安室の世界に再びやって来て、彼と約束したことはいくつかある。けれどその中でも一番大事なのは、「この世界にいる間は能力を他人に明かさないこと」ということだった。
彼が言うには、この世界には色々な研究施設があって科学的に証明できないの能力に興味を持った人間たちがそこに閉じ込めたり、が危ない組織に目を付けられたりするかもしれないということだった。
どうやらこの世界もが思っていたよりも安全ではないらしい。日本が他の国と比べて治安が良かっただけで、簡単に安全だと思ってはいけない国もあるようだ。
「分身はどうにかなりますけど、盾の能力はほぼ無意識なんですよね…」
「銃とか武器が当たらない限りは頑張って痛い振りして。そんなことはほとんど無いと思うけど」
しかし自分の意志によって現れる能力でもない“盾”の機能について心配になって愚痴を溢せば、彼は笑いながら演技をしろと言う。私に演技力がないこと知ってるくせに。
まあ取りあえず、一か月ぶりの小学校に行っておいでよ、と言う安室に頷いてすっかり存在を忘れていた小学校に分身を送り出すことにした。


一カ月ぶりの学校に来ると、クラスメイトたちがわらわらと集まってきた。どうやら一カ月も連絡が取れなかったことで大層心配していたそうだ。先生や歩美たちにはきちんと「イギリスに行っているかもしれない」と言っておいたのだが、他の子どもたちは他人から聞いた話では納得できなかったらしい。
ちゃん、久しぶり!やっと帰ってきたんだね」
「おはよう、歩美ちゃん。昨日帰ってきたんだ」
一カ月経っても全く変わらずに元気よく話しかけてきてくれたのは歩美。歩美がの所に来たことによって、元太やコナンたちもこちらに寄ってきた。
何で一カ月もイギリスに行ってたんだ?とか久しぶりのイギリスはどうでしたか?とか、質問攻めにされたは安室さんの言う通りだ、と予め彼に教えられた物語、つまりは嘘を言う。元の世界に帰ってました、なんて言えないしね。
「え、っとね。お父さんが病気になったってお母さんから連絡があったからイギリスに行ったんだけど、実はそんな大した病気でもなくて、私に会いたかったからって嘘ついたお父さんとお母さんに捕まってたの」
因みに、父がイギリス人で母は日本人という設定らしい。へへ、困っちゃうよね、と笑えばなぁんだと光彦たちは納得した。コナンと哀はどことなく呆れたような視線を送ってくる。私の両親(仮想)が非常識な奴だって思われているのかな。
「んでもよ、お前両親があっちにいるなら今は誰と暮らしてるんだ?」
今まではは両親と暮らしていると思っていたらしい彼は当然のように浮かび上がった疑問をに投げかけた。うっ、コナン君ツッコミが鋭い。こういう時も安室が考えた嘘で冷静に乗り切らないと、と彼の言葉を思い出す。
「お姉ちゃんと親戚のお兄さんと一緒に暮らしてるよ」
「あら、お姉さんがいたのね」
姉という言葉に反応した哀にうんと頷く。本体はなるべくコナンたちと接触しないように――はすぐにボロが出そうだからね、と安室に言われた為――と言われているが、万が一分身とそっくりな本体と彼らが出会っても変に思われない為の設定だ。
悪いことをしているわけではないのに、能力者であることが周りに知られないようにするのは大変だなぁ。あ、でも毛利小五郎にはストーカー的なことをしているから悪いと言えば悪いのだろうか。いや、でもコナンから聞いた話を安室に話しているだけだからストーカーではない筈だ。
取りあえずは納得した様子の2人にほっとする。歩美たちは「コナン君もちゃんの所にもお姉さんがいて良いなー!」と羨ましそうに笑っていた。


 分身が学校でコナンたちに囲まれて楽しそうにしているのを見て、はほっと一息吐いた。元太たちは素直な子どもだけどコナンと哀はかなり頭が働く子どもなようで、ツッコミが鋭い。彼らを納得させる度に自分は嘘を吐いている事になるわけで、子どもに嘘を吐くなんて心苦しいなぁと思った。
そこにブー、ブー…と何かが振動する音が聞こえる。ちらり、とテーブルを見れば安室のスマートフォンが震えていた。あれは確かマナーモードとかいうやつだ。何がマナーなのか分からないが、安室はスマートフォンの画面を見て渋い顔をした。
「もしもし」
出る事にしたのか、それを耳に当てて立ち上がる安室。それに対して女が何かを話している声が聞こえた。どうやら仕事の話なのか、に聞かせる気は無いようだ。も別にそこまで気にしているわけでもないので、彼が自室に向かう様子から漢字練習へと意識を戻す。
「すみません、不可抗力の旅行だったんですよ」
何やら電話先の女から文句を言われているのか、謝っている彼の声が扉が完全に閉まる前に聞こえた。
――不可抗力…。確かに安室にとっては不可抗力だっただろう。が誤って彼のシャツを掴んでしまったせいで一カ月の世界で暮らしていたのだから。
もしかしたら予定が入っていた仕事も全部それのおかげで無くなってしまったのかもしれない。後で謝ろう、と鉛筆を動かしながらは考えた。
 数分して帰ってきた彼に今更ながら一か月前のことを謝れば、彼はたまたま新しい仕事は来ていなかったから大丈夫だよ、と笑った。では先程の電話の相手は何に怒っていたのか。
「さっきのは、同僚だよ。僕と連絡が取れなくて怒っていたらしい」
「ふうん。探偵にも組織があるんですね」
探偵が沢山集まってグループを作っているなんて想像しにくいが、彼の言葉に頷く。海賊でも一匹狼を好む者もいれば、白ひげのように大所帯になることもあるのだ、きっと探偵もそうやってグループを作ることもあるのだろう。
彼が疑問を解決してくれたのでその話はもう良いや、と思って次の話題に移ることにした。
「安室さん、私働きたいです」
「ん…、別にが働かなくても僕の収入だけで大丈夫だよ」
働きたい、というのは前から思っていたことだ。海賊になる以前はただの子どもだったは、一か月前に酒場で働いたのが生まれて初めてのきちんとした労働だった。勿論、船の上でも働いていたがそれは給料を貰えないし船員全員が課せられる仕事だったので、酒場での働きとは少し違う気がする。
酒場では忙しさに目を回したが、それでも楽しかった。客と会話したり、彼らが美味しそうに食べる顔を見たり。その上賃金まで貰えるのだ、他の海賊たちから奪った宝を山分けして貰うのとは達成感が違う。
しかし安室は特に働かなくて良いと思っているようだった。それに何でですかと口を尖らせる。勿論お金は何割か安室に渡そうと思っていたが、お金だけの問題ではない。
はまだ世間一般の常識を知らないし、漢字だってろくに読めないじゃないか」
そんな状態じゃあ外国で暮らしていた、という設定でも不審がられるからねと言う安室に、むむむと唸る。確かに、そう言われると反論できない。だが少しでも彼の役に立ちたいというのにどうすれば良いのか。それにの世界は安室と小学校だけ。あまりにも狭いその世界を広げたいという意味もあったのだが、まだ我慢しなくてはいけないのだろうか。
「貨幣の単位とか覚えて漢字がある程度読み書きできるようになったら働いて良いよ」
「んー……、はーい」
上手く彼に丸め込まれたような気がしなくもないが、は一応それに頷いた。彼が言う通り、どんどんこの世界の常識を覚えていけば良いのだから。さっさと働けるようになろう、とは意気込んだ。


 の生活範囲は徒歩で行ける所だけだ。普段は主に徒歩か車でしか移動しない為、電車などには乗ったことがない。なので未だにそういった物への理解が遅い。電車等に乗りたいなぁ、とは思う。しかしどこに行くか分からないから一人では乗れないし、安室と一緒に行くことになると車の方が手っ取り早い為やはり電車には乗れない。つまりは、米花町からまともに出たことが無かったのだ。そのおかげである程度は地理を覚えることが出来たが。
いつものように安室のマンションを中心に米花町内を機嫌良く徐行せずにぐるぐると走り続けていた所、曲がり角で一人の男とぶつかった。
「あいた!」
「へぶ!」
の勢いが強くてその細身の男は声を上げて地面に倒れる。その際にスーツの胸元からぽろり、と手帳が落ちた。もぶつかった衝撃から地面に尻餅をついたが、能力のおかげで痛みはない。あ、痛がる演技をしなくちゃいけなかったんだ。彼との約束を思い出して、取ってつけたように打ちつけた尻を擦りながら彼が落とした手帳を拾う。
そこには彼の顔写真が載っていて難しい漢字で色々なことがかかれていたが、テレビドラマでこれと同じ物を見たことがあるは目を輝かせた。これは警察手帳という物だ。おお、本物!
「すみませんでした!はい、どうぞ」
「いえ、こちらこそすみません」
怪我はありませんか、と訊ねる彼に無いですと首を振る。注意散漫でぶつかっていったのはだし彼の方が勢いよく倒れていたというのに、彼はとても優しい性格をしているようだった。先程覗き見た手帳には確か高木と書いてあった筈。この人が噂の刑事か、と期待の籠った目で見上げれば彼は些か混乱しているようだった。
「お兄さん、刑事さんですか?」
「え、ああ、そうだよ。何か困ったことでも?」
刑事であることを訊ねたからか、彼はが何かに困っているかと思ったらしい。しかしは今のところそれと言って困っていることはない。強いて挙げるなら、小腹が空いたが食べ物が売っている店への道が分からない程度だ。それを伝えれば、彼は近くにデパートがあるから案内するよと笑ってくれた。
「ここだよ」
「ありがとうございます」
数分もしないでアイスクリーム屋が出入り口にあるデパートに到着した。流石刑事。この町のことをよく分かっている。じゃあ、と言ってその場を去っていこうとする彼のスーツを掴んだ。
それにあれ?と首を傾げる彼にはにっこり笑った。
「お兄さん、お礼にアイスどうぞ!」
「え、良いよ。勤務中だし」
苦笑して断る彼に良いから、と彼の腕を引っ張ってアイスクリーム屋の前に並ぶ。としてはこの暑い中スーツを着て案内してくれた彼に感謝の気持ちを示したかったのだ。あの時、肉じゃがを恵んでくれた彼のように今度はが彼に親切を分けようと思っての行動だった。それに、額に汗をかいている高木刑事も満更ではなさそうだ。
「え〜、良いのかい?じゃあ、頂こうかなぁ」
「高木君!!」
人好きのする笑顔でアイスクリームを選び始めた所に、彼の名を呼ぶ女性の声が聞こえた。それにびくっと肩を震わせて後ろを振り返る彼。さ、佐藤さん。彼の声にも振り返ればスレンダーな黒髪美女がそこには立っていた。些か眉を吊り上げながら。
「仕事中に何してるの?」
「あ、いやこれは」
じろり、と彼を睨み付ける彼女の瞳に彼はたじたじな様子。もしかしては彼女にいらぬ誤解を与えてしまったのかもしれない、と先程までの経緯を彼女に話した。これはお兄さんへのお礼ですと言えば、そうだったのと納得する彼女。ついでにお姉さんの分も、と思って誰でも食べられそうなバニラを彼のアイスの上に乗せてもらうことにした。
「えっ、私まで良いわよ。それにどうして高木君と一緒のコーンなの?」
「記念です!だってお姉さんたち恋人同士じゃないんですか?」
遠慮する彼女に首を傾げれば、2人は同時に顔を赤くした。べ、別にそんな仲じゃないわよ!と慌てだした彼女に彼も同調する。あーやしいなぁ!2人の様子ににやりと笑えば、ゴホンと咳払いをされて誤魔化されてしまった。ちぇっ、別に恥ずかしがらないで教えてくれたって良いのに。
結局何だかんだ言って彼らは2人でアイスを突き合っていたけど。はそれを楽しく眺めながらチョコレートアイスをぺろりと平らげた。

 マナーモードで振動するスマートフォンに気付いて、パソコンから視線を外してそれを手に取った。差出人を確認すれば、どうやらからメールが届いたらしい。
メールは難しいと言っていた彼女にしては珍しいと思ってそれを開けば、一枚の写真が添付されている。それはこちらが一方的に知っている男女の刑事に挟まれた彼女の写真だった。彼女たちの手にはアイスが握られている。
どうしてこんな状況になっているんだ。彼女の突飛な行動に何をしているんだか、と呆れつつ笑って本文を見ることにした。
『なまのけいじさんたちとあいました。きねんにいつしよにアイスクリームヲタベマシタ。オイシカツタデス。ナンデキユウニカタカナニナツタンデスカ。』
どうして彼らが刑事だと分かったのかは知らないが、このどうでも良い内容につい笑ってしまった。その上、小さな文字を打つことが出来ないし、平仮名から片仮名に変えた際に戻し方が分からなくなってしまったらしい。更に疑問符の打ち方も分からないという、まるで機械の使い方が分からない老人のような内容にトリプルパンチを食らった安室は肩を震わせる。
一生懸命文章を書こうとして頭を悩ませている彼女の様子が手に取るように伝わってくるメールだった。今まで行方を眩ませたシェリーについて調べていたと言うのに、彼女のおかげで肩の力が抜ける。ああ、良い気分転換になった。
――帰ってきたらメールの打ち方を教えてあげよう。
そう思いながら安室はツボに入ったメールを保存してから、『おしえてあげるから、はやくかえっておいで』とにメールを送り返した。


13:ずっと隣にいて良いよ、なんて恥ずかしくて言えないけどさ。
2015/06/20
写真の撮り方が分からない夢主に代わって佐藤さんが撮ってくれました。メールに写真を添付することは2人の了承済み。

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