阿笠たちの6号車で待機してから暫く経つ。彼の隣で窓の外を眺めながら、今頃安室は小五郎と共に事件を解決すべく動いているのだろうか、と考えた。本当に何もないと良いんだけど。どことなく感じる胸のざわめきに、自分でもどう対処したら良いのか分からない。
メールを確認して立ち上がり扉を開けて外に出ていく哀に、蘭がどうしたの?と声をかけた。
「ちょっとトイレ」
薬も飲むから遅くなるかもしれない。そう付け加えた彼女は静かにこの部屋から出ていった。哀ちゃん、どうしたんだろう。さっきからずっと静かだったし、何かあったのだろうか。と同じように彼女を心配した蘭が園子に止められながらも部屋を出る。しかし、彼女は既にトイレへと向かってしまったのか、彼女の姿は無かったらしい。
車内の空気は重い。殺人があったのだから、当たり前だ。しかし、ピリピリしているこの空気がまた別の所から来ているような気がしなくもない。
――安室さんなら、何か分かったのかな。

 暫くしても哀は帰ってこなかった。子どもたちはそれを心配していたが、彼女から蘭にメールが来たことでコナンの所に行ったのだろうという結論になる。蘭は小五郎やコナン、真純に電話をかけても出てくれないと言っているが、きっと彼らは今謎解き中なのだろう。コナンはきっといつものように小五郎に手伝わされているに違いない。
『お客様に連絡です。当列車の8号車で火事が発生しました。慌てず、避難してください』
だが、突如スピーカーから流れた車内放送に子どもたちは慌てだした。も驚いた。何が原因で火事なんて起きたんだ。
「とりあえず前に行かんと」
「はい、そうですね」
扉を開けて人々が前の車両へと逃げる様を見た阿笠が言う。たちはそれに頷いて、子どもたちの手を引っ張って前の車両へと向かった。不安がっている子どもたちに「大丈夫だよ」と笑う。そんなにすぐに火が車両を燃やし尽くすことなんてない、と。だが、心配なものは心配だ。安室へと電話をかける為にスマートフォンをポケットから取り出す。
『……お留守番サービスに接続します。ピーという――』
安室は今どこにいるのかと訊こうと思ったのに、彼は出ない。マナーモードにしていて気が付いていないのか、それとも気付いていてもそれに出られる状況ではないのか。
人の流れに身を任せながら、彼の姿を探そうとする。蘭たちは暫く見ていない哀とコナンを探す為により前の方へ行った。
きょろきょろ、と彼の姿を見つけようとするも、彼の明るい髪色は見えない。段々不安になってきたのを隠すように歩美と光彦の手を握れば、2人は心配そうにを見上げた。
お姉さん、大丈夫?」
「もしかしてあの探偵さんを探しているんですか?」
どうやら、その不安は子どもたちに伝わってしまったようだった。彼らに大丈夫だよ、と笑いながらも光彦の言葉に頷く。火事のことには気付いている筈だろうけど、それならどうして彼はここにやって来ないんだろう。
蘭たちも人の流れに逆らってこの場所まで戻ってきたが、哀は見つからなかったらしい。
どくどく、と心臓がいつもより早くなる。
「私、探してくる」
子どもたちを蘭に預けて安室やコナンたちを探してくることにした。しかし、それを子どもたちが許してくれなかった。
「駄目だよ、お姉さん!」
「今行くのは危険です!」
「そーだぞ!探偵の兄ちゃんだって博士たちと一緒にいろって言ってたじゃねーか!」
今にも後方の車両に足を向けようとしたの手を掴んで引きとめる彼らに、は眉を下げた。危険、確かにそうかもしれないけれどの身体はそこら辺の人間よりも丈夫だ。それに、何もしないで彼らの帰りを待つということが恐ろしい。もし、何かあったら。
ちゃん、ガキ共の言う通りだ。今この混乱の中迂闊に動くのは良くねぇ」
「そう、ですね…」
しかし、ここまでやって来た小五郎の言葉によってはここから動かない事に決めた。感情的になって動いて、何かミスをしでかすかもしれない、と。見えないだけで逃げて来てるだろう、と言う彼に頷いた。そうであってほしい。はもう一度、彼の姿が見えないかと人混みの中をぐるりと見渡した。

 貨物車が爆発したことによって、ベルツリー急行は名古屋の前の最寄駅で緊急停車することになった。わらわら、と人々が列車から出ていくのに流されながらも、は安室の姿を探す。コナンと哀は列車を降りる前に戻ってきた。どうやら哀は気分が悪くなって7号車のB室で休んでいたらしい。だが、彼らが返ってきたのにまだいない安室。一体どこにいるのか。きょろきょろ、と視線を乗客たちに走らせていると、少し離れた所にハンチング帽を被った彼を見つけた。
「ごめん、蘭ちゃん、園子ちゃん。安室さん見つけたから行ってくる!」
「本当ですか!じゃあまた!」
「見つかって良かったですね」
2人に手を振って別れる。本当は最後まで一緒にいたかったけれど、火事騒ぎからずっと見ていない安室の無事を確認したかったのだ。駅の外へと向かおうとする人の流れに逆らって、目印となるハンチング帽に向かって行く。
「安室さん!」

あと少しという所で彼の名を呼べば、彼も気付いてくれた。それに安堵したのがいけなかったのかもしれない。どん、と中年の小太りの男に身体がぶつかってよろめく。だが、安室がの腕を握ってくれたことで転倒することは防いだ。
ありがとうございます、と彼を見上げて漸くほっとした。何で、電話に出てくれなかったの。何度も連絡したのに、どれだけ心配したか。
「どこに行ってたんですか!」
「ごめん、後ろで逃げ遅れた人がいないか確認していたんだ」
キッと彼を睨めば、苦笑して謝ってくる彼。どうやら推理の邪魔にならないようにスマートフォンの音をオフにしていたらしくて、の電話には気付かなかったようだ。
心配させて悪かった。全てを見抜いている彼は、の手を取って歩き出す。それに、押し黙った。こうすれば、が何も言えなくなることを、彼は知っているのだ。手の平から伝わる彼の熱に、心臓が跳ねると同時に安堵して。
何か、彼がに言っていないことがあるのは分かっていた。それはきっと女の勘だ。だけど、それを訊くことは出来ない。彼の手でそれどころではないから。やっぱり、この人には敵わないなぁ。なんて、惚れた弱みからこのことを有耶無耶にしてしまった。
背後で、きらりと眼鏡を反射させた男がこちらを見ていることに気付かぬまま。


 今回、ベルツリー急行で灰原が黒の組織に追い詰められ、危うく灰原に扮した怪盗キッドが殺されそうにはなったが、それと同時に安室透がバーボンだということが判明して良かった、とコナンは思った。
バーボンが動き出したという連絡から長らく経っていたが、漸く敵の正体を掴むことが出来たのだ。彼はシェリーは死んだと思っているようだし、もうこれ以上この町に居続けないだろうと。
「でも、あの人は何なのかしら」
「ああ、か」
椅子に座って温かい紅茶を口にした灰原がコナンに視線を向けたことで、コナンはいつも安室の傍にいる女性を思い出した。彼女は安室の従妹で助手をしていると言ってはいたが、安室がバーボンだったのだ、十中八九彼女もまた黒の組織と関連があるだろう。
だが、それにしては不可解な点がいくつかある。今回の暗殺に関して、彼女は一切安室を手伝うようなことをしていなかったのだ。元々彼女は蘭と園子に誘われてベルツリー急行に乗ることにしたらしいし、乗っている最中はほとんど安室といることなく、蘭たちと行動していた。その上、沖矢は黒の組織にいた時に、バーボンの傍に彼女を見たことは無いと言っている。だが、彼女たちの間には何か目で見えないような、一朝一夕で出来るようなものではない絆のようなものが見える気がした。
信頼し合っているから、手を出さなかったのだろうか。幼児化を知らないだろう彼女が灰原を監視する為に蘭たちと行動していたとは考えられにくい。それとも、関係ない蘭たちを巻き込まないようにするために、灰原ではなく蘭たちを監視するためだったのか。灰原に化けた怪盗キッドの話では、バーボンは彼女を殺さずに捕獲し組織へと渡すと言っていた。そのことから、バーボンが無益な殺しをしない人物だということが分かる。だが、
「どっちだろうな…黒って言うにはまだ証拠がねぇんだよな」
「だけど、仮に彼女が黒だったとしたら彼女の妹はどうなるのかしら」
姉が組織と繋がりがあるならその妹もある程度組織について知っていてもおかしくない。もし、コナンや灰原に近付く為に彼女を帝丹小学校に通わせていたのなら。そういうことを仄めかす灰原に、それもそうだなとコナンは頷いた。
「元々俺は初めて彼女を見た時に、幼児化してたんじゃねーかって思ったんだよな」
そう、伴場の結婚前夜祭で見た彼女はあまりにも小学一年生のに似ていたのだ。薬を飲んで幼児化してしまったコナンだから、彼女が同じように幼児化して近づいてきたのかと思ったが、それは違うと数日後に証明されたのだ。彼女たちが2人でコナンの目の前に現れたことによって。
その上、小学生の方のは少しばかり他の子どもたちより大人びているとはいえ、漢字に苦戦したりコナンと共に誘拐された時は睡眠薬入りジュースを疑いもせずに飲んで眠りこけていた。普段の様子を見ても、他の子どもたちとそう変わらない。そう、普通の子どもなのだ。
「まあ、考えなくても明日学校で会えんだろ」
「そうね。もしかしたら来ないかもしれないけれど、来たら来たで探りを入れてみましょう」
取りあえず、今後のの動向を観察していくことにして、コナンたちの話は終わった。


「はっくしゅん!くしゅ!しゅん!」
「大丈夫?寒いなら上羽織りなよ」
突然鼻がむずむずして立て続けに3回も嚔をしてしまった。それを見た安室にすぐ傍に置いてあるカーディガンを指差されるけれど、は別に今の服で十分暖かい。きっと誰かがの噂をしていたのだろう。いったい何を話しているのかは分からないが、どうか悪い噂ではないようにと祈る。
「僕は暫くポアロを休んで調べものをするから、も暫くは家にいてね」
「分かりました。分身はどうするんですか?」
「いつも通り学校に行って」
「はーい」
ぽすん、との横に腰を下ろした安室は体調不良ということにしておくから、誰かから訊かれたらそう答えてねと言う。何でそんな嘘を吐くのか分からないけれど、は頷いた。
――最近、安室からは探偵とはまた違った匂いがするような気がする。それが何なのか分からないけれど、彼はきっとに教える気はないのだろう。
気になるし、訊きたいとは思う。だけど、それを訊いて今の関係が壊れてしまうことが恐ろしくて、は訊けない。それに、ただの勘違いかもしれないし。
彼の隣に居続けたいから、今はまだ知らない振りをしておこう。自分にも、彼にも。そう思っては安室が手にしている探偵小説を隣から覗き込んだ。


23:無知は罪か、と神に問う。
2015/06/28

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