後日、安室が小五郎に弟子入りしたことで、は小五郎の事務所に来ていた。一応の上司という名目である安室が彼に弟子入りしたおかげで、も同じく弟子のようなものとして行動を共にすることを許されたらしい。安室が探偵事務所のポアロで働いている間、は蘭の手伝いとして皿を洗う。小五郎曰く、弟子の助手ということは小五郎の助手でもあるらしい。どことなく嬉しそうに言っていた彼の言葉を思い出す。へぇ、別に良いけどよく分からないなぁ。
さんありがとうございます。こんなことまでしてもらって…」
「良いの良いの。安室さんが毛利先生の弟子にしてもらったんだから」
きゅっきゅと皿の水気をタオルで拭き取って並べていく。そんなに蘭は椅子に座ることを勧めて紅茶を淹れてくれた。ちらり、と紅茶から視線を移せば分身の時とは違い、下方にあるコナンのにこにこしている笑みが目に入る。
安室が望んだこととは言え、彼が弟子入りしたおかげで必然的にコナンとも顔を合わせることになってしまった。その事実に、内心小学校に行っている7歳児のと今ここにいるが同一人物であることを見抜かれはしないかとひやひやしている。何しろ彼は鋭いから。安室さんは子ども程度なら騙せるだろう、と思ったんだろうけどさ。
お姉さんって、もしかして妹いる?」
「うん、いるよ」
やはりその話か。あどけない顔をして訊ねてくるコナンにうんと頷く。彼に訊かれるよりも先に、少し常識外れな両親によって名前が同じにされてしまったのだ、と伝えれば「えー!」と驚かれた。これは、偽名にした所ではすぐに反応できなくて怪しまれそうだという安室の案である。
ぼく、ちゃんと友達だけど名前も一緒で顔もそっくりなんて凄いね、と笑顔で見上げられて本当だよねぇとは頷く。私は今、きちんと笑えているのだろうか。
小学校で彼と話す時とは違って、子どもらしい顔で話してくる彼に内心たじたじだった。
「そういえば、どうしてさんは安室さんのこと名字で呼んでいるんですか?」
「ああ、それは」
従兄妹なのに、と不思議そうに首を傾げる蘭に今までイギリスで暮らしていて安室とは従兄妹という関係でありながらも今までに会ったことが無かったからだと伝える。どれもこれも嘘で、嘘を吐くことが苦手なはこの違和感を紅茶で流し込んだ。
うーん、ちょっと安室さんの助けがほしいです。
「へえー!じゃあ家族っていうよりは恋人同士みたいですね!」
「えっ、はは、いやそうかな。ただの従兄妹だけど…」
きゃあ、と手を合わせて何やら喜んでいる蘭に心臓が跳ねた。あれ、何かこれと似たような事最近あったかも。そう思って記憶を辿れば、そういえばシャロンにも同じことを言われたのだったと思い出す。訳も無く顔が熱くなってきた気がして、しどろもどろになって蘭から視線を外した。しかしその直後、思ってもみないところ、つまりコナンから爆弾が投下される。
お姉さん、安室の兄ちゃんのこと好きなんだね」
「ゲホッゴホッ!!」
飲みかけの紅茶をブッと口から溢しそうになったのを寸での所で飲み込んだ。おかげで盛大に噎せたが、その背中を蘭が大丈夫ですかと擦ってくれる。心配しているような言葉だったが、実際彼女の目は爛々と輝いていた。それ、心配していないよね。は猟師に見つかった獲物のような気分になった。
爆弾を投下してくれたコナンに、冷静な様子を装って「まあ従兄なんだから好きには違いないけどね」と返す。そうすれば、彼はじゃあ何で蘭姉ちゃんの言葉に顔を赤くしたの?なんて笑顔で訊ねてくるものだから、は「このマセガキ」とその頭に拳骨を一つ落としたくなった。
――なんで顔が赤くなったか、なんてにも分からなかった。ただ、自分と安室がそういう関係に見えるのだ、ということが分かって少し気恥ずかしくて。それと同時に、胸に甘い痺れが走って。
安室のことは勿論好きだ。何と言ったって、彼はこの世界でに居場所を与えてくれたし、一度元の世界に戻った時ものことを気にかけてくれていた。彼の作る料理は毎日美味しいし、最近は少し小言を言われるようになってきたけれどそれは全ての身を案じてのこと。そんな彼のことが嫌いなわけがない。
「恥ずかしかったから!それだけ!!」
「ふーん…」
「ロマンチックね〜!」
彼に何とか言い返せば、彼はその言葉を信じていないように半目で頷き、蘭は目をキラキラさせてうっとりした表情で何かを思い浮かべている様子。信じてよ…。はがっくりと肩を落としたが、トドメのように小五郎から「蘭、探偵事務所で恋バナしてんじゃねーぞ」と言われてしまい、違うのにと小さく呟いた。


 今度ちゃんも一緒に連れてきてね、とコナンに約束させられたは小五郎の探偵事務所からバイトが終った安室と一緒に帰る。2人の間にはたった5センチしかなくて、最初はこんなに近くにいることも無かったな、と思い返した。いつの間に、こんなに近くになっていたのだろう。
は彼に気付かれないようにちらりと安室の横顔を見上げた。だというのに、彼とばっちり目が合ってしまう。うわ、どうして。
「どうした?やけに静かじゃないか」
「いえ、別に…」
始終無言で歩いていたからか、首を傾げる安室。それに、は目を合わせることが出来ない。コナンや蘭の言葉で意識してしまいました、なんて言える訳が無くて、どうにか彼を誤魔化そうとするが、常であれば「今日の夕食は何ですか?」等と訊く筈のが嫌に静かだからか、安室がの顔を覗きこんできた。
「え」
「熱でもあるかな…」
「!?」
前髪をかき上げて彼の手に触れられた額。間近での瞳を見つめる安室の灰色の瞳に、は言葉を失った。かぁっと顔に熱が集まって、心臓がばくばくと五月蠅く喚く。手の平から移った熱に、安室は目を見開いての手を取った。それに、更に血が沸騰したように体温が上がる。
「熱っぽいから、早く帰ろう」
「ち、ちが…!コナンくんと蘭ちゃんのせいです…!」
ぎゅっとの手を握りしめて駐車場まで進む安室に、は違うのだと首を振った。しかし、2人から風邪を移されたのかい?と勘違いしている彼に、そうじゃないと心中叫んだ。どうしていつもは推理力抜群なのに、今日に限ってそうじゃないの。なんて、恥ずかしさと手を繋いでいるということに対して嬉しく思っている事実に、は眩暈を感じた。
――あの2人が変なことを言うから…!
きゃっきゃと天使のような笑みでの胸の中をぐちゃぐちゃに掻き混ぜていったコナンと蘭。これは違う。これは、安室さんが格好いいから。別にそんなんじゃない。
心の中で必死に自分に弁解するけれど、ふとあの会話の中で「恋なんて知らないうちにしてるんだよなぁ」と小五郎が言っていた言葉が頭に浮かんで、は小さく「嘘だ…」と囁いた。


 翌朝、は小学校に着いてからコナンにじろりと恨みがましい目を向けた。それに、何だよと座った目で見返してくる彼。
「昨日、お姉ちゃんに変なこと言ったでしょ」
「変?ああ、安室さんが好きなのか?ってやつか」
悪びれた様子もなく、寧ろニヤニヤと面白がっている様子を醸し出す彼に、ぴしりと額に青筋が立った。そう、彼のその言葉のせいでの本体は知恵熱を起こして寝込んでいるのだ。本体が本調子では無い為、も必然的に今日は身体が重い。大体、本体の心が乱れまくりだから分身のも安室関係で心が乱れて仕方がなかった。いったい、どうしてくれるんだ。
――別に2人が付き合えるかどうかなんて分からねぇけど、仮に結婚したとしても大丈夫だと思うよ。さんの父親がイギリス人なら2人が子どもを作ったとしても遺伝子的にもそうおかしなことにはならねぇしな。
得意気にぺらぺら話してくれる彼にそういうことじゃない、とは思った。いや、そもそも遺伝子とかいう科学的な話はまだには良く分からなかったが。
「コナンくんのせいでお姉ちゃん考えすぎて熱出したんだよ」
「え、嘘だろ。…そりゃ悪かったな」
分身の自分の状況は伏せたが、本体の容態を伝えれば彼は目を丸くして驚いていた。全く、蘭とコナンが余計なことを言うから。むすっと彼を睨んでいたら、何を話しているのかと気になった歩美たちが近付いてきた。
何のお話〜?と笑顔で訊ねる彼女に、何でもないよと笑う。こういう話は歩美ちゃんも好きそうだから知られたら大変だ。小学生のとして冷静に対応できるか分からない。
「てか結局、さんは安室さんのこと好きだったのかよ?」
「知らない」
ぼそり、と耳元で囁いた彼にツンとすまして答える。どうしてコナンくんにそんなこと教えなきゃいけないの。彼には冷たくしながらも、え〜と頬を膨らませている歩美に大した話じゃないよと笑って、今頃本体は安室に看病されているのだろうな、と考えた。


 熱い額に、ひんやりとした冷気が触れて、は目を覚ました。顔も身体も瞳も全部が熱くて、止まっていた息を吐きだす。
、気分はどうだい?」
ぼんやりとしていた視界に安室が映る。どうやら、丁度額に乗せていた氷嚢を交換してくれた所だったらしい。身体全体が熱くて少し身体が怠い以外は何もおかしない所はない。ボカリスエットをコップに入れて渡してくれた彼に礼を言ってそれを飲み干した。汗をかいて水分不足だったようだ。
「珍しいね。が熱を出すなんて」
彼の言葉にこくりと頷く。確かに、今まで散々全身びしょ濡れで過ごしたこともあったのに、それでも風邪を引かなかったが熱を出したのだ。全ての原因は昨日のあの2人だったが、今となってはもうそれは仕方のないことだったのだと諦めた。
それに、熱を出してつらいけれどその代りに安室がこうして傍にいてくれる。の体調不良を見逃さないようにじっと見つめてくる彼に少しの居心地の悪さはあるが、それ以上に胸がぎゅっと掴まれていた。
どきどき、と高鳴る胸の鼓動が彼に聞こえていやしないか、と一抹の不安が過る。
「熱以外は何ともないようだから昼食作ってくるよ」
「待って、安室さん」
安静にしておけば大丈夫だろうと判断した彼はすっと立っての部屋から出ていこうとする。その姿を見て、は思わず彼の袖を掴んで引きとめていた。“一人にしないで”とは口に出せずに、視線を宙に迷わせるを見て、安室は小さく笑みを浮かべる。
「眠れるまでここにいてあげるよ」
「本当に?」
「ああ」
扉から離れて椅子をベッドの傍に置いた彼は、そこに座ってを見下ろす。どこにも行かないから、安心して眠ると良い。そう言って、彼の骨ばった大きな手がの目を覆う。その優しい暗闇に、は徐々に意識が夢の中に旅立って行くのを感じた。
そっと頬を撫でる彼の手の感触に、この人のことが好きなんだなぁと気付いて、今度こそ意識を夢に明け渡した。


16:私の世界はあなたでいっぱい
2015/06/21
強制的に意識を落されない限り分身は消えない。

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