、行くよ。そう安室が呼ぶ声にはーいと返事をして、はパンプスを履いて玄関を出た。がちゃりと玄関の鍵を彼が閉める間にエレベーターを呼びに行く。最近では彼と一緒にエレベーターに乗るうちに慣れ、乗れるようになったのだ。
「病院って、安室さんどっか悪いんですか?」
「いや、知り合いが入院していてね。お見舞いに行くんだ」
今朝の、今日は病院に行くのだという彼の言葉を思い出しては彼に尋ねた。風邪でも引いたのかと最初は思ったが、彼の調子は悪くなさそうで。それ故彼から返ってきた言葉に、は納得した。
なるほど。彼の交友関係が分かるのか、と初めてのことに少し興味を抱く。彼はいつも仕事をしているかと一緒にいるかのどちらかだから。
助手席に乗り込んで、発車させた彼の横顔を見つめる。彼の表情は普段と変わりない。入院患者が男なのか女なのか分からないが、会うのが楽しみだったり入院していることに心配している様子が見られない。
あまり仲良くない人なのかな。じっと見続けていたからだろうか、「ん?」とこちらをちらりと見てと目を合わせた彼に、何でもないですと答えた。ちょっぴりどきっとしたのは彼には秘密。

 杯戸中央病院に着いて車から降りて歩く彼の後をついて行く。今まで一度もこの世界の病院に世話になったことがないだったが、自分の世界の病院とあまり異ならない様式に、世界が違っても変わらない所があるのだなあと新たな発見をした。
「すみません、楠田陸道という男性の面会をお願いしたいのですが」
「楠田さんですね?少々お待ちください」
ナース服を着た女性に訊ねた彼の様子を隣で何とはなしに眺める。暫くして戻ってきた彼女は、すみませんがその人はもうここにはいませんと申し訳なさそうに彼に伝えた。
それに、少しばかり目を丸くした彼。いないとはどういうことですか?と聞いても、彼女は良く知らされていないのかさぁ…と困ったように首を傾げて、申し訳ございませんともう一度彼に謝った。
「楠田さん、いないみたいですね?」
「…そうだね。ちょっと他の人にも聞いてみようか」
彼の目的の人物がいないということなので、もう帰るのだろうかと思っていただったが、彼はまだこの病院内で楠田について訊いて回りたいらしい。それくらいなら、も手伝えることがあるかもしれないと頷いて、彼の後について行くことにした。


 エレベーターで上がって廊下を歩いて行く。楠田陸道が以前使っていた病室を覗いた彼は、そこに彼がいないことを確認して何かを納得していた。はそんな彼の邪魔にならないように、そっと彼の横顔を窺う。彼はいったい楠田と何を話したかったのだろうか。そこを丁度通りかかったナースに話を聞き始めた彼だったが、彼女からコナンが以前この病院に来たことがあるからもしかしたらその男を知っているかもしれないという話を聞いて、満足したようだった。
病室を出て再び廊下を歩きだした所で、聞いたことがある声が聞こえた。ったく…と不満気な様子の声の持ち主は小五郎だ。そしてその傍にはコナンもいる。それに、思わずはうわ…と思ってしまった。先程安室が彼の話をしたから現れたのではないだろうか。そんな風に考えてしまうのも仕方ないだろう。
だが、そんな彼らに安室は近づくことにしたらしい。「あれ?毛利先生じゃないですか!」と彼の背後から声をかける。
「こんな所で何してるんです?どこか具合でも悪いんですか?」
「いや、ちょっと女房がな…」
きょとんとした様子で小五郎に話しかける彼を、コナンが信じられないものを見る目付きで見つめているのに気が付いたは、すっと安室に寄って上着の裾を少しばかり摘まませてもらった。どうにも、コナンが彼のことを疑っているような目付きが苦手で。この前は歩美たちの前では仲良くしようねと言ったが、流石にすぐさま以前のような関係に戻れるとは思っていない。
安室はの様子に気付いたものの、今は小五郎と話すことにしたらしい。
「お前は何でここに?」
「知り合いが入院しているって聞いて見舞いに来たんですが…いつの間にかいなくなっていたみたいで…」
安室がどうしてこの病院に来ているのか分からないのか、不思議そうな顔で訊ねる小五郎。そんな彼に、ああと頷いて話した彼に、もそうなのだと小さく頷く。だが、安室がコナンへと足を向けようとしていたので、咄嗟に掴んでいた上着の裾を放した。
「コナンくんは前にもここに来たことがあるって看護師さんたちが言っていたけれど、知ってるかな?」
「え?」
「楠田陸道って男…」
「誰?それ…知らないよ?」
コナンと目線を合わせるように腰を曲げた彼に、コナンはきょとんとした顔で答える。先程までは安室のことを警戒した様子で見つめていたというのに。それを安室に伝えることも出来た。だけど、は彼らと約束をさせられている為それはできない。それに、そんなことを言ってしまえばコナンたちが今度は安室に疑われて大変なことになってしまうかもしれないし。安室もコナンもどちらも大切なにとっては、この前沖矢と約束したように黙っているということが最善策である気がした。
「実はその男にお金を貸してて返してほしいんだけど…ホントに知らないかい?」
「うん!」
再度確認する彼にコナンは本当だよといった表情で頷く。それに、彼は「すごいね、君は」と微笑した。え、と戸惑ったコナンを置いて、あの…ちょっとすみませんと廊下を歩いていた女性二人組に話しかけた安室。突然の行動にもコナンと同じように戸惑った。
「楠田陸道っていう入院患者知りませんか?」
「楠田陸道さん?さあ、どんな方?年は?」
「その人の写真とかああるかしら?」
楠田について訊ねた彼に、その人物の特徴を求める彼女たち。だが、彼はもうそこで、もう良いですと彼女たちに微笑んで、彼女たちはそれに不思議そうにしながらも自分たちの目的の部屋へと向かって行く。その後ろ姿を眺めていた安室が、毛利先生ならどうです?と小五郎を振り返った。
「突然名前を出されて知ってるか?と訊かれたら」
「んー…そりゃあ、今のおばさんたちみたいに」
「そう、たいていの人は自分の記憶に絶対的な自信はないんです。だから普通はノーと言う前にその尋ね人の名前以外の情報を知りたがる…」
小五郎と話す彼を見て、記憶力の話になった所で漸く彼の考えていることが分かった。彼はコナンが楠田を知っているのに知らないと言っていると疑っているのだ。彼がいつコナンをそうやって疑いの目で見るようになっていたのかは分からないけれど、彼にとってコナンは何かしらの興味の対象なのだろう。
「だから君はすごいよコナンくん。名前だけで知らない人だと確信できるんだから」
「子どもの言うことを真に受けるなよ」
にっこりと笑ってコナンを褒めている安室に、小五郎は呆れたような視線を送る。コナンはそんな安室に少しばかり動揺した様子だった。何となく、コナンが哀れだった。だけど助けることは出来ない。は何も知らないことになっているのだから。
会ったことがあっても名前を知らない奴もいるし、あだ名とかだけでしか知らない奴もいる。そう小五郎が話している最中にすぐ側のエレベーターを待つ子どもの声が聞こえた。
――3、2、1…。
「ゼロー!」
「!!」
エレベーターがこの階に着くと同時に飛び跳ねた少年に、安室は目を見開いて振り返った。それに、はどうしたんだろうと少し驚く。こんなにも彼が動揺する様子を見るのは初めてで。ゼロという言葉に何かあったのだろうか。
母親と共にエレベーターに乗り込んでいく少年の姿をじっと見つめている彼に、は少しばかり不安になった。どことなく、いつもの彼ではない気がして。
「安室さん?」
「どうかしたか?」
「あ、いえ…」
ちょうど彼の名を呼ぶタイミングが小五郎と重なったが、それに気付いた彼がいつもの様子を取り戻して微笑む。大丈夫、なのかな。心配そうに見上げるに彼は一度その頭を撫でて、小五郎へと向き直る。その顔には先程のような動揺は見られない。それに少し安堵した。
「僕のあだ名もゼロだったので呼ばれたのかと」
「何でゼロ?確か名前は透だったよな」
彼から聞かされる、初めての過去の話には少し嬉しくなった。一緒に暮らしている割には、お互いの過去とかを話したことがないから。にもまだ話していないことは沢山あるし、いずれ彼にも話せる時が来たら良いなぁとは思っている。だけど中々重い話だし彼に気を遣わせてしまうかと思うと言い出せないし、そんなタイミングも今まで無かった。小五郎が不思議そうに安室に訊ねるのを聞いて、は確かにとそちらに意識を向けた。
「透けてるってことは何もないってこと。だからゼロ」
子どもがつけるあだ名の法則なんてそんなもんですよ。そうにこやかに言った彼に首を傾げる。漢字の話となると、まだには理解出来ないようなことがある。透という漢字には透けているという意味があるのだろうか。良く分かっていないに気が付いた安室は漢字には音読みと訓読みがあって、透は透けるとも読むことができるのだと教えてくれた。へえ〜、と頷いたに彼は小さく微笑んだ。


 一度楠田陸道の話からは逸れて、小五郎の妻の話へと移る。
「へぇー、毛利先生の奥さん、急性虫垂炎だったんですか」
「ああ、焦って損したぜ」
「だけど盲腸だからって侮ると危ないらしいですよ」
それをは一歩後ろで聞きながらコナンに意識を向けていた。何やら考え込んでいる彼に、まさか先程の安室の行動から何かが分かったのだろうか、と焦る。には全く分からないことでも、すぐにコナンは気が付いて問題を解決してしまうから。
だけどこうもゆっくり歩いていると小五郎たちと逸れそうだ。仕方なしに、はコナンへと声をかけた。
「コナンくん、毛利先生たち行っちゃうから考えごとは後でしたら?」
「あ、うん…分かったよ。お姉さん」
少し離れてしまった彼らの背中を指差せば、鋭い目付きを隠して子供らしく頷く彼。、と先を行く彼が振り返って名を呼んだことに、ほらとコナンを急かして彼らの所に戻った。
「何話してたんだい?」
「遅れてるから早く行こうって」
コナンと共に安室たちのもとに戻れば、彼は微笑を浮かべていながらも、何かの瞳の奥を探るようで。特に怪しいことを話していないはそんな彼に動揺することなく、コナンを急かした話を伝えた。もしかして、さっき私がコナンくんに怯えていたことに気が付いていたからこんなことをしたのだろうか。
――キャアアアア!!
そこに響く、女性たちの悲鳴。それに目付きを鋭くさせる三人。悲鳴が上がったのは、たちが進んでいる方向とは逆方向の廊下を曲がった先からだ。だっと駈け出した彼らをも追う。ある部屋の前で立ち止まって「今の悲鳴この部屋からだったよな?」と確認する小五郎にええと頷く安室。
「どうかされましたか?」
コンコン、と安室がノックをして開けた先にあったのは、予想していたけれど当たってはほしくなかった、人が倒れているという事態だった。


38:いつかありったけの星屑を
2015/07/16
タイトル:ジャベリン

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