季節はもう夏。ミーンミーンと蝉が外で五月蠅く喚いている。この鳴き声を聞くだけで体感温度が2℃位上がっているような気がした。
暑さからぐたっとソファに寝転がっているを安室が「シャキッとしてくれよ」と言うけれど、こんな暑さの中でシャキッとしているのはレタスだけで良いとは思った。そもそも、クーラーを付ける程の暑さでもないし身体に良くないから、と扇風機しか回してくれない彼が悪い。そんなことを言ったら彼に小言を言われるのは分かりきっていたので口にすることは無かったが。
ピッと安室が付けたテレビでは海水浴の客たちが海辺で寝そべったり海の中で遊んでいる様子が映されている。
それを見た瞬間、はがばりと身を起こした。
「安室さん!海行きましょう!海!!」
「今からかい?まあ依頼も入っていないし良いけど」
「やった!!」
テレビにびたっとくっ付いて海を凝視するに安室は苦笑した。もう長らく海を見ていなくて恋しく思っていたのだ。船に乗っていたら毎日海を見られたけれど、今はずっと陸地にいる。常々海に行きたいとは思っていたが、何だかんだで安室は依頼やらで暇ではなさそうだし、平日は分身を学校へ行かせなくてはならない。丁度今日は祝日で安室にも仕事が入っていないことからは提案したのだった。
じゃあ、仕度してすぐに行こうかと言う彼に頷く。水着は現地の店で買えば良かろうということで飲み物やお弁当を作っていく安室。は彼の指示に従って納戸からテントを取り出して玄関に置き、日差しを直接肌に当てないように水着の上から着る二人分のパーカーを用意して鞄に詰め込んだ。
お弁当と言っても簡単におにぎりにしたからか、そう時間が経たないうちに準備を終える彼。
「車出してくるから鍵閉めといてくれるかい?」
「はーい」
昼食やその他諸々の荷物を持って先にエレベーターへ向かう安室に返事をして、部屋の鍵を閉める。電気も消したしオーケーだ。最終確認として扉を引けばガチャンと鍵が閉まっている様子なので、は彼を追う為に階段で一気に下まで駆け下りて行った。

 クーラーが効いた涼しい車内の助手席でラジオから流れてくる洋楽を聞く。今から海へ向かうのかと思うとわくわくしてきて、ずっと座っていることが耐えられない位そわそわしてしまう。
前を向いているのにそれに気が付いている安室がくすりと笑った。
「そんなに海が好きなのかい?」
「はい、だって海賊はいつも海の上で暮らしてるんですよ」
ずっと陸上での生活をしているなんて普通なら考えられないことだ。海賊が海を恋しく思うのは当たり前。そういったことを彼に力説する。それに安室は相槌を打ちながら正確なハンドル捌きをしていた。
この世界の海にはどんな魚がいるのだろうか。小学校で見た図鑑では鮫や鯨は勿論いることが分かったけれど、それ以上に大きい魚はいないのだろうか。よく船の男達が鮫やそれ以上に大きい魚を釣って食べていたなぁ、と思い出す。
「鮫いたら釣って食べましょうね」
「普通の人だったら鮫がいる時点で逃げるだろうね」
横で運転している安室にどうやって調理しようか、と持ちかければどうやらの感覚はこの世界の普通の人とは少し違うようだった。何だ、鮫程度なら釣ってしまえばどうにでもなるのに。海王類だとには難しいが。
おかしそうに笑う安室に首を傾げて、それなら何の魚なら釣っても大丈夫なのだろうかと思いを巡らせた。
 それから2時間弱車を走り続けて着いたのは伊豆の白浜ビーチだった。地理が分からないは伊豆がどこなのか分からなかったが、地図でこうやって移動してきたんだよと安室に教えられると、大分車で走ってきたのだと分かった。
地元では海水浴の客の為に水着が売っている店がそれなりにある為、そのうちの一つに入って水着を物色することにする。女性用の水着は沢山の客が訪れているからかあまり種類は豊富ではないようだ。奇抜な色の水着が残っている中で、白という無難な色で胸元に大きなリボンが付いたシンプルなビキニを発見し、はそれにしようと決める。別れていた安室を探しにいくと、彼はまだどれにするか悩んでいるようだった。お洒落好きなのは良いと思うが、としては彼が悩んでいる2つの水着はどちらも同じように見える。
「右にしましょうよ」
は早く海に入りたいんだろうけど、もう少し待って」
どちらでも良いからさっさと決めてほしくて適当に右にしようと言えば、の考えを読み取っている彼はその提案を一蹴した。
それから10分後、漸くあれこれ分析をしていた彼が左手に持っていた水着に決めてレジへと向かう。その途中でが能力者である故にカナヅチだと知った安室は大きな浮き輪を2つ手に持って会計に加えた。この店では水着を買った客は試着室で着替えてそのままビーチへ向かうことが出来るサービスになっているらしく、会計を済ませた水着を持って試着室に入る。そして2人ともさっさと水着に着替えて持って来ていたパーカーを上から羽織って店を出た。
「似合ってるよ」
「安室さんもね」
水着に着替えたを見下ろして安室が微笑む。も長時間悩んで買った末の黒地の水着が安室に良く似合っていると思ったため、同じように褒めておいた。
ぺちぺちとビーチサンダルの軽い音を響かせながらビーチへの道を歩く。車から持ち出した重い荷物は安室が持ち、お弁当や飲み物が入ったバッグはが持った。
足裏がコンクリートの道路から砂へと変わったのを察知した途端、ゆるゆると口元が綻ぶ。
――海だ!!
大勢の人が楽しんでいる先に、青く透き通った水が見える。元の世界ではないけれど、故郷に帰ってきたような気持ちになってだっと駈け出した。
!」
「はいはい!!」
後ろで安室のを呼ぶ声が聞こえる。きっと遠くに行くなということだろう、と適当に返事をして海まで一直線に走った。ざざん、と砂浜に押し寄せる波に手を当てれば冷たいと感じると同時に少し身体から力が抜けていく。
早く荷物を置いて海に入ろう。そう思って、後ろにいる筈の安室を振り返る。ええと、どこかな。きょろきょろと視線を動かせば、何やら綺麗なお姉さんたちに囲まれている彼を発見した。
――安室さんモテモテじゃん。
美女たちに囲まれて困ったように笑っている彼を見て、にやにやしてしまう。後でからかってやろう、と決めて荷物を置く場所を探そうとするも、その前にぽんぽんと肩を叩かれた。
「ねえ、君一人?」
「良ければ酒とか焼きそば奢るけどどう?」
何だと思って後ろを振り返れば、日に焼けた二人組の男達がにこにこ笑ってを見ていた。
――初対面でいきなり食べ物をくれるなんてあの時のお兄さんみたいだなぁ。
この世界にはこんなに優しい人がいるのか、と思ってはいと頷く。きっとが海賊の娘だと知ってしまえば彼らは逃げていくのだろうけれど、奢ってくれると言っているのだ。ついでに安室の分まで買ってもらおう、と彼らに付いて行くことにする。
しかし、それを阻むようにぐいと肩を誰かに抱き寄せられた。
「僕の連れに何か用ですか?」
「あ?んだよ、男がいたのかよ」
「じゃあね」
とん、と軽く肩にぶつかった体温に見上げれば、そこには男たちを面倒くさそうな顔で見ている安室がいた。突然現れた彼を見ると、男たちは肩を竦めて去っていく。ああ、親切な人たちが…。には大量の焼きそばと酒が手を振って去っていくように見えた。
「ナンパくらい断らないと後で面倒だよ」
「ええ…でも焼きそばが…」
「焼きそばくらい僕が買うから」
去っていく焼きそばと酒の男たちを名残惜しそうに見つめるに、安室が呆れたように溜息を吐く。ナンパだろうが何だろうがタダで美味しい物を食べられるチャンスを逃したは食べ物だけを貰うつもりだったのだとごねる。そんな言葉通りにしか受け取らなかった彼女を見て、そこら辺の女たちとは違った意味で性質が悪いと安室が思ったことは余談だ。
に奢るなんて、僕が止めてなければ今頃彼らの財布はすっからかんだろうね」
「そうですね!」
2人でテントを立てながらけらけら笑う。安室の言う通り、は彼に止められなければ焼きそばを大量に購入して食べるだけ食べて元気よく彼らと別れていただろう。そう思うと、焼きそばをタダで食べられなかったのは残念だが、彼らの財布が守られたのだと納得した。

テントを張り終って、膨らませた浮き輪に乗り海の上にぷかぷか浮かんでいた。ゆらゆらと海面に浸かっている髪の毛が揺れる。冷たい水が身体を包み込んでいると身体の力が抜けて思うように動けない。
こんな所で鮫が来たら太刀打ち出来ないなぁとは思うが、安室曰くここら辺の海では鮫が出ること自体が珍しいらしい。海に浸かり始めてから早数十分。
、沖に流されるよ」
「んー…引っ張ってください」
海に拒絶されている能力者であるは海に足を入れた途端力が抜ける為、足が着かなくなるようなここまで安室に連れてきてもらったわけだが、どうやら帰りも彼に誘導されて陸に戻ることになりそうだった。
予めこの体質を安室に伝えていたから彼は焦らずに浮き輪の上でぐったりしているを連れて浜辺に向かう。運動神経が良い安室はそんな彼女を連れていても、早々に浜辺へと戻った。安室さんって何でも出来るのかな?少しばかり彼の能力が気になったを安室が「ん?」と見下ろす。
「そろそろ昼食にするかい?」
「賛成でーす」
何を勘違いしたのか、彼はその視線の意味を腹が減ったと解釈したらしい。それはそれで間違ってはいないので、は彼に頷いてテントに向かう途中で焼きそばを大量に購入してもらい、おにぎりと一緒に食べて大満足だった。


 夕方、帰りの車の中で水着から洋服に着替えたは心地よい疲れと共に充足感を覚えていた。久しぶりに大好きな海を見ることが出来たし、美味しい物も食べられた。隣で米花町へと戻る為に車を運転する安室の横顔をうつらうつらとしながら眺める。
今日1日楽しかったのは安室のおかげだ。彼がこうやって海に連れてきてくれたから、こんなにも満ち足りている。
「安室さん、今日は海に連れてきてくれてありがとうございます」
「どういたしまして。また来ようか」
前を向いて安全運転を心がけている彼に、日頃の感謝を込めて礼を言う。彼は一瞬こちらを向いてすぐさま前に視線を戻したけれど、機嫌良さそうに微笑んだ。
海が恋しくて泣かれても困るしね、と余計な一言を付け加えた彼だったが、今日はそれに噛みつかないことにする。もう眠くてそんな気力が無かったからだ。
「着くまで寝てて良いよ」
「…おやすみなさい」
尚且つ、彼からも寝る事を促されてしまえばもう瞼は開かなかった。数秒も経たないうちに夢の世界に飛び立って行ってしまったは、夢の中で安室や白ひげ海賊団の仲間たちと一緒に海辺で遊んだような気がした。


07:いつか来たる愛の為に
2015/06/18
夢主は今までに船のナース(美人)たちが無理やり男達に連れて行かれるのを見てナンパであると認識していた為、この男たち程度ではナンパではないと判断。

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