数日しては小五郎の事務所で蘭の手伝いをしていた。分身とコナンは学校だし、安室は下のポアロで働いている為、ここには新聞を眺める小五郎と彼女たちだけしかいない。
「蘭ちゃーん、お皿ここで良い?」
「はい!ありがとうございます」
洗い終ったお皿を棚に戻す所で、蘭に一応確認すればそれに頷く彼女。よいしょ、とコップなどをきちんと並べていく中で、何やらポアロの前を通りかかった分身とコナンたちが三毛猫の大尉の飼い主を巡って話し合っているのが見えた。
――え、何やってるんだろう。
分身の意識を覗き込んで、どうやら雑誌にポアロの宣伝が載った際に一緒に大尉も載っていたことから本当の飼い主がそれを見て現れたようだった。これは、お客が来る予感。
「あれ?何で沢山お茶の用意してるんですか?」
「んー…お客さんがいっぱい来る予感がして」
一度しまった茶器をもう一度取り出してお湯を沸かしていると、傍に蘭が不思議そうな顔をしてやって来た。分身の視界を共有しているから分かるんだよ、なんてことは言えないから曖昧にぼやかしておく。
謎解きの専門家に聞いてみようか、とコナンに微笑んでいる安室を見る分身の視界に、ほらやっぱりとは心中呟いた。

 一気に増えた客人に、はお茶を差し出そうとしたのだが子どもたちはいらないらしく、小五郎の傍で蘭の母親から預かった猫のゴロと遊んでいる。仕方なしに、用意するのは小五郎と一人目の飼い主候補だけの分にしておいた。
蘭に本当に人がいっぱい来ましたね、と驚かれたはたまたまだよと彼女に笑っておく。ちらりと見た分身と目が合って、ニヤと笑い合った。
「んなもん他でやってくれよ。今忙しいんだから」
安室にこの三毛猫の本当の飼い主を当ててほしいのだ、と頼まれた小五郎は競馬中継から目が離せない様子。しかし、そんな彼に安室が「依頼料は沖野ヨーコサマーライブのプレミアシートのチケットで」と耳元で囁いたことによって、この謎解きは行われることになったらしい。小五郎の単純さには乾いた笑みを浮かべた。まあ、私も普段ああいう感じなんだろうなぁとは思うけれど、流石にあそこまで露骨ではないと思う。思いたい。
まず一人目の飼い主候補の舎川睦実に話を聞く。
「友人に預けていたんですけど、ふと目を離したすきにいなくなってしまったらしくて…」
そう言ってこれがその写真です、と孫と彼女と三毛猫が一緒に映っている写真を小五郎に見せた彼女。も安室の隣でそれを見て、確かに似ているなぁと思った。コナンがそんな彼女に猫が好きかと訊ねる。勿論、と頷いた彼女はゴロにおいでと呼びかけたけれど、ゴロは彼女ではなく小五郎の膝の上に乗ってしまった。
「問題の三毛猫には去勢手術をした痕がありましたけど」
「ああ、あの時は大変でしたわ。一晩入院して戻ってきたんですがなかなか包帯が取れなくて」
安室が以前確認した手術跡について彼女に訊けば、抜糸するまで一週間ぐらいかかりましたと頷いた。手術後から抜糸までそんなに時間がかかるのか。動物って大変だなぁ。ペットなんか飼ったこともないし、動物といえば魚類ばっかり見てきたには猫の手術など全然分からないことだった。
 次に二人目の候補者の益子貞司。は彼の前に音を立てないようにお茶を置いた。
「猫はいつ行方不明に?」
「ちょうど4か月前の引っ越しの時です」
小五郎の問いかけに答える彼にふむふむとは相槌を打った。30年連れ添った妻が亡くなったが、それ以前に撮った妻と猫の写真をスマートフォンで見せる彼。
うーん、さっきと同じような感じの猫だ。そんな彼にコナンがゴロを抱き上げて「じゃあおじさんも猫好き?」と彼に近付けると、彼は嚔をしてしまった。猫アレルギーなのだろうか。
安室が彼に猫に去勢手術をしたかと訊ねている間、この男性が猫アレルギーだった場合は猫を飼えないのではないかと思っていた。ふうむ、難しいな。
 そして最後の候補者雨澤章吾。は直感的にこの男はないと思った。まず態度がいけ好かない。初対面の人間を前にしてこの態度は一体何だ。
「だからよ、猫に会せてくれりゃすぐに分かるって言ってるんスよ」
ソファにふんぞり返って小五郎に話しかける彼に、は苛立ちこの男の話を聞くどころではない。白ひげ海賊団で妹や娘のように育てられただったが、礼儀作法――特に上下関係は厳しく躾けられてきた為、父や兄のような存在であるマルコにだって、今まで呼び捨てで話したことはないし――本当に小さな頃、彼らに拾われた当初は呼び捨てと敬語なしで話したが、そうしたらゲンコツを食らったのでそれ以降はしていない――、こんなふざけた態度で人と話したことはない。
うっ、腹が立つ。その上、彼に近づいてみれば彼からは何か変な匂いがする。香水でもないし、体臭でもないしどことなく植物のような匂いに近いそれ。鼻が良く利くには、普通の人間では気付かないような匂いにまで気づくことができたのだ。そのおかげでいつも近所の料理を当てるゲームを楽しんでいる、というのは余談だが。
「俺は動物に好かれる体質みたいでよ」
彼がしゃがんでゴロを呼んだところ、駆け寄っていったゴロに蘭が驚いている。嘘だ、絶対嘘。こういう男が動物に好かれる筈がない。独断と偏見、そしてお得意の嗅覚で雨澤を判断したは、彼は飼い主ではないと判断した。
真に動物に好かれるような人間というのは、懐が深くて何事にも動じないような人間なのだ。そう、ずっと身近で見てきた白ひげがそれだ。この男と彼は全然違う。
「因みにさ、あの三毛猫“大尉君”なんて書かれてたけど雌猫だよ」
「え?あ、いや…だったら俺のじゃねえかも…」
コナンの突然の発言に焦った様子の彼。いいぞもっとやれ。心中コナンを煽ったは、コナンが彼にフェイクを仕掛けているのが分かった。だって、コナンは大尉が雄だということを知っていたから。この彼の様子に、本当に大尉が彼の飼い猫だったなら、雄猫関係なしに飼い主だと主張する筈だ。


 一先ず、一度彼らをポアロに戻した小五郎たちは、猫の飼い主を割り出す為に話し合っていた。
「雨澤さんは無いです」
「え、どうしてだい?」
「態度が悪いからです」
誰なんだろうか、と悩んでいる彼らにはどうしても言いたかったことを言った。あの男はない。それに安室が、流石に態度だけじゃ言えないよ、と苦笑するのには「あと、何か変わった匂いがしたんですよね」と付け加えた。もしかして、あの匂いでゴロは彼に飛び付いたのではないだろうか、と。それに、彼はへぇと頷いた。どうやら少しは考えてくれる気になったらしい。
傍で眼鏡をきらりと光らせ不敵な笑みを浮かべたコナンを見て、どうか自分の推理が合っていますようにとは願った。とりあえず雨澤の推理だけでも合っていたらそれで良い。
それから暫くして、ポアロで待機してもらっていた猫の飼い主候補者たちを呼び集めた小五郎。
「飼い主が分かったから俺たちをここに集めたんじゃねぇのかよ?」
そんな彼に雨澤はどんと彼が座る机に腕を振り下ろす。はそれを見て尚更彼の好感度が下がった。少しくらい我慢してほしい。そこへ漸くやって来た梓の腕には大尉が抱えられていた。本当の飼い主は誰なんだろうか。しかし、大尉は部屋に入ってきた途端ニャアンと鳴いて雨澤に飛び付く。ゴロゴロ喉を鳴らしている様子に、はじとりと彼を見た。絶対この匂いのせいだ。
「そらみろ!やっぱ俺の猫じゃねぇか!」
「でもさあ、猫ってパッと見て3人いたら真ん中の人に惹かれる習性があるから飛び付いただけかもしれないよ」
さっさと大尉を持ち帰ろうとする雨澤に、コナンがにこにこしながら伝えた言葉にはへぇと頷いた。猫ってそんな習性があるんだ。じゃあ、もしかしたらこの匂いのせいではない、のかもしれないということだろうか。
テレビでやってた、と蘭に言う彼にコナンはよくテレビの内容を覚えているなぁと感心した。普通、見ていたとしてもそれら全てを覚えているなんて不可能だ。彼はよくテレビで見たという言葉を使うけれど、頭が良い子どもはやはり記憶力も凄いのだろう。
 そこで、コナンの提案で梓と大尉を外の廊下に出して、一人ずつ大尉を呼ぶということになった。まずは舎川が扉を開けてみてムギちゃんと呼んでみるけれど、応答なし。ぷいと顔を背けた大尉に彼女は少しばかり落ち込んだ表情になった。
「やっぱり飼い主の孫娘じゃないとダメみたい」
「いや、お孫さんでも同じだよ」
はあと溜息を吐いた彼女に、コナンがおばあさんが探している猫はその猫と違って雌だから、と不敵な笑みをして言う。
――え、そうなんだ。
そうだよね?安室の兄ちゃん。そう笑顔で安室に同意を求める彼に安室は腕を組んだまま、ああと答える。
「去勢手術で一晩入院して抜糸するまで1週間かかったっておっしゃっていましたよね」
「え、ええ」
「それは雄の去勢手術ではなく、雌の不妊手術のこと」
動揺している様子の彼女に丁寧に雌と雄の手術の違いを述べる彼に、は流石だと思った。が独断と偏見で雨澤は飼い主ではないと思ったのと違い、彼はちゃんと知識で彼らを選別している。しかし、医療も科学もよく分からないにとっては専門用語をぽんぽん出されるとすぐに理解出来なくなってしまったが。
「益子さんがおっしゃっていたように首にカラーを付けるぐらいで済みますから」
そう締めくくった彼にコナンが言葉を続けたことで、は感心しているというよりは段々頭がごちゃごちゃになってきた。猫の習性上じっと見られることが苦手だから小五郎の膝に乗ったのだ、と続ける彼。つまり、その習性を知らない彼女は飼い主ではないということだ。
「ボウヤの言う通りよ」
孫娘と両親がいないから彼らの猫を預かっていたら目を離した隙に姿が見えなくなってしまった。そう白状した彼女になるほどと思った。孫娘に嫌われたくないから、その猫と似た大尉を連れて帰ってどうにかしようとしていたのか。
コナンがそんな彼女にいなくなった日を聞いてアドバイスをした所で、一先ず舎川の件は解決したようだった。
「ったく!とんでもねぇバアさんだったな」
そう言って扉に近付いたのは雨澤だ。飛び付いてノドを鳴らすのではないかと自信満々の様子で扉を開けた彼だったが、彼の予想に反して大尉は彼に飛び付かなかった。きっと先程の匂いが無くなったからだろう。先程彼のことを気付かれないように嗅いでみたところ、先程のような植物の匂いはしなくなっていたから。
「さっきみたいに来いよ!来いっつってんだろ!?」
大尉が飛びついて来ないことに焦った彼が怒鳴り声を上げて、梓が大きく目を見開いた。そんな彼に大尉も警戒心を抱いたようだった。うわ、これはもう飼い主じゃないことは確定だ。自分の猫にそんな風に怒鳴る人がいるわけがない。は目元を歪めて彼を見た。
「知らないの?マタタビが効くのは5分から10分ぐらい」
その上コナンの言葉である。ああ、マタタビだったのか。ポン、と手を叩いて納得した。やはり彼はあのマタタビの匂いで大尉たちを誘惑していたのだ。
お姉さんがマタタビの匂い分かるなんて吃驚したよ」
「え、ああ、私鼻が良いから」
ふいにこちらに振り向いた彼がににっこり笑ったのを見て、も彼に笑い返した。の言葉が彼のヒントになったのだったらそれは良かった。何しろも彼だけは飼い主ではないと最初から思っていたから。それにしても今日のは冴えている。自分で自分を褒めたくなってしまう程に。
「それにあなたはコナンくんにあの猫が雌だと言われてあっさり身を引こうとしましたよね?」
が内心鼻高々になっている所に、安室が彼へと追い打ちをかけ始めた。もう既に彼が飼い主ではないと分かっているのに安室も容赦がない。どうやら、雄は1000匹に1匹の割合でしか生まれないことから、希少性が高くなり招き猫のモデルとされていて2000万円の価値があるらしい。
その情報にははぽかんとした。2000万円。この国の通貨との世界の通貨の感覚がそう離れていないことを知っている今では、その金額の大きさに驚いた。あの大尉にそんな価値があったなんて。吃驚である。
「し、失礼しました〜!!」
コナンと安室のタッグ推理に顔を青くした彼は驚く速さで事務所から逃げていった。全く、金になるからと大尉を狙っていたなんて最低な男だ。
最後に残ったのは、猫アレルギーらしい益子だった。
「私もさっきの2人と同じような結果かも…」
少し自信がなさそうな様子で扉に近付いて開けた彼は扉の前にちょこんと座って彼を見上げている大尉に驚いた。漱石、と名を呼べばニャ〜と返事をする大尉。どうやら彼が本物の飼い主だったようだ。今までとは全然態度が違う大尉、否、漱石にやはり飼い主が分かるのだなぁとは感心する。
――よし、一件落着だ。は無事に飼い猫と再会を果たした益子を見て笑顔になった。


 益子が漱石を抱えて帰っていく後ろ姿を眺めていると、ふいに隣にいたコナンから声をかけられた。
お姉さん、そういえばこの前は大丈夫だったの?」
「この前?」
あまりにも小さな声で訊ねられたので腰を屈めて耳元で話してもらう。この前…コナンの言葉に首を傾げるに、彼は「安室の兄ちゃんの恋人の話とか聞いたじゃない」と耳元で囁く。
その瞬間、はあっと思い出した。そうだ、なんでこんな大切なことを忘れていたんだろう。はコナンから彼には大切な人がいると言われて失恋したと思い佐藤たちと自棄酒をしたのだ。そう、そうだ。
「自棄酒して全部忘れてた……」
「ええ……」
素直にそう返せば、彼から呆れた眼差しを貰った。でも、待って。確か安室はを迎えに来てくれた筈だ。ということは佐藤たちとも会っていることになる。では、もしかしたらが自棄酒をしていた理由を彼は知っているのではないだろうか。どくどくと徐々に心拍数が上がっていく。
――僕の大切な人は、だよ。
ふいにフラッシュバックした光景。に顔を近づけた彼が、そっと囁いた言葉。が聞いたら喜びで涙を流しそうな台詞だ。だけど、何故かそれを思い出しても嬉しいという感情は湧きあがらなかった。逆に、悲しさが溢れ出す。
――言ったら、駄目だよ。
知らない声が頭の中で囁く。言っては駄目とは。もしかして、私が彼を好きだという想いだろうか。何で。悲しむから。誰が。彼が。彼、彼とは安室のことか。否、彼しかいない。
この想いを伝えてはいけない。頭の中で呪詛のように響くその言葉に、は胸が苦しくなった。ぐるぐると渦巻く悲しみに、思わず涙が出そうになって目元を覆う。誰が、私にこんなことを吹き込んだの。
、どうした?」
「あ、ちょっと貧血でふらっとしただけです」
ふらついたを案じて慌てて腕を取って支えてくれた彼がの顔を覗きこむ。彼からは本当にを心配している様子が伝わってきた。だけどその瞬間、脳裏で響く声が知らない声から鮮明なものへと変わる。
――好きという気持ちを伝えてはいけない。そうすれば彼の迷惑になる。
何でよ、何で、この想いをぶつけることも許されないの。意味が分からない。頭の中で勝手にこの想いを否定する人物は、いったいどういう意味で言っているのか。泣いてしまいたかった。だけど、今泣いては駄目だ。そんなことをしてしまえば、彼は何があったと問い詰めるに決まっているから。心配そうに見下ろしてくる彼の瞳に、は涙を堪えて下手くそな笑顔を作った。酷い。
ひどい…あなたのことが、こんなに好きなのに。

――傍にいたいなら、言っては駄目だよ。
どうしてこんな酷い言葉があなたの声で再生されるのだろう。


31:両手いっぱいの愛を、渡すことは許されない
2015/07/04

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