ベルモットから送られてきた赤井の射殺当時のファイルを開く。カチカチ、とマウスで操作をしながら、当時の証拠などが書かれた文章を念入りに見つめた。文章の端々にある赤井の名前を見ただけで胸糞が悪くなる。だが、今はこの男に集中しないと。
Wordで赤井の死は確かだとまとめられたその文章を最初から最後まで眺めてみるが、安室の中には疑問が浮かび上がっていた。
――本当に赤井は死んでいるのか。
あの時、ベルツリー急行でシェリーを貨物車に追い詰めた時に現れた謎の男。煙が充満していたこともあり影がかって、詳しく男の顔を見ることは出来なかったが、確かにその顔は赤井の面影があった。
だが、火傷を負った赤井に成りすまして彼の身近な人物たち、FBIのジョディたちの前に現れて探ってみたが、彼らの変装した安室を見た時の反応は死者に対するそれだった。何故、死んだはずの赤井が。動揺した彼らの顔を見て、少なくとも彼らの中では赤井が死んでいることは分かった。
もう一度資料を見るか。別の資料を開こうとした所、コンコンと安室の部屋の扉がノックされた。
「安室さん、コーヒー飲みますか?」
「ああ、そうだね。ありがとう」
返事をしてから、扉からひょこりと顔を覗かせたに、安室はパソコンを閉じた。に、こんな血生臭いことを知られてはいけない。時計を見れば、時刻は丁度15時。お茶の時間には丁度良いだろう。
彼女がじゃあ今用意しますね、と言って先にリビングに行くのを見てから、安室は椅子から立ち上がった。
廊下を歩いてぐぐ、と凝り固まった背中を伸ばしてリビングへと向かえば、キッチンでお湯を沸かしながら茶器を一式取り出している彼女の背中が見える。安室にしてみればそれ程高くは無い場所にカップやソーサーなどはしまっていたのだが、彼女はあと一歩の所で届かなかったのか、椅子に上って取り出していた。
「しまう場所、少し変えようか」
「え、このままでも大丈夫ですよ」
取り出した茶器をから受け取って、彼女が危なげなく椅子から下りるのを何とはなしに眺めた。何となく、彼女を見ていると、先程まで殺伐としていた気分が穏やかになっていく。
珍しくがキッチンにいるからかもしれない。普段は安室が料理する姿を眺めながらテーブルのセットをするだけの彼女が、お茶の準備をしているというのがきっと新鮮なんだ。
このままで良いと言うに、が来てから良く使うようになったから良いんだよと返して、安室はコーヒーが飲めないお子様舌のの為にティーポットにアールグレイの茶葉を入れて湯を注いだ。
「あ、冷蔵庫にケーキ入ってるから出して」
「はーい。あ、KAREAのケーキ!!」
自分用のコーヒーも作っていく中で、そう言えば昨日依頼人からお礼としてケーキを貰ったことを思い出した。それはここら辺では有名なケーキ屋さんのケーキで、確かが大好きだと言っていた筈だ。安室が思った通り、冷蔵庫を覗いたは箱に書かれている文字に目を輝かせる。
いそいそとケーキ用の皿を取り出してテーブルに並べる彼女。本当にこういう時は行動が早いな。
準備万端で椅子に座って待っている彼女の前に砂糖とミルクをたっぷり入れた紅茶を置く。共に暮らしていく中で、彼女の好む甘さ加減は既に把握済みだ。彼女の好みなら、もう殆ど知っている。自分の所には、勿論ブラックのコーヒーを。
「安室さん、どっちにしますか?」
「好きな方選んでいいよ」
ラズベリーなどのベリー類が乗ったドーム型のピンク色のケーキと、甘さ控えめのように見えるチョコレートでコーティングされたケーキ。どちらにしようか、と大いに迷っている様子の彼女に安室は譲った。安室は程ケーキが好きなわけでもないし、が食べたい方を食べて美味しそうに破顔する様子を眺めたい。
しかし、彼女は何かを思いついたように立ち上がってナイフを持って帰ってきた。
「半分こにしましょう!」
「ああ」
にっこり笑って、ケーキを等分に切って半分ずつ皿に盛りつける彼女に安室は頷いた。庶民くさいというか、どちらも食べたいとは我が侭だというか。しかし、手元が狂ったのかべしゃりと皿の上でチョコレートケーキが倒れる。不器用だな。安室は思わず笑ってしまった。最悪だ、なんて悲壮感漂わせ始めたに安室はその皿を自分の皿と交換した。彼女に渡した皿の上にはきちんと綺麗にケーキが乗っている。
「安室さん別に良いですよ、私が倒したんだし」
「味は変わらないから」
倒れたケーキの皿を取り返そうと手を伸ばした彼女に取られる前に、安室はチョコレートケーキを切って口に入れた。やはり味は想像していた通り、ビターチョコだったようだ。甘すぎず丁度良い。
はそれを見て諦めたのか、素直にありがとうございますとはにかんだ。お礼を言われるようなことはしていないが、彼女が嬉しかったならそれで良い。
目をキラキラさせて一口一口大切に味わっている彼女を見ていると、ふいに目が合った。
「安室さん、そう言えば調べものって何を調べてるんですか?」
には教えられないかな。大事なことなんだ」
「そうですか…」
どうやらここ最近安室が赤井の死について調べていることが気になっていたようだった。それもそうだろう、安室は彼の死について調べる時は大抵自室に篭るから自ずと彼女と接する時間も少なくなる。だが、それには努めて何でもないことのように答えた。を組織と関わらせない為に。何も知らないままでいてほしいが故に。
当然はその答えに満足していないようだったけれど。きっと、何か役に立てないかとでも考えているのだろう。今までと共に過ごしてきて彼女の好意は信頼できるからこそ、彼女の思考が分かった。だけど、安室はそれでも教えるつもりはない。
ベルツリー急行でシェリーを捕える時だってそうだった。が予めその列車に乗ることを知っていたから、ベルモットと彼女を鉢合わせさせないように蘭たちと行動するように言い含めて、結果彼女はベルモットと会うことなく帰ってきた。赤井に変装して彼女の近くを歩き去って行ったベルモットのことだから彼女の存在には気付いていただろうが、最優先がシェリーだったから彼女に集中していたのだろう。結局安室の思惑とは違って、シェリーは目の前で貨物列車ごと爆発してしまったけれど。
「心配かい?何も危ないことはしてないから安心して」
「そりゃそうでしょうけど…」
折角美味しいケーキを食べて満面の笑みになっていたのに、今の彼女は少しばかり膨れている。それに勿体無いと思った。安心させるように笑って「ケーキ温くなるよ」と言えば、彼女はあっと声を上げてケーキにフォークを刺す。ケーキを美味しく食べなくてはいけないという大事な任務を思い出したらしい。どうにか、意識を逸らすことに成功した安室はコーヒーを一口飲んだ。ふにゃり、と幸せそうに笑うの笑顔を横目で見つめながら。


 そろそろ夕飯の買い出しに行くか、と立ち上がった安室に私も行きますと声をかける。
「今日のご飯は何ですか?」
「野菜たっぷりのラタトゥイユにしようかな」
鍵を閉めて家を出て、安室の隣を歩く。うーん、と顎に手を当てて考えた彼が発した料理名には凄いなぁと思った。よくそんなに料理のレパートリーがあるものだ。余程そこら辺の一人暮らしの女性たちより料理の腕があるだろう。
は勿論今まで彼の料理の腕に甘えてきて、その美味しい料理を毎日食べていたから分かる。心だけでなく、胃袋まで掴まれているは彼から逃げる術などない。そもそも逃げようなんて思わないが。もし彼に「今日からは他人だよ。さようなら」と言われて家を追い出されたらきっと生きていけないだろう。精神的にも、物理的にも。

「わっ」
突如、肩を抱き寄せられぐらりと身体が揺れ安室の身体にぶつかった。その直後、の横を走って行く自転車。どうやら考えごとをしていて自転車のベルが聞こえなかったらしい。歩道なのに危ないな、と些か自転車を睨んでいる様子の彼に、どきどきと心臓が喚いていた。
――不意打ちとか、反則だってば。
「大丈夫?」
「は、はい」
能力者だからが怪我をしないことは分かっているのに、それでも怪我が無いかと至近距離で確かめてくる彼に、は頷いた。彼の優しさに顔が熱い。うわあ、顔見られたくない!
そっと離れていった彼の手に名残惜しさを感じながらも、は平常心、平常心と心中で唱え続ける。こんなことされると期待しそうになるではないか。
「あ!お姉さんと探偵のお兄さんだ!」
「え、あ、歩美ちゃんたち」
ふと、向かいからやって来る歩美、元太、光彦の姿には安室から少し距離を取った。子供たちに変に勘繰られて何か言われたら大変だから。こんにちは、と笑顔でやって来た彼らの頭を撫でる。今日はコナンと哀は一緒にいないのだろうか。
ランドセルを背負っている彼らに訊けば、どうやら2人だけで用事があるらしい。の分身が最初に彼らと別れた為そういった情報はなかったが、もしかしたらコナンくんは哀ちゃんとデートなのかも、と楽しくなった。
「ズリーよな!2人だけでよ!」
「本当ですよ!所でお二人はどちらへ?」
「一緒に行っても良いー?」
ぷりぷりと立腹している様子の彼らが純粋な目でこちらを見つめてくる。はその眩しさにうっと言葉に詰まった。駄目なんて言えない。ちらり、と安室を見やれば「良いよ」と笑っている。
「僕たち、今から夕食の買い物だったんだけど、それでも良いならね」
「やったー!」
「何か買ってくれるか?」
「元太くん!図々しいですよ」
安室が了承すると飛び跳ねて喜ぶ子どもたち。きっとコナンたちに仲間外れにされて寂しかったのだろう。お調子者の元太には、安室が一人一つだけだよと釘を刺した。買ってあげるんだ、優しい。彼が歩美たちに向ける笑顔に、きゅんとした。きっとしっかりしたお父さんになるんだろうなぁ。
「じゃあ行こうか」
「うん!」
元太と光彦が先頭を走って行き早くと急かす。自然にと安室の間に入った歩美の手を取った彼。歩美ちゃんの笑顔可愛いなぁ、と彼女を見ていた所、彼女はにも手を伸ばしてきたので、はその手を握った。小さくて、ふわふわしていて、誰かが守らないといけないと思わせる手だ。
そこに、えへへと笑いだす歩美。どうしたのかと安室と2人で彼女を見下ろすと、彼女はにっこり笑いながら口を開く。
「何かこうしてるとお父さんとお母さんみたい!」
「ははっ、ああ、そうだね」
天使のような笑顔で爆弾を落とした歩美にの心臓は大いに跳ねた。それはつまり、安室が夫でが妻で歩美が2人の娘ということか。歩美の純真無垢な言葉に安室は笑って頷いている。分かっている、安室は大人としての対応をしているだけ。も同じように頷かなくてはいけない。だけど、嬉しくて恥ずかしくてそれが出来ない。
今顔を見られたら、大変だ。だめだ、嬉しくて顔がにやけてるし絶対赤い。それなのに、それなのに。
「歩美ちゃんみたいな娘ならほしいな。ね、奥さん」
安室がふざけてそんなことを言うから、は真っ赤な顔でそうですね!と叫び返した。やけくそだった。


25:砂糖は2個、ミルクはたっぷり
2015/07/02

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