏でそんな安室に大量の爪楊枝を置くんじゃなくて他の物も持って来いよと笑いながら怒る彼が浮かんだ。何年も前のことなのに、警察官学校時代の彼の顔が思い浮かぶのだから、彼の顔は相当濃いのだろう。
「伊達、いつもの」
小さく呟いて剥き出しの爪楊枝を置く。きちんとした墓参りが出来なくて悪いな。静かに佇む彼の墓に心の中で謝る。サングラス越しに、そっと彼の墓石を見つめた。
――なぁ、伊達。お前だったらどうしてた?
いつも暑苦しかったあの男。見た目通りに熱血で肉食系で、安室とは腐れ縁のような仲だった。一度も安室が彼に敗けなかったことで彼は良く安室に絡んで来ていていたから。口では文句を言いつつも、彼と過ごすのは楽しかった。今思い出してみると、あれは正しく青春だったのだろう。
伊達が安室だったら、と付き合っただろうか。付き合わない彼も、付き合う彼の姿も両方想像できてしまう。どちらにしても、彼は律儀で仲間思いな性格をしているから彼女に心を痛めそうだけれど。
「今度は酒を持ってくるよ。じゃあな」
長時間この場に留まるのは良くない。その為安室は5分もしないうちに彼の墓前から離れた。本当はもう少し彼と話していたいとは思うけれど、仕方ない。誰かに警察関係者だと知られるわけにはいかないから。
行きと同じように砂利を踏みしめて駐車場へ戻る。運転席に乗り込んで、キーを差し込んだ。車を運転しながら、彼は数時間前に琉生に言われた言葉を考えていた。
『それに降谷さん、その子にちゃんと恋してる気がするんですけどね』
彼女に抱くこの思いが恋か、否か。琉生の見立てでは安室は彼女に恋をしているらしいが、それでもやはり彼は違うと思った。否、違わなければならない。仮にこの想いが恋だったとしても、それは彼女を危険に追いやることしか出来ないから。黒の組織にスパイとして潜入している安室が、もしも、万が一公安であったと知られた際に恋人がいると組織に知られたら彼女は格好の餌食になる。同居している段階でも組織にしてみれば十分価値はあるだろうが、同居している赤の他人ならまだ線引きが出来るし、彼女の安全はまだ保障できる。
だからこれは恋ではなく、友愛や家族愛のようなもの。を抱けるか、とか彼女に欲情したことはあるのかと訊かれたら勿論答えはイエスだ。彼女は不器量ではないし、無防備な所を見せられれば男としては来るものがある。寧ろそうでなくては病気だろう。だが、傷付けたくないから抱きたくない。“抱ける”のと“抱きたい”のでは違うし、それと同じで抱きたいという気持ちと恋愛における好きも違う。大抵の男なら好きという感情がなくても女を抱くことは出来るから。だから、自分のこの想いは恋ではないのだろう。
――恋なんかじゃないんだよ。
安室はそう結論付けてマンションへの帰りの道を走った。


 どうやら、分身の視界を覗いていたことからコナンたちが無事に事件を解決したことが分かった。それにほっと一息吐く。高木から2万円を借りて千円札で輪っかを作ったりしたのは楽しかったらしい。だが、自殺を他殺に見せかけてまであの3人の男たちの罪を告げた女性のやり方は少し許せなかった。おかげで、守はせっかく出来た友人を亡くして一人になってしまったのだから。
時刻はそろそろ夕方だ。今日はもう工藤家から帰って夕食の準備をしておこうか。そう思ってエプロンを外していつも使っている椅子にかける。
「沖矢さん、帰りますね。お邪魔しました」
「ええ、お気をつけて」
一応合鍵は持っているが、彼がいる時は挨拶をしてから帰り、その後彼が鍵を閉めるということが習慣になっていたはいつものように彼がいる書斎へ行き、ノックをしてから彼に声をかけた。玄関まで見送りに来てくれた彼にぺこりと頭を下げる。じゃあ、また。そう彼に手を振れば、彼もまた今度と微笑んでくれた。だけど、は何故かその時、彼のその笑みを暫く見れないような気がした。
――何か、変なの。
そう思いながら帰路に着く。きっと、コナンたちが事件に巻き込まれて精神的に落ち着かなかったからだろう、と思いながら。
いつも通りの帰り道に子どもたちの笑い声や母親たちの会話や子どもを呼ぶ声。ぼんやりとそれを聞きながら、空を見上げれば夕暮れで雲が赤く染まって徐々に紫色に変わってきている。夏であるとは言っても、夕方になればもう残暑も無くなりつつあり涼しささえ感じ始めるこの時期は、すこしばかり寂しさを感じさせた。
だけど、そんな気持ちもきっと安室の顔を見れば無くなるだろう。そう思って、は帰路を急いだ。


 家に帰って来た安室は玄関にの靴が綺麗にそろえられているのを見て、先に帰ってきていたのかと気付いた。靴を脱いで洗面所に行き手を洗う。その際、お風呂が既に湧いているのを見て夕食よりも先に風呂に入りたくなった。臭いに敏感なに臭いと言われてしまいそうだし。まあ、まずは彼女にただいまを言わないと。
「ただいま」
「おかえりなさい」
リビングの扉を開けば、キッチンから彼女の声が聞こえる。どうやら夕食を作っているらしい。安室の帰りが遅かったからだろうが、気を利かせて準備をしていてくれた彼女に感謝した。キッチンに赴けば、エプロン姿をしたが安室の顔を見て微笑む。しかし、冷蔵庫からお茶を取り出そうとした安室に、彼女の眉は怪訝そうに少し寄った。
「あれ?安室さん…もしかして煙草吸いました?」
「ああ。やっぱり分かるんだ。まぁ、一本だけだよ」
「いつもは吸いませんよね?」
「たまたまそういう気分だったんだ。もう吸わないよ」
安室が喫煙者だったか思い出そうとしている彼女に彼は苦笑した。が今まで見てきた通り、安室は一度も煙草を吸った事など無い。今回が特別だったのだ。
だって、ほら。鼻先で微かに香る彼女の桃の匂い。勘違いだったのだろうかと思う程に微かに香るそれを、もっと近くで確認したくなる。もっとその香りを感じたくて彼女のうなじに鼻をすり寄せたくなるから。
思わず抱きしめたくなる衝動を抑えて、安室は彼女に笑った。そうすれば、彼女はまだ時間かかるから先に風呂に入ってきてはどうかと勧めてくる。
「ありがとう。一人で大丈夫?」
「大丈夫ですよ。ごゆっくりどうぞ」
鍋の中でぐつぐつ音を立てている野菜スープをかき混ぜながら安室に口元を綻ばせる。それなら大丈夫か。安室はそう判断して風呂に入ることにした。

 が作った夕食を食べて、彼女に風呂に入ることを勧めた安室は食器を洗っていた。二人分の食器をスポンジで擦りながら、段々と彼女の料理の腕が上がってきていることに満足する。安室が教えているから当たり前だろうが、教えたら教えた分だけ吸収していく彼女は飲み込みが早い。きっと彼女は自分が料理下手であると思い込んでいた故に料理が出来なかったのだろう。そんなことを考えていたらあっという間に皿は洗い終った。
手を拭いて、食後のコーヒーを飲む為に湯を沸かす。少ししか薬缶に水を入れていなかった為、すぐに沸騰しだす水。それをコップに注いでリビングのソファに座る。テレビをつければ、毎週やっているドラマが最終回なのかいつもより長い時間で放送されているらしい。確か、このドラマに出ている女優が可愛くて好きだ、とが言っていたなと思った安室はそれを暫く見てみることにした。
普段からそれをきちんと見ているわけではないが、の話から聞いていた為何となく話の筋は分かる。感動的なクライマックスを迎えたそのドラマ。
「ふわ…」
まあまあ面白かった。そう思いながら欠伸をして時計を見れば時刻は22時。それに眉を寄せる。おかしいな、が風呂に入ったのは20時。普段から大体1時間程度の入浴時間の彼女が2時間も風呂に入っているなんて。何だかんだでドラマに集中していた安室は彼女が風呂から上がってこないことに気が付かなかった。
風呂から出てきたらは必ず、安室よりも風呂に入ったのが後先などを関係なしに「出ましたよ」とリビングに顔を覗かせるのに今回はそれがない。ということはまだ彼女は風呂に入っていることになる。
――溺れてやしてないだろうな。
能力者は水に浸かると身体から力が抜けると言うし、彼女が風呂の中で居眠りをして溺れているという可能性もある。時々抜けている彼女がそんなことをやらかさないとも限らないので、安室はそれを確かめにいくことにした。何にせよ、こんなに出てくるのが遅いのはおかしいだろうと思って。
閉じられた洗面所の扉をノックする。
、起きてる?大丈夫?」
しかし、彼女からは返事がない。それどころか水音もしなければ彼女の気配すら感じられない。それに、ざわりと胸騒ぎがする。?もう一度呼んで、もし中に彼女がいたら殴られることを承知で扉を開けて入る。
「おい、――」
しかし、そこには誰もいなかった。ぴちゃん、とシャワーノズルから一滴床に落ちた雫の音がやけに大きく聞こえる。白色の電気の光が、お湯が抜け落ちて空になったバスタブを空虚に浮かび上がらせる。どこにも、はいなかった。いない、消えた。それに目を見開く。
ばっと傍にある椅子を見やれば彼女が脱いだ服と着る筈だった寝巻がきちんと置かれている。風呂場に入って確認してみれば、バスタブの栓が抜かれていた。
――まさか。
濡れた足の裏のことなど気にする余裕なく荒々しく歩いてリビングにあるカレンダーを確認する。今日の日付けを見やれば、そこには小さな新月のイラストが乗っていた。ぐっと拳を握りしめて窓を開けて外を見ても、そこに月は一欠けらも見えない。
――嘘だろ。
あまりにも突然消えてしまったに、安室は唇を噛み締めることしか出来なかった。


70:静かに光の尾を引いて、消えてしまえばおしまい
2015/09/02
タイトル:モス

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