ストーカー被害で悩んでいた依頼主の佐々木智代とはあれ以来たまに会うようになっていた。もちろん、仕事としてではなく、友人として。
ストーカーがいなくなったことで、以前よりも元気な様子になった彼女は順調に仕事をしているようだった。
彼女の「安室を好きになりそう」発言から、はそこで漸く彼のことを好きになっているのは自分だけではないかもしれない、ということに気付いて不安になったのだが、今のところ彼に浮ついた話はなさそうだ。それとも、彼がに隠しているだけか。
「安室さん、彼女とか好きな人っているんですか?」
そう訊けたらどれ程良いか。キッチンで昼食を作る彼の後ろ姿を眺めながらは思った。そんなことを聞いたらの想いなんて聡い彼ならすぐ気付くだろうし、もし「いるよ」なんて言われた暁には絶望に叩き落されそうで訊くに訊けない。
――でも気になる…。
「そんなに見つめられると照れるよ」
「すみません。良い匂いするなぁって思って」
の視線にこちらを向いた彼は言葉とは裏腹に全然照れてなさそうだ。ポーカーフェイスが上手いのは勿論だろうけど、この場合はきっと言葉だけ。ずっと彼を見ているのだ、それくらい分かる。もそんな彼に対してポーカーフェイスで返したけれど、もしかしたら下手くそな笑みだったかもしれない。
はぁ、安室さんの背中好きだなぁ。特に料理中の。
の為に(勿論自分の為でもあるけれど)ご飯を作ってくれる彼の背中からは優しさとか愛情とかが溢れている気がする。が勝手に見出しているだけだろうが。が大好きな物を作ってくれる大好きな人。その二つを両方見られるなんてとても幸せだ。
、箸配って」
「はーい」
あと少しで料理が出来る所で、彼から声がかかっては立ち上がった。


 余りにも安室の女性関係が気になって仕方がないので、彼と面識が無い西の探偵――服部平次に依頼をしようかと思ったけれど、そんなことで忙しそうな彼の手を煩わせるのは忍びない気がした。何やら彼は有名な探偵であるようだし。
そこでは身近な小さな探偵に頼ることにした。勿論コナンである。これを機に彼とコミュニケーションを取って、小五郎をストーカーしていたことへの怒りを鎮めてもらいたいという思惑もあった。もうしていませんけど。
「で、やっぱりお姉さんは安室の兄ちゃんが好きだったんだね」
「うん…」
探偵事務所の一角で彼に依頼をした所、何でボクが…と言われたが米花百貨店の特に美味しいと有名な和菓子店の詰め合わせの箱を彼に渡した所、渋々頷いてくれた。良かった、これ高かったんだよね。
半目でこちらを見てくる彼はいつも本体のに見せてくれる子どもらしい顔ではなく、少し呆れているというか此方を窺っているというか。因みに今安室は下のポアロでバイト中の為、この場にはいない。
「安室の兄ちゃんと一緒に暮らしてるのに分からないの?」
「安室さんの友人関係とかあんまり聞いたことなくて…それに大抵は私と一緒にいるから」
しかし調査をしてくれる気になったのか、に質問を始めるコナン。ふーん、と彼は頷きつつ和菓子を一つ口に入れた。美味しかったのか目を煌めかせている。可愛い。
「安室の兄ちゃんが女の人と歩いているのを見たことは?」
「ないかな」
「じゃあ誰かと連絡を取り合っていたりとかは?あと携帯の履歴」
「あ、同僚の女の人と話しているのを一度だけ。安室さんの携帯は触らないから知らないよ」
「話題に出る女の人は?」
「梓さんとか蘭ちゃんとかそれくらいかなぁ」
暫くコナンに質問されて答えるという作業をしていくが、コナンはこれじゃあ何も分かんないよと溜息を吐いた。そうだよね、ごめんねコナンくん。仕方ないから直接訊きに行ってくる、とどことなく嫌そうな雰囲気を出しつつ事務所を出ていった彼はきっとポアロに行くのだろう。
――ごめんコナンくん。でも頼みます。自分じゃ訊けないから……。
20分程して帰ってきたコナンに心臓が五月蠅く騒ぎ出す。彼はどことなく疲れた様子だったので、もう一度新しいお茶を淹れて和菓子を彼の前に置いてあげた。
「…単刀直入に言うけど、恋人も好きな人もいないけど大切な人はいるって」
お茶と和菓子を一気に食べた彼の言葉に、は一度ズキンと心臓が痛くなって、自分が風化していくのを感じた。ドキドキと騒いでいた心臓が一瞬ですうっと静まり返って頭が真っ白になる。
恋人も好きな人もいない。だけど大切な人がいる。大切な人……。“大切な人がいる”という言葉が頭の中でエコーしては力が抜けて虚ろな目でぼうっと宙を見つめた。
――安室さんに大切な人いたんだ……。
「――さん!お姉さん!」
「え、あ、コナンくん………」
魂が抜けていたのか、コナンがを呼ぶ声など全然聞こえていなかった。あ、ああと彼の呼びかけに返事をして、ありがとうと今回のお礼を言った。その瞬間涙がちょろりと出てきたので、それを彼に見せないように立ち上がる。自分から聞いといて泣くなんて馬鹿馬鹿しい。
「もう、帰るね…お菓子は早めに食べてね……」
「え、ああ、うん…」
へろへろとソファから立ち上がって、何度かどこかに頭をぶつけたような気がしながらも事務所を後にした。ああ、家に帰ってきた安室さんにどんな顔をして会えば良いのだろう。大切な人がいるのに、いつまでも彼の家で世話になっているは完全にお邪魔虫だ。いや、邪魔したいけれど。だけど彼に嫌われるのはもっと嫌だ。
茫然自失として街中を歩いていたら、知らない男性に声をかけられた。シカトしよ。そう思ってふらふら歩いていたら腕を掴まれる。誰だ。振り返れば、そこにいたのは知らない男性ではなく高木だった。
「大丈夫かい?ちゃん」
「あ、高木さん…」
どうやら風化しかけていたを見つけて心配して声をかけてくれていたようだった。申し訳ないです、知らない人だと思ってしまって。
何かあったのかい?と訊ねてくる優しい彼に、涙が出てきた。う、うう…と街中で突然泣き出したに高木は慌てる。きっと周りの視線が痛いのだろう。彼と会って泣きだしたのだ、きっと周囲の人間には彼が悪者に映っている。違うんですと言いたくても今は言えないのがもどかしい。
「高木さーん!今日一緒に飲みましょう!!!」
「ええ!!?」
「私をダシに佐藤さんも誘って良いですから!寧ろそうしてください!」
えぐえぐ、と涙を流すを一先ず端っこに連れて行く高木にはうわーんと彼の腕を掴んで揺さぶった。失恋してしまったんだ、今日ぐらい自棄酒させてくれ。こちらの世界に来てから普段は酒を少ししか飲まないだったが、こんな日くらい記憶が無くなる程酒を飲みたかった。
「どうしたんだい、急に…!」
「自棄酒ですよ!私一緒に飲める年の友達いないから…!」
「わ、分かったから、だからもう泣き止んで…!」
高木に迷惑をかけているのは分かっているが止まらないものは止まらない。唯一成人済みである佐々木に自棄酒を付き合ってもらうという手もあったけれど、何となく彼女は誘いにくい。もしかしたらあの時の「好きになりそう」発言を未だに引きずっているから彼のことで一緒に飲むのは気が進まないのかもしれなかった。
丁度彼は直帰だったのか、佐藤に電話をかけ始めた。「あ、さ、佐藤さんですか?高木です」なんて彼がどもりつつ彼女と話す声が聞こえる。彼にとってはカオスなこの状況を彼女に伝えた彼は、電話を切って「あと30分したら佐藤さんも来るからそれまでどこかに入ろうか」とを誘導してくれた。
 佐藤が来るまでの間、は高木に連れられてきたファミリーレストランで夕食代わりに大きなパフェとスパゲティとピザを頼んだ。自棄食いである。さっきスマートフォンで安室には『たまたま高木刑事たちと会って食事に誘われたので今日は夕食いりません。ごめんなさい。』という旨のメールを送信した為、彼が余分な食事量を作ることはないだろう。嘘吐いてごめんなさい。
ちゃんは良く食べるんだね」
「はい。食べるの大好きなんで」
何だかんだ事件現場で良く会うようになっていた高木とは結構話していたからか、彼と食事をしていても別に沈黙が続くということはない。ぱくぱくと料理を平らげていたら、そこに高木の恋人である佐藤がやって来た。まずテーブルの上に並べられている料理の量に驚いた彼女は高木の横に腰を下ろす。
「で、どうしたの?自棄酒に付き合って、だなんて」
「急にすみません…」
「良いわよ。たまにはそういう時もあるもの」
ウェイトレスを呼んですぐにメニューを選んだ彼女がに向き直る。事情を深く聞いてこない彼女の優しさに再び涙腺が刺激されるけれど、こんな所で泣いたら目立つのは目に見えている為我慢した。
やって来た料理をぱくぱく食べながら佐藤が、こんな所じゃ良いお酒なんて無いし食べ終わったらどこかのバーに行きましょう、と言うのに対して高木が良いですね!と頷く。きっと気を遣われているのだろう。自分から誘っておきながら申し訳なくなった。

――一度安室から電話が着たみたいだけど、今彼の声を聞いてしまえば泣いてしまうのは分かっていた為、出る事が出来ずに、は初めて彼からの電話を無視してしまった。


 佐藤お墨付きの小洒落たバーにと共にやって来た高木は良い雰囲気だなぁと店内を見渡した。照明も暖かみを感じさせるオレンジ色でカウンター席もあれば、個室のように区切られている席もある。
バーテンダーが生でカクテルを作る所が見たい、という高木の要望によって今回は個室ではなくカウンター席で酒を飲むことになった。
夕方に出会った頃から魂が抜けていたような状態のに目を移せば、先程よりは生気が戻った顔付きだったがまだその笑顔には元気がない。何かがあったことは明白なので、今日ばかりは佐藤と隣に座るのはやめてを挟んで自棄酒に付き合ってやることにした。
「はいこれ、私のオススメ」
「わあ、綺麗。ありがとうございます、佐藤さん」
「鮮やかですね〜」
マスターに佐藤がの為に頼んだのはオレンジ色とピンクと水色のグラデーションが綺麗なカクテルだ。お洒落な名前すぎて高木には覚えられなかったが、彼女が勧めるくらいなのだ、とても美味しいのだろう。
3人のお酒が揃って飲み始めたのだが、一気にぐびっとカクテルを喉に流し込んだに高木は驚いた。
「ちょ、ちょっと!一気は駄目だよ!」
「大丈夫ですよ〜、私お酒好きなんで〜」
「酔うの早いわね…」
職業柄、何度も一気飲みをして急性アルコール中毒で死に至った者たちを見ていた為、彼女の飲み方にはぎょっとさせられた。その上たった一杯で既に酔い始めている様子で、言い訳が一気飲みして良い理由になっていない。
ったくもー、と思う高木だったが「これと同じのくださぁい」と上機嫌になっている彼女を見て、これで元気が出るなら今日くらいはハメを外してもらっても良いんじゃないだろうかと矛盾した考えが湧く。
「でも珍しいわね。あなたいつもあの探偵さんと一緒にいるのに」
「う、うわあああああん」
ちゃん!?」
上機嫌になった彼女の笑顔は一瞬にして泣き顔に変わってしまった。机に突っ伏して涙を流す彼女に、安室の存在が地雷だったのだと漸く気が付いた。彼女は彼と何かあったのだろうか。
おろおろする高木とは違って、佐藤は「もしかして、振られちゃったの?」と訊く。それに益々の嗚咽が大きくなった。
――僕じゃどうにも出来ない…!!
思わず女性関係には慣れていそうな白鳥を思い浮かべる高木だったが、「辛い時は泣きなさい!」と彼女の肩を抱く佐藤を見て、わざと彼女を泣かせているのだと気が付いた。それもそうだ、人を思いやることが出来る彼女がこんな年下の少女の傷を面白半分に抉りに行くわけがない。
「さあ、今日は自棄酒なんでしょ!」
「は、はい…ううっ」
ぐすぐすと涙を流しながらも佐藤が勧めるカクテルをどんどん飲んでいく。高木はそれを見てやはり彼女は頼りになるなぁと思った。高木だけで飲みに来ていたらきっと、の様子に慌てるだけで何も出来なかっただろう。
「今日は私たちの驕りよ、ガンガン飲みなさい」
「うっ、うぇっ…さとうしゃんもたかぎひゃんもだいすきれす」
「高木君は私のよ」
「さ、佐藤さん!」
既に5杯は飲んでいるは呂律が回らなくなりながらも、泣き笑顔を晒した。年下の少女の純粋な好意に嬉しくならない高木ではなかったので――勿論浮気ではない――それに喜んだが、すかさず佐藤がそんな彼女に一喝を入れるので高木は照れのあまりに顔を赤くした。いつもは人前でそんなこと言ってくれないのに。
「じゃあアドレス交換しましょ。いつでも、ってわけにはいかないけど付き合うわよ」
「ひゃい…あれ…えと…」
まるでの姉のように面倒を見始めている佐藤に高木は何だか良い光景だなぁと隣を見やった。彼女がスマートフォンを取り出してどうやって操作するのか分からないのか固まっているのを見て、佐藤はささっと操作して赤外線の所まで辿り着く。画面に明かりを付けた時に安室から電話とメールが数件来ているのが目に入ったが、がそれを見てまたじわりと止まりかけていた涙を溢れさせたのでその画面はすぐさま変えられたのだった。
「ほら、高木君も」
「あ、はい!」
佐藤も酔ってきているのだろう、顔を赤くして目が座っている状態の彼女に逆らえる筈もなく、高木は携帯を取り出して彼女に渡した。ぱぱっとのアドレスを交換した所で、彼女のアドレス帳に新しく入った「佐藤美和子」と「高木渉」という文字を見たが「やったぁ」と微笑んだ。
その際に勿論、彼女の少ない人間関係に気付いてしまったのだが、今はそれに触れないことにしておく。
暫く他愛もない会話を続けていた所、彼女は飲み潰れてしまったのかカウンターに顔を伏して寝始めてしまった。それもそうだ、彼女は軽く10杯以上は飲んでいたから。
「あら、この子寝ちゃったわ」
「どうしましょうか、ちゃんの家分かりませんしねぇ」
「ご心配なく。僕が連れて帰りますから」
佐藤と2人でどうしようかと話し合っている所、ふいに背後から聞こえた男の声に高木は驚いた。振り返れば、今日のの自棄酒の原因の安室が立っている。どうしてここに、と佐藤が呟けばGPSですよと彼が微笑む。
え、それってちゃん気付いているのかな。プライバシーも何もあったもんじゃない。
「23時を過ぎるなんて聞いてませんでしたから、心配になって。すみません」
「え、あ、本当ですね。すみません、こんな時間まで」
苦笑して伝える彼に、高木が時計を確認した所確かに23時半を回っていた。成人済みの女の子とはいえ、こんな時間まで若い女性を捕まえてしまっていたのは良くないだろう。
だが、彼女は彼に振られたからここに来たのではないだろうか。彼女の口から直接聞いたわけではなかったが、同じように疑問を感じているのか佐藤も安室をじとっと見ている。
「この子のこと振ったなら、そんな思わせぶりなことしない方が良いんじゃないの?」
「え?」
「え」
と話しているうちに妹分のように思い始めていたのか、佐藤がいけ好かないイケメンねというような顔で安室に毒を吐いた所、彼は予想外にもそれに目を丸くした。それには高木だけではなく佐藤も驚いて目が点になる。
――あれ、もしかして佐藤さん余計なこと言ったんじゃ…。
「僕が、を…?」
「あっ、あー!今のは冗談よ!アメリカンジョーク!」
「そ、そうですよ!あはははは。やだなぁ、安室さん冗談が通じないなんて〜」
きょとんとしている彼に、佐藤がやらかしたという顔をしたが一瞬でそれを消し、何とか誤魔化そうとする。それに高木も頷いてどうにか彼女をフォローしようとした。だが探偵の彼を酔っ払った2人がどこまで騙せるかなんて分からない。これは早く彼から離れないと2人ともボロが出そうだ。
話題を変えるべく、ちゃんはどうしましょうか?と彼に訊ねると、「あ、ええ。背負って駐車場に運びます」と言うので高木は背を向ける彼に安らかに眠っているの身体を持ち上げて彼の背中に預けた。
沢山泣いたから目元が赤くなっているが、それはきっとこの薄暗い照明の中でも安室はきっと気が付いているだろう。痛々しい。
「…では、がお世話になりました」
「え、ええ」
スマートにいつの間にかが飲んだ分より多いお金を置いて店を出ていった彼。消えていった2人を見届けてから、高木と佐藤は同時に溜息を吐き出した。
「ごめん、ちゃん」
もしかしたら、君の気持ちは彼に伝わってしまったかもしれない。


29:心をかき乱して、震えて
2015/07/03
29.5話を読んでから30話を読むことをお勧め。

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