最近のの分身は上機嫌だった。安室には想いを伝えてはいけないという言葉は頭に残っていても、彼から可愛いペンダントをプレゼントしてもらったから。まあ、それを着けているのは本体だけど、気持ちは一緒だ。そして今日は歩美に誘われて一緒にパワースポット巡りに出かけている所だ。コナンとは和解したが哀にはまだ和解らしきものをしていなかったので遠慮しようかと思ったのだが、中々に歩美がのことを誘ってくるのでそんな彼女に断るのは心が痛むということでつい頷いてしまった。
「そろそろだな…」
「え?何が?」
阿笠の車の後部座席に5人でぎゅうぎゅう詰めに座りながら移動している最中にコナンが呟いた。それに首を傾げれば、今日は羽田秀吉の名人戦だと言う。以外の子供たちはどうやら彼に一度会っているらしく、へぇーと頷いていた。はそんな彼のことを知らないが、コナンの話から彼が将棋のプロ棋士であり以前少年探偵団と一緒に事件を解決したということを聞いて納得した。プロ棋士と知り合いなんてすごいな、この子たちは。本当に色んな人脈がある。
「今日名人位を獲り戻したら七冠王!史上2人目の大快挙だよ!」
「もしかして由美さんが前に言っていた7つって…」
「そのことだったの?」
前にいる阿笠と元太に頷いたコナンの言葉によって、光彦と歩美が目をきらきらさせてコナンを見やる。は由美という女性のことも彼女が言っていた内容も知らないのだが、灰原が「ベタなのは婚姻届でしょうけど…」と常より柔らかい表情をして彼らに伝えたことで一気にたちのテンションが上がった。どうやら、羽田と由美は恋人同士にあるらしい。プロポーズする為のサプライズというわけか。安室に恋をしている身としては彼女に羨ましさを感じるが、それでもめでたいことだ。
と同じくぱあっと笑顔になった光彦と歩美。そんな2人にコナンはまだそうと決まったわけじゃないと苦笑するが、電話がかかってきたようでもしもしとそれに応答した。
「せ、世良…の姉ちゃん!?」
彼が真純と話しているのにはちらりと意識を向けたが、未だに盛り上がっている光彦たちの会話に引きずり込まれた。
「白無垢でしょうか?それともウェディングドレスでしょうか?」
「歩美、どっちも見たーい!」
「白無垢はテレビで見たことある!綺麗だよねぇ」
わくわくした表情で由美の結婚式の様子を思い浮かべている彼らに、うんうんと頷く。彼女の容姿は知らないがきっと綺麗な人なのだろう。想像できない彼女の代わりに、自分がウェディングドレスを来てタキシードを着た安室の隣に立つことを想像したら思いの外気分が高揚した。どうせ現実を突きつけられるのに、馬鹿なことをしてしまった。にやけていたのか、電話を終えた隣のコナンからじとりとした視線を貰ってしまって、は慌てて元の表情に戻した。もしかしたら色々鋭い彼のことだからが何を考えていたかなんて気が付いていたのかもしれない。


 暫く車で走り続けて明治神宮に着いた。この神社にある井戸がどうやら有名なパワースポットらしく、そこへ向かう。じゃり、と小石を踏む感覚にいつもの街と違った雰囲気を感じる。神社とは不思議な場所だ。
コナンが走り出してしまった元太たちの手綱を引っ張っている様を後ろから眺めていると、の隣に哀が並んだ。
「江戸川くんから少し聞いたけど、まだ私はあなたのことを信用したわけじゃないから」
「哀ちゃん……、うん、そうだよね…分かった」
そっと、彼らには聞こえない程度の声音で話す彼女に寂しさを感じる。彼女は彼からどれくらい聞いたのだろう。彼女がきらりと鋭い瞳を向けてくることから全てを話したわけではなさそうだ。彼の機転に感謝するべきか、全てを話していないから彼女に信用されていないことを嘆くべきか。だけどこれは仕方がないことだ。知らないとはいえ、安室の言う通りに小五郎やコナンたちの情報を彼に伝えていたは彼女にしてみたら危険人物でしかない。なぜそんなに一般人の彼女が彼や組織を警戒しているのか分からないが、もしかしたら群馬で見た彼女が大人になった姿のような女性と関係があるのだろうか。
そんな気持ちを隠して彼女に微笑めば、彼女は視線を逸らしながらも「だけど」と続ける。
「今まで通り少年探偵団にいることは認めるわ…」
それだけよ。そう言ってから離れコナンたちの所に向かう彼女にはきょとんとした。それはつまり、彼女たちと一緒にいても良いということだろうか。哀なりの精一杯の譲歩に徐々に頬に熱が差す。
のことを完全に信用していなくても、それでも彼女たちと一緒にいて良いと言ってくれた彼女に、はあの時考えたことを後悔した。“例えコナンたちと笑い合えなくなっても”、なんてそんなの嘘だ。やっぱり、彼らとは一緒に笑いあえる環境でありたい。まだ課題はあるようだけど、少しずつ彼女の信頼を得ていければ良いなぁと思って「ちゃん早くー!」と笑顔で手を振る歩美に微笑み返して彼らのもとまで走った。

 清正の井戸に行ったたちはこんな小さな井戸が運気アップに繋がるのかと感心して神社の入口付近にまで戻ってきていた。そこで、ふと着物姿の男性が息を切らせて何かを探しているのを発見した。あれ、あの人どうしたんだろう?そう思ったは「ねえ、コナンくん。あの人どうしたのかな?」とコナンの肩を叩く。そうすれば彼はその男性を見て、「あれ?太閤名人…」と声を上げる。知り合いだったのだろうか。不思議に思った所で、そう言えば車の中でコナンが羽田秀吉のことを太閤名人と呼んでいたことを思い出した。
「どうしたの?今日って名人戦だよね?」
「あ、いや実は……」
困惑した様子で訊ねるコナンに羽田は何かを伝えようと口を開いたが、途中ではっとした様子になって言葉を濁す。気分転換で山梨から東京まで来てしまったなどと言うのだから、そんな言葉が嘘なのはきっとコナンや哀にはバレバレだろう。かく云うも彼の様子は挙動不審なので、何かを隠していると思って彼を見上げていた。
「ええ、だから2時間かけて神頼みをしにここへ…」
「わぁー太閤名人だ!サインちょうだーい!!」
きょろきょろと落ち着きなく周囲を見渡す彼にコナンは子ども特有の無邪気さを装って大声を出した。サインって…。何かをしようとしているコナンにはちらりと視線を向けるが、途端に周囲の人間が羽田秀吉がこの場にいることに驚き注目を集めてしまったことで焦る羽田。しかし今日は名人戦であるのにこんな場所にいる筈はないということに気付いた彼らはすぐに興味を失って彼から視線を外した。
「ね!こーすれば誰かが見張ってても、ファンが声をかけただけに見えるし、名人戦当日にこんな所にいるわけないから周りにはソックリさんで通せるでしょ?」
「そ、そうだね…」
にこっと笑ってしゃがんだ羽田の耳元に顔を寄せるコナン。そういうことか。彼が行なったことを理解したは、所でどうして羽田は名人戦を放ってこんな所にまで来たのかと不思議に思った。コナンの話では今日の試合はかなり大事なものらしいのに。
「じゃあサインするフリしながら教えてくれる?ここへ来た本当の訳を…」
「あ、ああ本当はね…」
だがそれはコナンが聞いてくれたらしい。ほっとした様子で彼が差し出した手帳に文字を書き始めた羽田。しかし相当焦っているのか彼が書いた字は汚くて癖のある漢字に慣れていないは何と書いてあるのか理解出来ない。しかし、歩美たちが他言無用であるにもかかわらず「由美さんが誘拐された!?」と大きな声を上げてしまったことでは理解した。その代り、彼らは哀に「し〜!」と窘められていたが。
はコナンの隣から羽田が送られてきたという写真を見つめた。口元にガムテープを貼られ後ろ手に縛られている長髪の女性。綺麗な人だ。初めて見るその人が彼の大切な人なのだろう。こんな痛々しい姿ではなく、彼女の笑顔が見れたら良かったのに。
「それで、井戸には何かあったの?」
「い、いや、その井戸がどこだか分からなくて…」
コナンが手帳にサインを書いているフリをしている羽田に訊ねるがどうやら彼は井戸がどこにあるのか知らないようだ。だがコナンの様子からその場所を知っていると察したらしい。知っているのかい?と焦った様子で詰め寄る彼にうんと頷くコナン。
「なんたって運気の上がるパワースポットらしいからね!!」
自信満々な表情をして彼が放った言葉に、さっき行ったもんねとは頷いた。

 清正の井戸に向かう最中に、そう言えばこの前コナンくんたちと会った時にはいなかったよねと羽田に見下ろされたは彼に軽く自己紹介をした。彼とは初対面だったけれど彼の恋人が誘拐されたという驚きの事実に驚いて自己紹介なんて忘れていたのだ。こんな状況でもそういったことに気が付く彼は律儀というか、人柄が良いと言うか。普通なら恋人のことで気が気じゃないだろうに。
「この神社で有名な井戸と言えば…」
加藤清正が掘ったと言われる清正の井戸。清正の井戸の方位を示した看板を指差すコナンの説明に加えて歩美たちもマメ知識を彼に披露している。清正とは信長の家来であり、武勇に優れ熊本城を建てた築城の名手であり、熊にも勝ったことがあるらしい。
「で、その清正の井戸を写メで撮って携帯の待ち受けにしたTVタレントが急に売れ出したから運気が上がるパワースポットとして有名になったわけ!」
「そ、そうなんだ…」
へぇ。日本の歴史にまだ詳しくないは羽田と同じように哀の言葉に頷いたが、彼は太閤名人なのにどうしてそんなことも知らないんだと子供たちの純粋な目に責められていて少し不憫に思った。太閤というのはあだ名だと言っていなかったっけ。
「しかし分からんのぉ…」
「ねー、なんでここだって分かったの?」
看板と羽田に贈られてきた手紙を見てどうしてこれが清正の井戸を指しているのか、と困惑している阿笠。それはもそうだった。首を傾げて羽田を見上げる。羽田とコナンはこの場所であることに疑いを抱いていないようだが、阿笠が手紙の内容を読み上げているのを聞いてみてもには全くこの井戸と結びつけることができない。そんな疑問に答えるようにの隣から阿笠に近付いたコナンが教えてくれる。
――七つの内の神社が盗賊に襲われ、宝物殿が二日で空になり、井戸に身を潜めていた神主の娘も連れ攫われた。
「七つっていうのは将棋の七大タイトル!」
名人、竜王、棋王、王将、王座、棋聖、王位の七つのことであると彼は言う。一枚目の脅迫文で自分のことを首無し棋士と書いていたことや、「我が棋譜を読み解け」とも書いてあるからそれが将棋と関連付けられていると分かったらしい。
更に、宝が無くなるまで二日かかったなら、二日かけて戦う名人戦、竜王戦、王位戦、王将戦に絞り込まれ、名前に王が無く二日戦のタイトルは名人戦のみ。それ故、めいじんの名前が入った明治神宮が答えだというわけだ。
「も、もうちょっとゆっくり…」
「お前いつも安室さんの隣で推理聞いてるだろ…」
彼の推理の速度が速くてはあっぷあっぷしながらその情報を読み取った。なるほど、そうことだったのか。少しばかり呆れた様子のコナンに笑われたが仕方ないじゃないか。普段は将棋なんてものはやらないから全くそういうことには知識がないのだ。
どうやら羽田はこのことをきちんと理解してこの神社に来たらしいが。攫われた由美の手がかりを求めてここに来た彼だったが、残り時間は約3時間50分。つまり丁度午後3時頃がタイムリミットということだ。哀がスマートフォンの時計を見て伝えてくれた情報に、ぐずぐずしている暇はないからもう一度清正の井戸に戻ることになった。


48:伸ばせば届く道理はないから
2015/08/17
タイトル:モス

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