数日間勉強だけに精を出していたは、漸く平仮名と片仮名を大体覚えることが出来た。計算などは特に問題がないので、問題があるとすればこの国の歴史や常識がまだ分かっていないことだろうか。
学校側には帰国子女だという嘘を安室が伝えているらしく、日本語の読み書きにまだ不安があることや常識知らずであることも伝えてあるので、ある程度担任の教師が手助けしてくれるらしい。
「どこの国から来たの?って聞かれたら?」
「いぎりす!」
最終確認として安室とランドセルを背負った分身が話している様子をは眺める。
小さい時の私ってあんなんだったんだ。素直に受け答えしている分身の意識をぼうっと読み取って、安室に全く警戒心を抱いていない様子を悟る。成長していたとしても、自分の船の上で家族たちと共にいれば同じような反応をしているとは気付かないは、簡単に絆されちゃってさぁとまるで自分が瞬時に攻略されたようで少し面白くない。
「じゃ、学校まで付き添いますから留守番お願いしますね」
「いってきまーす」
「はい。いってらっしゃい」
ソファに座ってニュースを見ていたに、安室が声をかけて必要最低限の物を身に付ける。玄関へと向かう2人を眺めながら、は小さく手を振った。ガチャン、と扉と鍵が閉まる音が聞こえて、部屋には一人きり。
「暇だなぁ」
何やら胸の底でぐるぐると渦巻く寂寞感に気付かない振りをして、ニュース番組から子供用教育番組に変えてそれを見ることにした。


 安室の車に初めて乗る分身のはランドセルを膝の上に置いて、興味津々な様子で外を眺めていた。本体と意識が繋がっていることを感じながらも、車の速度や早々と消えていってしまう景色に心を躍らせる。
「緊張してるかい?」
「ううん、楽しみ」
赤信号で車をゆっくり止めた彼が、に視線を寄こす。彼女はそれに首を振って、笑った。本体はまだ悪魔の実を食べて程ないから気付いていないのだろうが、分身の感情や意識は本体が思っていることでもあるのだ。それなのに、今本体は安室の部屋で家族を恋しく思っている。
学校へ行くことを楽しみにしているこの気持ちも、お前の気持ちなのだと伝えてやりたい。まぁきっと分身の私が素直に行動しているのを見て、本体は逆に素直になれなくなってしまったのだろうが。
そんなことを考えているうちに小学校へ着いたらしい。駐車場に車を止めた彼はランドセルを背負って車から出てきたの手を引いて歩く。どうやら、見た目が子どもの私には子どもとして接するようだ。
「ここが今日から君が通う帝丹小学校だよ」
「ていたん…難しい字」
校門にある学校名はにとっては全く馴染みが無いもの。英語だったらなぁ、と思わなくもないがここ数日の勉強のおかげで平仮名と片仮名は読めるようになった。見た目は一緒だろうが中身が子どもの生徒たちに敗ける訳が無い。少しばかり自分を奮い立たせて職員室に向かう廊下を歩いた。
「今日からよろしくお願いします」
「担任の小林です。よろしくお願いします。」
ぺこりと頭を下げた安室は小林先生と一言二言話して笑い合った。はそれを下からぼうっと眺めている。自分のことについて話しているのだろう、とは分かっているけれど他のことに気を取られて彼らの会話はあまり聞いていなかった。話が終ったようで、さんいらっしゃいと林先生に手招きされる。どうやら安室とはここでお別れのようだ。
「ちゃんと先生の言うこと聞くんだよ」
「はーい。いってきます」
職員室の前で立っている彼は最後にそう言った。はそんな彼に手を振って彼女に付いて行く。あっという間に安室が見えなくなったことで少しばかり不安に駆られたが、その気持ちを押し隠して教室へと入っていった。
――その瞬間、教室の中にいた子どもたちの視線が先生と一緒に入ってきたへと突き刺さる。
小林によってが今までイギリスで暮らしていた転校生であることを明かされ、ざわめく子どもたち。自己紹介をすることを促されたは、子どもたちの好奇心旺盛な目に圧されながらも口を開いた。
です。よろしくお願いします」
ぺこり、と頭を下げて小林に教えてもらった席へと座る。その途端わらわらと集まってきた子どもたちに囲まれては目を回した。大人サイズだったら、こんなに揉みくちゃにされることもなかった筈だ。

 休み時間が訪れる度に子どもたちから次々に質問を浴びせかけられる。
イギリスってどんなところ?メシが不味いって本当なのか?お母さんとお父さんもイギリス人なんですか?それとも日本語が達者ですからどちらかが日本人なんでしょうか?エトセトラ。キラキラした瞳で押し寄せてくる子どもたちの名前は、吉田歩美・小嶋元太・円谷光彦。
彼らの怒涛の質問攻めにあははと乾いた笑みを浮かべる。三人がかりで質問されても一気に答えられる筈がなく、誰かに救いを求める為に視線を右往左往させれば、蝶ネクタイをした少年と目が合った。あ、あれは。
「おい、オメーらやめてやれよ。さんが吃驚してんだろ」
「質問は一人一つにしておいたら?時間はいっぱいあるんだし」
の助けを求めるような視線に気付いた江戸川コナンと、もう一人の赤みがかった茶髪の少女がこちらにやってくる。その2人の進言のおかげで三人の少年少女の勢いは収まった。
コナンの名前は知っていたが、自己紹介を始めた彼らの話に頷く。どうやらもう一人の少女は灰原哀というらしい。何だか二人とも他の子と比べて大人っぽいなぁ。
よろしくな、と手を出してきたコナンの手を握る。初日からコナン君と友達になれるなんてついてる!嬉しくなって「うん!」と微笑めば、子どもたちもまた笑ってくれた。


 分身の自分が帝丹小学校に行って早速放課後にコナンたちと遊び始めてから数十分。昼食を食べてから買い物があると言って出ていった安室はまだ帰ってこない。確か米花百貨店に行くと言っていた気がする。何か用があるのだろうか。暇で仕方なくてテレビをぼうっと見ながらも、分身の方に意識を飛ばす。子どもたちに囲まれて大変そうだが、何だかんだ楽しんでいるようだった。
――ピリリリリリリ。
「!?」
そこに突如として響く機械音。あまりにも吃驚してびくっと身体を揺らしてしまったが、その音の出所を探るとテーブルの上に置いておいたスマートフォンだった。依然として音は鳴り響いている。驚きのあまりに五月蠅くなった心臓で、スマートフォンを覗き込めば、安室の名前が載っている。
ああ、電話か。安室に教わった方法でスマートフォンの画面をスライドさせると『もしもし』と安室の声が聞こえた。おお、すごい。
『買い物は終わったんですが、ちょっと依頼が入ったので帰るのはもう少しかかりそうです』
「あ、そうですか。大丈夫ですよ」
『多分、18時過ぎになるので夕食は待っていてください』
「分かりました」
電話口の彼は、どうやらどこかに向かうらしく足音が聞こえる。仕事だろうか。この世界の人間は海賊などという職業に就いている者など殆どいなく、毎日会社に行って働いているらしい。ここ数日の間安室は家にいたが、探偵という仕事も会社に行くのだろうか。疑問が湧いたが、とりあえず彼の邪魔はしないように必要最低限の会話だけをして電話を切った。
――暫く一人かぁ。
確か分身が友人との遊びから帰ってくるのも18時頃だった筈。分身は別に食べる必要性がないからお腹は空かないだろうが、安室はきっとお腹を空かせて帰ってくるのだろう。18時過ぎに帰るなら、料理が出来るまでに一時間くらいかかるに違いない。
それなら彼が帰ってくる前に私が夕食を作ってしまえば良い。
だが、夕食を作るにはまだ早い。ちらりと時計を見上げると時刻はまだ15時。やはり暇だ。鍵を持っていないから家からは出られないし、何かやることはないだろうか。そう思って部屋を見渡せば、がこの家に来た当初よりも少しばかり乱雑になっているリビングが目に入る。
「片付けよう」
自分の思いつきにぽん、と手を叩く。そうだ、それが良い。船にいる時も雑用は沢山あった。何しろ1600人以上いる大所帯だと一回の洗濯も大量の服が出される。それに船が汚れるのも一瞬だ。それをは今まで仲間たちと共にこなしてきた。家の片付けなんてチョロイチョロイ。
洗濯、掃除、夕食。これを全部やり遂げれば安室も吃驚するだろう。この家に来てからは勉強にばかり精を出していた為、未だに家事というものをしたことが無かった。頑張っているのは分身だけではないのだと気付いてもらおう。
となれば、道具が必要である。納戸へと向かっていって扉を開く。バケツとモップは無いものか、と綺麗に整頓されているそこをガサゴソ探してみるけれどそれらしい物は無い。いったい何で掃除をしているんだろうか、と首を捻った所で思い出す。そうだ、彼は確か掃除機とやらで掃除をしていた筈だ。ドラマというものでも母親が仕事へ行っている間に小さな女の子がそれで掃除をして帰ってきた母親に褒められているのをこの前見たばかり。ちらり、と視線を手前に移せばそれらしき物を発見した。
「そうそう、これだ」
取りあえずリビングにそれを持って行ってじっと見つめる。見れば見る程不思議な形をしている掃除機。モップやブラシでしか掃除をしたことがないにとっては、未知の物体だった。持ち手らしき所にあるボタンを押してみるものの反応はない。安室や少女がこれを使っている時には五月蠅い音を出していたから、動いていないということだろう。ちらり、と掃除機のお尻らしき所に目をやるとぴょこんと何かが出ている。もしかして、これをどうにかするのだろうか。ケーブルをずるずると引っ張り続けると遂に伸びない所まで来てしまったのか、ぴんと突っ張るそれ。
――コンセントにプラグを差すことで電気を貰って機械は動くんですよ。
「あ、こんせんと」
以前機械が動く仕組みを簡単に教えてもらった時の記憶が甦る。ケーブルの先端にある突起物がプラグなのだろう。それを壁にある穴に差し込む。もう一度掃除機のボタンを押せばウィーンと音を上げた。
良し!良い感じ!!


04:さみしい、と言えない代わりに
2015/06/17

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