昨夜は使われていない一室をの部屋として与えられ、そこで眠った。布団、という物で寝たのは初めてで、身体が少し痛い。“にほん人”とやらはこの寝具で寝ることが多いらしい。私としてはベッドが良いのだけれど、仕方ないか。文化の違いに戸惑い肩をぐるぐると回しながら、一つ欠伸をして物が少ない自室から出た。
「おはようございます」
「ああ、おはようございます」
安室に挨拶をして時計を見やれば、7時半を指している。何だ、私にしては中々早い時間に目を覚ましたなぁ。いつもなら9時に目を覚ましてから食堂で料理長に「遅い」と文句を言われながらも朝食を出してもらってからの一日は始まる。きっと、慣れない場所で緊張していて常と比べて安眠できなかったに違いない。
既に朝食を作って、後は皿の上に盛り付けるだけの状態の料理を2人で分担して盛り付ける。それを机に運んで椅子に座った。
机から少し離れた所にある薄い箱の中では、スーツを来た女性が隣の国の情勢について話している。あれは何だろう。映像電伝虫がスクリーンに映し出しているようには見えないということは、中で人が生きているのだろうか。
「――安室さん。あの人、あの箱の中で窮屈じゃないんですか?」
「箱?ああ、あれはテレビですよ。映像を電波で送っているので、実際にこの箱の中に人がいるわけではありません」
いただきます、と手を合わせて朝食を食べ始めた彼に、気になっていたことを聞いてみればくすりと笑われた。それにむっとするも、ちゃんとテレビという物について知識を与えてくれたかれに「ふ〜ん」と頷く。
の考えとしてはトンタッタ族のような小人があの箱の中で生きているのでは、と踏んでいたのだがそれは違ったようだ。の世界にも映像を映し出す技術はあったので、彼の説明で理解することは容易かった。
昨晩の食事とは違い、棒状の物で食事をしている安室を見て、使い方は知らないが見よう見真似でそれを使ってご飯を口に運ぼうとする。が、ぽろりと茶碗に米の塊が落下した。
――ああ…面倒くさい。
四苦八苦してご飯を箸で摘まんで食べるを見かねた様子の彼が、こうするんですよとの手を取って正しい持ち方へ直す。
「箸は難しいかもしれませんが、慣れた方が便利ですからね」
「へぇ…頑張ります」
日常に使う物がこうも違うと大変だなぁ。この世界に馴染むにはまだまだ時間がかかりそうだ、と人知れずは溜息を吐いた。


「余所見してると危ないですよ」
「はーい」
朝食を食べた後、今日はこれから暮らしていく上で必要な物を買いに行こうと安室が言うので、彼女はそれに従って彼について外へ出ていた。きょろきょろと物珍しい物が並ぶ町並みを見ながら、あれは何かと何度も彼に訊ねる。それに嫌な顔をしないで車だとか飛行機だ、と教えてくれる彼は案外面倒見が良いのかもしれない。
今もまた、ふらふらと電化製品の店へと吸い寄せられたの腕を引き軌道修正する彼のおかげで、道行く人にぶつかることを防ぐことが出来た。
「まずは洋服から行きますよ。いつまでも僕の服じゃ動きにくいでしょうし」
「そうですね」
がきちんと前を向いていることを確認して離れていった彼の手。それに一瞬気を取られたが、特に何も思わずに彼に続いてデパートへと入っていった。
どうせ着るならの年齢に合った洋服の方が良いだろうと年を聞かれた彼女は21と彼に伝えた。どうやら、彼はそう年が離れていないようで、29歳だということが分かった。
は服はダサくなければ何でも良いといった感性の持ち主で、年頃の女としてはお洒落には興味がない方だった。その感性が形成されてしまったのは偏に仲間たちに揉みくちゃにされてすぐに洋服など汚れてしまうからだったのだが。
ということで、Tシャツとジーンズで良いかと数着手に持ってこれにしますと言った彼女に、安室から待ったの声がかかる。
「僕が言うのも何ですけど、もう少しお洒落に気を遣ったらどうですか?」
「え…、でもすぐ汚れるじゃないですか」
綺麗な洋服なんて買ったら勿体無いですよ。と心の底からそう思っているらしい様子のを見て、はぁと彼が溜息を吐いた。すぐに洋服が汚れるなんて、今までどんな生活をしてきたんだ。そう呆れるが、それを口にすることはなく近くにいた店員を呼ぶ。
「すみません、彼女に似合うコーディネートを10着程お願いします」
「かしこまりました」
「え、ちょっと」
ではこちらへどうぞ、と品の良い服に身を包んだ店員に連れられていく。これで良いのに!と安室に主張するも、お金は僕が出すんだから別に良いでしょうと言われてしまえば、頷くしかない。
ちぇっ。舌打ちしたくなったが、どうやら先程が手にした動きやすそうな洋服も買ってくれるらしく手に持つ安室を見て、店員の言う通りに与えられた服を次々に着ることにした。
もうすぐ夏だからか半袖のバーバリー柄のワンピースを始めとして、使い回し出来るトップスやスカート、ショートパンツ等々着せ替えられたはそれらの洋服を気に入りながらも疲れ切っていた。
何十着買うのだろうか、と籠に積み重ねられた洋服を座った目で眺める。だが、この試着地獄ももう終わりらしかった。そこら辺で良いですと声をかけた安室に、店員の女性が微笑む。
良かった。漸く終わったのか。
「春夏服はこれくらいで良いですよね」
「はい。ありがとうございます」
レジで会計をしてお金を払ってくれた彼に頭を下げる。膨らんだ紙袋を2人で両手に持って次の買い物をするのは難しいので、宅急便で送ってほしいと店員に頼む安室。宅急便が何なのか分からないは疲れた体をほぐすように首を左右に傾けていた。

 その後も生活必需品――化粧品や下着、家具などを購入していった2人は流石に疲れて近くのベンチに座り込んでいた。デパート内で売っているソフトクリームを並んで食べながら、道行く家族やカップルをぼうっと見つめる。
そこに、ああと思い出した彼のように声を上げた安室に、は彼に視線を向けた。
「これ、スマートフォンです。出かける時は必ず持ってくださいね」
「すまーとふぉん?」
何だそれは。手渡された四角い薄い板に、また何か映像が流れだすような物だろうかとはじいっとそれを見る。そういえば、先程これに似たような物が沢山並べてある店でそんな物を彼が購入していたような気がする。これが何か分からず首を傾げている彼女に、安室は簡単にスマートフォンがどういった物なのかを説明した。
彼の説明で離れた者同士が連絡をするための機械だと分かり、何となく電伝虫のようなものかと彼女は理解する。
にしても薄っぺらくて小型電伝虫より遥かに便利そうだ。
「ここに僕の連絡先を入れましたから、何かあったら連絡してください」
「はーい」
日本語が読めないの為に英語表記にしてくれた彼は、アドレス帳に入ったAmuro Toruという項目を見せてくる。その上、どうやったら連絡が取れるのかということまで実践してくれて、はふむふむと頷いた。
――何かよく分かんないけど大丈夫な筈。


 数日経ってデパートで買った家具や洋服その他諸々が全部揃った頃、は平仮名と片仮名の読み書きの練習をしていた。何故このようなことをしなければならないのか分からなかったが、どうやらこれは安室を手助けするという約束の一環であるらしい。
「あなたには来週の月曜日から近くの小学校に通ってもらいます」
「“しょうがっこう”?何ですか、それ?」
コーヒーを飲みパソコンで何やら調べ事をしている安室が、ノートに何回も書かれた平仮名に目を寄こしながら言う。は小学校がどういうものか知らなかったが、この国の子供たちが通う勉強するための施設だと彼に説明してもらい、理解した。
勉強なんて金持ちの子息が家庭教師を雇って教えてもらったり、村の大人たちから教わるものだと思っていたにとっては、何百人も同じ場所に一斉に集まって勉強するというのは驚きだった。しかも、なぜ大人の自分が子供たちに混じって勉強をしなければいけないのか。
「勿論、あなたではなく分身に行ってもらいますよ」
「ああ、ですよね」
が不審に思ったことを見抜いた安室が彼女の考えを否定する。そして、その学校である人物と友達になってもらいたいと言うではないか。子どもと友達か。別に子どもは嫌いではないけれど、大分昔に子どもを卒業してしまったから子どもとして振る舞えるか心配だ。
ぴらり、と安室が見せてきた写真には7歳程度の少年が映っている。大きな眼鏡をして蝶ネクタイに堅苦しそうな服に身を包んだ彼。お金持ちのお坊ちゃんか。彼の第一印象はそんなものだった。
「彼は江戸川コナンくん。僕、この子が居候しているお宅の探偵のファンなんです」
「その探偵さんに近付く為に?」
「ええ、ファンとして色々知りたいんですよ」
にこにこと笑顔でその探偵について話す安室に、ふ〜んと頷く。今までの人生で誰かのファンになったことがないにとっては、彼の気持ちはよく分からないものであったが、その探偵を白ひげに変えてみると何となく知りたいという欲求が分かった気がした。確かに、オヤジが何の酒が好きか、とかは知りたいかもしれない。
もう一度江戸川コナンという少年の写真を見つめて了解の意を込めて頷く。この少年と友達になることが仕事なのか。そんなに難しいことではないだろう。
「じゃあ、ちょっと分身を出してみてください」
「はい」
彼に言われた通りぽん、と分身を出せば、彼は隣の部屋から何やら赤いリュックのような物を持ってきた。ああ、そう言えばそんな物も買っていたなぁ。そう思いながら分身と共にそれを見つめていると、彼は分身にそのリュックを背負わせた。
「丁度良いですね」
「何ですか?これ」
肩周りの長さなどを調節した彼が、満足そうに頷く。も分身もそれに首を傾げた。
どうやらこれはランドセルという鞄らしい。安室曰く、日本の小学生たちは皆これに勉強道具を入れて背負うようだ。
赤くピカピカ光るランドセルを背負っている分身は心なしか嬉しそうだ。分身と意識を共有できるは、そういえば分身の精神年齢が少しばかり幼かったことを思い出す。
――これなら子どもたちがたくさんいる所でも大丈夫そうだ。
「一応、表向きには僕たちは従兄妹という設定にしているんで、忘れないように」
「はーい、じゃあ安室さんのこと皆の前では透お兄さんって呼ぶね」
「ああ、それじゃあ僕もちゃんって呼ぶよ」
表向きには従兄妹設定をしている、と言う彼には納得したが、次いで彼女の視線の下で分身がにこにことして安室を見上げて言った言葉に驚いた。その上安室もちゃん、と分身を呼ぶらしい。
ふざけてる。どちらに対してかは分からないけれど、はこの2人を見て少し苛立った。


03:無知な君に知識という名の料理を
2015/06/16

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