あれから少しして、安室のもとに舞い込んだ依頼は、またしてもストーカー被害関係のものだった。やはり、探偵という仕事柄こういった依頼内容は少なくないようで、世の女性たちの不安を少しでも取り除けるなら、とも頑張ろうと思っている。
どうやら今回の被害者は杯戸小学校の先生であるらしい。彼女はアメリカ帰りの若い女性教師であるようで、は安室に指示された通り、昼間を中心に彼女のことを見守っていた。夜は危ないから、と安室に言われて一緒に行動させてもらえないが、少しでも彼の役に立っているのだろうか。
澁谷夏子がいつも通勤に使う道を、彼女から十分離れた距離を持って歩く。今のところ、不審な影はない。ここ数日間そうなのだから、もしかしたらストーカーは昼間ではなく、夜に出るのかもしれないなぁ、とは思った。
小学校へと彼女が入っていく様子を確認したは、どうしようかと考えた。安室に、出来たらで良いが同じ職場の人間から彼女の人間関係を訊いたりしてストーカーが職場にいないか確かめてほしいと言われていたのだ。
きっと、男から訊かれるよりも女である自分に訊かれた方が警戒心なく答えてもらえると思ったのだろう。
『澁谷さん無事に学校に着きました。今は授業中なんで一度どこかのカフェに入って時間潰しますね』
そういった旨をメールで彼に送信して、は小学校から離れる為に歩き出した。じっと小学校の職員室辺りの窓ガラスを見ていると、ちらほら人影が見える。あの中に、もしかしたら犯人がいるのかな。

 さて、どこに入ろうかと小学校の近場をぶらぶら歩いていただったが、丁度軽食も取れるようなカフェを見つけたのでそこに入ることにした。からんからん、と太い音を出すベルが鳴って、はその扉の中に入った。
「おひとり様でしょうか?」
「はい」
やって来たウェイターに頷けば、彼は窓際の席に案内してくれる。メニューを見ながら、小学校の授業が終わる時間を思い出す。大体15時だった筈。それまでこの店で時間を潰すのだから長いなぁとは窓の外を眺めながら小さく息を吐き出した。
ウェイターに頼んだカフェラテを一口飲む。美味しい。普段は苦いからコーヒー系を飲まないだったが、これは普通のコーヒーに比べると甘い。やっぱり紅茶が一番好きだけどたまにはこういうのも良いな、と思って持参してきた英語で書かれた本を読むことにした。ある程度日本語が読み書きできるからと言っても、やはり今のには本を一冊読むような力はない為、外国の書籍に頼ったのだ。
ぱらぱら、とその作品を読んでいく。美しくて機知に富んだ女性であるエマが周囲の人の恋愛の橋渡しをしすぎて、紳士的な男性ナイトリーの存在によって自らを見つめ直し成長する物語である。英語である為すらすら読み進められることに気分を良くしながら、はその物語に没頭した。
小説は偉大だ。どんなに悩んでいても、時間が余っていても、ある一か所に留まらなくてはいけなくても、その物語を読むだけで別の世界に旅立つことが出来て、まるで自分が追体験していあるような気分になれるのだから。だけどこの主人公はかなり気が強くて自信過剰なのでの性格には合わず、一歩離れた所から見ているという感じではあるが。

 途中昼食を挟みながらも、はこの小説の3分の2程読み進めていた。だが、そろそろ頃合いだろう。時計を見れば、もう1年生たちが授業を終えて下校する時刻になっている。今から行けば先生たちから話を聞けるだろう、とは会計を済ませて外へ出た。ぐぐ、と凝り固まった身体を伸ばしながら道を進む。
「ゆうちゃんのおうちで遊ぼう!」
「だめ〜!今日はけいたくんといっしょに遊ぶの!」
道行く低学年の女の子たちの会話を聞きながら、は小さく笑った。コナンくんもこういう風に小学1年生らしい子どもなら良かったんだけどなぁ。どうにもコナンと哀は中に大人が入っていそうな子どもなのだ。
てくてく、と歩きながら杯戸小学校の校門を入って校舎へと近づく。
今更不審人物だと思われないか不安になってきたが、探偵の助手であり澁谷に依頼されていることを話せば大丈夫だろう、と靴を脱いで下駄箱の一番上に置く。持参してきたスリッパに履き替えて、職員室を目指す。
そこに、外に跳ねた短めの茶髪の女性とはち会った。彼女の手には書類が持たれている。
「あの、関係者の方でしょうか?」
「あ、私は…」
いきなり身元を問われたは多少慌てながらも、自分が探偵の助手であり、澁谷のストーカー調査をしているのだということを彼女に伝えた。そうすれば、ああと納得してくれた彼女。どうやら、彼女の被害状況をそれとなく知っていたようだ。ほっと一息ついて、彼女のストーカーに心当たりはないかと訊ねる。
「ストーカーかどうかは分からないんですけど、菅本先生が前、澁谷先生に告白して振られたって話を聞いたんですけど…」
「なるほど」
彼女の言葉をメモしていく。その振られた男性はどの人なのか、と問えば今の時間帯なら職員室にいると思うのでと案内してくれる彼女にはついて行くことにした。階段を上って二階の廊下を静かに歩く。あの人です、と彼女が職員室の扉の窓からそっと指差したのは体格が良さそうな男性だった。
ちょうど彼の机がこちらを向く形なので彼の顔立ちははっきり見える。同じく職員室にいる澁谷のことをちらちらと眺めている彼。他の教師たちと比べると彼女への態度の違いは明らかであった。この人の線は高いだろうなぁ、とは思って彼女に礼を言った。
職員室に入って行った彼女を見送って、は彼について他の人にも聞き取りを続けようかと職員室から離れて他の教室に行ってみることにした。


 その後も何人かに話を聞いた所、やはり最近澁谷の身の回りで起きた変わったことと言えば、菅本が彼女に告白して振られたということだった。何故これだけ皆が知っているのだろうか、とは思ったがきっと誰か口軽い人が洩らしてしまったのだろう。そのおかげでは大分スムーズに情報を集めることができたけれど。
とりあえず、ある程度重要そうな情報が集まったので、それを安室に伝えることにした。
一度小学校を出て、彼に電話をかける。プルルル…と無機質なコール音が2回続いた後に、彼は出た。もしもし、お疲れ様と声を発した彼に、はいと頷く。
「どうやら菅本先生が澁谷先生に振られたらしくて、その後も諦めずに何かと彼女に声をかけているそうです」
『菅本…ああ、あの男性か。分かったよ、ありがとう。今丁度買い物に出る所だったから迎えに行くよ』
彼にまずは重要な情報を話さなければと、教師から教えてもらった情報を伝えれば彼は頷いた。そして今小学校の前?と訊く彼にはいとは頷いた。迎えに来てくれるなんて優しいなあ。ありがとうございます、と彼に伝えれば助手として働いてくれているからね、と言われた。
その後、車に乗る為に切られた電話。暗くなったスマートフォンの画面を暫く見てから、はポケットにそれを入れて彼を待つことにした。彼が来るまでの間は先程読んでいた小説の続きを読んでいれば良いだろう。
 暫くしてやって来た安室の白い車。ぱっと自動で開けられた扉に、は助手席に座る。
「おかえり」
「ただいま」
ぱたん、と閉めた扉を確認して発車させる安室。が教師から訊き出した情報のおかげで、菅本のストーカー説は濃くなったようだ。安室が夜道で澁谷を警護するようになってからはまだ一度も見たことがないストーカーの姿に的を絞ることができなかったようだったが、これで対策が練りやすくなったらしい。
「というわけで今日も夜は出かけるけど、一人で大丈夫かい?」
「大丈夫ですよ」
だけどなるべく早く帰ってきてくださいね。そう言いそうになるのを寸での所で堪えてはその言葉をごくりと飲み下した。危ない、何てことを言いそうになっているんだ。
隣で赤信号を見て緩やかに減速した彼が、「なるべく早く帰ってくるよ」と口元に小さく笑みを浮かべて言った。もしかして、の心が筒抜けだったのだろうか。吃驚して彼の横顔を見れば、どうした?とこちらをちらりと見やる彼。きょとんとした様子の彼に、どうやらたまたまだったらしいと気付いたは何でもないですと言ってほっと胸を撫で下ろした。
 早めの夕食を食べた後に、安室は出かけていってしまった。言わずもがな、澁谷を警護する為である。時刻は既に21時過ぎ。いつもならもう少し早く帰ってくる安室なのだが、もしかして澁谷はまだ学校で仕事をしているのだろうか。
彼の仕事の邪魔をするわけにもいかないので電話もメールもしないが、こんな時間まで小学校の先生が仕事をしているのはおかしいのではないか、とは思った。まあ、まだ彼女がこんな時間まで仕事をしているかなんて分からないけれど。
ドラマやニュース番組を見ながらもは次第に眠気が襲ってきたのに気付いた。横になれるソファに座って見ているとは言っても、まだ安室が帰ってこないうちには眠る気はない。しかし、とても眠い。
徐々にテレビの中の人物が何を話しているのか理解できなくなってくる。だめ、まだ寝ちゃだめ。自分を叱咤するがそれでもとうとう瞼はくっ付いてしまって離れない。
――少しだけ。
そう言い聞かせては意識を手放した。


 。自分を呼ぶ声には徐に目を覚ました。ぼんやりとした視界に誰かが立っている。
「こんな所で寝たら風邪ひくだろ」
「あ、あむろさんおかえりなさい」
ごしごしと目を擦って彼を見上げれば、彼はただいまと言っての隣に腰を下ろした。どうやらを起こしたのは何か話があるかららしい。澁谷さんが、と話し始めた彼にもしかしてとは嫌な予感がした。
「何者かによって公園の階段から落とされたんだ」
「えっ、澁谷さん大丈夫ですか?」
神妙な面持ちで言った彼だったが、どうやら重体には違いないが今のところ生きているらしい。頭を強く打ったようで意識が無い状態だと言うが、生きているだけでも良かったとはほっとした。何せこの世界でも簡単に人が殺されてしまうから。
そこでまだ話は終わっていなかったらしい。明日もしかしたら僕は警察に呼ばれるかもしれない、と言う彼に何故?と首を傾げれば、彼は彼女と電話でやり取りをしていたからだと言う。ああ、そっか刑事は彼女と関係がある人なら証言を取りたいのだろう。
「私は?」
は大丈夫じゃないかな。万が一必要だったら呼ぶから、明日は家にいてくれ」
「分かりました」
それで話は終わったのか、一度の頭をぽんと撫でて立ち上がる彼。時計を見てみれば、既に23時を回っていた。ああ、早く寝ないと。おやすみなさい、と言い合っては今度こそ自分の部屋に向かってベッドで眠りについた。


42:金曜日のオリオン
2015/07/25

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