久しぶりに安室、否、降谷は本来の職場に来ていた。報告書を書く為にやって来たのだが、相変わらず自分のデスクが綺麗に整頓されている状態のようで安心した。何しろ降谷の隣の後輩のデスクは何の書類があるのか分からない程汚れているからだ。一時期は雪崩が起きたこともあったな、と当時を思い出して小さく笑う。今でこそ笑うことが出来ているが、あの時は降谷の書類と彼の書類が混ざり合ってどれが自分の物か探すのが酷く面倒だったのを覚えている。
上に報告する為の書類をパソコンで打ち込む作業をしてから数十分。ふいに、降谷さんと声をかけられた。ん?とパソコンから視線を上にすれば、そこには部下の一人である後藤が立っていた。
「今、お時間大丈夫ですか?」
「ええ、どうしましたか?」
データを上書き保存して、彼に先を促す。しかし、ここでは少し言い辛いことなのか外で良いですかと部屋の外をちらりと見る彼。特に何も問題はないのでええと頷いて降谷は外へ向かう。この前の赤井の件でも彼には出動してもらっているからそれなりに彼のことを信頼しているが、何か失敗でもしたのか。
人通りが少ない廊下にやって来て、降谷はそれでと先を促した。ここなら誰かに聞かれることはないだろう。
「この前帝丹大学である女性と出会ったのですが、少し気になることがあり後をつけたら降谷さんが住む部屋に入っていくのを見まして…」
どういうことでしょうか。少しばかり疑問を感じている彼に、ああと頷く。あの時、が大学に潜り込んで授業を受けた時に後藤がいたのか。別に彼女と暮らしていることを隠していたわけではないので、共に暮らしていると言えば彼は少し戸惑ったようだった。
「組織と関係がある人物なんですか?」
「いや、何も関係はないです」
暗に監視しているのかと問う彼に首を横に振る。彼が彼女の行動のどこが気になったのか分からないが――大方、大学というものに慣れてないことから挙動不審な動きをしていたのだろう――彼の疑惑を晴らしておくのは必要だろう。降谷がこう言えば、彼はそうですかと納得したようだった。これ以上は彼のプライベートだと気付いたのだろう。
「お時間を取っていただいたのに、すみません」
「いえ、気にしないでください。そういうのは必要ですから」
申し訳なさそうに頭を下げる後藤に小さく笑う。彼が神経を尖らせることは別に悪くない。寧ろ、降谷たちにとっては必要な能力だ。誰か怪しい者を見つけた時に、その人物がどういう者でどういう組織に所属しているのかと調べてしまうのは職業柄癖になっている。そういうことが積み重なって、重要なことに気が付くこともあるのだ。
ぽん、と彼の肩を叩いて降谷は書きかけの書類を終わらせる為に部屋へと戻った。彼との会話で頭に過ったのことを考えながら。

工藤優作がのパトロンとなり、彼女が描いた絵をこれから買ってくれるという話を聞いた時には驚いたものだ。たまたま道でぶつかった相手が彼で、絵の写真を開いているスマートフォンを彼が拾ったことから彼がその絵に心を奪われたと言うのだから。まさかパトロンが本当に出来るとは思ってもいなかった。
安室もその絵を見たが確かに幻想的な絵だった。この世界では見られないような魚がエメラルドグリーンの海の中で珊瑚の周りを泳いでいる姿。それ程写実的に描かれているわけではないのに、どこか今にも動き出しそうな躍動感と透明感があった。それに心を奪われるのは分かるが、だからと言ってその工藤優作が本物なのかということに彼は疑問を感じた。
しかし、彼女の話から彼は自宅の鍵を持っていたというし、部屋のどこに何があるのか分かっているということだったから彼は本当に工藤優作なのだろう。何故一時帰国していたのかは分からないが。今頃彼女は彼の自宅で絵を描いているのだろうか、と思えば脳裏に沖矢昴の顔がチラついてどうにも気分が悪くなって仕方が無かった。
――あの男と2人きりなのか。
沖矢がをどうこうするような男には見えないが、だからと言って彼女が誰か他の男の家で長時間過ごすというのは少し違和感というか、不満を感じる。少しでも尻尾を出したらまた問い詰めてやろうと思って、安室は書類に再度集中した。


 工藤家の一室を借りては油絵を描いていた。この前描いた海の絵は優作がアメリカに持って帰ってしまったので、今度はまた新しい海の絵を描いている。今回は人魚の楽園を描こうかな、と考えながら筆を動かしていた。仲間たちの話では沢山綺麗な人魚や魚人がいたと言っていたから、賑やかな雰囲気の絵にするつもりだったのだ。
暫くただひたすら筆を動かすことに集中していたら、とんとんと扉をノックされた。
さん、そろそろお昼ですけどどうします?」
「そうですね、お腹空いたんで食べたいです」
の返事によって入ってきたのは沖矢だ。彼の言葉によって時計を見上げれば確かに針は11時50分を指している。丁度彼女のお腹も空いているので彼の言葉に頷けば、では昼食を作りましょうかと彼は下の階に移動する。もそれについて彼と共にキッチンに向かって手伝う準備をした。この世界に来た当初から料理は安室に頼りきりだったが、最近では自分も料理を作れるようになった方が安室も少しは自分に頼ってくれるようになるのではないか、と思って。そこには安室に魅力的な女性として見てもらいたいという下心も少なからずあったけれど。
「では今日は鮭のホイル焼きを作りましょうか」
「お願いします」
沖矢はそんな事情は知らないけれど、が料理を教えてほしいと願い出た所快く頷いてくれた。それ以来、工藤家で絵を描く時には彼に料理を教えてもらうようになっていた。まだまだ包丁の使い方に慣れないだが、沖矢が料理の手順を丁寧に教えてくれることによって、少しずつ料理の腕を上げては来ている。
胃袋を掴まれているのは完全にだが、いずれは安室の胃袋を掴めるようになりたい。の料理の美味しさにぽろりと彼の秘密を教えてくれたら万々歳だ。まあ、流石にそれはないとは思うけれど、少しでも彼の力になりたいというのは本当だ。
がホイル焼きの為に野菜を切っている間、沖矢はスープを作る。料理が上手くなったに安室がどんな反応をしてくれるだろうかと考え込んでいた所、手が止まっていたのか彼から「止まってますよ」と指摘を受けた。すみません。
「段々野菜の切り方が均等になってきましたね」
「本当ですか?」
「ええ、火加減も丁度良いですし、もっと自信を持っても良いと思いますよ」
出来上がった鮭のホイル焼きを食べた沖矢の言葉にぱあっと笑顔になる。どうにも、電子レンジで卵を爆発させたことが自分の中では若干のトラウマになっていたようだが、彼の言葉によってあの時の失敗のイメージが徐々に薄らいできた。レシピを見て作り方さえ分かっていれば出来る筈、そう続ける彼にはこくこくと頷く。
――沖矢さんに料理教えてもらって良かった。
ちゃんと徐々に料理が上手くなりつつあるにしっかりと良い所と悪い所を教えてくれる沖矢には感謝した。安室に料理を教えてもらっても良い――寧ろ彼とのコミュニケーションが増えるのだから嬉しい――のだが、やはり根底には彼を驚かせたいという気持ちがある為、丁度身近に料理の先生がいて良かった。
サッチ隊長も料理上手だったなぁ、なんて随分と会っていない船の仲間を思い出して寂しくなったけれど、いつでも会いに行けるのだからと思えばそんな気持ちはすぐに落ち着く。やっぱり、好きな人という存在が大きいからだろうなぁ。


 工藤家に絵を描きに行くことで安室と一緒に昼食を食べる機会が減ってしまったはそれに寂しさを覚えたが、その代わりに彼との食事は以前より更に大事にするようになっていた。
そんなひと時の中、彼が発した言葉には首を傾げる。
「そういえばはアクセサリーを着けないね」
「あ、本当だ…。言われてみればそうですね」
テレビを見ても、街中を歩いていても大抵女性はネックレスや指輪、ピアスをしている。しかしはそういった類の物を着けたことがなかった。船にいた時は戦利品の分け前などで宝石のネックレスを持っていたけれど、そういうお宝は普段着に似合わないことから着けないし、大抵は見ているだけで満足してしまう。
きっとその習慣がこの世界でも続いていただけだろう。それを伝えれば、本当には海賊らしくないなぁなんて、彼から馬鹿にしているのか褒められているのか分からないような言葉を貰った。
「それなら、明日は暇だし一緒に出かけないか?」
「?はい、ぜひ」
彼がどこを繋げて「それなら」と言っているのか分からないが、は彼と出かけること自体は嬉しいので笑顔で頷く。どこに行くんですか?と興味津々の様子で訊いてみると、明日になってからのお楽しみだよと彼が言うので彼の言う通り明日までこのわくわく感を取っておこうと思った。
 そして翌日の朝。朝食を食べて出かける用意をし始めたに、今日はこれにしなよと珍しく安室がの服装を決めた。いつもはが着る服装に口出しをしない彼だが、今日はどうやら違うらしい。シックでシンプルな黒地のニットワンピースを指差す彼に、特に何も考えていなかったは素直に頷いた。
そして安室の車でやって来た場所を見て、はぽかんと口を開けて驚いてしまった。それと同時に、どうして今日は彼がの服装に口出しをしたのかを理解する。
「安室さん、ここ何ですか…?」
「老舗アクセサリー店だよ」
目の前に佇む高級感溢れる店には怖気づく。何しろ今までこんなお店に入ったことなどないから。ショーウィンドウに飾られたキラキラ光るネックレスやピアスを見ていると海賊の血が騒いでどれが一番高いだろうか、と目利きを始めてしまうだったが、自分がこの店に入るとなるとそれ所ではない。
しかし安室は躊躇なくその店の中に入っていくので、は慌てて彼の背を追いかけた。
「――誰かに贈るんですか?」
「勿論。じゃなきゃ、こんな所には来ないよ」
店の中にあるものは全て女性物のアクセサリーだ。ピンクゴールドやシルバーに輝くそれらに目を奪われながらも、ちらりと安室を見上げれば頷かれる。それに、ずきんと心臓のあたりが痛くなった。
誰にあげるんだろう。が知る限り彼には女性の影なんてほとんどなくて、は曖昧に笑って応える。もしかしたら、シャロンさんにあげるのかな。彼はただの同僚だと言ったけれど、あれだけ綺麗な人なら安室が好きになってもおかしくない。寧ろ、より余程お似合いの2人だ。
に選んでほしくてね。どれがほしい?そう訊ねてくる彼の声は穏やかだけど、普段より少し弾んでいる気がする。それがどんなににとって残酷なことなのか、彼は知っているのだろうか。の女性としての感性を頼らなくても彼なら素敵なアクセサリーを選ぶことが出来るだろうに。それにここにはハズレ商品なんて見た所無い。
「…、相手はどんな人なんですか?」
「素直で、初心で、人を気遣うことが出来る子だよ」
とにかく、相手のイメージが湧かなくては品を選ぶことも出来ない。そう思ってずきずきと痛む胸を無視しては安室に問いかけた。しかし、彼から述べられた言葉はシャロンとは結びつかない。彼女はどちらかと言うと、妖艶で男を翻弄するような魔性の女の香りがしたから。贈るのはシャロンではないのだろうか、そう思った所ではっと思いついた。一人、当てはまる子がいる。子、と彼が言ったことから彼より年下なのだろうその女性。が知っている中で、安室の言葉を全て含んでいるのは蘭だった。確かに、そうだ。今までの彼女を思い出したはもう一度頷く。彼女以外で、この要素を持っている人をは知らない。
――安室さん、もしかして蘭ちゃんのこと…。
ぐるぐると胸の内に渦巻き始めた嫌な気持ちに囚われそうになって、ぐっと眉を寄せる。だけど、そんな自分に気付かれたくなくてはガラスケースの中をきょろきょろと見て回った。何で私がそんなものを選ばないといけないんだろう。彼はが歩くのに合わせてゆっくりと後ろからついて来る。
どれもこれも可愛くて魅力的だけど、はある一つのネックレスに目を付けた。もし、贈る相手が蘭ではなかったとしても、彼の言葉のイメージに合うものを見つけたのだ。
本当は、そんなことに協力したくなかったけれど、彼の喜ぶ顔が見たくて動いてしまうは馬鹿だ。どうせ、後で傷つくのに。
「これ、どうですか?」
「ああ、良いんじゃないかな。可愛いし」
可愛い、なんて彼の口から初めて聞く言葉にの心臓はどきっと跳ねた。自分のことを言われているわけではないと分かっているのに。が指差したのは、全体がピンクゴールドでまとめられていて華奢な鎖に繋がれたハートのペンダント。ぷっくりとして立体的なハートは小指の先程度の大きさだが、右上に花を模した小さな赤い宝石が埋め込まれているのが可憐で。イメージに合った物を選ぶことを考えていたけれど、もこのペンダントは可愛くて欲しくなった。彼もそれに納得したらしい。
「じゃあ、これ買ってくるから待ってて」
「分かりました」
彼が店員を呼んで、が選んだペンダントを会計する様子をそっと眺める。だけど何だか少し時間がかかるようで、は店の中を先程よりもゆっくり見て回った。0が異様に多い物ばかりだけど、老舗というだけあって品の良い物しかない。なんて、安室から意識を必死に逸らそうとする。
――いつ蘭ちゃんに渡すんだろう。
だけど逸らそうとしても勝手に頭が安室と蘭を思い描いて、ずきずきと心臓が痛む。蘭には思い慕う相手がいるというのに。それを伝えても良いけど、自分が安室の笑顔を壊すのかと思うと勇気が出なくて。
結局、戻ってきた彼に真実を伝えることは出来なかった。安室さんに嫌われたくないからって、狡い奴。


 家に帰ってからもこのモヤモヤは消えてくれなくて、はソファに座ってその嫌な気持ちを追い払うように目を瞑っていた。
、動かないで」
「え?」
突如背後から聞こえた声には目を開いた。それと同時に首にひやりとした金属の感触が。きょとんとして安室を見上げるに鏡で見ておいでと彼が言う。それに頷いて全身鏡の前に立てば、の首元では昼間彼が買ったハートのペンダントが光っていた。それに思わず目を見開く。
「え、これ…、蘭ちゃんにあげるプレゼントじゃなかったんですか?」
「なんだ、気付いてなかったのか」
驚いて彼を見やれば、彼もきょとんとしてを見ていた。どうやらが蘭に渡すと思っていたことなど予想すらしていなかったようで。ヒントなら一杯出したのに、なんて言う彼には漸くあの時の彼の言葉がを指していたのだと分かった。そんな、だって、一緒に買いに来ているのに自分を候補にいれる筈がないではないか。では、あの時の言葉は全部のものだったのか。一気に顔に熱が集まり先程まで感じていた嫌な気持ちなんて吹き飛んで、今度は違う意味で胸がぎゅっと締め付けられた。安室さんは私のことをそんな風に思ってくれていたんだ。単純すぎるとは分かっていても、嬉しいものは嬉しかった。
「でも、どうして私に…?」
は何度も僕のことを助けてくれたからね。そのお礼だよ」
店ではあまり値段を見ていなかったけれど、このペンダントだって相当0が付いていた筈。そんな物をに与えてくれる彼の心が読めなくて訊いてみたけれど、特に思い当たる節がなくては首を傾げた。彼を助けたことなんて、銃で撃たれた時ぐらいじゃないだろうか。寧ろの方が彼に助けられてばかりだというのに。
「僕はから色んなものを貰ってるよ」
そんなを見て、気付いていないだけさと言う彼にそうなのかなとは考える。だけど、彼が言うのだからきっとそうなのだろう。本当に自分が安室を何度も助けていたなんて信じられないけれど。
「ありがとうございます…!毎日着けますね」
「喜んでくれて良かったよ」
嬉しい。本当に嬉しい。自然に笑顔が溢れて、胸の内が温かくなる。彼からの初めてのプレゼントには舞い上がった。プレゼントしてくれた理由がお礼だったとしても、全然構わなかった。が選んだとはいえ、ペンダントトップの形はハートだし彼がを思って買ってくれたものだから。穏やかな笑みを浮かべてを見守る安室を見て、ずっと大切にしようと誓った。


 ペンダントを着けて喜んでいるを見て、安室は穏やかに笑った。彼女にネックレスをプレゼントした理由は本当にお礼の気持ちだけど、こんなに喜ぶなんて。どうにもネックレスを選んでいる最中に少し彼女の雰囲気が暗い気がしていたけれど、蘭にプレゼントすると考えていたとは夢にも思わず。前日の会話からにプレゼントするのだと思わなかった彼女は、どうやら少し自分に自信がないようだ。
――馬鹿だな。
確かに蘭も安室が言った性格だと思うけれど、彼女にプレゼントする理由なんてないではないか。また勝手に勘違いして傷付いていたなんて。
ソファに一緒に座って、何度もペンダントを眺めたり弄ったりする彼女に安室はこれを購入した時のことを思い出していた。ハートのそれを選んだ彼女に丁度良いとばかりに、店員にあることを頼んだのだ。
「このペンダントトップの裏に小さく零と彫ってくれますか?」
「かしこまりました」
零、それはただの数字でありながらも自分の本当の名であり、ゼロと読めば自分が所属する機関の俗称でもある。それを彼女へ渡すペンダントに刻ませたのは、最初で最後の大ヒント。ずっと傍にいてくれる彼女に対する安室なりの精一杯の誠意でもあり、気になっているだろうに今まで安室の過去を詮索してこなかった彼女への親愛の証だった。
この程度の印であれば彼女以外の者が見たとしてもパッと見では気付かないだろうし、気付いたとしても誤魔化すことなど苦ではない。だけど彼女も暫くは気付かないだろう。彼女は難しい漢字は読めないし、ペンダントの裏なんてそうそう見ない筈。
――見つけても、見つけてくれなくても良いよ。
これからもが安室と共にいるならそれで良い。隣でいつまでもペンダントを見ている彼女の頭を衝動的に乱暴に撫でて、髪の毛がぐしゃぐしゃになったと怒った振りをするに笑った。


47:いつかかくしたぼくをみつけて
2015/08/10
ハートの裏に「零」と小さく刻み込まれた文字とその意味を、彼女が知る日は来るのか。

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