04 ときたまの休日

「おい、
「はい。ああ、晩酌ですね」
当たり前のようにソファ――あの、そこわたしのベッドじゃありませんでした?――を占領してふん反り返っているマルコさんの手にワイングラスを渡す。そして、彼が指差した銘柄のボトルをワインクーラーから出し、ついでに側にあったワインオープナーを持って彼の前に行った。ワインの開け方も以前に比べたら手慣れたもので、わたしはコルクを抜いたそれからワイングラスへ紫色の液体を注ぐ。独特な香りが鼻を突き、「やっぱりまだワインって好きになれないなぁ」と未成年だったら当たり前のようなことを考える。
この船に乗った当初だったら、ワインの開け方すら知らずマルコさんに頭を鷲掴みにされて確実に頭蓋骨粉砕コースで、耳からトマトジュースが出てくるかと思ったが、今ではそんなこともない。ワインを注ぐことにすら命がけって何事。
「随分慣れたなァ」
「ありがとうございます」
いつものドS発言とは違うそれに、わたしは些か顔に熱がこもるのを感じた。べ、別に嬉しくなんかないんだからな!!ふと、ソファは座る場所が無い為、床に立ったままでいると彼がわたしの腕をぐいと引き、ソファに引き込まれた。うわっなんて情けない声を上げながら、必死にワインのボトルを落とさないように握り締める。このボトルを落とした暁には、彼に殺されてしまう。
ぼすんと彼の横に座ることになったわたしはぐっと身体を引き寄せられて頭をわしゃわしゃ撫でられた。ちょ、あの、近い近い近いです、マルコさん。あなた、こういうの多いですよね。突然のマルコさんのスキンシップにわたしの顔面は変顔状態だ。
「この船にも大分慣れたかい?」
「え?あ、はい。慣れました」
そういえば、わたしがこの船に乗り始めてから二週間ほど経った。最初の頃は仕事量の多さにひいひい言っていたけれど、最近ではそこまで苦労しなくなってきたのだ。
今日はやたら機嫌が良いのか、わたしが言うこと成すことに文句を言わない彼。なんだなんだ、一発くらい殴ってくれておいた方がいつものマルコさんだって安心できるんだけどな。これはこれでいつ殴られるんだとびくびくしなくてはならない。
というか、そういったことを気にかけていてくれたとは知らなかったわたしは、正直この魔王にもそんな心があったのだなと感慨深くなっていた。いや、まあそんなこと言っているけど本当は嬉しいですよ、コノヤロー!!!照れ隠しだバカヤロウ!
――なら良いんだよい。そう呟いた彼が、「ん」とワイングラスをわたしに付きだす。わたしは空のそれにまた紫色の液体を注いだ。ああ、なんだか今日は久しぶりにゆっくりとした時間を過ごしている気がする――
「じゃあ明日からはもっとこき使ってやろうかねい」
って、やっぱりか!!!感動したわたしのバカ!!!!なんて言えるわけもなく、チキンなわたしは歯を食いしばるだけに留めておいたけれど。

「ってことが昨日あったんですよ」
「ははは!お前、バカだなァ。マルコがそんなに簡単な奴じゃないの知ってんだろ?」
エースさんの部屋を掃除しながら、昨日あったことを彼に愚痴る。最近では彼の心ないS発言など気にかからなくなった。今日は彼は珍しく早く目が覚めたようで、朝食を食べに行かずわたしの話を聞いてくれる。こういう所、エースさんは良い人なんだよなぁ。
口を動かしながらも彼の部屋を掃除していく。彼はわたしの話に頷きながらふんふんと鼻歌をする。少しばかり音が外れていることを除けば彼の声は素敵なので聞いていて落ち着く。しかし掃除をするわたしの邪魔をするように彼は弟自慢を始めた。にこやかに腕を広げて壁に貼られている弟――ルフィくんの指名手配書を見ていかに彼が頑張っているかと力説するエースさん。
「あいつ、この前まで泣き虫で俺が付いてなきゃてんで駄目な弟だったのになァ。それが今じゃアーロンなんかを倒すような男になっちまって!おい!、聞いてるか?俺の弟はな海賊王になる!なんて言う奴なんだよ!!」
「はいはい、聞いてますよ」
目を輝かせる彼に対して、わたしは無表情に頷きながら部屋を片付けていく。何と言ってもこの話を聞くのはこれで十数回目。いい加減何度も同じ話をされてしまえば軽く頷いてしまっても仕方がない。しかし、そんなわたしの返事に不真面目さを敏感に感じ取った彼の額に青筋が立った。それに気付いて「あわわわ」と意味にならない言葉が口から溢れる。そういえばエースさんはルフィくんのことになると途端にキレやすくなるんだった。ぶちっと青筋が切れる音がした瞬間、わたしの身体はエースさんの部屋の半開きだった扉をぶっ壊して宙に浮いていた。
!お前ルフィの話を適当に聞くなんて――あ!!やべっ」
どうやら彼に胸倉を掴まれて投げられていたらしい。扉が半開きで良かった。そう思ったがわたしの身体は廊下に落ちずに、そのまま海の上に放り出される。
自分一人でどうにかできる力なんてないわたしは、ぼんやりした視界でエースさんが誰かに慌てて助けを求める姿を見るのを最後に、海にバシャンと落ちて意識を手放した。


「ほら、起きなさい。朝よ」
「うーん…あと10分…」
母親の手によって布団が捲られ、カーテンも綺麗に開かれ朝日がわたしの目を突き刺した。寝起きにこの光の強さは致命傷だ。うわぁぁなんて声を上げていれば「何馬鹿なことやってるの」と彼女にお尻を叩かれ、私は仕方なしに起き上がった。洗面所に向かって寝癖が酷い状況なのを確認して顔を洗ってうがいもしてからダイニングへと行く。顰め面をしながらのそのそと歩くわたしに対して父親が「毎日すごい寝癖だなぁ」と穏やかに笑った。それに頷きながらもそもそと朝食を食べる。
「いただきますは?」
「いただきまーす」
キッチンでお茶を淹れていた母からの言葉に遅れながらも手を合わせれば、彼女はよろしいと満足した様子。穏やかな朝の時間に、わたしはしばしぼーっとして部屋を見渡した。
――何か足りない。
直感的にそう思って首を捻る。何だかつい最近まで誰かのことで一生懸命に走り回っていた気がするのだが。うーん、と首を傾げたままテレビを見ていたら父が「変な姿勢で食べるんじゃない」と注意してくる。それにはーいと返した。まあいっか。きっとそんなに大切なことじゃないよ。
「あづぁっ!」
そう思って味噌汁をずずっと飲み込んだ瞬間、あまりにも熱かったのか舌を火傷し、気管支の方に液体が行き、盛大にゴホゲホと噎せた。


「ゴホッゲホゲホッ!!」
というのはわたしの夢だったらしい。目を開いた先は医務室の白い天井。ああ、なんだよシット!ジーザス。口の周りをびちゃびちゃと濡らしているのは、どうやらわたしが寝そべっているベッドの真横に座っているイゾウさんが給水してくれていたかららしい。いや、あの、あなた…看病してくれるのは嬉しいけど、咳き込むような飲ませ方をしないでほしいんですけど。ニヤニヤと笑っている彼のことだ、大方これも分かっていてやっているのだろう。
「お前、エースに投げられて海に落ちたらしいな。熱だってよ」
「え…本当だ、頭痛いです」
疲れも溜まってたんだろう、と言う彼はニヤニヤ笑いをやめて真顔になる。ど、どうしたんだ。イゾウさんの真顔なんて下僕宣言をした時以来見ていないというのに。そう思って内心冷や汗だらだらだったわたしに対して、彼は「これ、見舞い品だ」と何かが入ったラッピングの袋を渡してきた。しかしそのラッピングの袋の柄がいただけない。髑髏のおどろおどろしいそれを渡されたわたしは「ひえー!」と悲鳴を上げた。もしかして爆弾とか!?とうとうわたしを抹殺しにきたの!?
「しっかり寝とけよ」
「あっだ!」
尚且つ頭を乱暴に捕まれて枕に叩きつけられる。頭痛と彼の暴力で相まってぐわんぐわんと揺れる視界。うぇぇ、と吐き気まで催してきたわたしは大人しく横になっていることにした。そのまま彼が渡してきた包みを恐る恐る開けてみれば、そこには歪な形をしたクッキーが入っていた。え、それに目を見開く。
「起きてたんだな」
「わりぃ!!熱大丈夫か?」
驚きのあまり固まっていたわたしのところに今度はハルタさんとエースさんがやって来た。申し訳なさそうに頭をぽりぽり掻いているエースさんに対してハルタさんはにこやかな笑みを浮かべている。その組み合わせのコントラストにわたしは「へぁああ」と間抜けな声を出してしまった。だって、頭も痛いし吐き気もするのに、ドSコンビに付き合う気力なんてないから。
だがしかし、彼らは思わぬことを口にした。
「お前いつも働きすぎだから倒れるんだよ。たまにはじっとしておくことも必要だってば」
「何でも言えよ。今日はお前のために働くから」
ハルタさんとエースさんの言葉に、イゾウさんの時以上に目を見開いた。えええ、ちょっとこれどういうこと?ぽかんとアホ面を晒すわたしに彼らは変な顔だなぁと笑って。呆けることしかできないわたしを放って甲斐甲斐しく世話を始めた彼らにわたしは恐怖と熱が上がってきたことによって目を回してしばし意識を手放すことにした。ドSの方々が急に優しくなることほど恐ろしいことはないよ。


暫くして目を覚ましたそこには、2人がいなかった。代わりに、にっこり笑ったナースのジュリーが座っていた。喉乾いたかしら、と言う彼女にこくりと頷けば彼女はすぐ側にあった水差しでコップに水を入れてくれた。それをごくごくと飲んで彼女を見やる。いったい、先程の3人の隊長達の行動は何だったのだろう。
「驚いたでしょ?オヤジ様からお叱りを受けて、隊長たちは皆ああよ」
「え、そうだったんですか?」
ほら、と言う彼女の指の先を見れば、医務室のサイドテーブルの上にはお見舞いの品が並んでいる。丁寧にどこの隊からのものだと書いてあるそれに、久々の人間らしい扱いにぐすんと鼻を啜る。どうやら、あの3人はわたしのことを心配してくれていただけらしい。漸くそれに分かってわたしの涙腺は刺激された。
しかし、目ざとくそのお見舞いの品の中に一番隊の物が無いのを確認してその涙は引っ込む。嘘でしょ、一番わたしをこき使ってるマルコさんからのお見舞い品がないなんて。
感動が薄れ徐々に怒りが湧き、わなわなと震えだしたわたしを見て、ジュリーは苦笑した。それと同時に「いつまでそこにいるんですか」と医務室の扉の外に声をかけて。え、と思えば、わたしがたった今怒りの矛先を向けていた魔王――マルコさんがいて、ぎょっと目をひん剥く。ま、まさか今の心の声がだだ漏れだったとかじゃないよね!?
どかり、と椅子に腰を下ろした彼に「ひっ」と情けない声が喉から溢れる。普段だったらそこでまず拳骨が決められるけれど、今日は彼にジロリと睨まれるだけで。も、もしかしてマルコさんもオヤジ様のおかげで改心してくれたとか?
「なんだ…あー、疲れが溜まってたみてぇだからよい、暫く休めってことだ」
歯切れ悪くそう言う彼に、熱があるにもかかわらずわたしはニヤァと笑ってしまった。あのマルコさんがここまでわたしに対して優しくしてくれるなんて!素晴らしい!流石オヤジ様だ。そう内心オヤジ様への敬服の念を抱くわたしはゲホゲホと咳をしてしまった。
「大丈夫かよい?ったく、倒れる前に休みを取れよい」
「あ、ありがとうございます」
咳をしたわたしに対して水を渡してくれるマルコさん。うわ、なんて貴重な瞬間だったんだ!カメラを持っていたら全力で連写していたのに。彼の小言は調子よく右から左に流して、彼の行為のみに感動した。そこではっと気づく。今なら、マルコさんを良いように使うことが出来るのでは?と。咳をしただけなのに勝手に動いてくれたのだ、きっとちょっとしたお願いなら聞いてくれるかも。
「あ、あの、マルコさん」
「何だよい」
申し訳なさそうな顔をして彼の名前を呼ぶ。わたし、風邪の時にはお母さんから手作りプリンを作ってもらっていたんです。そう言って彼の顔を窺う。そうすれば、彼はわたしが何を言いたいのか察したらしく、眉を寄せた。おい、ジュリーと言いかけた彼だったが、わたしは彼女が返事をする前に「マルコさんが作ったプリンを食べたら元気になる気がします」と言った。途端、彼は無言で立ち上がり医務室を出て行く。怒らせてしまったか。そう思ったけれど、彼は2時間後に帰って来た。
「オラ、俺の手作りプリンだ」
「え、わ…ありがとうございます」
大変疲れた様子の彼に、大方サッチさんから教わったのだろうと踏んだ私はとても喜んだ。そして調子に乗ってしまった。思えばきっとこれが悪かったのだろう。渡された少し焦げたプリンの見た目に笑いたくなるのを我慢して彼を見上げる。
「マルコさん、起き上がれないので食べさせてください」
どこまでだったら言うことを聞いてくれるんだろう、とウキウキしていたわたしはその瞬間後悔した。ギラリと鋭く光った眼差しに、今まで抑えられていた彼の気迫がどっと増える。あわわわわ。凶悪な顔付きになった彼に「な、何でもありません」と口を開こうとしたところ、彼がプリンの器を手にして思い切りわたしの顔面に向かって押し付ける。
「ほら、食えよい!!俺の手ずから!!」
「ギャアアァァ!!」
彼がわたしの口に無理やり器ごと突っ込もうとして、はみ出たプリンが目に入った。それに痛い痛いと騒げば「俺に指図なんて100年早いんだよい」と彼が魔王然として笑うから。うう、やりすぎたか。にしてもこれくらいでキャパオーバーだったとは、まったくマルコさんも心が狭いなぁ。
ゴホッと噎せながらも渡された(とは言い難い)プリンを咀嚼すれば意外にも美味しかった。
「また熱出したらお願いしますね」
「もう二度と作らねぇよい!」
へらりと笑えば病人にもかかわらず拳骨を食らった。小気味良い音が医務室から響いて、それに頭を抱えるわたし。その音を聞きつけたナースたちがやって来て、次いで隊長たちやオヤジ様までやってくる。途端に騒がしくなってしまった医務室に、私は痛い頭を抱えながらどこか満たされた気持ちで笑った。


END 2015/12/30


オヤジ様!マルコさんが苛めるんです!と言えば、途端に彼はチッと舌打ちをしてわたしの顔面に飛び散ったプリンをタオルで拭ってくれた。

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