あの後、ドクターをすぐに呼んだは良いものの、ドクターが駆けつけた時には須東伶菜は既に亡くなってしまっていた。今は通報によってすぐにやって来た目暮たち刑事によって、須東が毒殺されたことについて現場検証を行っている。
床に倒れている金髪の女性を見て確認している様子の高木たちに、は目暮の言う通り病院で毒殺されるなんてと恐ろしくなった。病院とは普通なら身体の悪い所を治癒するための場所なのに、そんな所で毒を飲まされ死んでしまうとは。
「今日は高校生時代の同級生である高坂樹理さんを見舞う為に、同じく同級生である2人と共に訪れたようです」
「死因は青酸系の毒物による窒息死だそうだが」
手帳に記されている事柄を目暮に伝える高木。どうやら、須東は2人よりも早くこの病室にやって来ていたそうだが。ふうむ、と頷いた彼は毒物の確認を行っていた。しかし、何でまた病院で紅茶なんかを…。疑問を発した彼に、高木は高坂が紅茶好きで4人がお茶会をやっていたのだと伝える。彼女はちらりとその3人を見やった。
「じゃあ、あの3人は被害者に毒を盛る機会があることを知っていたというわけか」
目暮の言葉に今まで不安気にこの場を見守っていた3人の女性たちの表情が暗くなる。何だかなぁ…。高木の言葉を聞きながらも、はそっと安室に問いかけてみることにした。推理力がある彼のことだから、もう既に何かに気が付いているのではないかと思って。
「安室さん、何か分かりました?」
「ん?まだこれといって無いかな」
の身長に合わせて腰を屈めてくれた彼に、そっと耳打ちしてみるけれど彼はまだだよと言う。何だ、まだか。だけど、それならどうしてそんなに楽しそうに何かを探るような顔をしているのだろうか。
「あれれ〜?おっかしいよー!」
ふいに上がったコナンの声。それに目を向ければ、彼は遺留品であるスマートフォンを手に取って写真を見ている。何がおかしいんだね?とコナンを見やる目暮に彼はだって亡くなったおばさんは右手に箸を持ってる、とその写真を警部たちに見せる。だが、すぐさま小五郎によって襟を掴まれてぶらんと宙吊りになるコナン。勝手に現場の遺留品に触るなという彼の説教をくらうのは仕方ないと思う。
「だが、何が変なんだ?普通箸は右手に…」
「でもさぁ、床に落ちて割れているカップ…よーく見てみてよ。カップの取っ手の右の方に口紅が付いているじゃない!これって左手で紅茶を飲んでいたってことだよね?」
コナンが目暮たちにヒントを与えている。携帯に入っている写真の彼女が右手で箸を持っているのにこのカップは左手で持たれていたらしい。そのことに、はふぅんと思ったが横をちらりと見上げれれば、安室がコナンのことをじっと見ていた。コナンが安室を組織の人間として警戒しているように、安室もまた彼のことを何か疑っている様子。その何か、はには分からないけれどこうやって大人たちにヒントを与えている様子が彼の興味を惹いていることは確かだ。
何で左手で…と考え込んでいる小五郎に、隣に立っていた安室が口を開いた。
「右手が何かで塞がっていたからですよ…例えば携帯電話の写真を見ていたとか」
突然安室が発した言葉に、皆の視線が彼に集中する。携帯電話の、と安室の言葉を復唱した高木に安室はそう、と頷いた。もしかして、安室さんはコナンくんが何かを言うのを待っていたのかな。だとしたら、先程に返した言葉は嘘になる。何だかしてやられたような気持ちになったは安室さんは狡い大人だなぁと心中愚痴った。
「人は何かに夢中になるとその他のことが疎かになる。例えカップの位置や取っ手の向きが変わっていても気付かずに取ってしまう」
そして、その心理を利用して犯人は被害者に毒を飲ませたのでしょうと推理し始めた彼。犯人は毒を入れた自分のカップと被害者のカップをすり替えた。何故なら、気付かれずに被害者のカップに毒を入れるより自分のカップに毒を入れてすり替える方がローリスクだから。3人がカップの受け皿を使っていなかったことから、カップの位置をずらしやすいとも言う彼に、なるほどとは思った。
「ですよね?毛利先生!」
「あ、ああ」
最後に小五郎へと確認をした彼の推理はそこで一旦終わったらしい。だが、彼の推理に高坂たちはそんなこと出来るわけがないと抗議する。どうやら彼女たち曰く、被害者のカップだけにレモンが浮かべられていたし、そもそも紅茶の色が被害者とは全く異なっているようだった。
被害者が赤い紅茶を飲んでいたのに対して、彼女たちが飲んでいたのは青、黄色、茶色という赤とは全く違う色。確かに、これをあの赤い紅茶とすり替えることは出来なさそうだ。はテーブルの上に並べられているカップを見て思った。だけど、紅茶に毒が入れられていたことは確かなので、その毒が入っていた容器を探し出す為、この病室をくまなく探し、彼女たちの身体検査をした痕に別室で事情聴取を行うことになった。


 まず1人目の人物は高坂樹理。
「はい、皆さんのお茶は私が淹れました」
見舞いとは言っても客には違いないからと。だが、彼女はティーバッグをカップに入れてお湯を注いだだけらしい。その上、カップに触ったのは彼女だけではなく別府と八方もだと言う。だから、被害者のカップには是認の指紋が付いていてもおかしくないということだ。ふーん、とは心中頷いた。
飲み比べをすることを知っていることも、お湯を注いだことも出来る高坂になら、被害者を殺すことが出来るというわけだ、と確認する小五郎に、彼女はそれはないと首を横に振った。お湯を注いだのは皆の目の前だったから、と。
「あの時私が飲んでいたのはバタフライピーと言って青いハーブティーですし」
それに、と付け加えた彼女が言うには彼女が飲んでいた紅茶は青色だったから被害者の紅茶とすり替えることも出来ないということだった。確かに、それなら彼女にはお茶をすり替えるということは出来なさそうだ。
 次に、2人目の八方時枝。
「ええ、確かに私はペパーミントティーでしたけど」
緑色なのかと思ったら普通に茶色で驚いたという彼女。だが、赤色と茶色ならすり替えても気付かれないのではと彼女に疑いの目を向ける小五郎に、彼女は全然色が違うから無理だと主張する。彼女が飲んでいたのは普通の茶色だったのに対して、被害者の紅茶の色は毒々しい赤だから、と。
は安室が彼女に質問する様子を眺めながら、どの人が一番可能性が高いのだろうかと考えていた。
席の配置の話から、何故か須東が昔から独占欲が強くて我が侭で自己中心的だという話になっていく。どうやら、彼女の元彼が須東と結婚したらしい。略奪婚か。だが、それくらいで殺そうとは思わないという彼女に、どうだかなぁとは思った。愛とは時にその人に大きな影響を与えるものだ。
 最後に、3人目の別府華月。
「そりゃ怒るわよ。伶菜に勧められて買った株が暴落してこっちが大損したっていうのに、伶菜はちゃっかり下がる前に売り抜いて大儲けしたんだから」
おかげで借金まみれなのだと憤っている彼女に、は首を傾げた。株とは何だろうか。気になったものの今はそれを訊く時ではないだろうなぁとちらりと安室を見上げると、後で教えてあげるよとばかりに彼の口元が小さな笑みを浮かべる。
殺害して金が戻ってくるなら殺したかもしれない。と言う彼女に、目暮たちは目を丸くしていた。だけど、そう言うということは彼女は被害者を殺してはいないのではないだろうか。あくまで彼女の言葉を信じるならだけど。
そして高坂の方が須東を恨んでいたのではないだろうかと言う彼女に何故かと訊ねる目暮。彼女曰く、須東のおかげで高坂の息子の受験が失敗したらしい。その詳細は、須東の息子が受験日の前日インフルエンザにもかかわらず塾に勉強しに来ていてそれが高坂の息子に移って受験どころではなくなってしまったということだった。
つまり、3人とも被害者を殺害する動機があったということだ。しかし3人とも高校生の時からそんな彼女だった為、慣れていて仕方がないかという気持ちで殺害するまでではないらしい。
コナンが何やらその3人に質問している様子を見ていたが、ちらりと視線を彼から安室に移す。彼は、コナンに視線を向けながらも何かを考えている様子だった。それはこの事件のことについてだろうか。それとも、小学一年生にしては頭の回転が並外れて速く推理力があるコナンのことについてだろうか。


 暫くして、高木は現場の病室から毒物を入れたような容器や袋が見つからなかったこと、ハーブティーから毒物が検出されなかったことを目暮に報告した。
「実は、毒が付いていたのは…」
「もしかしてそれってティーカップの…」
高木の言葉に口を挟んだコナンだったが、全てを言い切る前に「こら!何してるのよもう!」と蘭によって襟首を掴まれ宙吊りになってしまった。うわ、すごい。それを見て、はそんな所で小五郎と蘭の親子関係を再確認してしまった。だって、遺留品がどうたらって言っていた時の毛利先生と全く一緒だったし。
「病院中探しちゃったじゃない!駄目だって言ったでしょ、あっちこっちウロウロしちゃ」
「だってー…」
蘭に叱られている様子のコナンに、こういう時は普通の子どもだなぁなんて思っては小さく笑みを浮かべた。ふいに、肩を強く掴まれていることに気が付く。視線をコナンから自身の隣に移せば、安室が瞳を揺らして茫然とした様子で蘭とコナンを見ていた。
――安室さん?
蘭とコナンを通して、ここではないどこかを見ているかのような彼に、ゼロという言葉に反応した時よりも強い不安に襲われる。まるで、彼がを置いてどこかに行ってしまうのではないか、というような心細さに。
「安室さん、安室さん…!」
「…、」
の肩を掴んで動かない彼の腕を叩いて彼の名を呼べば、数回目で漸く彼ははっと意識を取り戻したようだった。何でこんなに自分が不安になっているのか分からない。彼がぼんやりとしていたことの訳も。だけど、などここにいないかのように“何か”を見ている彼が、どうしようもなく儚い存在に見えてしまった。
ゆらゆらと瞳を揺らしているに、どうしたんだい?なんて訊ねてくる彼。どうしたの?なんて言葉はではなく安室にかけるような言葉なのに。
「流石のお前もこの毒殺事件は解けねぇか」
「毛利先生も解けていないんでしょ?だったら僕に解ける訳ありませんよ!」
だけど、小五郎が彼の肩を叩いたことによって、と彼の会話は終わってしまった。小五郎に言葉を返している彼をそっと窺う。安室さん、大丈夫かな。ゆらゆら揺れるのは瞳だけではなく、心も。
安室の言葉にはははと笑って彼から離れる小五郎を横目で見てから、は手摺に寄りかかって窓の外の夕焼けを眺めている安室をその隣で見上げた。
「ごめん、もう大丈夫だから」
「安室さん…」
の方を見ていなかったのに、彼女の不安を感じ取っていたのかそっと握られた手。先程とは違ってまともな様子の彼に、少しばかり不安が和らぐ。彼女を見つめる瞳も、彼の手の平から伝わる熱もいつも通り優しくて。それと同時に何だか無性に泣きだしたくなってしまって、彼女は彼の手を握り返しながら俯いた。
鼻がつんとして、目頭が熱くなる。
「泣かないで」
「…っ泣いてなんか」
ぐす、と鼻をすすれば彼は全部お見通しだったようだ。心配かけたね、なんて言っての頭を抱きとんと彼の胸に引き寄せられる。抱きしめられているわけではないけれど、とても近い距離にの心臓は跳ねた。だけど、今はどきどきするというよりは、彼の温もりに安堵している方が強い。彼に恋をしているから、こんな風にすぐに気持ちが落ち着いてしまうのだろうか。
泣きたいような衝動が収まって、彼を見上げれば自信満々な様子で微笑んでいた。きっと、もう彼はこの謎解きを終えているのだろう。


39:せつなる恋の心は尊きこと神のごとし
2015/07/16
タイトル:樋口一葉

inserted by FC2 system