昨日からはずっと悩んでいた。佐藤と高木に自棄酒を付き合ってもらった夜のことをいくら思い出そうとしても、あの時彼に大切な人はだと言われたことしか思い出せなかったから。それには混乱した。
頭の中に染みついてしまった「この想いを安室に伝えてはいけない」という言葉。どうして、彼に伝えてはいけないのか分からない。まだ言うつもりなんて無かったけれど、いずれ彼にこの想いを伝えたいと思っていたのに。それをタブーとされるとは、いったいどういうことなのか。
頭がごちゃごちゃになって訳が分からなかった。「何で?」が永遠に頭の中でぐるぐる渦巻いて、気を抜けば彼の顔を見ている時に涙を出しそうになってしまう。こんな状況で彼と一緒にいられるわけが無い。
そう思って、は最近良く会って話をしている蘭にメールをすることにした。ごろんとベッドに横になってスマートフォンを取り出す。
『急で本当に申し訳ないんだけど、今日蘭ちゃん家に泊まっても良いかな?』
平仮名で書かれたそのメールを、数秒じっと見てから送信ボタンを押した。本当に急すぎる。今は16時で蘭は高校から帰っている途中か家に着いた頃だろう。普段彼女はそれから母親の代わりに夕食を作ったり、細々とした家事を行なっている。そんな彼女に急に泊まりたい、なんて図々しいにも程がある。だけど、今日は安室と離れていないと頭を整理することが出来そうにない。
『良いですけど、何かあったんですか?』
すぐに返ってきた彼女からのメールにじわりと涙が溢れた。優しい子だ。の急な我が侭に頷いてくれただけではなく、心配までしてくれるなんて。
『ありがとう。直接話したいから後でも良い?』
『勿論ですよ。じゃあ夕食作りながら待ってますね。あ、寝巻とかは貸します!』
少ないメールのやり取りをして、はスマートフォンをベッドに置いた。じゃあすぐに用意して蘭の夕食の用意を手伝わないと。だけどその前にこのことを安室に伝えなくてはいけない。彼を思うと、ばくばくと心臓が五月蠅くなる。私が安室さんのことで悩んでいるのがバレたらどうしよう。
知られたくないし、不審にも思われたくない。その為にはポーカーフェイスを保たないと、聡い彼には気付かれてしまいそうだ。
「笑顔、笑顔……」
どくどくと早鐘を打つ心臓に落ち着けと命令する。大丈夫、笑顔で蘭の家に泊まると伝えるだけなのだから。
意を決して安室への自室へと向かう。コンコン、とノックをすれば「何だい?」と安室の返事が聞こえた。
「安室さん、今日蘭ちゃんの家にお泊りすることになったんで、行っても良いですよね?」
「え?ああ…良いけど、急だね」
机の上のパソコンに向かって何やら難しい顔をしていた彼は、に身体を向けると少し首を傾げた。それに耳元で心臓の音がけたたましく鳴る。大丈夫、大丈夫。別に何も悪いことをしているわけでは無い。バレない。必死に自分に言い聞かせて、は蘭ちゃんともっと仲良くなりたいなぁと思ったんです。と彼に返した。
「そっか。菓子折り買った方が良いだろうし、送って行こうか?」
「大丈夫ですよ、散歩したい気分だったので。じゃあ、仕度して行きますね」
送る、という言葉に内心焦った。絶対に駄目だ、彼と一緒にいたらはボロを出してしまうだろう。ぶんぶんと首を振りたくなるのを必死に抑えては自然な笑顔を作るように心がけた。
特に何も違和感を覚えなかったのか、にこりと微笑んだ彼の顔を見ては扉を閉じた。その瞬間、どっと冷や汗が溢れ出す。危ない、これ以上彼と話していたら絶対笑顔が引き攣っていた。
大分精神的に疲れてへろへろと自室に戻って必要な物を鞄に詰める。急がないと。早く。ぱぱっと荷物を作り上げて玄関に出て靴を履く。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
安室の自室へと声をかければ、彼は扉から出てきてに微笑んだ。その優しい笑みに涙が出そうになったことは、彼に気付かれていませんように。


 小五郎の事務所へと歩いて行く中デパートで洋菓子の箱を手土産に買って、はピンポーンとチャイムを押した。
ちゃんか。蘭から聞いたが急にどうしたんだ?」
「突然お邪魔してすみません…。蘭ちゃんと話したいことがあって」
出迎えてくれたのは探偵事務所にいる時とは違ってラフな格好になった小五郎だった。まあ入れよと言う彼に礼を言っては彼らの家にお邪魔する。靴を脱いでリビングに上がった所、コナンが「どういうこと?」と声を上げた。だが今はコナンの言葉に答えるよりも先にすることがある。ちょっと待ってね、と彼にはお願いして小五郎に向き直り菓子折りを渡した。
「今日突然来てしまったので、お詫びです」
「ああ、なんだ。悪いな」
キッチンから良い匂いが漂ってくる中、小五郎に頭を下げれば別に気にしなくて良いのにと苦笑された。彼曰く、この眼鏡のボウズで慣れている、らしい。毛利先生ってたまにこうやって凄い優しくなるから反則だ。
「蘭ちゃん、今日はありがとう。何か手伝うことない?」
さん、いらっしゃい。じゃあ、ご飯盛り付けてテーブルに並べてくれますか?」
キッチンで料理を大方作り終えた彼女に挨拶をして、何か手伝えることがあれば手伝いたい為、指示を仰げば彼女は棚の食器を指差して場所を教えてくれた。彼女の言う通りに茶碗にご飯を盛り付けテーブルに運び、ついでに箸や彼女が盛り付けた料理をテーブルに運んだ。
いただきます、と手を合わせて毛利家の食事に参加させてもらったは手前からじとりとこちらを見てくるコナンの視線に気が付いた。ああ、そういえばさっきのコナンの質問にまだ答えていなかった。
「で、お姉さんはどうして来たの?」
「ごめん、何だか頭がごちゃごちゃして蘭ちゃんに話を聞いてもらいたくて…」
コナンの問に答えると、意外に鋭い小五郎がご飯を食べながら安室君のことかと呟く。それに頷くでもなく否定するわけでもなく押し黙ったに、蘭は「ちょっとお父さん!」と小さな声で彼に文句を言った。すぐ近くにいるからそんな声は勿論には聞こえているけれど。
彼女の優しさにへへと力なく笑う。今はまだ言いたくないから何とも言えないけれど。後で、寝る時にでも同じように恋をしている彼女に話を聞いてもらいたい。


 夕食が終って、お風呂にも入らせてもらっては蘭の部屋に敷かれた布団に横になった。後はもう寝るだけだ。歯を磨いてから布団に入った蘭はもそりと動いてを見る。
かちり、と彼女が電気を消して豆電球のみになった暗闇の中で、安室さんと何かあったんですか、と眉を下げる彼女に小さく頷く。ずきずきと痛みを訴える胸を押さえて、は蘭だけに聞こえるような小さな声でこの前のことを話すことにした。
「この前、コナンくんから安室さんには大切な人がいるって聞いて、私佐藤さんたちに自棄酒に付き合ってもらったんだけど――」
その後、彼が迎えに来てくれたこと、車の中で安室の大切な人はだと真実を教えてもらったことを伝えた。そうすれば、彼女は良かったじゃないですか!と瞳を輝かせたけれど、まだ話の続きがあるの、と彼女を宥める。だって、それだけだったらこんなに悩んでいないし、彼を見る度に胸がじくじくと痛んで泣きたくなったりなんてしない。
「私、泥酔してたからほとんど覚えてないんだけど、誰かが…安室さんへの想いを伝えちゃ駄目だよ、って言うの…」
「え、それ…どういう…」
輝いていた瞳を曇らせた蘭に、も分からないと返す。あの声は、の頭の中でぐるぐると渦巻いていて、誰が言ったのか定かではない。だけど、あれだけ響くのだから、きっと直接の耳に吹き込まれたに違いなかった。
「一緒にいたいなら、言ったら駄目だよって…安室さんの声で再生されるの」
さん……」
あの時、彼と何があったのかは覚えていない。もしかしたら、が酔っ払って衝動的に彼に好きだと言おうとしたのかもしれない。彼はそれを止める為にこんなことを言ったのだろうか。だけど、どうして。声が震えて、涙が溢れ出す。それに気付いた蘭が手を伸ばしてぎゅっとの手を握ってくれた。
「なんで…好き、って言っちゃいけないの、かな……」
想いを伝えて彼に引導を渡されることも許されず、彼と離れることも許されない。の心には安室の存在が大きく占めているのに、他の男を好きになるなんて出来なかった。だから諦めきれずに彼の傍から離れることが出来ない。
先程より強くぎゅっと手を握りしめてくれる蘭から、を案じる彼女の優しい気持ちが伝わってきて、零れた涙が枕を濡らした。
「安室さん、もしかしたら従兄妹同士だからって気にしてるのかも……」
あんなに、さんのこと大事にしてくれてるのに、安室さんがさんのことを嫌いなわけないですよと励ましてくれる彼女に、はどうしようと思った。彼女にはと安室は従兄妹だと嘘を吐いているから、こうやって真摯に考えてくれている。突然押しかけたに真心籠った料理を食べさせてくれて、友人として悩みまで聞いてくれる彼女。そんな彼女に嘘を吐いているなんて、彼女への裏切りではないだろうか。ふと、そんなことが思い浮かんでは瞳を揺らした。
――安室さんには誰にも言ってはいけないって言われていたけど…。蘭ちゃんにだけだったら…。
の為に頭を悩ませている彼女に、は心を決めた。この秘密を伝えてこの心苦しさから解放されたい。
「蘭ちゃん、あのね…私、蘭ちゃんにずっと嘘吐いていたの」
「えっ」
「本当のこと、言うから…誰にも言わないって約束して…」
「わ、分かりました」
こくり、と暗闇の中で彼女が頷いたのに安堵して、は口を開いた。彼女だけには知っていてもらいたかった真実を話す為に。何だかんだ、佐藤たちや哀たちとも接しているけれど一番一緒に過ごすのが多い女友達は蘭。その彼女だけになら、真実を話しても大丈夫な気がした。彼女は口が堅いし、が嫌がるようなことをするような子ではないから。
――は海賊の娘であり、この町に来て途方に暮れている所を安室に救ってもらって、従兄妹という設定で一緒に暮らしているということ。彼とは全く血の繋がりがないことを伝えた。流石に、異世界人なんてことは伝えても信じてもらえないだろうから伏せたけれど。
「それ、本当に…?嘘…」
「うん、本当」
目を見開いてを見つめる彼女に、小さく頷いた。こんな大切なことで、嘘をつくわけが無い。そうすれば、彼女は更に頭を悩ませ始めたようだった。だけど、はそんな彼女にストップをかけた。は彼女を悩ませる為にこのことを伝えたわけでは無い。ただ、知ってほしかった。が血の繋がりも何も無い安室に恋をしていて、それで悩んでいるということを誰か一人でも受け止めてくれればそれで良かったのだ。
たった、それだけで少し胸が軽くなる。一人で抱え込んでいた問題を誰かに明かすことで、気持ちが楽になるのだ。
「じゃあ、これから安室さんとどう接していくか考えましょう…!」
「うん、そうだね。ありがとう、蘭ちゃん」
前向きに考えて、を励ましてくれる蘭に、は止まっていた涙を拭いて頷いた。やっぱり、蘭ちゃんに相談して良かった。友達がいるって本当に良いことだなぁ。はそう思いながら、彼女と共に夜遅くまで話し続けた。今回は自分のことばっかりだったけれど、今度は彼女の幼馴染の相談を聞いて年下の友人の為に何か力になりたいとは思った。


32:可愛くて大事な友達
2015/07/09

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