ジャコブたちに盛大な退院祝いをしてもらった翌日、は早速酒場で働いていた。オーナーは退院してすぐだというのに働いて大丈夫か、と心配していたが海賊の娘はそんなに柔な身体の作りはしていない。大丈夫ですよ!とオーナーの他にも心配してくれている町の人々に笑って応えた。
ちゃん、ビール4つとアクアパッツァ2つに、鳥の軟骨のから揚げ1つね」
「はい、かしこまりました」
客からオーダーに笑顔を返して、オーナーに伝票を渡した。その直後また別のテーブルから声がかかって、彼女はそちらへと急いでいった。

 酒場で働いた帰りに、は近くの本屋に向かった。時刻はもうそろそろ夕方。久しぶりに朝から夕方までずっと働きっぱなしだった為、肩や節々が少し疲れているがぶらぶらと身体を解しながら歩く。
こんにちは、と声をかけて本屋に足を踏み入れる。店の主人はちらり、とこちらに目を向けてすぐに手元の本へと視線を戻した。の目的の物は旅行コーナーだ。どこだろうか、ときょろきょろ探していると奥の方のスペースが旅行コーナーとなっている。
どれにしようかな。タイトルを見ながら、どこの海の旅行雑誌にしようかと考える。数冊を手に取ってパラパラと捲っていく中でやっぱり魚人島は外せないよなぁ、と魚人島特集が多く入っている雑誌を選ぶことにした。それを手にして会計をしてもらい、店を出る。
 いつもより少しばかり早足で居候先に帰る。ただいま帰りました、と声をかければキッチンでジャコブが料理を作っていた。どうやら今日は数少ない彼の料理日だったらしい。おお、おかえり。もうすぐ夕食ができるからなと言った彼にはいと頷いて階段を上がっていく。
「安室さん」
「何だい?」
コンコン、と安室の部屋をノックすれば数秒しないうちに彼が扉を開けた。ジャーン、と先程買った旅行雑誌を彼に見せれば、どこかに行きたいのかい?と訊ねてくる。立ち話も何だし、と部屋に入れてもらったはベッドに座り彼に雑誌の中身を見せた。
「安室さん、この世界のこと知らないから色々教えてあげようと思って」
「へぇ。もしかして、これは人魚かい?凄いな」
どうぞ、と彼に雑誌を渡せば一枚一枚ページを捲っていく。最初は砂漠の国のアラバスタ、続いて造船島として有名なウォーターセブン、人形と人間が暮らす街として有名なドレスローザ王国、人魚たちが住む楽園である魚人島などと特集が書かれている。写真が多くて分かりやすいだろうと思ってその雑誌を買ったのだが、中でも安室はやはり魚人島に興味を示した。
下半身に尾ひれがついている女性たちを指差して訊ねてくる彼に、そうですよと頷く。その島は白ひげが昔海賊たちに荒されている所を救ったのだ。もう少し大人だったら当時の彼を見ることができたのに、と残念になったが、当時のことを彼に話して聞かせる。
「国王と友達なんて、の船長は凄いんだね」
実際にその光景を見たわけではないが、仲間たちから聞かされていた魚人島での白ひげの勇姿を安室に伝えれば、彼はそうなんだと頷く。剰え、白ひげを賞賛する言葉も貰って、はまるで自分のことのように喜んだ。
もっと彼がこの世界に留まってくれるなら、一緒に魚人島に行けたかもしれないのになぁ。


そして新月になった当日。何だかんだ、一カ月経つのは早かった。
今朝も相変わらず安室は平然として過ごしているけれど、は少しばかり表情が暗い。本音を言えば、もう少しこの世界に留まってほしい。彼に白ひげや家族を紹介して彼の世界で世話になったお礼を派手に行いたかったし、彼に色んな国を見せたかった。だけど、彼はこのまま帰ってしまうのだろう。
安室の料理ももう食べられないのか、と思うが条件が整ってがその気になればいつでも安室の世界に行けるのだと気が付いた。そうだ、たまに遊びに行けば良いんだ。
――なぁんだ、問題解決!それなら寂しくない。ついでにまた安室が暇な時にこちらの世界に連れてこればいいのだ。
「何笑ってるの?」
「たまに安室さんの世界に遊びに行こうと思ってたんです」
そうすれば安室さんの料理も食べられるし、寂しくないですもんね。と笑えば、彼はきょとんとした後にそうだねと笑った。は図々しいな、なんて余分な言葉を付け加えながら。
 その日の夕方、安室は世話になった夫妻に挨拶をしてから浴槽に湯を張ってそこに足を踏み入れた。はそれを見守っている。
微笑を保っている彼は、が何かを言うよりも先に口を開いた。
「ずっと思ってたんだけど、もしかしたら僕だけじゃ世界を飛び越えられないんじゃないかな」
「えっ」
あまりにも突然に彼から伝えられた衝撃の言葉に、は固まった。条件を忘れて彼だけでも当たり前のように世界を飛び越えられると思っていたにとっては、非常事態だ。では、また安室と一緒に彼の世界に行かなくてはいけないのか。出てきた結論を口にすれば、そういうことだと彼が頷く。
軽々しくきゅぽんと浴槽の栓を抜いた彼。湯が排水管に流れていくのは見えるが、確かに彼が言う通り彼はその中に吸い込まれていかない。
「ええ!?じゃあ私もジャコブさんたちに挨拶して、あ、あと皆にも連絡入れてきます!」
「ああ、待ってるよ」
そんなぁ、と思ったものの自然と笑みが零れる。何だ、私は嬉しいのか。また暫く彼と一緒にいることができて。まあ条件さえ整えばいつでもこの世界に帰って来られるのだ。家族と永遠に離れ離れになるわけではない。だっと駆けてジャコブたちにこの一カ月お世話になったことのお礼を言って頭を下げた。そして電伝虫を借りて、白ひげ海賊団に連絡を入れる。
「もしもし――」
か。お前、行くんだろう』
がちゃりと音がして出たのは、思いにもよらなかったが白ひげだった。一言しか話していないのに、相手がであることを見抜いただけではなく、安室の世界に行こうとしていることを察している彼に驚く。
驚愕に目をぱちくりと瞬かせながらうんと頷けば、彼はグラララと穏やかに笑った。
『寂しくなったらいつでも帰ってこれば良い。ここはお前の家だ』
「――オヤジ……。ありがとう」
何も訊かずに、ただ背中を押してくれた彼。当たり前のように、いつでも帰ってきて良いと絆を示してくれた。やっぱり、オヤジは偉大だ。白ひげの温かさに、少し涙が溢れた。
――二度と会えなくなるわけじゃない。そう、少し旅をしてくるだけ。
『俺もマルコも他の奴らも、お前のことを愛しているぞ』
電伝虫を切る間際に慈愛が籠った声が鼓膜を揺すって、は「私も皆のこと大好きだよ」と呟いた。それなら大丈夫だ、と頷いた彼に今度こそ「行ってきます」と伝えて、電伝虫を切った。
何が何だか分からないけど気を付けてね、と笑うディライラに感極まって抱きついて「お世話になりました」と笑う。ジャコブは涙もろいのか、たちを見て目頭を押さえている。だけどそんな彼の背中を彼女がばしんと叩いて、きっとまた会えるだろうからあの子を待たせちゃ可哀想だとの背中を押した。
――安室さんとまた一緒に暮らすことが出来る。
彼女の言葉に従って浴室まで駆ける。今までになくわくわくした。安室と海に向かっている時もこんなに心臓は高鳴らなかった。
「安室さん栓抜いてください!」
「ああ、ってちょっと待っ」
浴室に入る間際に彼に指示を出して栓を抜かせる。駆けてきた勢いのまま、驚きのあまり目を見開いている彼に飛び付けば2人して浴槽に倒れ込んで、温かいお湯の中に沈んで行った。

――ぱちり、と目を開く。冷たい水の中にいた。息が出来ない。ゴボゴボと口から泡が溢れて、広いそこに沈む身体を誰かが上へと引っ張り上げる。暗くてよく見えないけれど、分かった。この手の持ち主は安室だ。
水面に顔を出して盛大に噎せた。今までとは違ってなんて広い所に出てきたんだ。しかし泳げないにとってはそれどころではなくパニックになって安室の身体にしがみ付く。それと同時に上がる笑い声。
「大丈夫、小学校のプールだよ」
「…あ、ほんとだ」
ぎゅっと瞑っていた目を開けば、そこは海でも何でも無く、見慣れた帝丹小学校のプールだった。確かに塩の味なんて少しもしなかった。塩素臭いだろう?と説明する彼に塩素が何なのか分からないが、はいと頷く。このつんとする匂いのことだろうと思って。
彼の笑顔を見て、胸に浮かんだのは「帰ってきたのか」という思い。“帰る”、そう思えるのはきっと傍に安室がいたからだ。水のおかげで力が抜けたは身体を担がれて運ばれていく中、彼の背中を見て言いたかったことを伝える為に口を開いた。
「安室さん、ただいま」
「おかえり、
へへ、と笑えば彼はを振り返って同じように笑った。


12:恋かどうかなんて知らないけど、それでも大好きなんだよ。
2015/06/19
第1章完結。

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