清正の井戸に行ったところ、先程よりも並んでいる人が増えていた。井戸に着くまで結構待たされそうだということで羽田の顔に陰りが差す。由美さんを待たせてばかりだと落ち込む彼だったが、それをどう捉えたのか光彦たちは彼と由美の馴れ初め話かと思ったらしい。
聞かせてと可愛くお願いする歩美にコナンは呆れた目を向けるけれど、待ち時間の良い暇つぶしになるんじゃないと言う哀に彼は流された。
も2人がどうやって出会ったのか気になったので、哀が彼に聞かせてくれる?とわくわくした様子で訊ねるのを黙って見ていた。
「あ、ああ…あれは10年ぐらい前…」
顎に手を当てて当時を思い出している彼を、はじっと見つめた。馴れ初めかぁ。も安室と出会った時のことを思い出してみるけれど、当時を振り返ると良い出会いではなかった。その上共に暮らすことになってからも彼とはぎこちない関係だったし。今こうやって信頼関係が築けていることが驚くくらいだ。
しかし、順位戦を終えて東都環状線の電車に乗っていたと話し始めた羽田に、意識をそちらへ戻した。
精神的に疲れる試合だったらしく、ヘトヘトに疲れていた彼は座席に座っている最中に寝てしまったらしい。その上、隣に座っていた女性、由美の肩に頭を乗せて涎を垂らしていたと言う。そんな彼に由美は優しく降りる駅であることを教えてくれて、尚且つ彼女はそれを教える為に本来彼女が降りる筈だった駅を数駅飛ばして彼の隣に座っていたらしい。
何それ、由美さんめちゃくちゃ良い人じゃないか。は彼女と会ったこともなければ見たこともないけれどその話を聞いただけで彼女に好印象を抱いた。
「由美さん素敵……」
「――っとまあ、ただのノロケ話になっちゃったけど…待ったなしの将棋の世界にいる僕にとって、あの時の彼女の笑顔はとても…って、え?」
「由美さん…」
「良い人じゃんか!!」
「感動しました!!」
だからと言って、歩美たちのように涙を流したりはしないが。
驚く羽田を見上げて涙を浮かべる3人は由美を絶対に助けなくては駄目だと彼に詰め寄った。確かにそうだと思うけど、こんなに大きな声で騒いだらまた哀に窘められる。そう思ったが、彼女は井戸の方を見ていて自分たちの順番が次であることを確認していた為、彼らに叱責は飛ばなかった。哀ちゃん怒ると怖いからあんまり冷や冷やさせないでほしいなぁ。
は井戸を見ても何かに気付くとは思えないので羽田とコナンを前の方に行かせて彼らに井戸の観察をしてもらうことにした。
「何かあった?」
「…ああ、香車の駒がな…」
井戸の中に手を入れて何かを取り出したコナン。彼の後ろからひょこりと覗き込んでみれば、彼の手には将棋で使う駒が一つある。これが犯人の残した手がかりなんだろうが、如何せん将棋に疎いにはこの駒が何を示しているのか分からない。
「香車で何か心当たりある?」
「いや、特には…」
その上コナンが羽田に訊ねてみても彼も分からない様子。しかし、駒の裏に何かが描いてあるのをは発見した。それは元太たちも同じだったようで、一斉に「あー!」と声が上がる。コナンが駒を裏返して確認してみると、そこには七と三を囲む二つの大小の円が逆Tの字に隣接して描かれていた。


 元太がその絵を見て、まるで顔のようだと真似をしたけれどは「う〜ん」と首を傾げる。これが犯人の顔であるわけはないだろうが、だからと言ってそれ以外の案が浮かばない。皆で首を傾げている所に、コナンの携帯に佐藤から電話がかかってきた。刑事という言葉に反応した羽田が「しー!」と必死にジェスチャーするけれどコナンはそんな彼を見ながらしれっと由美を探していると話し始めた。
「何か由美さん一昨日の夜、酔っ払ってタクシーに乗って知らない街で降ろされて、携帯電話も財布もどこかに落としちゃったからポケットに入っていた小銭で公衆電話からボクに電話してきたんだけど、小銭も切れて途中で電話も切れちゃったみたい!」
ぺらぺらとある事ない事を佐藤に話す彼に恐ろしい小学生だとは思った。佐藤もまさかこんな小学生が嘘を吐いているとは思わないだろう。だけどよくよく考えてみたらどうして由美がコナンに電話をかけてきたのか、と怪訝に思う筈だけど、そこは気付かれたとしても彼なら上手く誤魔化しそうだ。
羽田の心配を回避し、尚且つ何かあった時の為のパトカー要請もしてしまった彼は手際が良すぎる。
「嘘つきだなぁ」
「嘘も方便、だろ?」
ちらりと彼を見やればふっと不敵に笑って彼は香車の駒に視線を戻す。嘘も方便。確かにそうだけど、彼の場合そうやって使ってきた嘘はいったいいくつあるのだろうか。外見だけは小学一年生だけど、最近コナンの中身は大人になりきれていない子供のような感じがして、は人知れず溜息を吐いた。
だがその間にも少し進展していたようで、香車に込められた意味を考えていた彼らは香車が「ヤリ」と呼ばれていると話していた。
「でも何でそう呼ぶの?」
「そりゃー香車がどこまでもまっすぐに進んで…」
「まるで槍のようだから…」
歩美の疑問に答えたコナンと羽田は同時にはっとした顔付きになった。言葉がなくてもお互いに考えていることは同じだったのだろう、顔を見合わせた彼らには哀と目を合わせる。どうやら彼女も彼らが何かに気付いたことを察したらしい。
「コナンくんっていつも一人で解決していくよね」
「そうね…。頭の中を一度見てみたいわ」
勇気を出して小さな声で哀に話しかけてみれば、彼女は普通に返してくれる。今まで通りクールな返事だったけれどはそれだけでも嬉しかった。だって、彼女は自分のテリトリー以外の人間には少し冷たい感じである為、もしかしたら自分もそういう対応をされるのかと少し不安だったから。
私達にも分かるように説明してくれるんでしょうね、と彼らを見る哀にコナンたちはたちの存在を思い出したようだった。だが、それを教えてくれるのは目的の場所に着いてかららしい。阿笠に車を頼んだコナンはたちを振り返り訊ねた。
「恐ろしい名前がついた坂の途中にある場所だけど、お前たちも来るか?」
思わず彼の言葉にえっ、と慄いた5人だった。


 幽霊坂という恐ろしい名前の付いた坂にやってきたたちはその坂の途中の墓地に来ていた。この墓地には福島正則が眠っているらしく、彼が先程の香車に書かれていた答えの一部らしい。暗号を解き明かしてくれた彼らになるほどとは納得する。
変わった形のお墓を見たコナンだったが、見た感じここには何もなさそうだ。しかし、は元太たちと共にその墓の裏を見てみた。
「あれ?」
「あ!墓の裏に何かあるぞ!」
彼らが墓に何かをしないように見張るつもりだったのだが、そこには何故か将棋の盤があった。力持ちの元太がそれを持ってコナンたちの前に置くと、彼らは盤上に釘で突き刺さっていたり接着剤で固定されている駒に注目する。
何故犯人はこんなことをしたのだろうか。釘が刺さっている駒の場所に来いということは確かだろうが、と考え込んでいるコナンにも頭を捻る。
盤上では、飛車と一緒に角が串刺しになっており、銀の上に金が重なり、角だけが何故か二枚ある。棋士としての観点でそれを見た羽田だったがそれが何を示しているのか全く分からないようだ。しかし、別の方向から見ていた元太や光彦の話では「へ」や「7」に見えるという。確かにそうかも。彼らがいる位置に回ってそれを確認したは頷いた。だけどそれが一体何に繋がるというのかが問題である。
「7の方がありかもね…。1つ目の暗号は将棋の七大タイトルで、2つ目は賤ヶ岳の七本槍だったし…」
哀の言葉にうんと頷く。ここまで7が続いているのだから確かに7で考えた方が良いかもしれない。しかし、それだけではない気がする。ちらりと目を凝らして盤上を見つめるとあることに気が付いた。
「駒の横に字が書かれてる」
「ね!こっちにもあるよー!」
が見たのはなまけものという字だったが、どうやら歩美の方向からも見える字があったらしい。一斉に駒の側面を見始めた彼らが見つけたのは「見栄っ張り」と「なまけもの」。
飛車が乗り串刺しになっている角に「見栄っ張り」で金が「なまけもの」と書かれていることの意味は何なのか。光彦はそれを見て「金は銀の上に乗って楽をしているから怠け者で、角は飛車をまとって自分を強そうに見せているから見栄っ張りなんですよ!」と笑顔になる。しかし、そんな推理もコナンによってそれが何を意味しているのかと訊かれてしまえば、何も言い返せなくなったが。
光彦の推理を聞いて頭を悩ませている羽田。そんな彼の独り言を聞きながらもスマートフォンの時計を確認すれば刻々とタイムリミットは迫ってきている。タイムリミットまであと2時間半しかない。哀の言葉に頷く彼は、最初から名人戦に戻るつもりはなかったらしい。自分のことよりも彼女を優先する姿に、当たり前かもしれないけれど感動した。
――安室さんは、私に何かあった時、何か大切なことがあっても私を助けに来てくれるのかな。
なんて、きっとそんなことは無いのに一々考えてしまう。
「でもこれって…まるで私たちを見透かしているようね」
ふと呟いた哀に意識を戻す。だってそうでしょう?と続ける彼女は、元々私たちは6人グループだったと言う。そして新しく仲間に入った7人目は。確かにそうだ。彼らのパワースポット巡りに歩美がを誘ったから彼らは7人になった。今は羽田が加わったから8人だけど。
「この盤の上の駒にそっくりじゃない!」
そう言う彼女に元太はどうして新しく仲間になったと分かるんだと首を傾げる。それに対して光彦は角だと伝える。角は最初は一つしか持てないから。難問で押し潰されている姿もそっくりと呟く彼女はこの状況を皮肉っているのだろうか。
「いや、違う!」
「新たに仲間に加わったのは…」
――その角じゃない!!
しかし鋭い声がコナンと羽田から響いた。哀の考えが間違っていたのか。眉を寄せて顎に手を当てるコナンと羽田に何かが分かったのだと気付いた。今まで進展しなかった状況が漸く変わるのか。暫し盤上を見つめていた彼らは2人同時に駆けだした。
「車まで急いで!!」
「もしかして分かったの?」
「ああ!由美さんがいるのは杯戸町だ!!」
切羽詰った様子で叫んだコナンにたちは同じく車まで駆けだした。


 杯戸町に向かう車の中でコナンと羽田が先程の暗号の解説をしてくれていた。後部座席で6人座っている為もの凄く窮屈だったが、今はそんなことを気にしている場合ではないだろう。どうやらあの盤上の駒は七つの大罪を意味していたらしい。元々七つの大罪は「暴食」「強欲」「色欲」「憂鬱」「憤怒」「怠惰」「虚飾」「傲慢」の8つあったが、「虚飾」が「傲慢」に、「憂鬱」が「怠惰」に含まれるようになり、新たに「嫉妬」が入って7つになったらしい。
「まるで…あの将棋盤の駒のようにな!」
はそこまで知らなかった為へえ〜と頷く。コナンくんは本当に色んなことを知っているなぁ。だが、どの駒が何を表しているかなんてには分からない。同じように疑問に思った光彦がが口にするよりも前に彼に訊いてくれた。
飛車と串刺しになっていた角は見栄っ張りと書かれていたから「虚飾」でもう一つの駒は置いてある位置から考えて「嫉妬」で間違いはない。コナンがそうだよね?と羽田に確かめると彼はそれにああと頷いた。
角は斜めにしか行けないから行けるマスが決まっている。それ故、成ってもいない角があのマスにあるということは、相手から取って自分の持ち駒にして新たにあのマスに打った駒、つまり新しく仲間に加わった「嫉妬」ということである。助手席から振り返って説明してくれた羽田にふ〜んと思ったが、如何せん将棋を知らないおかげで大分頭がごちゃごちゃしてきた。本当にこの世界にはが知らないことばかりだ。
そして飛車があった場所からも高飛車な構えだと分かり、高飛車な人は傲慢とも言えることから、飛車が示している場所はプライドが入った場所だということになる。つまり、このあたりでプライドが入っている場所は由美が攫われている場所はホテルハイドプライド。
「親切な犯人だね」
「ねー。そんなに太閤名人に来てほしかったのかなぁ」
哀とコナンの会話に便乗して歩美に顔を向ければ、彼女もそれに頷いた。太閤名人に来てほしい、ねぇ。何か犯人は羽田に恨みでもあったのだろうか。でなければこんな風に態々敵を呼び寄せるなんてことなどしなかった筈だ。

ホテルに着いたが、どこを探せば良いのやら。そう固まっていた一行だったが、コナンの言葉によってフロントで聞いた所、羽田様が来たら連れてくることになっていたようなのでその男性に従って、エレベーターに乗り込んだ。
「あの…羽田様がいらっしゃいましたけど…」
コンコンとノックした彼だったが、中から返事があるよりも先にコナンが扉を開いて中に突撃した。ええっ入って良いのかな。慌てる従業員の男にはすみませんと謝った。従業員の人もそうだが、何より中には由美がいるのに、こんな風に突撃したら犯人に何かされてしまわないか心配で。
「由美さん!!いたら返事して!!」
由美さん!!そう何度も必死に彼女の名を呼ぶ羽田に、理屈ではないのだと思った。確かに、大切な人が攫われた場所までやって来たら気持ちが急いても仕方がない。しかし、ガチャリと扉を開けた先には何かのスイッチを持った中年の男性が座っていた。
「おっと、そこまでです…」
羽田秀吉以外の者が入ってきた場合はこのソファに仕込まれた爆弾が爆発する。ソファの上に縛られ意識を失わされている由美の姿を見て、たちはそれ以上進めなくなった。
だが妙だ。すんすん、と周囲の匂いを嗅いでも火薬の匂いなんてしない。もしかしてこの世界では火薬を使わなくても爆弾を作ることが出来たりするんだろうか。そうなるとが動くと大変なことになってしまうので、はじっと彼らの様子を眺める。
彼らが将棋を始めた様子を眺めていたが、犯人の男は途中で突然涙を流し始めた。それに戸惑う。きっと、彼と戦った時に何かあったのだろう。
「ご、5三香で王手!」
「6二玉…」
「よ、4二飛車成で王手!」
「7一玉…」
しかし羽田は彼の王手を見た後に、迷いなく声を発した。起死回生を図る犯人の男だったが、とうとう彼に追い詰められこれ以上は逃げられなくなってしまったらしい。その様子にたちはぽかんとして彼を眺めた。頭が良い人だとは思っていたけれど、ここまで頭が良かったなんて驚きだ。
「これで僕の玉に詰みはなくあなたの玉は必至…」
羽田の言葉によって、彼はどちらにしろ敗けていたということを悟ったようだった。そしてやはり犯人の男には事情があったらしい。彼との対局で敗け茫然として、妻の死に際に立ち会うことが出来ずにいたことからの犯行。
爆弾も実はただのハッタリということでは何だ…と彼を睨んだ。こんなことなら最初から彼女を助けていれば良かった。だけど、そうしているよりも羽田がきちんと彼に引導を渡したこの状況の方が2人にとって良いものだったのは分かる。由美も無事だったし、一件落着というわけか。


49:ラブ・ミー・イン・ザ・ナイトメア
2015/08/17
哀ちゃんの台詞を書いた時にこの話は拙かったと気付きました。すみません。

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