を普通の病院に連れて行くわけにもいかず、口が堅い闇医者のもとへ連れて行った所、彼女の身体を蝕んでいるのは5MeO-DMTというドラッグであることが判明した。通常は煙にしたものを吸引して使用するものだが、彼女はどうやら固形で飲まされたらしくそれで意識を失ったのだろうという推測だった。
「とんでもない幻覚作用を引き起こす薬だから今日はしっかり見張っていてください。錯乱して窓から飛び降りるなんてことも無いとは言えないので」
「ええ、分かりました」
だがこの薬物は短時間で効果が切れるものだったので、それだけが救いである。後遺症があるようだったらまた受診する必要があるというので、その時が来ないことを祈って安室は病院を後にした。
――……。
暗闇の中、助手席に寝かせた彼女を見やる。彼女を連れ去る為に強力なドラッグを飲ませるという非情な手口を使う者など一人しか思いつかない。目的の為なら手段を選ばないのは安室も同じだが、だからと言ってその対象にが選ばれるのは酷く腸が煮え繰り返る思いだった。
未だに意識がないのことを確認して、安室はスマートフォンを取り出してベルモットに電話をかける。プルルルル、と無機質な音が何度か続くがその後、もしもしと不遜な声音の彼女が出た。
『どうしたの?今お風呂に入っている所なんだけど』
「恍けないでください。を連れ去ろうとしましたよね?」
ちゃぷ、と電話口で彼女の声と水音が聞こえる中、握るスマートフォンが嫌な音を立てる。冷静な声を出したが、どうやら彼女には安室の怒りが伝わったらしい。ふふ、と笑う彼女にまたミシリとスマートフォンが悲鳴を上げる。バレちゃったわね…。そう呟いたベルモットからは全く悪びれた様子も安室に知られたことに対する焦りも無かった。
「あの薬が後遺症が残るかもしれないと分かっていたんですか?」
『あら、そんなに強力だったのね。あの子、不思議な身体をしているから効かないと思っていたんだけど…』
淡々と彼女に訊ねてみれば、やはり気絶させる以外の具体的な効果を彼女は知らずに使用していたらしい。量を誤れば死んでいてもおかしくない薬を容赦なくに飲ませた彼女にふつふつと怒りが湧くが、ここで感情を露わにしては彼女を増々楽しませるだけにすぎない。何せ、が安室の弱点だと彼女に暴露するようなものだから。だが。
――やはり、の能力を知っていたか。そうなると話は変わってくる。が安室の弱点だと教えることになっても、ベルモットの秘密を盾にの安全を確保しなくてはならない。結局、安室もベルモットの弱みを握っているから、安室の優位は変わらないのだ。
「これ以上に何かするようであれば、」
『分かったわよ、これ以上彼女について詮索するのは止めるわ』
安室が全てを言い切るより早く、ベルモットは舌打ちをした。彼が彼女の秘密を持ち出すことに気が付いたのだろう。苦々し気にはぁと溜息を吐いた彼女はしかし、まだのことを諦めたようではなかった。
『だけど、友人としてなら会っても良いわよね』
「笑わせないでください。では…」
スマートフォンの向こうで彼女が楽し気に口元に笑みを浮かべているのが分かる。安室はそれにふんと笑って強制的に電話を切ろうとした。ベルモットとが友人になれるわけがない。まず、彼女の友人なんていう言葉が口先だけのものであることなど考えずとも分かる。しかし、それを遮るように彼女の声が聞こえる。
『いつか、彼女を守ることを面倒に思う日が来るわよ』
「来ませんよ、永遠に」
その嘲笑を含まれた言葉に眉が寄る。を守ることが面倒。彼女はこの状況を皮肉っているのだろう。確かに今回もこれ以外でも、安室は何度か危険に晒された彼女を守ることが出来なかったことがある。その度に後悔していた。だが、それでも彼女を守ることが負担になる日は来ないだろう。そもそも彼女が特異な体質であることを周囲に知られなければ殆どそのような脅威は無くなるから。それ故、安室はそう言い切って今度こそ電話を終わらせた。
ベルモットの言うようになるわけがない。この温もりを失う方が安室にとっては恐ろしいことなのに。ちらり、と隣で目を閉じているを見て、乱れた前髪を整えてやった。
――にしても、後藤さんの影に隠れてを襲うなんて汚い手を使う。
彼女はきっと、事実は違うが、にストーカーがいることが分かった上で彼を隠れ蓑にを付け回していたのだろう。もまさか自分にストーカーが2人もいるなんて思いもしなかったに違いない。後藤がいなくなって油断したは彼女にとって恰好の餌に見えたことだろう。
はあと溜息を吐いて車を発進させる。早く家に帰ってをきちんとベッドで寝かせよう。

 数十分車を走らせ家に到着した。先程より少し顔色が良くなった彼女を確認して抱き上げて駐車場から出る。夜分ということもあり、人目が少ないのが幸いだった。昼間だったら目立って仕方なかっただろう。
エレベーターに乗って自分の部屋がある階で降り、廊下を歩む。鍵を開ける為にを片手で抱えて扉を開けた。
――僕の部屋の方が良いか。
靴を脱いで彼女の部屋に向かったが、今夜彼女が変な行動を起こさないように見張るんだったら自分のベッドに寝かせた方が良いだろうと思い、自室へと足を向ける。扉を開けて壁際にあるベッドにそっと彼女を下ろした。
「間に合わなくてごめん…」
首に絡まらないようにする為に、自分が与えたハートのペンダントを外して机の上に置いた。「零」と刻ませたそれは、認めたくはないけれど一種の独占欲の表れだったと同時に、彼女を守る為の護符代わりだった。自分の名が刻まれたそれを彼女が持っていればいつでも駆けつけられるような気がして。
気分を変えるように大きく息を吸い込んで吐き出した。寝苦しくないように半袖のカーディガンや膝丈のストッキングは脱がせて畳む。流石に寝着に着替えさせてやることは出来ないが、これだけでも大分寝苦しさは解消されるだろう。ついでに夜中、目を覚ました彼女の具合が悪くなった時の為に、洗面器やスポーツドリンク、タオルをベッドの脇に置いておいた。これで何かあっても大丈夫だろう。
寝ずに彼女を見守るつもりだった安室は、傍に椅子を持って来て座り電気を最小限に小さくして、じっとの寝顔を見つめた。


 夢を見ているのだ、とは思った。幼い頃に暮らしていた家のソファで眠っていた、当時の姿に戻ったを起こしたのは、柔らかいけれど何かを守る強さを持った手だった。、優しく彼女の名を呼んでくれた母。料理が上手くて、いつもに勉強を教えてくれていた彼女がにこやかに笑ってを見下ろしている。彼女はいつも、の描く絵を上手ねと褒めてくれる人だった。
お母さん。そう呟いただったが、突然少し離れた所でドォオオンと激しい爆発音がした。そうだ、今は戦争中なんだった。その音に、母は顔を青褪めさせた。父がもうそろそろ市場からの買い出しに戻ってくる時間帯だったから、彼が今の爆発の被害に遭っていないかと恐ろしくなったのだろう。
はここで待っていなさい。お父さんを探してくるから」
「待ってよ!お母さん!行かないで」
母はをテーブルの下に敷いてあるカーペットの下に隠してある秘密の部屋に入れた。そこは本来食料をしまっておくにすぎない物置の場所だったから、子どものしか入れない大きさで。狭くて暗いそこがは嫌いだった。だけど母が良い子にして、と言うからそれに頷く。
頬を優しく撫でて、ぱたんと閉じられた扉。静寂と暗闇に膝を抱えてどれくらい時間が経っただろう。たったの30分だったかもしれないし、数時間も経っていたかもしれない。暗闇に慣れてきてうつらうつらと船を漕ぎ始めたの耳にガタガタと慌ただしく家の扉が開く音がした。
…!!」
「お父さん!」
暗い部屋の扉を開けてくれたのは涙をぼろぼろと流している父の姿。母が彼の無事を心配していたが彼は怪我一つ無かった。それにほっとしたのも束の間、どうして彼がこんなに泣いているのか怪訝に思う。小さな部屋から出たはその理由が分かった。
がしっとの身体を抱きしめた彼の腕の隙間から、ソファに腹部と胸部を赤く染め上げている母が目を閉じて横たわっているのが見えた。顔からは血の気が引いて唇は青く、息すらしていないようだった。
母は死んだ。直感的にそれが分かった。後で聞いた話だったが、父を探していた母はその間に敵兵に見つかり射殺されたそうだった。
、母さんの仇は必ず取ってやるからな…!!」
大声で泣くを抱きしめて父は言った。父が復讐に憑りつかれるようになったのは、その日から。
妻を殺された父はがいることで雑兵の収集には応じない代わりにこの戦闘の第一線であるこの地区にやって来た敵兵に白旗を上げ食料を提供する振りをしながら、敵を殺し続けた。
はその度に床下の部屋に隠れさせられたけれど、父が母を殺した兵士を探す為に彼らに問いかける声を何度も聞いた。
ただただ恐ろしい毎日だった。戦争が長引くことで食料不足は慢性的に起こり、食べるものも少なくなる。父はに食べ物を与えることを優先していたから次第に痩せてきてしまっていた。それでも食べ盛りのは常に空腹でひもじい思いをしている。それを分かっていたからだろう、彼はを置いて食べ物を探してくることにしたようだ。
、お父さんが帰ってくるまでそこから出ちゃ駄目だからな」
「うん……」
いつものように彼はを床下の部屋に隠して家を出て行った。暗闇の中でぽつねん、と一人残されるのは心細かった。外からは時たま銃声や刃物がぶつかり合う音が聞こえてくるから。
お父さんは大丈夫かな。不安に思いながらもは待った。3時間、6時間、何度か寝たり起きたりを繰り返して、それを3,4回繰り返した所で時間の感覚は無くなった。その上我慢が出来ない程お腹が空いている。
もう父を待っていられなかった。
そうっと床下から這い出てカーテンの隙間から外を見る。今の時間帯は昼のようだったが、兵士はいなさそうだった。今のうちにお父さんを探そう。そう思っては家から出た。海に近いこの町は海から潮風が送られてくる。久しぶりに潮の匂いを嗅いだ気がしてはほっとする。ずっと、この町には血や死んだ人間の臭いが充満していたから。
たたたと通りを駆けて家の近くにある畑に向かう。そこは父が耕している所だからもしかしたら彼がいるかもしれないと思って。しかし、見つけたのは地に伏している血だらけの父の姿だった。
「お父さん…!!」
急いで駆け寄って彼を揺さぶるけど、彼はこと切れている。なんで、なんで。そんな言葉ばかりが頭の中でぐるぐる回る。しかし、涙を流しているの元に一人の男の声が響いた。
「子どもがいたのか。そいつはな、俺の親友を殺したんだよ。復讐されて当然だよな?」
驚いて振り返った先には、鎧を身にまとった一人の男が瞳をギラギラと怒りと悲しみで染め上げていた。それには腰が抜けてぺたんと尻餅をつく。復讐に憑りつかれた父は、この男に復讐されてしまったのか。兄王と弟王の間だけで復讐し合っていたのが、いつのまにかのすぐ傍にまでその連鎖は来ていたのだ。
「恨むなら俺の親友を殺したお前の父を恨むんだな」
「あ、あ……」
身動きできないにギラリと光る剣を振り上げる男。死ぬのか。私は復讐の連鎖に巻き込まれてこの男に殺されてしまうのか。ぱっと甦った在りし日の両親の笑顔。ぶん、と目の前に迫った剣には死を覚悟した。
「ガキを殺すなんて感心しねェなァ」
「ギャアア!!」
しかし目の前に突如現れた青い炎。メラメラと青く燃える大きな鳥がの視界を遮る。何が起こったのかすら分からなかった。しかし、を殺そうとしていた男は離れた所で蹲って痛みに悶えている。もしかして、この男が助けてくれたのだろうか。
「チビ、大丈夫かよい?」
そう言ってに向き直った青い鳥は脚から徐々に変わった髪型をした人の形になっていく。燃やされると思って怯えるに笑って、「熱くねェよい」と炎の翼で包み込んだ彼には釘付けになった。この人はいったい何なんだろう。だが新たに増える声と地鳴り。
「グララララ、安心しろチビ。俺たちはこの戦争を終わらせに来た」
青い炎をまとった男の後ろから現れた巨大な老人と1000人以上いる屈強な男たちを見て、彼はふっと笑う。そういうことだからもう大丈夫だよい。の頭を乱暴に撫でた彼はにっと笑って老人の隣に立った。
――綺麗。
碧く、美しく燃え上がる熱くない炎に、は一瞬で心を奪われた。そう、は彼の青い炎に魅せられて白ひげ海賊団について行くことにしたのだ。この時のにとっての唯一の光だった彼らに手を伸ばす。
、もう大丈夫だ」
マルコの声に、誰かの声が重ねられる。、何度も彼女の名を呼ぶその声が段々鮮明になっていく。ああ、この声はの大好きな人の声だ。青い炎がの視界を覆ってきらきら眩く光る。眩しい。だけど、この温もりに身体の芯から安心する。炎はぱあっとより一層明るくなって、は意識を手放した。


 何度も優しく髪を梳かれる感覚がしてはゆっくりと目を覚ました。夢の名残から青い炎の先に、白いシャツが見えたような気がしたけれど、きらきら光っていた炎は幻であったかのように存在を消して視界はクリアになる。温かい。夢の中で安堵したのは、きっとこの温もりがあったからだろう。
?」
ぴたりと頭の上で止まった手と聞きなれた声がすぐ傍で聞こえたことにはぼんやりと瞬きを繰り返す。そこで漸くは自分の身体を包み込んでいるのが安室の身体だということに気が付いた。
「あ、ああむろさん!?」
「良かった、目が覚めて。ごめん、朝まで診てるつもりだったんだけど眠くて途中で寝ちゃったんだ」
どうしてこんな状況になっているのか全く分からなくて一気に顔に熱が集まって心臓が五月蠅くなる。え、なんでどういうこと。
吃驚して至近距離にいる彼の顔を見上げればばっちりと彼と視線がぶつかって、はそれにまた驚いて彼から視線を逸らした。彼が言っていることは良く分からない。なんでを見ていなくてはいけなかったのだろうか。しかし、視線を逸らす前に目の下に薄らと隈が出来ている彼を確認した。きっと夜遅くまで起きていたのだろう。
「あの、何かあったんですか?」
「…思い出せない?」
慌てて昨日の記憶を探ろうとしてみても、なんだか靄がかって思い出せない。彼の真面目な顔に言い知れぬ不安を感じたけれど、それなら思い出さなくて良いよと彼が小さく微笑むのでは不思議に思いながらも頷いた。どことなく感じる身体の怠さに首を傾げながらも、安室の腕の中から抜け出そうともぞもぞ動く。彼に抱きしめられているというのはとても嬉しいけれど、の心臓は今にも壊れそうだ。だって、同じベッドの中で寝てるなんておかしいではないか。ばくばくと五月蠅く喚く鼓動は、もしかしたら彼に伝わってしまっているかもしれない。
「あ、あの…」
「待って、もう少し…。ごめん、安心させてくれ」
彼から距離を取ろうとした所、それを拒むように彼にぎゅっと抱きしめられた。ぴったりと密着する身体に口から心臓が出そうになる。激しく胸を叩く心臓の音は、今度こそ彼に伝わってしまっているだろう。のことを腕の中に閉じ込めて頭上ではあ…と安堵の溜息を吐く彼にの身体は硬直した。
腰に回されている彼の腕も、かき抱く大きな手も、筋肉質な身体も全ての頭を混乱させるだけ。だけど、前髪越しに額に何か柔らかいものが触れたことに一瞬意識を持って行かれる。その意識もまた彼の言葉によって彼に戻ったけれど。じっとの瞳を見つめる彼の強い光を放つ瞳から目が離せない。まるで、夢の中で見たマルコの青い炎のように、輝いている。
、僕を呼べ…。何かあったら、真っ先に僕の名を呼んで」
「あむ、ろさ…」
――そうすれば、僕はどこにいてもを絶対に助けに行くから。
真剣な瞳でを見つめる彼に、胸がぎゅうっと締め付けられる。ずるい、安室さんはいつもこうやって私の心を簡単に掻っ攫って行って、今以上に彼を好きにさせる。期待させて、の心を掴んで放さない。彼に抱きしめられてドキドキしているのはだけなのに。それでも彼がのことを見つめるから、抱きしめているから、は震える唇で「はい…」と言葉を紡ぐことしかできなかった。

――名前を呼ぶ度に、もっともっと好きになっていくけど、良いんですか。
机の上で、カーテンの隙間から射しこんだ朝日にハートのペンダンドがきらりと光った。


54:ふたりだけにわかる形を求めてた
2015/08/19

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