蘭たちやシャロンからアドバイスを受けたは一先ず普段通りに過ごすことにした。アピールしてます!なんて状態はウザイとシャロンに言われたこともあるが、彼女たちもさり気ないのが良いよねと言っていたから。しかし、色気を出す為に彼女たちから教えて貰ったことはしている。香水を僅かに香る程度に付けたり、身体を磨いたり。
――色気はまず綺麗な肌から!
なんて指を立てた佐藤に、お肌のお手入れを重点的にしようと思ったのだ。これくらいならにだって出来る。
お風呂上りに良い匂いがするボディクリームを塗る。匂いに敏感なの為に蘭がお勧めしてくれたものだ。確かベリー系の匂いだった筈。ふわりと香るそれにうっとりとしながら、自分の肌がすべすべしっとりになっていくことを実感した。
同じ理由から香水も入念にの鼻に合うものを一緒に探してくれた彼女たちだったが、香水は桃の香りにしてもらった。バニラのように甘すぎず、かと言ってグレープフルーツのように爽やかすぎず。としてはグレープフルーツもお腹が空くような匂いで捨てがたかったが、彼女たちはこの桃の香りが一番良いんじゃないかと言うのでそうしたのだ。
――OK、つるすべ。
安室さんに見せに行こうっと。というか、ただリビングに行くだけだけど。洗面所から出てリビングに向かう。別にファッションショーをやるように彼の前でポーズを取ったりしないから別に良いだろう。は焦らないで気長にやっていくことに決めたのだ。焦っても何も良いことないしね。安室さんが他の女の人と付き合ったらどうしよう、なんて思いは少なからずあるけど。
「お先に失礼しました」
「ああ。…何か良い匂いするね」
「蘭ちゃんがお勧めしてくれたクリームなんです」
お風呂上りに冷たい水を飲みたくてマグカップに並々注いだ水を溢さないようにしながらソファに座る。ごくごくと半分程飲んだ所、隣にいる安室からそう言われては内心ガッツポーズをした。どうやら安室にもこの匂いは好評らしい。やっぱりしつこくない香りだからだろうか。これは今後も購入しなくては、とこのボディクリームを買った店の名前を思い出そうとする。ええと、何だったっけ。場所なら覚えてるんだけど。…まあ良いや。
「じゃあ僕もお風呂入ってこようかな」
「上がったら呼んでくださいね。洗濯物するので」
「分かったよ」
店の名前を思い出すことを諦めたを立ち上がる際に見下ろす彼。タオル類だけでも洗っておこうかなと考えたは夜のうちに洗濯機を一回回すことに決めた。の言葉に頷いた彼にごゆっくりどうぞと返してはソファに座って小説を読むことにした。
それは安室が勧めてくれた児童書だ。これくらいの漢字の量だったらも読めるんじゃないかな、と言っていた彼にそれじゃあ読んでみようかなと興味を掻き立てられたはそれを教材にすることにした。小学生レベルだろうか。
買った当初は児童書だと甘く見ていたのだが、読み始めるとこの小説はとても面白いということに気付いた。
小学生の兄妹が色んな時代にタイムスリップしてそこで冒険をして宝物を集めるという話。彼らの兄妹の絆に感動する場面もあれば、馬鹿な失敗をして笑ってしまう場面もある。
日本語であるため読むスピードはゆっくりだが、それでも十分臨場感はある。半分程読んだ所では一旦休憩することにした。
喉乾いたなぁ、なんてキッチンに向かって冷蔵庫を開ける。そこには冷えた白ワインがあった。一度それを閉めてお酒がしまってある棚の扉を開けば、ずらりと並ぶ色々な種類のお酒。安室もお酒を嗜むからいつもこの棚には数種類の酒は常備されている。だけど今は冷えているのが良いなぁ、と思っては再び冷蔵庫を開けて白ワインのボトルを取り出した。既に開いているから早く飲まなきゃだめだよね、なんて考えて少しだけ飲むことにする。ワイングラスを取り出して半分ほど注いだ。薄く色づいた液体がグラスを飾る様は何とも優美で思わず締まりのない笑みになってしまう。美味しそう。
「一杯程度なら洗濯物干せるし大丈夫」
誰にともなく言い訳をして椅子に座ってワインを飲んだ。うふふ美味しい。もっと飲みたくなってきたけど我慢しよう。調子に乗るとまた記憶が飛んでしまうから。
酔わないようにちびちび飲みながらテレビを見ていたらあっという間にグラスの中身は無くなってしまった。ううん、残念。これ以上飲みたくならないように歯でも磨こう。その為には安室がお風呂から出てきてくれないと洗面所が使えないけど。
、出たよ」
「はーい」
がしがしと髪の毛をタオルで拭きながら現れた安室にどきっと心臓が跳ねた。お風呂上りってそれだけで色っぽいから心臓に悪い。彼がソファに座って一息吐くのを見てからは洗面所に向かった。あ、先に歯を磨こう。しゃこしゃこと鏡を見ながら歯を磨いてから泡を吐き出す。口の中に広がるミントの味にこれでもう何も飲食できないなと満足して水で口を漱いだ。
洗濯するのはタオル類だけの為、選別する為に洗濯籠の中に手を突っ込む。の下着は見られたくないという理由から別の籠に入れているのでここには無いが、安室の下着はここに入っている。男性だからそういうことはあまり気にしないのだろう、と以前のであったらそう考えていたが今となっては好きな人の下着である為、何だか触るのが恥ずかしい。って何考えているんだ。さっさとタオルだけを取り出さないと。
――まあ実際は振られたけどさ。
アルコールを摂取したせいか、気分の浮き沈みが激しい。顔を赤くしていた所から突然「はぁ…」と大きな溜息を吐いたは自分が馬鹿なことをしているという自覚はあった。とにかく、今は洗濯物。
タオル類を洗濯機に入れてお風呂場のお湯を使う設定で回す。沢山というわけでもないし、そんなに時間はかからないだろう。
、洗面所使って良い?」
「どうぞ」
頭を乾かしに来た彼に洗面所を譲ることにした。洗濯が終るまでの間は暇だし丁度良いだろう。ドライヤーを取り出した彼を確認しては洗面所を出て自室に行った。リビングにいたら髪の毛を乾かして歯を磨いた彼がいてドキドキしてしまうから。ちょっとだけ、と思ってベッドに横になって天井をぼんやり見つめる。
何かあの模様、人が走っているみたい。あ、あれは犬っぽい。なんて天井の壁紙の模様から想像した。


 ピロリロリー、と洗濯が終ったメロディが聞こえてははっと目を開いた。どうやら数十分寝ていたらしい。きっとワインを飲んだからだろう。お酒を飲んだ後に横になると寝てしまうから気を付けないと、と反省してはベッドから起き上がった。ぐぐと背伸びして自室を出る。ちらりとリビングの方に目を向ければ電気がついていたので安室はまだ起きているのだろう。ふわぁと欠伸をしながら洗濯機からタオルを取り出す。枚数はそんなに多くないしすぐに終わるだろうと思ってそれらを持ってベランダに出た。
たこ足にタオルをかけていき大きなバスタオルは竿にかける中、頬を撫でる夜風が気持ち良い。数分で終わった作業にふうと息を吐いて部屋の中に戻った。安室さん、何してるんだろう。
時刻は11時だからいつもの彼ならもうすぐ寝る筈だけど、少しばかり彼のことが気になってリビングに行くことにした。
「………っ」
リビングの扉を開いたら、ソファで腕を組んで寝ていた彼がいては息を飲んだ。手には読みかけの小説がある。きっと先程まで読んでいたのだろう。ちらり、とテーブルの上に視線を寄こせばそこには空になった白ワインのボトルが。が飲んだ時にはまだ半分残っていたけれど彼が飲んでしまったのだろう。
初めて見る彼の無防備な寝顔には慌てたがそれと同時に嬉しくなった。だって、それだけのことを信頼してくれているということだろうから。写真、撮りたい!普段なら絶対に見せてくれないその姿をどこかに残したかった。彼は写真を撮られるのが苦手だと言っていたけれど、これだけは見逃してほしい。誰にも見せたりしないから。
そうっとリビングの扉を開けて急いで自室に戻る。ベッドの上に置いてあったスマートフォンを持ってカメラを起動させた。音出ちゃうけど、大丈夫かな。不安に思いながらも静かにリビングに戻ると彼はまだ寝ていた。
背もたれに頭を預けている彼の寝顔は少し幼い。そんな彼にドキドキしながらも、は一度だけシャッターを切った。カシャッと音がするそれに先程とは違った意味でドキドキしたのだが、彼は起きなかった。セ、セーフ。
自分のスマートフォンの中に映る彼の姿に嬉しくて自然と笑みが零れる。えへへ、幸せ。
だけどこんな所で寝ていたら風邪をひいてしまう。よく彼がに言う言葉だ。写真を撮ったからもう起こさないと、と思ってはスマートフォンをテーブルの上に置いて彼に近付いた。
「安室さん、起きてください。風邪ひいちゃいますよ」
ゆさゆさと彼の肩を揺すってみるけれど、彼は起きない。丁度深い眠りについてしまったのだろうか。すやすやと眠る彼の顔を腰を屈めてじっと見ていたら疲れたので自分も座ることにした。そしてそのままじっと彼を見つめる。そういえば起きている時の彼の顔をそんなに見つめたことが無いなぁと思って。だって、こんなにまじまじと見つめていたら恥ずかしいし、彼だって不思議に思うだろうから。
そんなに長くないけれど瞼を飾るしっかりとした睫毛に、男らしくまっすぐに伸びた眉。そしてすっと通った鼻筋に薄くも無く厚くも無い唇。これがの好きな人の顔なのか。
――むかつく位格好良い。
寝ていても全く変わらない彼の端正な顔に唇を尖らせる。こんなに格好良くなければモテないだろうに。なんて独占欲まで出てきたけれど、それを抑えこんでもう一度「起きてくださいよ」と彼の肩を揺すった。だけど相変わらず彼は起きない。珍しいなぁ、そう思いながらもはどこまですれば起きるのだろうかと段々興味が湧いてきた。手始めに彼の頬を突いてみる。
「安室さーん…」
つんつん、と彼の褐色の肌に触れてみる。普段自分から触れるということが無いからドキドキしてしまった。けれど反応なし。なのではそのまま彼の頬を引っ張った。痛いかな。少しばかり伸びた彼の頬に思わずふふと笑ってしまう。いつもより大胆になっているのは、もしかしたらアルコールのせいかもしれない。
「安室さん、早く起きないと擽りの刑ですよ」
そう言って彼の脇腹をこちょこちょと擽る。流石にこれで起きると思っていただったが、寝ていたらこういう刺激には気付かないのだろうか、彼は相変わらず安眠を貪っていて。それにむっとする。いつもに風邪をひくから自分の部屋で寝ろと言っているのに、自分が出来ないなんて。
諦め悪くこちょこちょと顎下や首筋も擽ってみるけれど彼は微動だにしない。そこまでして自分は何をやっているのかと気が付いた。別に何もやましいことなんて考えていなかったけれど、自分は寝ている安室の身体を勝手に触っていたのだ。逆の立場だったらは怒っているだろう。
「もう良いや。安室さんのばーか…」
これだけやっても起きないのだから諦めよう。少しだけ彼に暴言を吐いたけれど、その響きは自分で思っていたよりも甘くて恥ずかしくなった。馬鹿って自分の方が馬鹿だ。
彼を起こすことは諦めたけれど、このままじゃ可哀想で。の力では彼を部屋まで運ぶことは出来ないからソファに置き去りになってしまうけれど、何か身体にかけるだけでもしておこうと彼の部屋に向かう。彼の部屋に無断で入ることに少しの罪悪感を覚えながらもタオルケットを彼のベッドから取ってリビングに戻った。
そっと彼の身体にそれをかけてから冷房を消す。窓を開ければ外からは涼しい風が入ってきてはそれに目を細めた。やっぱり自然の風の方が気持ち良い。窓から見える夜景に綺麗と思いながらも、船の上で不寝番の時に見た冬島辺りでの満天の星空を思い出す。あの景色を安室さんと一緒に見たいなぁ。
そう思いながら安室の所に戻ってソファに座った。タオルケットからはみ出ていた彼の左手に自然と視線が行く。
――手、繋ぎたい。
躊躇しながらも彼の手の甲に指を近づける。そっと、掠るように人差し指を走らせて辿り着いた彼の指の先端を少しだけ握ってみた。だけどそれは数秒にも満たないこと。
――安室さんが私のことを好きになってくれるだけで、私は幸せなのにな。
震える睫毛を伏せて、は彼から手を放した。そっとソファから立ち上がって彼を見下ろす。
私はこんなに好きなのに、彼は応えてくれない。
「おやすみなさい、安室さん」
そっと呟いて、はリビングの電気を消した。暗闇の中で、彼がいる所だけぼんやり光っているように見えるのはきっと目の錯覚だ。
――願わくば、あなたの夢の中に私が出てきますように。


63:ねむったふりをやめないで
2015/08/24
タイトル:ジャベリン
リビングから彼女の気配が消えた所で、安室は止めていた息をゆるゆると吐き出してゆっくりと瞳を開けた。
「はぁ……」
暗闇の中で様々な思いが込められた溜息の行方を知っているのは、安室ただ一人。

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