病院での事件を解決して車で家に帰る途中、はそっと安室の横顔を見ていた。楠田という男が所持していた車の中に飛び散っていた血痕の話を聞いてから、どことなく彼の雰囲気がぴりぴりしているというか、高揚しているというか、とにかくいつもの柔らかい雰囲気とは違うのだ。
その楠田という男はいったい安室にとってどういう存在だったのだろう。友人、だったのだろうか。それとも仕事仲間か。窓の外の夕焼けが徐々に光を失っていく様を眺めながら、は頭を悩ました。きっと、彼は聞いても答えてくれないだろうから、自分で考えるしかない。
 暫くして家に着いて、彼はすぐに台所に向かった。
「お腹空いただろ?今作るから待ってて」
「手伝いますよ」
それをも追う。今日ばかりは彼の手伝いをしないと。何しろ彼は病院で2度もぼんやりとしていたから。少しくらい彼の負担を減らしたかった。
の申し出にきょとんとした彼は、一瞬言葉に詰まった様子だったが「ありがとう」と言って、にエプロンを渡した。手伝うと言った手前、動かなくてはいけないのだが普段料理をしないから何をどうすれば良いのか分からない。
「サラダ作ってる間に生姜焼きを焼いてくれるかい?」
「焼くだけですね」
もう既に下準備はしてあるからと冷蔵庫を指差した彼に頷いて、味付けを染み込ませてある豚肉を取り出す。焼くだけ、そう焼くだけだ。火加減を間違えなければ大丈夫。フライパンをガスコンロの上に置いて温める。
安室に言われた通りに手順でお肉を焼いていくと、隣でキャベツやトマトを切っていた安室からもう良いよと声がかかった。
「ちょうど良い色してるね」
「良かった……」
の横からフライパンを覗き込んだ彼の言葉に、ほっと一息吐く。彼がサラダを作り終えたのでそのサラダと生姜焼きを同じ一枚のプレートに乗せてテーブルに運んだ。
ご飯と味噌汁をよそって、今日の夕食は完成だ。いただきます、と手を合わせてと安室は食事を始めた。


 夕食を食べ、お風呂も上がってきた所ではテレビを付けた。ちょうど今日は映画をやっているらしい。内容は父親を悪の組織に殺された主人公が復讐を果たすというものだった。
がちゃ、とリビングの扉を開けて入ってきたのは今までお風呂に入っていた安室だ。濡れた髪の毛をタオルで拭きながら、ソファに座るの隣に腰を下ろす。使っているボディーソープは同じ筈なのに、どことなく彼の香りの方が良い匂いに感じてしまうのだからやっかいだ。湯上りの彼の色気にどきり、と跳ねた心臓を落ち着かせてはテレビへと視線を戻す。
復讐か。ぽつり、と呟いた彼に顔を向ける。穏やかに見える表情の裏に何かが潜んでいる気がして、は思わず安室さん?と呼んだ。
は復讐ってどう思う?」
突然訊ねられたその言葉に、はぱちりと瞬きした。彼がどういう意味でそれを訊いてきているのかは分からないが、それでもの中には復讐に対する一つのイメージが昔の経験からこびり付いているので、正直に答えることにした。
――憎しみの連鎖です。そう言えば、彼は想像していた答えと違ったのか、意外そうな表情をしてへぇと頷いた。
「なるほど、じゃあは大切な人が誰かに殺されても復讐しないのかい?」
「そうですね、しませんよ。だって、相手にも一人は大切に思ってくれている人がいる筈ですから」
どうしてこんな話に発展したのか分からないが、どことなく安室の表情が真剣で、ふざけて答えることは許されない雰囲気だった。だが、もふざけて答えるつもりなど毛頭ない。彼とこうやって議論したのは初めてで、どうすれば自分の考えを彼に伝えることができるのか、頭を働かせる。
「何ではそう思うんだ?」
その問に一瞬言葉が詰まった。言って良いのだろうか。テレビから主人公と組織の男たちのアクションシーンのBGMが流れる中で、は逡巡した。重い話なんですけど、と前置きをすれば彼は一瞬瞳を揺らしたが、嫌じゃないなら話してほしいと言われ、は話すことに決めた。
「私の故郷はそんなに大きくなかったんですけど、その島は王とその弟が仲違いをして二つに別れてずっと戦争をしていたんです」
それは、まだが7歳の頃のこと。思い出すだけでも、恐ろしい日々だった。が暮らしていたのは弟王の領地で一番戦場に近い村だった。始めに相手を傷付けたのは弟王。その理由は彼の愛する恋人を兄王が奪い無理やり妃にしたから。兄王の妃を奪って逃亡した彼に付いて行く兵士たちと、兄王のもとに留まる兵士たちは二分した。
それからは、お互いがお互いを殺し合う日々になっていく。兄王と弟王の身近な者たちが次々と相手によって殺されていく度に、復讐だとお互いの領地の人間が兵士として戦わされた。そのおかげで、王たちだけではなく、平民たちも大切な者を失い復讐に憑りつかれた。
の父親もその一人だった。妻を敵兵に殺され、復讐に囚われた挙句、を残してあの世に逝ってしまったのだ。その数年続いていた戦争状態を止めてくれたのが、島にやって来た白ひげ海賊団船長の白ひげこと、エドワード・ニューゲート。彼が2人の王を諫め、和解させたことでの故郷は漸く平和を取り戻した。
「だから、復讐は誰かが止めてくれないと永遠に続くんです」
重い話をしてすみません。映画を見ていただけなのにこんな話になってしまったことを彼に詫びれば、彼はの過去を知れて良かったよと首を横に振る。両親はもういないのか、そう瞳を陰らせた彼にはそんな顔をさせたかったわけじゃないのに、と慌てた。の両親はもう亡くなってしまったけれど、その代わりにを愛してくれる人たちは沢山いた。親の愛にも勝る愛を与えてくれたのが、白ひげたちだ。だから、寂しくない。大切な家族が出来たから、両親がいなくてもやって来れたのだ。
「それなら良かった」
「今は安室さんとも一緒にいるし楽しいですよ」
の言葉にほっとした様子の彼を見て、も安心した。この言葉に偽りはないから。たまに安室を想うと切なくて辛くて胸が潰れそうな時があるけれど、彼と一緒に過ごすこの日々はにとってかけがえの無いもので、失くしたくないと思う。
先程のの話を反芻しているのか、顎に手を当てて考え込んでいる様子の彼は、何度か小さく頷いて口を開いた。
「でも僕はきっと復讐するなぁ」
僕は、のように優しくはなれそうにない。そう告げた彼の表情は、少し困ったように眉が下がっていたけれど、でもそれは徐々に無へと戻る。その何も映さない瞳からは、彼が何を考えているかなんて読み取ることはできない。だけど、彼の胸に何か重苦しい物が溢れているのは分かった。
安室さん……。誰か、許せない人がいるのだろうか。彼の不穏な様子に、は何も言うことができない。ただ、じっと彼のことを見守ることしか。
――止めることは許されない。
彼の雰囲気から、それだけは伝わった。それ程までに、憎いの?許せないの?
彼が誰をどうしたいのか、なんてことは分からないけれど、それでも彼がその相手を殺めたらきっと相手を大切に思っていた者が復讐にやって来る。それは嫌だ。安室が死ぬかもしれないなんて。
「大丈夫、例えばの話だよ」
「はい」
先程までの様子を消して、を見下ろしにっこりと笑った彼からは何も不穏な香りはしない。
彼は誤魔化すのが上手い。に比べてポーカーフェイスも嘘も綺麗なものだ。そんな彼がここまで表に出すということは、きっと例え話なんかではない。実際に彼は誰かを恨んでいる。
――もしかして、最近調べていたことって…。
ふと、彼が自室に篭って頻繁に調査をしていたことを思い出す。それは、もしかしたらこの話と関係があるのかもしれない。彼が誰かを殺すのは嫌だ。巡り巡ってそれは彼に返ってくるから。だけど、は彼に自分の考えを押し付けようとは思わない。彼は彼女の話を聞いた上で、復讐をすると言ったのだから。
だから、もし彼に復讐の矢が返ってきそうになったら、彼女が守れば良い。物理的なことなら、きっと彼を守れるし、守りたい。だって彼女ばかり守ってもらっていてはフェアじゃないから。だって、好きな人を守りたい。
そう思って、彼女は安室に微笑んだ。でも、やっぱり安室さんには復讐なんて、してほしくないなぁ。

――あなたの邪魔はしないから、守らせて。
雲が月を覆い隠し、夜は更けていく。


41:暫しあなたの瞳を塞ぎましょう
2015/07/19

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