綺麗なネイルですね、と言ったのはの隣でカレイの煮つけを作っている沖矢だ。そんな彼の隣では野菜炒めを作っている。ネイル、という言葉にちらりと自身の爪に目を移せばそこにあるのはこの前シャロンから色々女磨きをさせてもらった時のネイルアートが施されている。
「ありがとうございます。この前、知り合いの女性にパーティに誘われた際に色々してもらって」
「ほう…、そうですか。良いですね、パーティ。良いお酒がありそうで」
料理には不向きだろうが、綺麗なそれを落すなんてことはしたくない為、暫くはこのままにしておこうと思っていた。彼はそんな彼女に微笑んだ。パーティで目に付ける所がまずお酒という時点では苦笑してしまったが、自分も同じような立場なのであまり言えない。何しろは料理とワインに夢中になっていたから。
「まあでもちょっと痛い目見たので当分パーティは良いです」
「おや、何があったんです?」
思い出すのはを自分の部屋に誘った男とそれの意味に気付かず迂闊な行動をしてしまった自分。そのおかげで安室は酷く怒って心配をかけさせてしまった。鍋に落し蓋を入れた彼がちらりとこちらに向けた視線に、それを言おうか言わないか迷う。何だか、男性にこういうことを話すのって戸惑われる。いや、それは蘭たち相手でもそう思うけれど。
だが興味を惹くような言い回しをしてしまったのは自分なので、は掻い摘んで話すことにした。
「まぁ…、その、お酒に酔って危ない所を助けられてめちゃくちゃ怒られたと言いますか…」
「なるほど。それはさんも大変でしたね」
色々誤魔化した内容を彼に伝えたは、ははと曖昧に笑った。彼の目は途端に探偵のように推理を始めたように見えたけれど流石にこれだけの情報で何があったかなんて全体を把握することは出来ないだろう。
一見穏やかに笑う彼から隠しきれない獰猛性を垣間見た気がしたは、野菜炒めをお皿に盛りつけてテーブルに運んだ。
「お酒は色んな作用を齎しますからね。あまり彼を困らせては可哀想ですよ」
「はい、そうですよね。どうも美味しいと調子乗って飲んじゃうんで気を付けます」
同じようにカレイの煮つけと茶碗に盛ったご飯をテーブルの上に並べた彼の言葉に頷く。しかし、その直後に「ん?」と首を傾げた。は怒られたとは言ったけれどその相手が男性であることは彼に伝えていない。それなのに、何故彼はその相手が男性であると分かったのだろうか。
――え、もしかして、カマかけられた?
不敵に笑い、の前の席に座った彼からは安室と同じような狡猾さというか推理力を感じた。
「ところで、あの巨大な油絵はどうしますか?」
「ああ、工藤さんが送ってほしいと言っていたので送ってもらえますか?」
先程の彼の誘導尋問らしきものに内心冷や汗をかきながらふふと笑ったに対して、彼が思い出したように声を上げた。彼が言うのは、が安室に振られた時の悲しみをぶつけた時の、夕焼けに染まる海原を行くモビー・ディック号の絵。優作に写真を添付して送った所、彼は今までで一番良いと言ってくれたのだ。
メールだけれど、彼が贈ってくれた言葉はが顔を真っ赤にして喜ぶくらい嬉しい言葉で、10何行に渡るそれには悶えた。嬉しかった。自分の絵を好きだと言ってくれる彼のことが更に好きになった。勿論、一人の人間としてだが。それに彼は、
『今は無名でも、いつか私が君を世界に名を轟かせる画家にしてあげよう。』
なんて気障なことまで言ってくれるから。既婚者で子どももいるのにこういう誤解を招きそうな発言をする彼に恐ろしくなったものだ。それは偏に彼の言葉に感動して涙がじわりと滲んでしまったことが主な原因だけど。
「いつも沖矢さんに諸々の手続きをお願いしちゃってすみません」
「良いんですよ、こういう作業割と嫌いじゃないので。それに良い暇つぶしです」
優作の期待に応えるにはこれからも一杯絵を描いていかなきゃと意気込んだは、目の前に座る沖矢に眉を下げた。竹島から油絵の輸送方法などは教えられているのだが、それでも誰かに荷物を送ったことが無いはどのように海外に荷物を送るかなどを全く知らないのだ。竹島から教わる以前から彼が優作との間を取り持ってくれているので、彼には頭が上がらない。本当にいつもお世話になっている。
今回は殊更大きな絵なので、申し訳なさそうにしているに対して彼は何てことはないようにははと朗らかに笑った。


 昼食を沖矢と食べた後にはシャロンとの待ち合わせ場所に向かっていた。場所は杯戸東中央ホテルという少し小さ目のホテルだ。この前のパーティの時に散々お金を使った彼女にしてはこじんまりとした印象を受けるホテルだが、何か理由があるのかもしれない。まあ割と小さ目でも綺麗で高級感はあるけれど。
フロントで名前を伝えれば自動的に案内してもらえるようになっていると伝えられていたは、男性従業員に声をかけた。そうすれば彼は「様ですね。ご案内致します」と頭を下げてエレベーターに向かう。
「ロゼ様、様をお連れしました」
ベルを鳴らしてシャロンに呼びかける彼に、部屋の中で彼女の気配がこちらに向かってくるのが分かった。扉から数歩離れれば、「よく来たわね」と開けた扉から彼女が微笑む。仕事が終わった彼は彼女の姿を見て、ではと言い去って行った。とにかく中に入りなさい。そう言う彼女にはお邪魔しますと声をかけて入った。
そういえば、安室からシャロンについて訊かれていない。彼のことだから有耶無耶になったわけではないのだろうが、きっと色々あったから今度にしようと思ったのかもしれないけれど。しかし、また彼女と会ってしまったことは事実だ。
「あの、この前は色々ありがとうございました。あの日着ていた洋服ってまだありますか?」
「ええ、あるわよ。別にお礼なんて良いわ。面白いものが見れたし」
勧められたソファに腰掛けながら、はあの日彼女にしてもらったことに改めて礼を言う。だって、の為にどれだけ彼女がお金を使ったのか分からないから。それと同時に借りっぱなしだった真珠とダイヤのネックレスにも礼を言いながら彼女に渡す。こんな高価な物を何日も持ち続けていて申し訳なかった。彼女はそれを受け取りながらも、あそこと指を指す。彼女の指の先を辿って視線を向ければ紙袋の中にの服がまとめられている。あ、良かった。結構あの服気に入っていたから。
彼女が言う面白いものが何なのか分からず首を傾げただったが、彼女は分からなければ良いのよと含み笑いをした。
「まぁ、それとこれとは話は別だけど。あなたの身体、いったいどういう作りをしているの?」
「――A secret makes a woman woman……」
頬杖をついてこちらを眺めるシャロンに、はうっと言葉に詰まった。彼女はの身体の秘密を少なからず握っているけれど、それは全てではないだろう。それに安室からは言うなと言われているし。コナンたちの時は沖矢という存在のおかげで口を割ってしまったけれど、彼女だけにならそんなに恐怖を感じることもない。
それ故彼女を真似して、公園で会った時に彼女に伝えられたその言葉を口にすれば、彼女は目を微かに見開いて楽しげに笑った。がどもりながら口にしたということが原因だろうが。
「そう。まぁ良いわ。自分で調べるから」
何だか増々彼女の興味を煽ってしまった気もしなくはないが、はお手柔らかにお願いしますと彼女にお願いした。だって、シャロンさんの目が怖い。
机の上にずらっと並べられ始めた道具に顔が引きつる。鉛筆、ボールペン、鋏、小型ナイフ、エトセトラ。横一列に並べられたそれは左から右に進んで行くごとに武器としての強度が増していっている。
きっとどの程度の攻撃ならくらわないのかと検証する気なのだろう。えげつないな、とは思うがは一応能力者なので普通の武器で身体が傷付くことはない。彼女には分身のことは知られていないから、それ以外なら気の済むまで攻撃してくれて構わない。それでもやっぱり怖いものは怖いけれど。
「じゃあまずは鉛筆から」
「……っ」
そう言うなり容赦なくの手の甲に鉛筆を突き刺した彼女だったが、それはの手に刺さる筈も無く。バキッと折れたそれを見てふーん、と呟いた彼女はの手を取ってふにふにと柔らかさを確かめていた。
「これって身体全体が攻撃を食らわないの?」
「まあそうなりますね。…!?」
鉛筆からいきなりナイフへと対象を変えた彼女には吃驚した。ガキィンと跳ね返されるそれに、心臓をばくばく言わせたは「お、驚かさないでくださいよ!」と彼女に食ってかかる。不意打ちだったら効くかと思ったんだけどやっぱり違うのね、なんて彼女は全く悪気無く笑うものだがらははぁと溜息を吐いた。攻撃がくらわないって分かっていても隙を突かれると本当に吃驚するからやめてほしい。
 その後も彼女にあちらこちらを弄り回されただったが、最終的にシャロンは納得してくれたようだった。彼女の部屋の扉から出て、部屋の中にいる彼女と向き直る。
「本当に不思議な身体ね。研究したら面白そう」
「やめてくださいよ…私どこかに閉じ込められたくないですから」
くすりと笑った彼女の言葉にぞわりと背筋を慄かせる。彼女が言うと冗談も本気に聞こえるのだから恐ろしい。シャロンを見て震えあがったに彼女は「じゃあ、また」と言って扉を閉めた。パーティの時と比べて呆気無く終わった彼女との時間だったが、はほっとした。女性とは言え、何だかんだ自分の身体を触られたは精神的に疲れていたから。
――シャロンさん、容赦無かったな。
チェーンソーや斧を取り出しての腕に振り下ろした彼女は美女の皮を纏った鬼畜だった。自分の興味に対するあくなき探究心は凄いと思うが、それを自分にぶつけられるとこんなに恐ろしいものなのかと遠い目をする。
しかし、その恐ろしさとはどうやらまだ別れを告げることは出来ないらしい。彼女は別れ際に「また」と言ったのだから。としては今回のことでの正体を少しばかり知られてしまった彼女とは距離を置こうかと思ったのだが――安室も関わるなと言っていたし――どうやらそうにもいかないようだ。
――普通の時は好きなんだけどな。
実験する時の彼女の表情を思い出してぶるりと震えたは一先ず家に帰ることにした。時刻はもう17時。早く帰らないと夕食の準備に間に合わない。


 家に帰ってきて安室にどこに行っていたのかと訊かれ、は正直に答えることにした。工藤家とシャロンさんの所です。後半を少し言い辛そうに言えば、彼は途端に目付きを鋭くする。だから言いたくなかったんだけどなぁ。それでも言わないと後々彼の怒りは増々大きくなるだろうと思ったからは素直に伝えたのだ。
因みに今は一緒に夕食を作っている所だ。料理は普通こんな雰囲気で作らない筈なんだけど。剣呑な空気に居心地が悪い。
「僕は彼女と接触するなって言っただろ。いつ、どこで出会ったんだ」
「すみません…。確か、少し前のランニング中に声をかけられて勝手に連絡先を交換されて…」
正確な日にちは忘れてしまったけれど、それでも彼女と話したのは詳細に覚えている。それを掻い摘んで話してみると彼ははぁと溜息を吐いた。どうせお菓子にでも釣られたんだろ、なんて言う彼にどうして分かったんだとは目を丸くする。安室さん、見ていたわけじゃないよね。が考えていることがだだ漏れだったのか、そんなの見なくても分かるよと彼が呆れたようにを見下ろした。
「何でですか?」
「そんなのいつ――も一緒にいるんだから分かるよ」
一瞬言葉に詰まりながらも答える彼に、そうなんですかと呟く。確かに、もそれなりに安室がこういう場面ではこうする、というのは分かると思う。それはやっぱり一緒にいることが多いからなのか。の場合は彼のことが好きでいつも見ているからというのもあるだろうけど。
「とにかく彼女とはもう会わないように」
「そうしたいのは山々なんですが、シャロンさん私の身体に興味持ってるみたいで…」
「そうか…」
玉ねぎをリズム良く切っていく彼に目は痛くないのだろうかと思いながらは眉を下げた。彼の言っていることに頷きたいけれど、彼女はこれが金輪際の別れであると言わなかったから。また、と彼女は言ったのだ。
シャロンが美人でありながらも、どこか普通の女性と違うことを漸く感じ取ったは出来るだけ彼女と関わらないようにしようと思ったけれど、それはきっと上手くいかないだろう。
「それなら、彼女と会う時は僕に一言伝えて」
「分かりました」
とりあえずこの話はもうおしまい、と区切った彼に頷く。彼に一言述べてから彼女と会うのでは少し安心度が違ってくる気がする。彼公認のもとでなら彼女と会って良いということなのだろう。
やっぱり、こうやってのことを心配してくれる彼はにとっては自分を心配してくれる恋人のようなのに、彼からしてみれば保護者のような立ち位置なのかと思うと少し、否、かなり寂しい。このギャップを埋める為にはまだまだ時間がかかるのだろうな、と心中嘆いた。
玉ねぎの攻撃によって目が痛くて涙を流せば、彼はの涙を拭ってくれるだろうか。


67:きっときみよりしってるきみのこと
2015/08/26
タイトル:モス
ベルモットのホテルが違うのはいつも使っているホテルを知られない為。いつも見てるんだから、と言いそうになって咄嗟に隠した安室さん。

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