ブー、ブー…。寝る時はマナーモードにしてあるスマートフォンから音が鳴っているのに気が付いては目を覚ました。時刻はまだ朝の7時ちょうどだ。こんな朝早くからいったい誰が。そう思ってまた完璧に開かない目で相手を確認すると、どくりと心臓が跳ねた。
――コナンくん。
ディスプレイに表示された名前に、はどうして…と戸惑った。だが、コール音は途切れる様子がない。仕方なしにはその電話に出ることにした。
「もしもし」
さん、おはよう』
朝早くにごめんね、そう言った彼に一応常識はあったのだと分かった。彼は挨拶はそこそこに話し始めた。
今日、工藤家に来れる?そう訊ねる彼になぜと質問する。工藤家、とは確か沖矢が住んでいる家ではなかっただろうか。住んでいる人の名前が違うことに何かしら事情があるのだろうと思っていたが、どうしてあんなことをした沖矢の家に行かなくてはいけないのだろうか。
『大切なことがあるから、さんにも一緒にいてもらうと思って』
「……分身でも良い?」
『うん、じゃあ誰にも気付かれないようになるべく早く来てね』
しかし、真剣な声音の彼には頷いた。自分ではなく分身の意識を乗っ取った状態でいけば分身の身体を好きに使えるし、本体よりはるかに安全だろうと思って。快く承諾してくれた彼に頷いては電話を切った。
いったいどういうことか分からないが、誰にもということは安室にも知られたら不味いのだろう。仕方ないなぁ。
 一先ず着替えてリビングへと赴く。朝食を既に作り終えた様子の安室におはようございますと声をかける。昨日は安室が帰ってくる前に寝てしまったから彼の顔は一日ぶりに見た。
「おはよう、昨日は遅くなって悪かったね」
「大丈夫ですよ。事件解決したんですか?」
いただきます、と手を合わせて朝食を開始させる。その最中に昨日のことを訊けば、彼はああと頷いた。どうやら犯人は子どもの保護者の男性だったようだ。彼の話では澁谷と保護者の両方に非はあったらしい。だが、殺人未遂を犯したわけだから彼はしかるべき罰を受けるのだろう。
「そういえば、今日は朝から出かけるんだ。帰りは遅いかもしれない…悪い」
「良いですよ。ちょうどゴロゴロしたいと思ってたんで」
彼の言葉に内心は良かったと安心していた。だって、の本体が分身の意識を乗っ取っている間は、本体の意識はなくなる。そんな状態のに安室が気付いたら、何をしているんだということになってしまうから。
咄嗟に出たゴロゴロという言葉に彼には呆れられてしまったけれど、上手く誤魔化せたようで安堵した。それと同時に最近、何だか彼を誤魔化すことが多くなってきたなぁとは少し寂しく思った。
 食後、そう時間が経たないうちに分身を出しランドセルを背負わせたに、安室が声をかける。
「あれ?もう分身を送り出すのかい?」
「はい。今日学校に行く前に歩美ちゃんたちとおしゃべりする約束だったので」
どきっと心臓を跳ねさせながらも頷く。彼はそれで満足したのか、なるほどねと言って歯を磨きに洗面所に行った。彼が歯を磨く時は洗面所の鏡の前から3分動かないことを知っているは、今だとばかりに分身と共に玄関に向かった。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
先程分身に背負わせたランドセルはフェイクだったので、彼女の背からランドセルを受け取り自室に持って行って隠す。そしてすぐに玄関に戻って分身を外に送り出した。これで安室にも知られることなく工藤家に向かわせることが出来る。だが、彼も出かけるようだし行先が分からないこの状況ではあまり人通りが多い所を歩くのは良くないだろう。なるべく裏通りを使うように、と分身に指示を出しては自分も歯を磨きに洗面所へと向かった。とにかく、安室が出かけてから学校に電話をしないと。


 分身が出かけてから程なくして安室も家を出て行ったので、は学校に電話をかけて今日は具合が悪いようなので休ませる旨を担任の小林に伝えた。それに納得してくれた彼女にほっとして、は自室に戻って横になった。これから分身の意識を乗っ取る為、本体の意識が失っても安全な場所の方が良いから。
もうすぐ工藤家に着きそうな道をてくてくと歩いている分身に意識を集中させ、は分身の身体の中に意識を滑り込ませた。
視界が自室から外へと、また普段の目線から小学生程度の高さまでに下がったそれに、慣れるまで数秒かかった。ぼんやりと通りを眺めていたが、漸く落ち着いてきては工藤家に向かう道のりを歩く。
――ピンポーン。と高い位置にあるインターホンを鳴らす為に背伸びをして腕を伸ばす。うわ、子どもの身体って本当に不便だ。
「いらっしゃい」
「どうも…」
少しして出てきた沖矢に、はむすっとしながらも挨拶をした。とにかく中へどうぞと促されたは靴を脱いで工藤家にお邪魔することにする。コナンが呼んだのだから彼もいる筈だろう、と思っていれば彼はひょこりとリビングから顔を覗かせた。
「はよ。…さん?」
「姿は分身だけど中身は“さん”ね」
リビングにいる彼にそう伝えれば、そうかと頷いた彼。どうやら仕組みは分からないものの納得したらしい。彼に促されるまま、リビングにあるソファに腰を下ろす。沖矢はお茶を淹れるためかキッチンへと行ってしまった。
「この前はごめんね。さんを追い詰めるようなことして」
ふと、彼が真摯な顔でを見つめて謝った。この前とは、の正体を無理やり暴いて敵ではないのかと詰め寄ってきたことだろう。確かにはそれに追い詰められた。だが、彼らもきっとそうせざるを得ない理由があったのだろう。だから、はもうそのことについては気にしていない。の心情を上手く利用して口を割らせた沖矢を除けば。は彼の言葉にうんと頷いて口を開いた。この前決心したことを彼に伝えるべきだと思って。
「コナンくん、私、安室さんが悪い人でも良いよ。この世界で最初に私を受け入れてくれたのが安室さんだったから。…私は、あの人を信じる」
「そのことで今日は呼んだんだよ。たぶん今日中に彼の正体が分かるから、一緒にここにいて」
きっと、こんなことを言えば彼はまたのことを敵だと認識するのだろう。そう思ったが、は安室とコナンたちのどちらかしか選べないとなれば、安室を選ぶから。だから、そう言った。コナンのことは勿論大切だから彼がを敵だと見なそうが、はコナンの味方としても動くつもりだったし。
だが、思いがけない彼の言葉にはきょとんと首を傾げた。
――安室さんは黒の組織の人じゃないの?
彼の言葉にうんと頷きながらもの頭はごちゃごちゃしてくる。だが、頃合いを見計らったように、キッチンから紅茶を淹れて持って来てくれた沖矢に、は礼を言った。歩いている間に冷えた身体には丁度良い。
ごくりとそれを一口飲んで、は一息吐いた。


 今日中に分かるとは言っても何時なのかということまでは分からないらしい。その間、はコナンとゲームをすることにした。マンションには勿論ゲーム機など一切無いし、元々もゲームにはあまり興味が無かった為今までに一度もしたことが無かったのだが、コナンに誘われるままやってみると思いの他面白い。
「ちょ、あっ、コナンくん!まって」
「待たねーよ。はいドーン!」
今やっているゲームは自分が操るキャラクターを戦わせるものだった。バトルロワイヤル形式のそれは、ダメージが最大限まで溜まってしまうと画面の外に勢いよく飛ばされてしまう。そして、丁度はコナンのコントロール捌きによって自分のキャラクターを飛ばされてしまった所であった。
ああ、酷い。初心者の相手に最初は手加減をしてくれていたコナンだったが、段々手加減することに飽きてきたのか、何回か戦ううちに実力でを攻め始めた。
キャラクターが原因なのかな。そもそもの自分の技術不足は置いておいて、責任転嫁を始めたにはいはいと頷くコナン。親切にもキャラクターを変えさせてくれるらしい。前の画面に戻った彼に、はどのキャラクターにしようかと画面を見つめる。
「こいつがオススメだよ」
「あ、お猿さんね」
コナンが指差したのは帽子を被った小さな猿のキャラクター。対して彼は緑色の謎の生物を選んでいた。何だか亀が進化したみたいだ。それで再び戦うことにして、たちは戦い始めた。ドコッとかいう暴力的な音やキャラクターの悲鳴が響く中、はコントロールをガチャガチャと弄るのに合わせて身体が揺れてしまう。
それのおかげか、折りたたんで胸元のポケットに入れておいたお守りがぴらっと地面に落ちた。それに気を取られた瞬間、が選んだキャラクターはまたもや飛ばされてしまってゲームオーバーになってしまう。
「何だこれ」
「あ、返して!お守りなの」
しかしよりも先にコナンがそれを拾い上げた。咄嗟に彼に手を伸ばすが、彼はの様子ににやと笑って立ち上がっての手から逃れる。
ちょっと見せてくれよ、と言って折りたたんであった紙を開こうとする彼を阻止しようと追いかけるけど、靴下のおかげで床に滑って転ぶ。ちくしょう、痛くないけど悔しい。
「どれどれ……」
かさかさ、と紙を開いた彼は僅かに目を見開いた。だから見られたくなかったのに。その紙は、が描いた安室の姿があるのだから。自分でも中々上手く描けたから、工藤家に行く際のお守りにしようとしていたのが、まさかこんな形でコナンに見られてしまうなんて。
急激に熱くなった顔に、俯く。
「へぇ、上手いですね。誰が描いたんですか?」
「……私です」
今までとコナンのやり取りを静観していた沖矢がコナンの後ろから覗き込んで、言葉を発した。そんな彼に真実を伝えたら、コナンが本当に?と更に驚いた。
へぇ、と言ってじろじろ安室を見ている彼に返してよとその紙を奪い取った。今度こそ簡単に落とさないようにしなければ、と紙を折りたたんで胸ポケットにしまう。
「探偵助手なんてよりよっぽど芸術家に向いてそうだな」
「芸術家?考えたこともなかった」
何やら大分のことを褒めてくる彼に悪い気はしない。自分の絵を褒められるというのは嬉しいから。芸術家かぁ。船に乗っている時はただ絵を描いても恥ずかしくて人に見せていなかったから自分の力量など知らなかった。久しぶりに油絵でもやってみようかなぁ。なんてコナンの言葉から考えていたら、沖矢がそろそろ昼食にするから手伝ってくれるかい?とコナンに訊ねていた。


44:It is to be all made of sighs and tears.
2015/07/31

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