阿笠邸にケーキが届くまでの間、分身のはコナンたちと一緒にサッカーとやらを一緒にすることになった。サッカーが得意なコナンが入ったチームのハンデとしては哀と光彦、元太と同じチームで走り回っている。しかし、はコナンにルールを説明されたものの、いまいち分からなかった。どうにもの世界にはスポーツという娯楽が無かったからか、そういったものを理解しにくいのだ。デービーバックファイトという仲間を賭けた海賊同士の競技ならあるが、それもやったことはない。何しろ白ひげ海賊団に喧嘩を売る海賊なんてほとんどいないからだ。
とにかく、コナンたちに誘ってもらえて良かった。本当には身に覚えがないが、最近コナンと哀に不思議な視線を貰っていたから仲間外れにされるかと思っていたのだ。
「ここは通さないわよ」
コナンの前に躍り出た哀をするりと躱したコナン。何だあのテクニックは。はすかさず彼を止めようと彼の横からボールを蹴ってこの流れを変えようとしたが、の場合もあっさりとコナンはボールをすり抜けさせる。
「光彦くん!」
「ええ!分かっています!」
咄嗟に光彦の名を呼べば、彼はこちらへと走ってくるが、それでも彼の頭上高くボールを飛ばしたコナンは「あっ」と声を上げた光彦を通り越してそのまま元太が守っているゴールへとボールを蹴った。
ガシャン、と金網に叩きつけられたボールを見て反対側のゴールで歩美が嬉しそうに飛び跳ねる。
「やった〜!4点目〜!」
「何でそんなに上手いの…」
「そりゃ練習したからな」
むすっとして彼を見れば、ふっと笑う。ムカつく…。いや、思い出して自分。相手はただの小学生だ。ここで怒ったら大人気ない。今の姿は彼と同じく小学1年生だけど。
ずるいずるい、と騒ぎ始めた元太たちに内心でもっと言ってやれと煽ったは、彼が頭も使えなくなった状態に笑った。コナンの話の最中に元太がボールを蹴って哀にパスを回したことで、哀はそのままボールを歩美が守るゴールへと進める。
しかし、すかっと空振りした彼女の足。コロコロ、と転がったボールは歩美にラッキーと取られてしまった。
「何やってんだ、灰原!?」
「すみません、ボクがもっと良いパスを出せば…」
ゴール前で声を荒げる元太に、しゅんとする光彦。その2人を振り返った彼女は違うわよと笑う。どうやらボールの前に猫が出てきたおかげで蹴れなかったらしい。おいで、と彼女が頬をすり寄せるのは最近ポアロで面倒を見られている大尉だ。はたまにポアロのバイト終わりに安室と帰る時にその猫を見たことがあった。
「大尉じゃねーか」
猫の出現にわらわらと集まってきた歩美たちに近付くコナン。この猫知ってんのかよと訊ねる元太にコナンが毎日夕方になると餌を貰いに来るんだと言う。名前の由来は名探偵ポアロといつも一緒にいるヘイスティング大尉から取ったらしい。流石にそこまで知らなかったはへぇと頷いた。
しかし頻りにニャアニャアと鳴いていた大尉は哀の手から抜け出して走って行ってしまう。その上、爪に彼女のセーターの毛糸を引っ掻けて。するする、と伸びた哀のセーターに「あらら」とは声を上げた。
せっかくの手編みのセーターが勿体無い。
追いかけないと、と言う元太たちが走り出して公園の外に向かった。それをはゆっくり追いかける。サッカーの試合でコナンに翻弄されまくったおかげで疲れていたのだ。早くしろよー!と呼びながら横断歩道を渡って反対車線へと向かう彼ら。だがは別にそれで慌てる程切羽詰っていなかった。正直走るのは面倒くさい。
「あ、赤になっちゃった」
「何やってんだよバーロー!」
「疲れたんだってば…」
しかしが渡る前に信号は赤になってしまった。ありゃ。仕方がないので、罵倒してきたコナンを口が悪いと叱るのは後にして、横断歩道の前から彼らを眺めていることにする。後でその口の悪さをどうにかしてあげるからね、コナンくん。トラックのコンテナの中に入っていった彼らに、大丈夫かなぁと視線を送る。もし運転手が戻ってきて気付かなかったらそのまま閉められそうだ。
「え、嘘」
しかし、が思った通りコナンたちが入ったことに気が付いていない運転手の男たちはそのまま扉を閉めてしまった。由々しき事態だ。横断歩道の信号が青になると同時に走ってそのトラックに駆け寄ろうとしたが、その前にトラックは無情にも走り出してしまって小学生のの足では追いつけなかった。ブロロロ、と走り去ってしまったトラックに、一人残されたは口をぽかんと開けた。
「大変だ……!!」


 分身の意識を通して何があったかを把握していた本体のは「うわあ」とリビングで一人声を上げた。まさか子どもたちがトラックに詰め込まれて連れ攫われてしまうなんて。いや、勝手に乗ったのは彼らだけど。これは早く安室に指示を仰がないと。
急いでスマートフォンを取り出し彼に電話をかける。しかしポアロでバイト中の彼は出てくれない。きっと接客中だからだろう。最近のポアロは安室が来たことで女性客が多くなっているというし。
警察に連絡するという手もあるが、そう言えばは警察の電話番号を知らなかった。安室がいつも使っているパソコンで調べたらすぐに出てくるのだろうが、生憎はパソコンを使える程機械に慣れているわけでもない。
――参ったなぁ。
取りあえず、ポアロに行って直接安室に話を聞いてもらおう。そう決めては家着から外へ出る為に着替え始めた。
 なるべく急いだのだが、それでもそれなりに用意するために時間がかかってしまった。急いでポアロに向わないと。家の鍵を閉めて階段を駆け下りる。分身には公園付近を回ってもらってあのトラックがどこかに止まっていないか探してもらっていたが、やはり小学生の足では歩ける範囲など決まっていた。
はぁはぁ、と息を乱して走るを道行く人が怪訝な目で見てくる。だけど今はそんなこと気にしていられない。コナンたちが乗っているトラックの男たちがもし悪い人たちだったら大変だ。哀と歩美は可愛いからどこかに閉じ込められたら。考えるだけでも恐ろしい。の世界では人身売買で奴隷にされる者も多くいたから尚更心配だった。
全力疾走で駆けて15分、漸くポアロの看板が見える。丁度外に出ている梓と安室の姿があった。ああ、良かった。早く伝えないと。だが、如何せん全力で走ってきた為息が乱れて仕方ない。ちょ、ちょっと休憩。
何か紙のような物が梓の手から風に飛ばされていったのを見ながら、は「安室さーん……」と疲弊した声を上げた。
、どうした?ここまで来るなんて…」
「コナンくんたちが…、トラックに…」
息も絶え絶えな様子のの言葉から何かを感じ取った安室はなるほど、と頷いた。嘘、今ので分かったの。
エプロンの紐を解いた彼は梓にあのレシートには何が、と訊ねる。彼女は“CorPse”と印刷ミスで書かれていたのだと伝える。それに、ははっとした。“死体”か。その頃になると呼吸も落ち着いてきていて、は彼らの会話を聞く。どうやら大尉がそのレシートを持ってきたらしい。そこで、は「あっ」と思い出した。
「安室さん、これコナンくんからのメッセージですよ!」
「やはりそうか。すみません、マスターには急に体調を崩して早引きしたと言っておいてください」
の言葉に、僅かに目を見開いた彼は梓に微笑んでエプロンを畳んで梓に渡した。まさか、あのレシートを探すんですか。そう言う彼女にええと頷く彼。バイト代はいらないから、と言って走り出した彼を見ては一度梓に小さくお辞儀をして彼の後を追った。
「安室さん、」
、お手柄だよ」
スマートフォンで何かをしている彼の名を呼べば、一瞬こちらに視線を寄こした彼はにこりと笑った。どうやらコナンくんたちは大変なことに巻き込まれているらしい、と。そう言う彼に分身の記憶を思い返す。あの時見たトラックの側面にはチーターとクールと書いてあった。漢字は読めなかったが、それを伝えたら、安室は大分絞り込めそうだと頷く。
良かった、何とかコナンくんたちを救出できるかもしれない。


 電柱の周りをくるくると回っているレシートを見つけた後、は安室と共に車に乗って問題のチーター宅配クール便のトラックを探していた。途中、公園付近に戻ってきた分身を拾った後は、ひたすら米花町を走っている。
彼はもうトラックの行先を知っているのだろう、運転に迷いがない。
「きっとコナンくんたちが入ったコンテナの中には宅配業者の男たちが作った死体があって、それで出るに出られなくなり大尉にこのレシートを託したんだろう」
「トラックに死体って…本当に何でもありですね」
冷静に彼らの状況を推理する彼に、ははあと溜息を吐いた。何せ走りまくって疲れたし、汗だってかいたのだ。それと同時にコナンたちが置かれた状況を考えれば不安から溜息だって吐きたくなる。
――本当に、もう。
あの時「バーロー!」とを罵って勝手に先へ行ってしまったコナン。そんな彼の姿が最期だなんてことになったら最悪だ。死体を発見してしまったコナンたちが犯人に怪我をさせられたり殺されたりしていたらどうしよう。あの時、赤信号になる前に分身が走っていれば、もしかしたら運転手たちを止めることが出来たかもしれないのに。
「大丈夫だよ、
黙りこくって手を握り締めているに、安室は前を見据えながら微笑した。子供たちは必ず助けるから、そんな顔をするな、と。その言葉に、は顔を上げた。そうだ、子どもたちにはコナンくんがついている。きっと、彼がいる限り大丈夫だ。
そう思えてしまうのだから、安室の言葉はまるで魔法のようだ。少しばかり落ち着いた心に、安室の横顔を見つめる。その顔には一切不安はなかった。
「見つけたよ」
「あっ」
見慣れた阿笠邸の前に止まっている宅急便のトラックには声を上げた。狭い道故通れない振りをしてクラクションを鳴らした彼は、に此処にいてと言って外に出ようとする。
「え、私の方が安全じゃないですか?」
「僕が嫌なんだ」
安室よりも怪我をしないの方が、相手に何かをされても大丈夫。そういう意味でシートベルトを外そうとしたの手を安室が止めた。ね、と言って扉から出ていってしまった彼に、は動揺した。彼の優しい口調とは裏腹に有無を言わせない響きを持った声に、を見つめる彼の瞳の強さ。
ずるい、あんなことを言われたら動けないじゃないか。コンテナの扉から元太たちの顔が見えたことでも安心して、は安堵と照れの溜息を吐き出した。
外の声は聞きづらいが、宅配業者の男は安室が子どもたちの知り合いであると気付いたのだろう。痩せた男が不穏な雰囲気を発して安室に近付いた所、安室が相手の鳩尾に拳を入れて一撃で戦闘不可能にし、続いて太った男にも同じように素早い拳を見せつけて戦意を消失させた。驚くほどの手際の鮮やかさに感嘆の溜息を吐く。
海賊という職業柄強い男に惹かれるにとっては、やはり安室の強さは胸をときめかせるものだった。は瞬発力や素早さはあるけれど力は強くないから。防御力が異常に高いというだけだ。それに対して安室はそんなよりも確実に力があるし強いだろう。だが、今はときめいている場合じゃない。彼が男2人を倒したのだから、もうだって出ても良い筈。ガチャ、と扉を開けて子どもたちの所へ向かった。
「皆!無事だった?!」
お姉さん!!」
安室によって助け出された歩美たちがだっと寄って来る。思わず3人の身体をぎゅっと抱きしめればとても冷たくなっていて、じわりと涙が浮かんだ。可哀想に、あの中で凍えるような思いをしたのだろう。良かった、あの中で凍死していなくて。
警察に連絡し終わったコナンがコンテナから下りてきて、はコナンと哀を同時に抱きしめた。やっぱり2人とも冷たい。ぎゅっと、2人に熱を分け与えるように閉じ込めていたら、2人ともぎょっとして「何すんのよ(だよ)!」と暴れだす。
――何すんの?その言葉での中の何かがブチリと切れた。
「こんなに心配させたくせに何言ってんの!!ばか!もうこんな危ないことしないで!」
「――ご、ごめんなさい…」
言葉と共にぶわっと涙が出てきて、間近で見たコナンと哀はぎょっと顔をひきつらせた。酷い、私がこんなに心配していたのに。うぅ、と2人を腕に閉じ込めて泣くの腕を取って立ち上がらせたのは、ガムテープで犯人を縛った安室だ。
「ほら、。もう無事だったんだから」
「だ、だって…っ」
ぐすぐす、と鼻を啜るに安室が笑う。の涙に歩美たちまでもらい泣きを始めたのか「ごめんなさーい」とに縋りついて来る。彼らの頭を撫でながらはもう良いんだよ、と泣きながら笑った。大人として恥ずかしい所を見せてしまった。安室に車の中のティッシュで顔を拭いておいで、と言われては子どもたちに「じゃあね」と手を振って先に車の中に入る。
チーン、とティッシュで鼻をかんで鼻通りが良くなった。はぁ。溜息を吐けば、目尻に溜まっていた涙がぽろりと頬に伝う。そう時間が経たないうちに車に戻ってきた安室は、の顔を見て小さく笑った。
――安室さんまで酷い。一度流れた涙はそう簡単に止まらないだけなのに。
「もう泣かないで」
車を発進させる前に、の両頬を彼の両手が包み込んで、親指で優しく両頬に流れる涙を拭ってくれたことで、どきっと心臓が跳ね涙は勝手に止まった。その上、を見つめる安室の瞳の優しさに、心臓を掴まれて先程よりも鼓動が速くなる。きっと、彼はどうしようもない子どもだと思っているのだろう。彼は大人だから。だけど、ずるいなぁ。
涙が止まったことを確認して微笑んだ安室は「じゃあ帰ろうか」と言って車を発進させた。


27:あなたの魔法の両手
2015/07/02

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